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捜鷹記  作者: 檻の熊さん
13章

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灌頂 鳥インフル

 相変わらずワナワナと震えている事のある手指ですが、なんと無理矢理何かで手首や肘を固定しなくても、危なくない範囲で手術時の結紮(けっさつ)が丁寧に出来る様になっている事に気付いたのも、雌の鷹が据えていられる事に気付いたのと同時期でした。いいえ、咄嗟(とっさ)に鳴った電話機に手を伸ばしたら、震えが始まることもあります。

 はたして、私の筋肉は増えたのか、体調は改善傾向にあるのか、そこが問題でした。ノーペナルティで増えて回復しているのなら、それに超した事はありません。しかしながら、投薬の影響から太りやすくなっており、退院時の58キロの人は今の74キロ以下くらいの人です。頑張ってボディマス指数(BMI)を普通体重の範囲内に収めようとするのですが、すぐに太ってしまいます。結果として、免疫抑制剤の使用量が影響を受けるので、体重に対して相対的に薬が不足している状態、知らずに「減薬」していたから力強いんだと考える事も出来ます。調子の良いつもりでいたら、ある日突然入院を告げられたりした日には目も当てられません。自己免疫性疾患の治療の骨子(こっし)は「生かさず殺さず」だから、こんな事を気にしてしまうのです。

 対策は簡単です。野放図(のほうず)に体重が増えたりしないように、意識して「普通体重」である69キロ以下の日が増えるように、食べ物の量を調整します。実際にやってみるとつくづくそうなのですが、夕食に麺類を食べるのは絶対に駄目ですね。翌朝必ず体重が増えています。鷹を得る為なら、病人だってこれくらいの努力はする。


 私も「特定医療費受給者証」を持つ身なのでその恩恵に浴している(わけ)ですが、今どきの医療費は半端ないものが多く、とにかくお金がかかります。普通に考えたら「あきらめるしかない」高額医療費を、公的なところがお金を埋め合わせ、国が病院に通う患者の数を(たも)ってくれて医療産業を下支えしてくれているから、世の中が回っている。もしも国が金銭的な負担を放棄したら、いつ日本の医療が崩壊するんだろうと、そんな不安がよぎる所まで来ているのが、今という時代なのだと思います。

 バタフライ効果ではないのですが、人の方の医療の揺らぎは獣医療の方に色々と影響を与えます。私たちは獣医師ですから、普通に考えたら診療に用いる薬は「動物用医薬品」だと思う人がいるかもしれませんが、大半は人体薬です。「最初から」、動物用医薬品にはそういう薬が無いという物がたくさんありまして、「適応外処方(てきおうがいしょほう)」という魔法の言葉で(もっ)て、人体薬(じんたいやく)を使って治療するのです。例えば、猫の肥大型心筋症における後大静脈(こうだいじょうみゃく)血栓(けっせん)塞栓症(そくせんしょう)の治療に用いるのは、人の脳梗塞や心筋梗塞の時に使う薬です。嫌らしい事に「新しい物ほどよく効く」というのは本当であるらしく、従来使用していた治療薬に比べて患者が生存する様に成ってみたりとかですね、色が付いているほどの違いを感じた製品が幾つもあります。

――――――お金の事さえ気にしなければ。


 私の皮膚筋炎からしてそうですが、入院当日に1バイアル開けたら125万円という治療を勧められ、「頼むからそれはやめてください!」と、息も絶え絶え(たえだえ)患者()が医師に懇願(こんがん)したというのは、笑えない話ですが実話です。今どき、とても高い薬がたくさんあるのです。もちろん、患者が助かった時点でそれでお(しま)い、めでたしめでたしで終われるとは限りません。()ぐのを止めたらパタンと倒れる自転車操業よろしく、「生き続ける為には」、それなりの額の薬を継続して飲んでもらう必要があるかもしれません。「真面目にやるなら」、投薬の影響で血液検査のパラメーターに変動が生じますから、定期的に調べて対応していく必要もあり、医療費が年間かなりの額に成る病気はたくさんあります。

 いつ頃からという事もないのですが、最近になって登場した薬ほど、効果はあるけれど高価です。今では常態化(じょうたいか)してしまい、毎年流行が見られる様に成った高病原性鳥インフルエンザ(鳥インフル)には、人間に使用する抗インフル薬が有効です。中でもバロキサビル製剤は、ちゃんと研究者の方が調べたエビデンスがあり、実際に動物実験も行われ野鳥やペットの患者に供試が行われた抗インフル薬です。

 当時「これを使おう!」と、鳴り物入りで試した私は、馬鹿でした。効かない訳ではなかったのですが、あまりにも高価な薬で、当時、私はその薬を10錠入り一箱注文しただけだったのですが、薬の(おろし)が片道1時間の距離を車でやって来て、なんとその一箱を大事そうに抱えて置いて行った事があります。先方も、その金額に驚いてそういう行動を採ったのです。

