入院前9
実猟を諦め、自然治癒を諦め、入院するまで。
12月の初旬に、寒さを感じるように成ってから、手や顔に「ゴッドロン徴候」や「ヘリオトープ疹」という病変が現れる様に成り、「ヌートリア事件」を契機に元からあった関節の痛みが耐えられないレベルに増大していきました。この痛みと同時に顕著になっていったのが、筋力低下でした。
1月6日、最後に獲物を捕ったとき、私は鷹から獲物を受け取る「据え上げ」が出来ませんでした。具体的には、鷹の前で片膝ないし両膝をついて、しゃがみ込み、獲物の翼を組み、対象がカラスの場合は、鷹への攻撃の問題があるので、両の足を折り、咬まれないようにクチバシを拘束した上で、グローブに口餌を持って鷹に見せ、近付け、鷹が自ら拳の乗って来るのを待つ━━━━━━それだけの作業です。ところが、わずかに数日前の1月2日には出来ていたはずの行為ですが、太腿に力が入らなくなり、上手くしゃがめなくなっておりました。腕も上手く動かず━━━━━━このしばらく後には、テーブルの上の電話の子機が鳴っていても、手を伸ばして取る事が出来なく成ります━━━━━━とにかく作業がモタモタしてしまい、ちっともその作業に移れず、所作もクソもなく、とにかく時間はかかってしまったけれど鷹を拳に移し替え、「いつもと違う」んですが獲物を持って現場を去り、帰ってくるという事をしました。
ヌートリア事件以降、手の痛みは深刻で、ロキソニンもあまり効かなくなりました。「今季の実猟は諦めるしかない」と、それでも大人しくしていたらその内に治るつもりで、おおよそ2週間、自宅で安静を守りつつ、13日目にわんわんを飛ばすのを諦め、14日目には真砂を飛ばすのを諦めるその日まで、鷹を飛ばすだけの暮らしをして過ごしました。この頃には、車の運転が出来なく成るくらい、手首だけではない、全身の痛みが深刻化して、ろくに立って歩く事も出来なく成っていたのです。薬研については、入院前提で近くにあった総合病院を受診した前日の2月2日まで、既に車で出かける事は出来なくなっておりましたが、病院前で飛ばし続けました。最終的に、知人たちに運ばれて大学病院に担ぎ込まれたのが2月6日でしたが、自分で何とか動く事が出来ていた2月2日までは、鷹を飛ばしていたのです。正直なところ、「何も出来なくなる」とは「鷹をいじれなくなること」であり、「ここで終わるらしい」と諦めたその日まで、鷹をいじり続けたのです。
「動けた」と書いておりますが、それほど格好いい状態ではありません。朝、鷹を箱から出して計量し、屋外の施設に係留し直します。このとき、大緒を解したり結び直したりということを、本来なら片手で行うのですが、私の両手は通称で「機械工の手」と呼ばれる皮膚筋炎の患者特有の状態に成っており、むくんで腫れて満足に動かす事が出来なく成っていました。人差し指は機能しない、親指は引っかけるだけ、そんな状態で、他の指を使って「なんとか」結んである大緒を解したり、頑張って小槌緒を通したり、しました。どちらかというと、解す方が簡単で結ぶ方は大変でした。本来なら片手で結ぶその作業が出来なくて、なんなら中腰になる事が出来ずに座り込んで(今度は上手く立ち上がれなくなるのだけれど)、鷹をいつもと違う場所に止まらせている間に左手のグローブも外して両の手を自由にしてから、「がんばって」大緒を架に結んだりという光景が、入院する頃には当たり前に成っておりました。
余談ですが、私の家はトイレと風呂が2階にあり、靴を脱いで階段を登る必要があったのですが、途中でこの平時なら誰で難なく行える作業が出来なくなり、「靴を履いたまま」「手すりに(ぶら下がるように)つかまって」階段を上り下りするのが当たり前に成っておりました。筋力低下とは恐ろしいもので、しまいには浴槽に浸かると自力で立ち上がって出る事が出来なく成るのですが、信じられないかもしれませんが一時間経っても出てくる事が出来なくなってしまった頃、風呂の湯を足して浮力で体を浮かび上がらせる事を覚えた私は、風呂桶から湯を溢れさせる事で、湯船から「脱出」するという行為を繰り返す様に成っておりました。一人暮らしでなく、家族が居たら、こんな馬鹿な方法を思いつく事も無かったんでしょうね。最後は、洋式便座に腰掛けると一時間経っても手すりまであるのに(手首が痛いので上手く利用出来なくなり)立ち上がれないなんて状態に成りまして、風呂もトイレもどちらも寒い場所ですから「風呂で死ぬのかトイレで死ぬのか」、日々その辺りが「難所」と化す様に成りました。こんなだから、鷹を架に繋ぐ作業が満足に出来なくなるのです。
いえ、本当にギリギリまで私は鷹をいじり続け、もう死ぬだけのつもりで大学病院に入院したのです。




