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捜鷹記  作者: 檻の熊さん
10章

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猟野にて 鴨とわんわん

 鴨猟をしていると顕著になるのですが、雌の鷹とは逆に、雄の鷹は水に濡れるのを嫌います。最初から水面を大きく避けてみたり、何回か「失敗」を繰り返すうちに諦めてしまい、全くカモを捕ろうとしなくなったりするのは、全て雄です。ところが、何らかの方法で「成功体験」を繰り返した雄の鷹は、水面に居る獲物を捕る様に成ります。さすがに、雌の鷹がそうする様な「飽くなき執念でもって執拗に獲物を狙う!」という事はしませんし、「かまわず獲物ごと水面に落ちる」「そこから泳いで、獲物ごと地面に上がる」といった、チカラこそパワーな解決を選んだりもしません。

 雄の鷹の獲物に対する選好性には、かなり厳しいものがありまして、「むら()が多くて使い難い」という評価があります。とにかく水濡れが駄目で、獲物に突っ込んだとして、その背後にチラとでも水面が見えてしまえばそれを諦め、急上昇して高所に移ったりそのまま空中でターンして帰ってくるのは、わんわん(わんわん)のいつもの猟芸です。基本、わんわん(わんわん)に鴨を捕らせるには、水面を飛び立ったカモが、あたかも草むらに向かって逃げ込もうとしているかに見える位置関係に成る様に、鷹を放らないといけません。「バックスクリーンが草」、そういうシチュエーションが要るのです。


 もしも、わんわん(わんわん)が「これでよし」と、獲物ごと水面に落ちるとしたら、そもそも捕ろうとするのは、対象が小さい時です。コガモ、ハシビロガモ、ヒドリガモ、特にコガモの時にそういう行動を採ります。ハシビロガモやヒドリガモは、飛び立つ速度が遅く捕らえ易いのですが、鷹からしてみると「意外に」重いので、そのまま空中を対岸まで運ぶのに失敗した時だけ水面に落ちます。

 コガモを空中で捕らえそのまま水面に落ちたとしたら、その雄の鷹は「鳥筏(とりいかだ)」と言って、水中を潜られない様に上手に急所を押さえた鴨の上に「乗って」いる状態です。それ以上、沈みません。「息の根を止める」までとは申しませんが、水中に頭部が浸かったまま、首根っこを押さえられているカモは、じきに動かなくなります。それが「手応え」で分かるのでしょう、鷹は自身の足や尾羽が水に浸かった状態から、水面を獲物ごと「ごぼう抜き」にして飛び立ち、近くの岸上に降りて、羽毛を引き始めます。

 ある意味「共同作業」だと言えるのは、このごぼう抜きが出来ないくらい獲物が大きいか、飛び移るなり這い上がるかなりして辿り着くための利用出来る地面が無い場合です。


 久し振りに降ったある雨の日、私はわんわん(わんわん)を連れて鷹狩りに出かけました。


 (あらかじ)め能書きを語ってしまいますが、世に言うリハビリテーション(リハビリ)とは、一般的なイメージなら機能回復を目的としたもので、「鍛えたら筋肉は強くなる」という趣旨のものだと理解されがちです。ところが、ちょうど痴呆症の初期の老人たちが算数ドリルを渡される様に、機能維持のためのリハビリというものもあるのです。その内容は、使わないでいると劣化してしまう「(なめ)らかな動作を維持する」というものになります。衰えさせたら駄目なのです。単純に、職場復帰を果たしたらそれで過怠(かたい)なく回って行くケースもあるのでしょう。私にとって鷹狩りは「そういうもの」であった様です。鷹がいなく成ったとて、日々野山を歩き回りました。鷹が戻って後、日々飛翔を繰り返しました。獲物を探しつつ行われるドライブは、それ自体が体に負荷を与えるだけでなく、その道中は、獲物の所在、習性、日照、風向き、農業機械の有無といった諸々を脳にミュレートさせる、正に「算数ドリル」として機能しました。

 機能回復と呼ぶには烏滸(おこ)がましいですが、忘れていた物が「戻って来る」、私はその感じを味わいました。事実、猟期が始まった直後に行われた血液検査では、抗がん剤使用を勧められた当時の検査よりも「かなり」数値が下がっており、非常に調子が良い状態を体感しております。()ぐのを止めたらパタンと倒れる「自転車操業」と申しますが、「鷹をやっている間だけ元気」「鷹をやめたら死ぬんじゃないか」、周囲の人たちによくそんな事を言われました。