 「なにしろ高かった」、それが私の感想でしたが、さらに落とし穴が待っておりました。「追試」と言いますが、文献をなぞった通りの結果になるかどうか、実際の患者で試してみる訳です。対象は全て鷹で、保護した野鳥やペットの中に、そういう鳥がいたのです。初め、文献から得られた最小薬用量(やくようりょう)を使用したところ、全ての患者が死亡しました。とにかく高価だったので、ためらい傷の様な使用量から始めたのが失敗でした。そして、「実は」と続いたのが、潜伏期間中に、つまり発症前の患者には、ウイルス暴露後24時間程度経過した時点で薬用量を5倍以上に増やす必要がある事が判明します。元々、バロキサビル製剤は成人が服用すると効果が5日間程続くという薬で、「1回飲んだだけでインフルエンザの治療が出来る」という「売り」で(もっ)て販売された抗インフル薬です。ところが「動物間種差(しゅさ)」というものがありまして、鳥類は人よりも代謝の早い生き物なので、すぐに血液中からこの薬が消失してしまう事も分かりました。なんと、人なら1回飲むだけですが、「5日間毎日飲ませるべき」薬だったのです。つまり、特に治療を考えた場合、当初治療に失敗した量の5倍x5倍、実に25倍もの量がないと、治療が完遂できないらしい事が分かったのです。これは、成人4~7人分ほどの使用量に相当します。「人」は50~60キロくらいの生き物ですが、鷹はほんの1キロほどの生き物です。

 正直なところ途方に暮れたのですが、「私は、飼い主から、幾らもらったら良いのでしょうか?」という話に成りました。明らかに費用対効果がおかしい。人と違い、鳥インフルは感染鳥にとって極めて危険な感染症です。脳神経系が侵され、膵臓が融解(ゆうかい)同然の影響を受けます。致命的な病気には、抗インフル薬のみならず、各種対症療法が行われます。ウイルスが消えて患者が生存しても、脳の障害が残ったりしますから、長期間のリハビリが必要になります。もちろん、元に戻るかどうかも不明です。本来なら、鳥インフルが人に感染する事は(まれ)なのですが、私の様に免疫抑制剤を常飲(じょういん)している患者については例外で、海外で死亡事例の報告があるというのも問題です。人間がインフルエンザにかかって抗インフル薬を内服した時よりも、かなり色々とやるべき仕事が発生するのが鳥インフルの治療です。すぐに死んでしまえばそうでもありませんが、鷹がもう1羽買えてもおかしくない費用が発生します。

 常識的に考えるのであれば、必要なのは「Test & (テストアンド)Slaughter(スローター)(検査後全殺)」です。よく報道でやっている方法です。つまり、感染鳥を見付けるなり、早々に殺処分して周囲を徹底消毒するのが最も被害が小さく安全です。しかし、ペットとして飼育されている鷹でそれはない。野鳥はケースバイケースです。つまり、動物園動物の様に希少性が高く高価な鳥は鳥インフルに感染したからと言っても、迂闊(うかつ)に殺処分は出来ません。聞く所によると「朱鷺(トキ)」は1羽3億円だそうです。いいえ、3億円支払ったら新しいのがまた買える鳥種ではないという所の方が、もっと重要です。「命をかけて」治療しなければならないケースは、確かにあります。

 とは言うものの、神経症状を呈するまでに成って発見された患者()に抗インフル薬を使っても、当初期待したような「切れ味」が感じられない事がハッキリしてきた時点で、私は鳥インフルの「治療」をあきらめ、「暴露前予防」の方に(かじ)を切り直しました。つまり「水際(みずぎわ)で食い止める」のです。この方が、明らかに薬の使用量が少なくて済む上に、「どうやら、効果があったらしい」事例を経験したからです。

 私が試したのは、実猟や追い払いに使う鷹が、それらしいカラスなり鴨なりと接点を持った時点で、「獲物の方を」A型インフルエンザ簡易検査キットで調べて、陽性ならば対応するという方法です。明らかに接触があったけれど獲物に逃げられてしまった場合とかなら、盲目的に抗インフル薬を飲ませたりもします。検査キットが手元にないけれど実猟はしているというケースもあり、そちらは出猟(しゅつりょう)(たび)に薬を飲んでもらうという方法で対応しました。結論を言ってしまえば、こちらは「あたり」だったと思っております。死んだ鷹はいなかったし、金額的に無茶のある使用量を短期間に使ってしまう事もありませんでした。


