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捜鷹記  作者: 檻の熊さん
14章

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よしなしごと 忘飼と塒入と

 いつの間にか猟期も終わりまして、病人は一日中屋内に引きこもり、鷹たちは放り餌(ほうりえ)の日々です。私は、朝になると鷹を据え出して屋外に繋留し、夕方になると再び据えて屋内に仕舞うというルーチンワークをこなしております。飛梟(とび)だけは、ちょびっと飛ばしたりもします。


 鷹に換羽させることを「塒入(とやいり)」と言います。(とや)鳥屋(とや)でもよく、流派やグループの間で、みなさん好きなものを使っています。「鳥屋(とや)に込める」「塒込(とやごめ)」という言い方もします。この(とや)というのは禽舎(きんしゃ)に当たる物で、鳥小屋です。やはり流派によって名称があって、鷹部屋(たかべや)と呼んだり鳥屋(とや)と呼んだりします。意外にも鷹小屋と言ったりはしませんが、知らない人はむしろ鷹小屋と言うと思います。

 現代では、猟期が終わりシーズンオフになると、使わなくなった鷹を換羽させる為に、足革を切り小屋に放し、給餌制限を解除して太らせます。これを私たちは「塒入(とやいり)」と呼んでいる訳ですが、昔は、塒入(とやいり)の前に「忘れ飼い(わすれがい)」という事を行ったそうです。すなわち、大安吉日である旧暦の4月8日に、雌鶏(めんどり)を鷹に与え、食い残しが出るまで食べさせてから(とや)に込めたといいます。農家の一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)と同じ、縁起担ぎですね。鷹書の書かれた頃ですから、名古屋コーチンのような大型のニワトリが居なかった時代です。この「雌鶏」は現代のチャボくらいの大きさだったはずです。おおよそで、ドバトの倍くらいの大きさの鳥になるでしょうか?近頃ではチャボも珍しい品種の仲間入りをしてしまいましたから、セラマなどの外国産の小型鶏を例示しないとイメージが湧かないかもしれません。


 塒数(とやかず)は鷹の年齢のことですが、字義通り換羽の回数で鷹は年齢を数えます。「とや」は「かえり」とも言いました。昔のことで、用字は当て字になるので、「替・換・代」のいずれも使えます。1歳を迎えた鷹を「片塒(かたとや)」あるいは「片かえり」と言います。2歳を「諸塒(もろとや)」「諸かえり」と言い、三塒(みとや)から先は、数字を増やしていって対応します。

 鷹狩の日本伝来は、日本書紀の記述が最古で、仁徳天皇の時代に朝鮮半島からやってきた、今でいう渡来人で秦氏の人であるところの酒君(さけのきみ)が伝えたとされています。この人が連れていた鷹を「倶知(くち)」と言ったのですが、解釈が二つあります。ひとつは、一般的な日本書紀の訳がそうらしいのですが「生き物の名として」倶知(くち)だと理解したもの。つまり、倶知(くち)はオオタカの古名の一つとして知られております。もうひとつは、鷹の個体名が「倶知(くち)」だったという解釈があります。つまり、鷹書の方に、「伝説の名鷹倶知(くち)」という名で出てくる鷹がおります。どうでもいい話ですが、現代韓国語で「クチ」と発音する言葉はあるのかと思い調べてみたところ、頻繁に使われているもので、日本語で言うところの「だよね!」とか「ですよね~」という、相づちや同意の時に使うフレーズがクチでした。昔の人が何かやらかしていないか、ちょっと不安を覚えたことがあります。いいえ、実は「倶知(くち)」という名称には事情があったことが、研究者の方によってほのめかされておりますので、将来そういう研究を目にする機会があるかもしれません。生きてたらね。

 鷹書に出てくる倶知(くち)は、「百十かへり」生きたことになっております。110歳です。「おまえら、伝説の鷹に(なら)えとまでは言わんが、鷹を死なせすぎだ!」と、大昔に書かれたであろう鷹書にそんな事が書かれているくだりがありまして、私、感銘を受けたことがあります。いえ、さすがにオオタカが110年も生きたりはしません。


