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捜鷹記  作者: 檻の熊さん
16章

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春告草のころ

 「はるつげぐさ」、つまり梅花(ばいか)咲く頃のことです。気の早い河津桜(かわづざくら)が話題に上るものの、本当の桜にはまだまだ早く、昼間暖かく春の(きざ)しを感じるも早朝は寒い渥美半島でした。毎年のこととて、わんわん(わんわん)はせっせと営巣活動に勤しみ、毎日私の背中に乗ってきました。風の無い日に数日に一度ではありますが、飛梟(とび)はせっせと病院前を飛んでおりました。何だか平常運転で、だからこそ、こんな事を考えている余裕があったのでしょう…。


 「身構えているときほど死神は現れないものだ」とは、よく言ったものです。『閃光のハサウェイ』は、私が大学受験の帰り道に手に取った小説でした。あれから40年近くが過ぎて、その作中の文言(もんごん)が私の前に立ち塞がるのです。大した作品です。

 内心(ないしん)冷や冷や(ひやひや)しながらも体調の良かった猟期も終わろうかというある日、定期検査で眼圧の軽度上昇が見付かりました。本来であれば悲観的(ひかんてき)な話であったかもしれませんが、眼圧の異常は私にとって朗報(ろうほう)でした。数値上の異常があって初めて、緑内障治療薬、つまり眼圧を下げる薬を試す事が出来たのです。結果は劇的で、一年前の入院中からあった、しつこく続く「物の見えづらさ」が解消を始めました。点眼開始初日の夕方には「文字が見える」ことに驚き、それだけでも大したものだったのですが、ほんの数日が経った時点で、より広い範囲で視界にある物がクッキリと見えていることに気付きました。一瞬で、何となく視界の(はし)の方にあった物を認識出来るのです。検査上検出される様なものではなかったみたいですが、いわゆる視野欠損の改善があった事が判明しました。

 「物がよく見える」という変化は、わずか数日で私の行動を変化させました。前年夏頃より、気が付くと途絶えていたのですが、外食等、自宅から離れた場所に出かける様に成ったのです。猟期中、渇水(かっすい)の影響で獲物が居なかったというのはありましたが、あちこち出かけなくなったその理由が「なんとなく物が見えづらい」という、心理的なブレーキによる部分があったらしいと、気が付いた瞬間でした。失明とかなら話は別だったでしょうが、見えてはいたので、「ここまで」違うものに成りうる異常だとは思ってもみませんでした。「物が見えるようになった」、それだけの変化で気持ちが積極的になるのです。


 眼圧が上昇したという事は、現在使用している量よりもステロイドを減らす必要があります。つまり、なんとなくではあるけれど、それまで上手く回っていた薬の量を減らさなければならなく成りました。やれば、増悪(ぞうあく)、諸症状の悪化が懸念されます。なにしろ、たった1回薬を飲むのを忘れたくらいで、千切れる様な痛みを体験したくらいの病状です。つまり、「どうするんだ、これ?」という状況になりました。いいえ、容態が安定していたからこそ、私の方にも色々考える余裕があったのです。


 昔のドリフターズのコント『おなじみ もしものコーナー』よろしく、「もしも」で話をしてしまうのであれば、私の皮膚筋炎の治療の考えられる理想型は、こんな感じです。

その1.縦隔内にある腫瘍を摘出する。入院は3週間くらい?

その2.エンドキサンを使用して、骨髄抑制を徹底する。期間は不明。単発という事はあり得ない。

その3.骨髄移植によって、免疫担当細胞を再導入する。この新しい免疫担当細胞は、患者自身を攻撃しない。

 つまり、「その3」まで持って行くことで、外観上患者は「治った」状態に至るのです。

――――――何回、入退院をするんでしょう?


 結局、「どうしたものか?」と成ってしまうだけなのですが、これまでの道のりはあまり楽しいものではなく、これからも続けたらもっと辛い(つらい)。上手く行けば、20年くらい、つまり私が70代くらいまで生きている人生が待っているでしょう。しかし、行動制限付きで、薬も()められません。「生きている」という事実以外を、()()()()する(よう)に手放していく治療経過が()けて見えます。食べ物の味の件とか、長期の免疫抑制による弊害、骨粗鬆症ほか骨格への影響、筋肉への影響、眼、糖尿病…。具体的には、鷹との生活、仕事、獣医師生命という事になるでしょう。もって精々(せいぜい)10年未満、早ければ数年で「鷹」がいじれなくなったところで果てるというのは、自分の中では悪くないプランだ()()思ってしまいました。

 この治療方針は、入院当初の担当医から説明があったものですが、すぐに異動で医師が変わってしまい、引き継ぎの内容が不透明になりました。その後、私は通院先を近くの病院に移した訳ですが、そこでも異動があり、医師が変わり、担当医ごとに「言うこと」が違うことに気付く(よう)になります。なにしろ、たったの1年で、皮膚科だけで5人も医師が変わったのです。私は嫌って逃げてしまいましたが、カンファレンス診療はこういう誤差を修正する働きがあった(よう)です。しかしながら、場当たり的(ばあたりてき)に対症療法を繰り返していき何となく生きて死んでもらうという対応も、提供される医療の質としては低いかもしれないけれど()()()()。結局は医師の胸先三寸の話に成ってしまうのですが、「一本道」しか提示して来ないとかでないなら話を聞く価値があります。そんな感じで、医師と意見の()()()()()をする必要があるなと、自覚する(よう)になりました。春の頃の話です。

挿絵(By みてみん)

猟期が終わり、海洋に姿を見なくなっていた鴨たちの姿が戻ってまいりました。

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