 猟期に成ったとはいえ、やけに晴れた日が続き何故か風も吹かず、徹底的に獲物とは縁の無い日々が続きましたが、いざ雨天となれば状況は一変します。カモ、かも、鴨です。水田を走り回れば,数十羽が百羽くらい居てもおかしくない数、降りています。こう成ってしまえば、鴨の群れもカラスの群れと同じに見えます。しかし、実は行動も似たり寄ったりで,私の車の接近に気付くと、(はる)彼方(かなた)から大空を飛び立っていくのが見えます。「大群(おおむ)れ」は駄目なのです。その辺の水路に入って(くつろ)ぐ数羽に、周辺を騒がせる事なく上手に近付かなければなりません。はたして、あちこちをうろつき周り、ハシビロガモのペアが入っている水路を見付けました。

 据前(すえまえ)の仕事は「()せ」です。獲物に気付かれる事なく良い感じに近付き、良い感じに立たせ、そこに上手に鷹を投げなければなりません。これを「鳥筋(とりすじ)に上手に羽合す(あわす)」と言います。

 雨天だからそんな場所に居るだけで、ハシビロガモは人の近接に敏感に反応する鴨です。絶対に水面から見えない位置に車を停め、エンジンを切り、キーを引き抜きます。うっかり差したままにしておくと、ドアを開けた途端、今どきの車は警告音が鳴るので、その音で鴨が逃げたり警戒してしまって上手く立たなく成るのです。「(はや)る気持ちを落ち着かせ」、とにかく「そぉ~っと」準備をします。わんわん(わんわん)にしてみれば、こういう時の私の様子で気付くらしく「どこだ!?」と言わんばかりに、箱から出すなり顔つきが違います。私が足音を殺して歩んでいると、いよいよ確信を深め、進行方向に向かって集中を始めます。

 車を停めた場所から水路は見えますが、肝腎の場所、その水面は見えません。距離があるのです。おそらく、そこが見えるだろう位置には、良い感じに1本、私たちを隠す低木が生えております。決して左右に出ない様にして、この木に隠れながら、水面が見える位置まで近付いて行きます。

 「ここまで」という場所に届いたら、ひょいと体をずらして前に出ます。真正面にはカモが見えます。前方、ボサの下に隠れようとしている。しかし、ハシビロガモは堪え性(こらえしょう)なく「まず」飛び立つ鴨なのです。初速の遅い、ほぼ棒立ちです。鳥筋に向かって鷹を羽合る(あわせる)と、スッと空中で追い付き、水面に落ちました。上から水面を見下ろすと、いい感じに獲物を押さえているらしく「鳥筏(とりいかだ)」を作って水面に浮いております。


 当初の予定では、対岸に向かって獲物ごと飛んで行き、その地面に落とすつもりでした。わんわん(わんわん)が水面に落ちても構わない勢いで突っ込んで行った原因は、ハシビロガモが隠れようとした対岸側に茂るアシです。これが「草むらのスクリーン」の様に見えて、雄の鷹であるわんわん(わんわん)は「いける」と踏んだ訳です。しかし、対象が意外に重く、飛び立ったときの初速が遅かった関係もあり水面が近く、水に落ちてしまいました。

 この状態だと鷹が獲物を放してしまう事があるので、急いで据え上げ(すえあげ)を行うべく走って対岸に回り込んだところで気が付きました。アシが生えていて分からなかったのですが、両岸共に切り立った垂直の構造になっている水路で、アシがあるので一見した所あるように見えた、鷹が実力で獲物ごと泳いで岸に上がれる場所が無いのです。それに気付かれたら、「あっという間に」獲物を放されてしまう事が確定のシチュエーションです。


 鷹狩りはリハビリのようなものと述べましたが、現状の自分の「上限」を知る機会でもあります。軽く小走りに迂回してみると、自身の筋力が知れます。すぐに太腿(ふともも)が上がらなく成ったのです。なるほど、ちと(つら)い。いえ、さらに水路まで斜面を降りてみたところ、踏ん張りが効かなくて、傾斜を転げ落ちなかった程度にバランスを保つ事は出来たものの「(あや)うい」。

