猟野にて 鷹狩り日和とわんわん
うんちく。
「鷹狩り日和」と言われたら,どんな日を想像するでしょうか?晴天、よく晴れた雲一つ無い青い空?風の無い、べた凪の鏡面みたいな海が見える日?もちろん、こういう日は駄目です。
「西日が眩しくて、盲に成っちまう!」と、当地の老人たちがよく言うその理由は、1本しかない国道が夕方になると「西日に向かって走れ」以外のルート選択を許さないからです。老人ほど眩しさが気になると言われますが、それは私の話で、鷹というのは眩しいと獲物の捕獲に失敗する生き物なのです。目の良い生き物ですから、人間の年寄りたちがぼやく様に、あたかも西日に向かって車を走らせている様な走行中の状態から獲物を捕まえて見せろと言われたら、その難易度が推し量れるというものです。こういう、眩しさで目が眩む事を眩惑と言います。この眩惑を上手く利用しているのが、獲物となる鳥たちです。
カラスは黒い鳥ですが、自身が黒いだけでなく、その影も当然黒いのです。鷹が日陰に潜んで餌稼ぎをしているカラスに突っ込んだとして、連中はすぐに日の光のある場所に向かって逃げ出します。このとき、鷹の目は、明→暗→明という変化に対応しなければならず、眩惑が生じます。つまり、一瞬ですが視界から物が消えるのです。そして、次の瞬間、鷹から見て「カラスが二つ」に増えています。連中も心得たもので、「そういう逃げ方」をするらしく、どうかすると地面に映った影の方が「逃げ遅れたもう一羽」に見える様に振る舞います。仲間のサポートによって、上空高くから投影された無数のカラスの影が地面に増殖する事もあります。すると、勘違いした鷹は、地面に向かって「えいやっ!」と突っ込んでしまうのです。もちろんそこには、「影も形もない」地面が残るだけです。
カラスのような地面に居る鳥たちだけでなく、水面を利用する鳥たちも眩惑を利用して身を守ります。よく見かけるカルガモは、一見したところ何も無い水路に潜んで居る鳥です。連中は、低木や草が水面にかかった影の中を探すと見付かります。もちろん、草の中に居てもいいのですが、日陰にさえ成っていたら、それで問題ありません。むしろ人間の目からしてみたら一目瞭然でも、その場所で水面を波立たせない様にジッとして居るだけで、明るい場所に居る鷹の目からは見え難く成ります。こういうカモを相手に、足元みたいに近い場所まで近付いて、頑張って水面から立たせようとしても頑として水面から飛び立ちません。業を煮やして日陰に向かって鷹を投げつけると、流石にカモも飛び立つ事がありますが、今度は暗所から明所に出た瞬間に、鷹の方で眩惑されてしまい、その一瞬で逃げられてしまいます。何となく相手がその辺に居るのは分かっているから、感で足を突き出したりしますが、そんなんで上手くいくほど野生は甘くない。普通に捕り損なってお終いです。
いいえ、水面に映った方が「残った1羽!」に見えた鷹は、そのまま水面に映った鏡像の方を押さえようとして水面にアタックをかけてしまうのです。哀れ河童の川流れとは申しませんが、呆然とした鷹が水面に一羽残ってチャプチャプ浮いております。こういう阿呆な事をやるのは若い鷹に多く、とりわけ雌の鷹がそんな感じです。連中は自身が濡れる事を厭わず、元々水面で獲物をつかむからです。
よく晴れた日に、車で移動中に道々周囲を見渡してまいりますと、電柱から伸びる影の中に、上手に隠れて居るハクセキレイやムクドリ、鳩などを見かけます。カラスの逃走には工夫が加わる余地がありますが、小型の鳥類の「素早く逃げる」という逃走手段も馬鹿に出来ません。影の中は、明るい所から見たら見えづらく、捕ろうとしても明るい場所に出られた途端に一瞬で見失って失敗します。位置決めは、獲物と成る可能性のある生き物にとっての死活問題です。