 さて、戦前に出版された『放鷹』という本には、『宮内省における放鷹』というパートがありまして、その頃の調教の様子が書かれております。以前にも述べました通り、『放鷹』の本質は冗句本(ジョークブック)です。元ネタあっての本で、虚と実が入り交じっており、よほど詳しい人でも、「揶揄(からか)われている」箇所が分かりません。実は、『宮内省における放鷹』には、塒入(とやいり)前に行う「忘れ飼い(わすれがい)」について書かれた項があります。概略のみ説明すると、そちらでは、最後に獲物を捕らせた後、徐々に鷹の体重を落として行き、(ほこ)に止まっていられないほど弱らせた後に、「塒入(とやいり)」、つまり十分な量の給餌を開始して換羽をさせるという方法が紹介されております。今どき、普通はやりませんが、こういう方法を行うと「短期間で(とや)が進行して終わる」という傾向があります。おそらく経験から、そう成ることを知っていた昔の人の知恵らしいのですが、「体に悪い」もので、おおよそ長寿とは無縁の鷹が出来上がります。とうてい、本来の忘飼(わすれがい)とはかけ離れた行為ですから、そういう意味で「揶揄(からか)われていた」ことを知るのは、読者たちが本来の鷹書の記述を読めるように成った最近のことです。ところが、戦中から戦後にかけて、当時の宮内省では本当にこの方法で鷹が管理されていたことが『天皇の鷹匠』の中で述べられています。タイトルの通り『宮内省における放鷹』に、間違いはなかったのです。このように、冗句本(ジョークブック)と言われる物には「(うそ)と見せて(まこと)」という書き方があり、その読解は一筋縄(ひとすじなわ)では行きません。研究者の方たちが、ぶち切れてゴミ箱に放り込む代わりに『放鷹』を参考文献に使う理由は、この辺りにあるのだと思っています。私の知る限り、『放鷹』は最も古い鷹の冗句本(ジョークブック)ですが、実は英語圏には鷹関連の冗句本(ジョークブック)が多数出版されておりまして、数十冊におよぶ本の名を挙げることが出来ます。

 明言されていたのは1羽のみで五年という事でしたが、『天皇の鷹匠』で述べられていた鷹の寿命は、それほど長くありません。一説には、上述したような無理のある換羽期の管理が鷹の寿命を縮めたのではないかという考えがあるようです。ところが、実際に飼ってみると飼育下の鷹の寿命はそれほど長いものではなく、特に使役鳥については、事故・病死・餓死・逸失、3年もした頃には同じ飼育者の鷹が変わっている事がよくあります。オオタカの飼育は、「運」に左右される部分がかなりあるらしく、「40年くらい飼っていて、ようやく寿命を迎えた」という話がある一方で、1シーズン使わないで死んでしまう鷹が「たくさん」現れるのです。明らかに、ハリスホークに比べてオオタカの「十年選手」は数が少なく、生存しているだけならともかく、使役されている鷹は更に珍しくなります。いいえ、実際に見てきた訳ではありませんが、当時の宮内省、戦後なら宮内庁の方たちの鷹の管理は、それほど悪いものだったとは思いません。例えば、現在私がそうしている様に、鷹に抗菌薬や抗真菌薬を与える事が出来なかった頃の管理なのです。むしろ、「昔の人のバイタリティ」なんて言ったら失礼かもしれませんが、かなり気を使った丁寧な管理をしていたのではないかと想像出来ます。なにしろ、私が使っている「最も古い」抗菌薬であるアモキシシリンが世に出たのは、ちょうど『天皇の鷹匠』の最後のページを読み終わる頃の話なのです。

挿絵(By みてみん)

ハクチョウは、昔は当たり前に見かける鳥でした。


参考文献

宮内省式部職編, 放鷹, 吉川弘文館, 1931

花見薫, 天皇の鷹匠, 草思社, 2002

堀田正敦, 江戸鳥類大図鑑 よみがえる江戸鳥学の精華『観文禽譜』, 平凡社, 2006

鷹書研究会, 鷹の書─諏訪藩に残る『鷹書(大)』の翻刻と注解─, 文化出版, 2008

三保忠夫, 鷹書の研究: 宮内庁書陵部蔵本を中心に, 和泉書院, 2016

日本書紀 仁徳天皇(三十一)鷹狩りの始まりと鷹甘邑の由来, https://nihonsinwa.com/page/1377.html

鷹詞拾遺集,https://watavets2000.blog.fc2.com/blog-entry-1478.html


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