 「鍛えても筋肉が増えるわけではない」と、医師から言われております。「疲れるだけ」なので、猛烈な負荷を与えて体を鍛える事をしてこなかった一方で、日常生活に支障が無い程度までリハビリが進んでおりましたから、なんでも出来る様な気がしてしまうのです。しかし、「そこまで」という限界があるらしい事に、この日気付く事になりました。鷹狩り基準で、「どういう獲物までなら獲っていい?」という線引きがされたのです。


 水際まで辿り着き、わんわん(わんわん)を探します。少し先、アシの向こうにカモと一緒に浮いております。ぷかぷか、すいすいと、草が生えていて岸があるみたいに見えますから、こっちに向かって翼を使って泳いで来ます。いいえ、このままでは、上がる場所が無いとなれば、諦めた時点で獲物を放すのは時間の問題です。

 私は、長靴を履いておりました。ウェーダーを履いて同じ事が出来ないことは、入院前の猟期から既に分かっていたので、あえて使いません。一見したところ見える水底は平らです。「同じ深さならば」、そのまま歩いて辿り着ける程度の水深です。1歩目は丈夫な足場で、(すね)くらいまでしか水がありません。2歩目から先は、アウトでした。

 ずぶずぶずぶ…。底が泥になっていて、見かけよりも沈むのです。今度は膝下くらいまで沈みました。それでも、獲物ごと鷹を下からすくい上げようと、もう一歩を踏み出そうとしたところ、放されました!

 カラスの時と同じです、捕まえるまでが自分の仕事、据前(すえまえ)が近付くと「後は任せた」と言わんばかりにパッと放し、自分は安全な場所で待機するのです。眼前の水面には、首がデロンとして完全グロッキーなハシビロガモがぷか~ッと浮いている。いいえ、死んでるはずがありません。じきに息を吹き返します。

 さらに、もう一歩踏み込む!チカラが足りない!足が抜けなくて水面に向かって転倒しました。それでも右手を伸ばして鴨をつかみ、そのまま鴨ごと手を突くように肘の上まで水没しました。上着のポケットの中まで一気に水が浸入してきたのが分かりました。一瞬で、息苦しさが始まりました。冷たい水が胸まで迫り、足元も冷やしてしまっている。なんとか踏みとどまり、呼吸を整えます。軽く目まいを覚え、「ああ、これで死ぬのか」と、ふと思いました。

――――――鷹と、目が合った。

 水際、水面に向かってせり出した、しなるアシの上に、わんわん(わんわん)()りました。「いつもの通り」、私が鴨を持って陸に上がるのを待っているのです。「今日ではないな」、私はそう思い直し、とにかく姿勢を直しました。


 長靴の中には水が入り、上着も濡れ、とにかく体が重い。ウェーダーを履いていたら、まず総重量的にアウトで、足元の靴の部分が泥に嵌まると服の中で足が抜けるなどして身動きが取れなくなるので、本当に死んでいたことでしょう。しかし、危ない事に違いはありませんが、同じ濡れてる前提なら、長靴の方がまだ動けるのです。

 右手には鴨。足は泥に埋まって抜けない、足を抜くために(もも)を持ち上げたいのにチカラが足りない。水平を保つのも難しい。「動かない」のです。

 一歩、たった一歩ですが、岸に近付くことが出来ました。手の届く先に、水没したアシがあります。これを集めて、足場を作りました。自由になる右膝から前倒しにして、体をその上に乗せます。腰まで水浸しですが、沈みません。そこで体を支えながら、左脚を泥から抜きました。

 左手に鴨を持ち替えると、わんわん(わんわん)が拳の上にやって来て、鴨を食べ始めました。「安全」を確認したのです。いいえ、私の方はと言えば、いちおう陸に上がれた後も長靴の中には水が溜まって大層重くなっており、そこから斜面を登って車まで歩いて戻らないといけませんでした。むしろそこからの「筋トレ」の方が大変で、もう筋肉量が増えるアテの無い身の上でしたので、二度とその場所では鴨を捕らないことを硬く心に誓いました。


 以前なら、同じ場所でわんわん(わんわん)でカルガモを獲っていたりしたのですが、今となっては、これが私の限界値であった様です。帰ってみたら心拍数が140もあって驚いたとか、休養には数日を要したとか、これは蛇足ですね。

挿絵(By みてみん)

ミサゴは魚食性の鷹なので、鴨を探して水場を巡っていると、よく遭遇します。

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