日陰の無い、水田地帯の開けた場所にも鳥たちがおります。カラスやハト、サギ類やケリ、タゲリといった鳥たちです。こういう連中の生存戦略は数です。群れを成したカラスやハトは、遠くから何かが接近するだけで敏感に反応します。1羽が飛び立つと、鳥種を問わず周辺一帯から全てが一斉に飛び立ちます。もちろん、スズメやムクドリといった小さな鳥たちも全てです。こういう場所では、捕るとか捕らないとか、そんな話には至りません。気が付けば私、渥美半島に越してきて以来、19シーズンに渡って連中にありとあらゆるプレッシャーを与えております。昔はともかく、今では私が車を停めたその脇で、逃げないカラスの群れが寛いでいるなんて状況は考えられません。1羽や2羽は絶対に、私か、車か、鷹か、いずれかを覚えておりますから、「敵機襲来!」と言わんばかりに警戒声を放ちながら飛び立つものが現れます。本当にあっという間です。カラスが騒いだ時点で、何もかも一斉に電柱の上に上がってしまいます。
晴れた日というのは、鳥たちにしてみれば「物がよく見える日」です。鳥類が紫外線を見る事が出来るのは有名な話ですが、人間では視認出来ない、ガラスの向こうにある車内の人の顔を「見る」ことが出来ます。ちょうど、特殊なフィルターを使うと車内の人物が撮影できる様に成るのと同じ理屈です。特にカラスの記憶力は厄介で、一度覚えられると数年は覚えておりますので、ずいぶん遠方からでもしつこく仲間を呼び集めて狩場を駄目にしてしまう様に成ります。少しくらい離れた場所であっても、鷹の姿を連中に見せる訳にはまいりません。これは私の顔についても同じであるらしく、車を換えて、運転席ではなくて助手席に座って別の人に運転してもらっていても、連中は「いつもと同じ」反応を返してきます。今では、周辺水路に入るカモを捕ろうとするのに影響が出てしまうので、カラスの居そうな場所を迂回する習慣が付きました。
実は、晴天に「風の無い日」という条件が加わるのも駄目です。追い風が向かい風でもいいのですが、体感出来る風の吹いている日は、その日が晴天ならば「ちょっとマシな日」です。風が吹かなくて、海に波が無くなると、カモたちが海洋に居座って寛いでしまい、何処の水路や河川を巡っても、カモを見かけなくなるからです。海が荒れた日なら、逆に海沿いの水路や池に「避難」しているカモがおりますから、獲れる機会があるかもしれません。
晴れた日に実猟をしようとしたら、鷹が眩惑されて盲にならない日陰の中に居る獲物を、こちらも上手に日陰から近付いて日陰から出られない内に獲らないといけません。これが意外に難しいのです。眩惑は上下左右、鷹がどの向きにいても、起きてしまいます。西日を背にして日陰の中を獲物に近付く、近付くだけならこのアプローチは悪くないですが、獲物が飛び立って逃げる方向が問題です。「ピカッと目がやられる」、その一瞬があれば逃げおおせてしまいます。「よく晴れた日」には、実猟はしないでその辺で鷹を飛ばして帰ってくるだけの日々が続きます。
ここまで書けばもはや自明、「鷹狩り日和」とは、曇天や雨天の事です。とりわけ、雨天の日は獲物がそこいら中に現れます。獲物たちの警戒心が薄れ車を視認する能力が衰えますから、車を走らせていても狩場到着前に全て終わっていたりしません。鷹を投げても、眩惑による妨害がありませんから、晴れた日と違い、しっかりと獲物を追う姿が目撃されます。それは飛翔の様子に現れますから、「嘘みたいにキレのある飛翔」を目にする事になります。
雨の日、景色が一変し、空気の臭いさえ変わったのが分かるその中に鷹を据え出した朝、私はその日の猟果を確信します。顔つきからして普段と違うわんわんが、拳の上に居るからです。




