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捜鷹記  作者: 檻の熊さん
12章

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石鴨と鷹

 「いしがも」、つまり石である。岩鴨(いわがも)ゴミ鴨(ごみがも)でも同じですが、獲物が居ない日に逆光で光る水面を見続けていると、そういった諸々がカモに見える様になるのです。


 猟期も年を越すと折り返しです。前半見かけたカルガモが何処かに移動してしまい、年末にかけてコガモがたくさん渡ってくるのが例年の話です。それもひと息つく頃には、狩場には全く何も見かけなくなり、気が付くと海洋を埋め尽くすほどの潜水鴨を見る様になります。水鳥の移動は割と劇的な事があるので、天変地異の前触れみたいに感じる事がありましたが、毎年の事なので、今ではそれほど驚いたりはしません。

 この頃から見かける鴨は、私の周囲では大型の鴨ではなく中型以下になります。鴨というのは、総じてそういう物に擬態している生き物で、ちょうど大きさがそれくらいの連中をよく見る様になると、俄然(がぜん)石鴨(いしがも)が目に付く様になるのです。海洋で見かけるときは漁網の浮きに(まぎ)れたりもしますので、そういう時はゴミ鴨です。いえ、内陸の水路でも見かける事がありますから、いよいよゴミすら獲物に見える様になるのです。当然ですが、デコイですらない唯の石でゴミです。勘違いしているのは据前(すえまえ)だけで、鷹はなんで自分が投げられたか分からないで戸惑うだけです。


 道々、余計な事を考えながら水路の鴨を探しました。退院した直後、大半は印刷で、住所だけは震える手でしたため、「ごあいさつ」を送りました。今年の年賀状は、知り合いからは一通も来なかったなと、寂しくもありひと息ついた気もして、冬枯れた景色を眺めながら、海を眺めます。こちらから出した事は一度も無かったけれど、律儀にも先方からは送られて来ていた。だからこその「ごあいさつ」で、先方の皆々様も「年賀状じまい」だと思ってくれたようです。人それぞれかもしれませんが、私はホッとしました。

 海洋の波は高く、風もあり、それでも避難しやすい場所に無数のスズガモやキンクロハジロといった黒い鴨たちが浮いています。冬の景色です。あの場所の鴨は何をどうやっても獲れませんし、万が一鷹が海洋の鴨をつかむ事があったら、鷹が死ぬか、回収しようとした人間が死ぬか、そんな場所です。今どき不漁続きで一般には開放されておりませんが、職業漁師たちはアサリを掘ります。そういう人々を見かける遠浅の海でない所に、そういう鴨たちは居ます。

 風の強い日は、出かける先は限られます。ハリスホークは強い風に吹っ飛んで行くだけで、怪我をさせないように注意を払う必要のある鳥種です。オオタカは少しくらいの風ならものともしませんが、怪我をしないだけで吹き飛んでいく事があるのは同じです。風が邪魔して思う様に獲物が捕れるとは限りませんし、場所を選ぶので、問題のある場所に飛ばされて行く事を考えたら、鷹にも私にとっても身近なご近所くらいでしか悪さが出来ません。例年の事ですが、冬の渥美半島の風は烈風です。ただ寒いだけでなく、鷹にとっても命の危険があります。時々路上に落ちているトビなどの猛禽類の轢死体(れきしたい)は、例外無く翼が折れています。風が強過ぎて人工の構造物に接触してしまい、そのまま墜落死するのです。到底、そんな場所で鷹狩は出来ません。


 それでも、結局連れて行くのはわんわん(わんわん)で、風の無い場所を探して逍遙(しょうよう)の旅です。もちろん、石鴨(いしがも)の居ない地域を目指します。用があるのは生きた鴨です。

