木居鳥と鷹
夏目漱石の『草枕』風に「山道を登りながら、こう考えた…」の名文で始まる、そんな感じのひとりごと?
「木居鳥」と書いて、「こいとり」ないし「こいどり」と読みます。オオタカの古名です。その昔、猟野で鷹が獲物を捕らえられず木に止まったものを「木取」ないし「木居」と呼んだそうです。その辺りにルーツがある言葉なのかと思っているのですが、詳しいところは存じません。
野生のオオタカというのは、読んで字の如く木居鳥です。よく、そこいらの冬枯れた水田地帯で、それほど樹高の無いどちらかというと低木の中にひっそりと潜んでいるのを見付けます。鷹にとって都合の良い位置関係に獲物が現れるのを、待っているのです。
私が鷹を箱から据え出して水路の鴨などの獲物に近付こうとすると、その目線の先に、オオタカが居る事があります。バッタリ目が合って驚いて逃げて行く事もあれば、なんと私と鷹がちょうど勢子に成って獲物を立たせてしまい、絶妙のタイミングで木に居たオオタカがこれにアタックをかけていった瞬間を目撃した事があります。
昔はともかく、数を減らしていた事になっている野生のオオタカは、私にとっては身近な鳥種です。とにかく、そこいら中で出会います。なんなら、うちの病院敷地内には鷹が繋いでありますが、これを見る為に野生のオオタカが飛来して、そこに繋いであるハリスホークをジッとのぞき込んでいったところを、私はカメラを構えて撮影していた事があったほどです。いえ、自分ちの鷹が逃げてその辺を遊んでいるのかと思って見に行ったら、なんと天然物だったという話です。とにかく、ちょくちょく見かける鳥です。
鷹を連れていると、鷹が現れる事があります。この場合の鷹は、オオタカではなく、物見高いトビやノスリ、チョウゲンボウやハヤブサといった鳥たちです。連中は、わざわざ遠くからやって来て私と鷹を見に来たり、ハヤブサの仲間たちについては鷹にモビングを仕掛けてきたりします。いちおう「威嚇目的の攻撃」という意味でモビングというのですが、真砂は以前に鳴きながら接近してきたハヤブサに空中で蹴られ、危うく命を落としかけた事がありました。同じことは、その昔いた「すもも」という雌のハリスホークでもありました。やはり、鳴きながら接近してきたハヤブサに、飛翔中に空中で絡みつかれております。結構危ない。当時は本当に驚いたのですが、水田を行く野良猫相手に「突っ込んで行った」のを見た事すらあります。いずれも猟期にかけての話で、「ハヤブサの仲間たちはなわばり意識が強い」という言い方もするみたいですが、繁殖期の明らかななわばりを持つ時期とは違いますから、カラス並みに「とにかく視界に入る他の鷹が嫌い」という事なのでしょう。もっと遭遇頻度の多いチョウゲンボウについては言うに及ばずです。あの鳥は危険性は感じませんが、「とにかく五月蠅い」。
私の経験では、ノスリは本当に見に来て去って行くだけの鳥のつもりでおりますが、これもケースバイケースだそうで、私の知人のハヤブサは、訓練中にこの鳥に襲われて連れ去られ、食べられてしまっております。私が最も危険を感じるのはトビで、どうやらあの鳥は飛ばしているハリスホークの足革をつかんで「持ち去る」という事をするらしく、やはり知人の鷹でもそういう事があったそうですが、私も眼前でわんわんが連れて行かれそうになったのを見た事があります。なにしろ空中の話なので、やられると鷹は身動きが取れない様です。
