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捜鷹記  作者: 檻の熊さん
9章

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放鷹雑記 放鷹文化とヒストリー

鷹の雑学。

 自然があって、そこに棲む獲物がいて、それを獲る人と鷹がいて、そこにはヒストリーが産まれます。鷹狩りの歴史は、日本だけでも千年ほどあります。「日本人がどの様に自然と関わってきたか?」、そのヒストリーのカタチを放鷹文化と言います。当然ですが、放鷹文化には、時代ごとに変化があります。「鷹」は変わりません。けれど、人が、習俗が、自然が、全部違うのです。現代放鷹文化と戦前のそれを比較したら、両者は別物です。おそらく、資料映像等を見てしまえば、当時と現在の社会的背景の違いを論じる前に、あまりにも違う「かつての日本」、その自然の姿に驚くのではないでしょうか。

 放鷹文化について、縦軸に目をやれば、それは日本の放鷹史を紐解いて行く事になります。一方で、その目線を横軸にずらして見渡せば、「世界の中の日本」、その放鷹文化の比較という事に相成ります。「鷹」が変わる訳ではないのですから、その根は同じです。しかし、人が習俗が自然が獲物が、全部違うので、そのカタチは大きく異なった物に見えてしまいます。


 世に十鷹十色(じったかといろ)と申します。十人十色を言い換えたものです。つまり、鷹の個性は多様で、調教の過程にはテンプレートの様な物はありますが、一様ではなく、かなりな違いがあらわれます。それこそ「こんな鷹は、はじめてだ」という事態が、普通に起きるのです。こういう鷹の性質を評して「調教のマニュアル化は不可能」と、昔から言われておりました。

 こういう生き物を扱うのですから、鷹の評価はただでさえ多種多様になります。そして、それを評価している人々の背景も大いに異なるのです。世界中の人々が鷹について語ったとしたら、どれ程の違いが現れるかという話です。中には、鷹を非常に神秘的な生き物として取り扱うものが現れるのは自明というものです。なんなら、日本の鷹書の中にも「鷹の姿には神仏が宿る」といった内容の事を書いた物があるほどです。私も鷹書について詳しい訳ではないのですが、書かれた時代によって神道系の記述であったり仏教系の記述であったりと、異なる印象を受ける文献が存在します。「ましてやいわんや世界をや」、色々な書き方が出来るのです。


 英語圏の人の作品で、『H is for Hawk』の映画が公開になるとかで、宣伝映像を視聴しました。私はその秀逸な映像を見て、昔のドキュメンタリーで『老人と鷹』という作品を思い出しました。モノクロですが、古い時代ゆえの良さのある、味わい深い映像美を堪能出来る良作です。昔の話で、「やらせ」が当たり前だった時代ですから、少々作為的な場面がありますが、玄人(くろうと)でなかったら、ちょっと気付かないかもしれません。

 両者に共通して言えるのは、鷹との暮らしが「精神性の高い生活」に見えるという点でしょう。当然ですが、私も含めて鷹をやっている人たちは、もっと「普通の」暮らしをしております。現代人的なと、言い換えてもいいかもしれません。もちろん、神秘的な暮らしとは縁がありません。鷹は、飼育者が「非日常」へと歩みを進める為の片道切符なんかではありません。その生活こそが「日常」であり、普通の暮らしなのです。少なくとも日本人は、そうやって当たり前の様に自然に寄り添って生きてきた民族なんじゃないかなと思っております。


 『H is for Hawk』は邦題を『オはオオタカのオ』と申しまして、原作小説を日本語で読むことが出来ます。「なるほど」と納得した、私の腑に落ちた感想のみ書いてしまいます。

 英語は「科学的思考」の為の言語だと言う人がいます。延々とした心理描写、自然の描写、克明(こくめい)であるそれらが、論理的な思考の整理に役立つというのです。例えば、「冬の茜に向かって鷹を放つ」という一文、私が勝手に創作した物ですが、茜が空なのか紅葉か、地域の自然によって違うかもしれませんが、日本人ならこれくらいで「色々と」分かると思うのです。英語圏の人たちだと、その赤を説明する為に1~2ページくらいビッシリと、その土地の植物群から始まって周囲の景観、空や水の色、鷹の美しさや自身の体に映える夕焼けの赤まで書こうとする。小説の体を採るなら、感想や心理描写も付けるでしょう。そういう書き方があり、当たり前の様にそう書こうとする。こういうセンスの違いを、作品を読んでいて感じました。

 どうやら、こうした書き方は、著者がとても精神性の高い生活を送っているかの様な印象を、私に与えるらしいのです。言い換えれば、同じ事をやっている私たちも、そのような暮らしをしているかの様な?

 繰り返しになりますが、「私は、このように精神性の高い生活は送っておりません」と断っておかねばなりません。浪花節を聴きながら熱燗で日本酒と塩の効いたブリの塩焼きをという人が、ジャズを聴きながらウイスキーをロックでスモークチーズを合わせたグルメレポートを書いたりはしない。鷹が変わる訳じゃない、それを説明しようとする人のバックグラウンドが変わっているのです。そんな、哲学的にも感じられる風味の違いが、そこにありました。いいえ、そこに有るのは徹頭徹尾オオタカの調教で使役で、日々感じた事について述べられた鷹匠の独白なのです。私が日々愚痴っている駄文と、実は大きくは違わない。

 「たまには洋酒」、私にとってはそんなテイストの作品が『オはオオタカのオ』でした。本当に面白いくらい同じ事をやっているだけなのに、「あちらは映画になるんだ」と思う程度に「普通」だった。しかるに、哲学的な思索が、自然の描写が全然違うのです。そこに「高貴な趣味」とでも呼ぶべき何かが加わっていく。「これが、現在の英国における放鷹文化のヒストリー、そのカタチの一端なんだな」と、その風味の違いを楽しんでみました。

 あそこまで格好よさ気なら、私も違う人生を歩んでいたのでしょうか?

挿絵(By みてみん)

今では、書籍も初めから電子書籍で購入するかpdf化してPCで保管する時代です。紙の本で手元にあるのは、もうこれだけになってしまいました。


参考文献

堀内讃位, 写真記録日本鳥類狩猟法, 三省堂, 1942←戦前の鷹狩りの様子.

『ノンフィクション劇場 老人と鷹』, 日本テレビ, 1962

『出羽ノ鷹狩 Hawking in Dewa』, 有限会社エデュエンス・フィールド・プロダクション, 2010←「新旧の比較にこちらは如何ですか?」という意味で,例示してみました.同じ地域で,同じ事をしている現代の鷹匠の映像です.

Helen Macdonald(著)山川純子(訳), 『オはオオタカのオ』, 白水社, 2016


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