蒼穹4
「ロスト」というのは、おおむね鷹匠の怠惰か傲慢の産物です。内罰的な理由が多く、鷹匠が病気だろうが用事があろうが、鷹にしてみればそんな事は関係ないのです。鷹匠こそ鷹に甘えてしまって、無理を通そうとして失敗する。失敗してみれば、そのように納得するしかない。「鷹が自分を裏切ったんじゃない。自分が鷹を裏切ったんだ」、つまりはそういう事なのです。
退院の際に、「車の運転をしない方が良い」という事を言われております。事実、退院して1ヵ月で、車の傷へこみが許容出来る程度を越えてしまい、車を買い換えました。実際は居眠り運転だったのですが、信号無視で違反切符を切られたのもこの頃です。
笑えない話ですが、御家族の方に膠原病の方がいて先立たれてしまい、残された猫の診察に訪れた際に、「先生も膠原病かね!」と御遺族の方と話した事があります。病名こそ違いましたが、自己免疫性疾患は治療の内容が似通うので、「つらそうにしているから、医者に行けと言うのだけれど、寝ていたら治ると本人はなかなか医者に行こうとしなかった」とか、倦怠感はあっても痛いも苦しいも無いからこんな事が起きるのですが、身に覚えのある話が出てまいります。自分も5年生存率の話がありましたから、興味があって「何年くらい生きておりましたか?」と聞いてみたところ、ご遺族の方は苦虫を噛みつぶした様な顔をして、「3年くらい」ただし「居眠り運転が元で、交通事故を起こしてしまったんだ」と、即死する様なものではなくリハビリまで始まった所で数ヶ月生きてから亡くなったそうですが、そういう話をして行かれました。なるほど、医師が時期を明らかにせずに「車の運転を控えた方が良い」と、私に説明した訳です。私の場合、最初の1ヵ月だけでしたが、ちょっと運転しているだけで、真っ直ぐな道を走っていると、なぜか毎日でも繰り返し強い眠気に襲われた時期がありました。薬とか患者の体質によって、こういう症状がしつこく続いた方がいたのでしょう。これと同じレベルで、事情を知っている医師だったら「鷹をいじらない方が良い」と言う方が居たのかもしれないなと、後になって思いました。
「ぼんやり」と言うよりは「判断が遅い」とでも言った方が、正しいんだと思います。入院時にリハビリ科の医師の診察がありまして、私が大量に服用する事になったステロイドには脳への影響があり、精神的な高揚や抑鬱状態を経験したり、認知能力の低下により、ちょうどお酒を飲んだ人がそうなる様に、集中している限り問題無いのだけれど「とっさに」物を覚えたりする能力が低下する事が指摘されておりました。私の場合、酒を飲んでもあまり変わらない方の人間だった所為か、表面上は「分からない」との事でしたが、検査をすればそれなりの能力低下が見付かると言うんですね。
つまり、今回の場合は「トラクター」という記憶の引き出しや判断の様子が、どうにも切れ味がよろしくなかったのです。「ぼお~ッとして、そのまま、その場で飛ばしてしまった」と言われたら確かにその通りな内容で、事故を起こしてしまっているのです。「自分が鷹を裏切った」と述べている理由は、この辺りにあります。正しい判断で以て鷹を飛ばしたとは言えない、あったのは「ゴリ押し」でした。
そもそも、精神的な動揺を抱えていること自体が駄目で、本人にそんなつもりは無くとも、しっかりしているつもりでも、イベントを発生させてしまうという言い方も出来ます。真砂の時と同じです。精神的動揺なのか、薬の影響で脳内でダブルタスク的な処理をするとそうなるのか、分かりませんが、どうやら「こういうこと」が起きやすく成るのだと、少なくとも「自分という人間は、こういう奴なのだ」と、二度もやらかせば、経験してみれば、自分も知らなかった自分の性質傾向を自覚するしかありません。
鷹という生き物は、特にオオタカには、神経質な性向がある事が知られております。戦前の宮内省では、接待鴨猟の為に古技保存の名目で鷹狩りが行われておりましたが、当時は1年目の黄鷹(幼鳥)を「使い捨て」にして、1シーズン使ったら放野しておりました。理由は簡単で、換羽を経験した後の鷹は、以前と異なり神経質さを露呈する様になり、単純な飼育管理上のトラブルに始まって、使役上の使い難さが目立つ様に成ります。当時の話、鷹の供給は潤沢で、苦労して塒鷹を維持して使うよりも、悪い癖のない1年目の野生の鷹を捕獲してきて使った方が、色々と楽だったのです。
現代では、どんな安い鷹でも高価で、とても1シーズンで使い捨てにしていい物ではありません。とはいえ、2年目以降の、挙動の違う鷹の行動に悩まされる人たちが居るのは事実です。対策として、「2シーズン使ったらリタイア。繁殖用にまわして、新しい鷹をやる」といった対応をしている方もおられます。厳密に2シーズンという事はなくとも、「そのうちに」使えなくなっていく傾向があるのは間違いないので、「そこそこ」使ったらリタイアというケースは多く、「10年選手」というのは、オオタカがハリスホークでもあまり見かけません。わんわんの様に、21年も生きて22シーズンにも渡って周囲の自然の中で飛ばし実猟に供して来た鷹というのは極めて稀です。
昔の話ですが、情報が無くて「ハリスホークは15年が寿命」という数字がありました。これは、今考えると自然界での年齢の上限で、それくらいよりも長い間生きていた個体が見付からなかったのでしょう。事実、飼育鳥の中で探しても、15年どころか3年飼えていないで死んでしまっているケ-スは多く、「長寿ハリスホーク」は、居るけれど珍しいのです。しかし今では、飼育されているハリスホークが増え、その栄養供給は潤沢であり、高齢になって運動能力が衰えたとしても労せずして食餌を摂る事が出来る環境が維持され続けますので、「最高齢」は年々更新され続けている状況にあります。私の知る文献上の最大寿命は、ハリスホークで28歳という事になっております。ただし、これもその少し前までは25歳が上限でした。風聞では、一般的なハリスホークの寿命は22~23歳くらいが多くなり、最長で40歳近くまで生きていた個体があった事になっております。ただし、これらは真偽不明な口頭伝達によるもので、実際にわんわんと「同い年」で今も生きている鷹を、私は1羽しか知りません。
「生き証人」と書くと何だか格好いい気もしますが、実際には「まだ生きている、融通の利かなく成った年寄り」です。昔の自然、昔の環境に馴染んできた時間が長く、若い世代にとっての「当たり前」は全て「新しく後から加わったもの」です。人間でも、時代の変化で、自分を上手く適応させる出来ない方が現れるのと同じ様に、鷹にもそういう事があるんだと、わんわんを見ていると気付かされます。それが、トラクターの件だったのです。年月を経て、鷹が神経質に成って行った結果ではありません。「鷹が変わったんじゃない。世間の方が変わったんだ」、わんわんについては、私はそうも思っております。いずれにせよ、私の方で気付いて、状況を整えてやるべきだったのです。