 私の場合、オオタカの真砂(まさご)を使って、その辺に居るカラスを徹底的に捕獲した年があったのですが、その時に検査キットが陽性に成った獲物が混じっておりました。「やってみると色々分かってくる」という話ですが、同じ部屋で管理している鷹が()りました。真砂(まさご)の隣には、他の鷹も居たのです。飛び付いたり出来ない程度に距離は()いておりましたが、同室です。いえ、壁一枚(へだ)てた隣の部屋にも、また別の鷹がおりました。当然、真砂(まさご)は投薬の対象になったのですが、私は他の鷹にも抗インフル薬を飲ませました。期間にして5日間。その辺に何らかの形でウイルスが付着して残っていたとしても、5日もあれば増殖能を失うからです。万が一を考えるのであれば、他でもない私が鷹の世話をする過程でウイルスを他の鷹に伝染(うつ)す可能性がありました。だから、周辺にウイルスが播き散(まきち)らかされる前提で、対応したのです。獲物だけではありません。鳥インフルの疑似患畜(ぎじかんちく)の鷹を入院室に入れた際にも、私は同じ事をしました。「いざやってみたら」、収容する為の部屋が無かったのです。正しくは、鳥インフルというのは厳重な隔離が前提の伝染病で、そこは分かっていたのですが、そういう空間が用意出来ない。だから、一般的な入院室での隔離を行うのですが、やってみたら色々と「足りてない」ことが分かった訳です。結果として、その時はハリスホークの薬研(やげん)が、問題の鷹の真正面で一夜を過ごす事となりました。いずれもニアミスとは呼べないレベルで接点を持った鷹たちでしたが、暴露前予防に当たる抗インフル薬の内服を行ったところ、事無きを得ております。

 「やってみたら分かった」という話に成ったのは、この後のオチでしょうか。つまり、院内感染により他にも病に苦しむ鷹を生じさせたりしないという当初の目的は果たせました。良い意味で(とら)えるなら、「手持ちの薬のみで複数羽の鷹を守ることが出来た」と言える結果です。費用的な問題も、「治療」を考えたら安価です。しかし、そこはそれ、使用した抗インフル薬だけでも、飼い主相手の請求額を考えたら万単位です。他にも、いくら完全な隔離が無理だったとはいえ、それなりに気を配った管理をしております。鷹をいじる順番に気を使い、周辺の消毒や拭き取り清掃を行いました。それは、「やってみたら」かなりの労力が必要な事が分かったという事です。私は、この辺りをかなりキチッとやった訳ですが、素人同然のその辺の飼い主相手に「こういうこと」を指導してやらせるのは「難しいだろう」と()に落ちてしまいました。すぐに息切れが始まってしまっても不思議ではなく、不注意から他の鳥に病気を伝染(うつ)してしまう危険を考慮に入れるなら、問題となる患者なりが正しく隔離できる環境が必要で、さもなければ「Test &(テストアンド) Slaughter(スローター)」が適正であると言わざるを得ない事が、実感として体験出来ました。「私は出来るよ?」というのは、一番駄目なやつです。

 もしかしたら私が死んだ後になってしまうかもしれませんが、あと何年もしない内に高価な先発品に代わってジェネリック医薬品が登場する様になるはずです。その頃には、もう少しましな話が出来ると思いますが、今のところエビデンスのある抗インフル薬は「高すぎ薬」です。使い方次第では、一猟期で鷹がもう一羽買えてしまいます。さらに将来の話として、「ワクチンの解禁」の話があります。既に海外ではワクチンの使用に踏み切った国がありますが、こちらは政治的な判断が必要に成るはずなので、軽々(けいけい)には変化が起きるとは思っておりません。そもそも、「鷹に使用するとどうなるの?」という辺りの話が未知数です。最終的に、どういう製品が日本国内で使用されることになるのかも、まるで決まってない話だからです。

 現状、鳥インフルとは「あと出しジャンケン(治療)」を考慮しない病気です。「やりたい人だけやればいい」と言ったら突き放した言い方になりますが、実行性に問題があるのです。「予防医療」、とにかくこちらが重要で、「感染させない」「水際(みずぎわ)で食い止める」、一般の鷹の飼育者は、こちらにリソースを割り当てるべきです。もしも愛鷹(あいよう)が鳥インフルに罹患(りかん)したことが確定したら、大いに狼狽(うろた)狼狽(ろうばい)し神に祈りを(ささ)げつつ抗インフル薬に命運を(たく)す代わりに、安楽死、そして消毒と、こちらが現実的な対応になります。だから、きっちり鳥インフル対策してから実猟をやるんですよ?


 法律の話もあります。鳥インフルは、立場によって言う事が変わる事のある疾病だと理解しております。家きんでペットで野鳥で、そして人で、色々と話が変わります。市井(しせい)の獣医師が「出来ること」と言ったら、「こんなことだったよ」という話です。

挿絵(By みてみん)

マガンです。獲物を探していると、年によっては飛来した大型の雁の仲間たちに出会います。


参考文献

猛禽類治療マニュアル2024,KDP,2023

鳥インフル予防の院内資料, https://watavets2000.blog.fc2.com/blog-entry-1684.html

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