鷹一つ見付てうれしいらご崎
松尾芭蕉が、私の住んでいる渥美半島に訪れた際に、そんな句を詠んだそうです。
たかが3ヵ月されど3ヵ月、3ヵ月というのは体験してみたら十分に長かった。退院から3ヵ月して、5月にも成る頃には、私は耐えられなくなっていました。
理由は幾つか。3か月間の間にステロイドの減薬が進み、薬が減る度に良い意味で体に変化が現れ、力強さが戻って来るようになりました。具体的には、階段の上り下りの際に、土足ではなくてちゃんと靴を脱いで階段を利用する事が出来るくらいの筋力が戻って来たと記しておけば、御理解いただけるのではないかと思います。周囲からは「元気に成ったな」と言われる様になります。しかし、投薬の影響から食べ物関係が駄目になり、「正常な味のする食べ物を食べる」ことを諦めたのも、この頃です。減薬の影響から高血糖については目処が立ち始めたのに(「長生きが出来るかもしれない?」)、味覚については回復があり得ない事を受け入れるしかない、死ぬまでこの味覚で生きていくんだと、食べる楽しみを放棄する事を受け入れるしか無くなったのです。そして、残された鷹2羽は手間の要らない子達でしたので、早朝に屋外に繋留して餌を与えてしまえば、夕方屋内に仕舞うまで何もしません。そもそも日の光を浴びたら駄目なので、私の方こそ足繁く鷹を見に外に出たり出来ません。
この時期のステロイドは、減薬が進んだとはいえ、いわゆる「中毒量」で、良くも悪くも病気に由来する諸問題を強力に抑制してくれており、患者は不快感をあまり感じません。そして、減薬の影響から、体が生き返ってきたのを感じる時期でもあるので、言わば「無敵状態」です。ちょうど4月の末から5月一杯まで、私のステロイドの使用量はようやく境界線である日量20mgを下回った、15mgでした。気が大きくなって、何とでも成るような気がしてくるのです。この点については、断りを入れておく必要があるかもしれません。
とはいえ、端的に言って「やる事がない」のです。光線過敏の問題から、用も無いのに昼間出歩く事はしない、なんやかやで筋力は足りないから、屋内や夜とかでも、運動らしい運動はしません。もちろん、動物達は居ない。おおよそ、診察をする以外は、ネットで配信されているウェブ小説やマンガをベッドの上で朝から晩まで読んでいるだけの生活です━━━━━━しかし、以前に比べれば体に活力があり、周囲を見渡す余裕がある。
実際に、猫の弥七を引き取れないか話してみたり、薬研を再度買い戻す形に成っていいから戻せないかと考えてみたりしました。いえ、弥七については「情が湧いて…」と言われたらそれまでの話でしたし、薬研については「再就職先」が既に決まっていたので、どちらも実現かないませんでした。勝手な都合であり、どもならん話ですが、「手放す」とはこういう事だと実感しました。
退院後しばらくしてから、すぐにそんな事を言う様にはなっていたのですが、「大事なのは生活の質」です。無闇やたらと治療を受け続けている、「物体」と化した病人がいても駄目なのです。「人間らしさ」を他でもない本人が感じていられる生活を提供出来る医療でなかったら、それは治療選択としては事実上の敗北であると、私なんかは思うのです。患者の生存期間の延長や医療上の管理のし易さばかりに目を向けても、そういうのは「よくない」。残されたのが、以前に比べると異様に綺麗になった室内で日がな一日ウェブ小説を読んで過ごす余生、その内死ぬにしても具体的に「いつ頃」というのが分かる訳でもない。仮に3年生きるとして、3年間もそんな生活に我慢が出来るのか?
結構な期間、悩んでいたと思います。大過無く過ごせば、20年以上生きている事のある生き物です。私の方は、5年生存率について述べられている病気です、何をどうやろうとも私の方が先に死ぬ。「すぐ死んだ」方がいるのを知っている一方で、「15年経っても生きている」方がいるのも知っている。いや、事故や病死、これまでの飼育経験から、数年で死んでいる事はあり得る。飼育する動物種として、げっ歯類や爬虫類が駄目なのは衛生上の問題から、そして爬虫類については屋内飼育でも紫外線の照射を必要とする。光線過敏で直射日光に当たったら駄目な病人に、爬虫類の飼育はありえない。衛生面の話をしてしまえば、ウサギより大きな哺乳類は良くない。ニワトリなんかもそうだし、庭に鷹が居るので色々と相反する。特に犬は、途中で飼い主が死ぬ事を考えたら、可哀想でやっていられない━━━━━━私は、薬研よりも小さな、雄のオオタカの雛を購入する事にしました。
空っぽになった薬研の居た部屋が、再び存在感を取り戻す様になりました。