 かつて、鷹狩り同好会で、「逍鷹(しょうよう)」という集まりがありました。もう実猟をやっているのは私くらいになってしまいましが、鷹狩がブームになった頃、こういう地元グループが全国に林立していた時代がありました。その頃は、それでも今よりはよほどたくさん獲物が居たのですが、狩場の数は知れているし獲物との出遭いは限られるしで、「共猟(きょうりょう)」といって、皆で集まって一つの車に乗車して狩場を巡るという事をしておりました。共猟(きょうりょう)をしているとよくあるのですが、経験の浅い方が同行していると「あそこに鴨が居ます」と言って石鴨(いしがも)を指差します。たいがい、私よりも若い方で、目なんか全然良いはずなのに間違えるのです。それくらい、石鴨(いしがも)は「よく見かける生き物」でした。光線で照り返す水面に居る生きた鴨を見付けるのには、慣れが要るのです。

 逍鷹(しょうよう)ですが、下手の横好きと言われたら、まあ、そういうもので、ちゃんと飛び立つ鴨を捕れる鷹を作った方は「ほぼ」()りませんでした。そういう鷹でも捕れたのが潜水鴨です。連中は飛ぶのが下手で、細くて浅い水路に入ると、まず潜って逃げるだけですから、最後はウェーダーを履いた人間が水に入って手づかみにするか、息を吸いに水面に浮かび上がった所をその辺に止まって待っていた鷹が飛び付いて押さえるか、それで捕れてしまうのです。いわゆる半矢(はんや)に近い獲物でした。

 遠目に「黒く見えるから」というのが理由だと思うのですが、狩猟鳥に指定されている潜水鴨は、よく似た外観の鳥たちで、総じて食味がよろしくありません。「獲ってどうするそんなもん」、経験者は口を(そろ)えてそう言います。味以前に臭いがきつくて、「鷹の餌だ」と言う人もいます。ところが、そういう鴨を冷凍庫の中に保存して取っておき、夏にでも与えようとすると、すっかり内臓の臭いが移ってしまい、鷹がひと口も食べないで夕方まで放かられている事のある、それ(ほど)の食べ物です。いちおう、(ひら)きにして内臓を抜き、数日寒風にさらしておくとか、大概はアサリやシジミと同じで泥を食べている場所の鴨が臭いので、水底が泥でない砂に成っている場所でのみ獲る様にするとか、工夫はあります。とくに、砂のみくらいの場所で生活している潜水鴨は、ちょっとあり得ないくらい「普通に鴨」なんですが、どういう訳か鷹狩りで獲れるそういう場所には滅多に現れないらしく、「実は食べられるんだ」という説明をしても皆さん嫌な顔をします。


 「風の無い場所」というのは、三河から見たら尾張の事で、渥美半島から見たら海を挟んだ対岸にある知多半島の事です。さすがに遠いので知多半島までは出かけませんが、おおよそで蒲郡を通過したあたりから目に見えて風が無くなってまいります。

 適当に車を走らせながら、よさ()な場所で車を停めて、周囲に影響を与える生き物の気配がしない事を確認しながら、鷹を出して飛ばして、鷹の具合と風の具合を確かめながら行きます。箱の中で()れて、何度も(ふた)を蹴っている音がするからです。場所によっては「まだ強い」、そんな風の場所もありますので、「よさ()」な感じに成ったと思ってから、本気で獲物を探します。

 だいたい目当ての場所は決まっているのですが、途中でも風が無くなれば、その辺りの知っている狩場に寄り道してもいい。そんな感じで道中鷹のやる気を維持しながら、狩り場に向かいます。現場に辿り着くと、そこで見かける鴨たちには生命の気配がしました。「そうそう、これよこれ!」、そんな感じです。日陰でジッとして居るカモが、ちゃんと生き物に見えるのです。「いったい、自分は何を見ていたのだろう」と思ったくらい、しばらくぶりに見る生きた鴨たちです。

 私は、わんわん(わんわん)を箱から出し、準備を始めます。いいえ、水路一面を埋める潜水鴨の数には目を見張りましたが、全てスルーして、スルーして、しつこく目に付くカモの群れを無視して、私はわんわん(わんわん)でようやく見つけたコガモを獲って帰りました。二択があるなら絶対に獲りません。それが潜水鴨です。

挿絵(By みてみん)

これが、水路を埋め尽くす鴨に見えた人は病気。

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