基本的に、オオタカは私たちから見える所に現れて「見ていく」といった事はしないのですが、巣立ちした若い鷹については少々事情が違うようで、条件次第では人前に姿を現すようです。かつて「さんご」という雌の黄鷹を連れて訓練の為に飛ばしておりましたところ、餌合子で呼んで手元に戻る寸前の所を、樹海の中から警戒声も露わに鳴きながら現れた若いオオタカが、背後から襲いかかりに来た事がありました。私はその時、どちらも黄鷹ですから同じ様な色合いをしていたので、一瞬どちらが自分の鷹か分からなくなり、とにかく大声を上げたら、直前で後方の鷹が我に返って逃げて行ったので、そちらが野鳥だったのだと分かりました。どちらも音も立てずに凄いスピードで拳に接近して来たので、判別している暇がなかったのです。
はたして、野生のオオタカにとって、私の姿が目に入らないくらい餌合子で鷹を呼ぶ音が魅力的に思えたのか、同種の鷹が「なにか」を捕ろうとしている様子が気に食わなかったのか、そこまでは分かりません。その時のオオタカは野鳥だった訳ですが、私は一瞬何処かで訓練していた人の鷹が、こっちに突っ込んで来たんだと思いました。その昔、「こばん」という雄のオオタカを連れていたときに、そういう事があったのです。「隣」という言い方にはなりますが、山林一つ隔てた向こう側で、当時鷹を飛ばしていた人がいたのです。お互いにそんなもん、気付くはずもありません。私は、自分の鷹を据えながら、あとちょっとでうちの鷹を殺すところだったそのオオタカを拳からぶら下げて、つまり2羽鷹を持った状態で、「どうしたらいいんだ」と途方に暮れておりました。いえ、後日判明したのですが、こばんには喉元から顎にかけて、ざっくりと爪で切られた痕が見付かりました。木居鳥の古名の通り、オオタカは木立の中に潜み、気配を消し、その中を大層な速度でくぐり抜ける事を難なくこなしてのける、そういう鳥種なのです。
私の暮らす田舎よりも、もう少し町が近くて人の多い場所の方が、オオタカの姿をよく見かけます。連中も、人間に見られる事を気にしなくなったりするのでしょうか。以前に、よくコガモを獲りに行っていた水路があったのですが、この場所は周辺に大量の鳩やカラスの姿を見かける「楽園」でした。ある年から、この場所が見渡せる、廃業して廃墟と化した結婚式場の屋根の上に、よくオオタカが姿を現すようになりました。
鷹というのは走行する車を上手く利用するらしく、私が車を走らせて狩り場に向かう途中、よく前を横切ってみたり、併走する様に付いて飛ぶ鳥に会います。鳥種は色々で、ハイイロチュウヒ、チョウゲンボウ、ハイタカ、ツミといった鳥たちがそうである様です。つまり、車が走っていると飛び出してくる昆虫や小鳥を捕ろうとしたり、車の接近に伴って移動したり逆に高所から地面に降りてくるムクドリなどを狙って、そういう行動を採るのです。
オオタカは「併走」はしない鳥種の様ですが、やはり私の車を上手く利用しておりました。つまり、私の車がやって来ると少し距離を置いて移動する水田のハトの群れに上手に合わせて、廃墟の高所から一気に飛び立ち、これを捕らえるのです。それはもう、見事としか言い様のない飛翔で、私はそのオオタカがハトやカラスを捕らえたところを、徐行運転中の車窓から何回も目撃しております。
そんな事が続けば、当然ですがその場所の水路には鴨が入らなく成ります。かつてあれほど見かけたカラスもハトの群れも、水田地帯一面見渡しても1羽も見かけないくらい周囲からキレイさっぱり鳥たちが消えてしまいました。その年だけの事かと思ったら、翌年も、そのまた翌年のシーズンもその場所にオオタカが現れ続けたからです。
「この場所も昔はね…」なんて、ぶつくさやりながら、私は今季もその場所を見に行きました。予想通り、かつての喧噪は見る影もないシーンとしたフィールドでした。ふと目をやると、水田地帯に生えている低木の中から、オオタカの成鳥がこちらに気付いて飛び立っていくのが見えました。「木居鳥」すなわち「孤居鳥」、まさにオオタカのことだと思いました。私はその日、猟野では鷹を出すことなく帰宅しました。




