第2話:ロリータとゴスロリの撮影会
「はあ……キモイ」
よみがえる記憶に、ソランテはキーボードを打つ手を止めて、額を押さえた。
連合国軍総司令部に提出する、観測対象・ナリュとの初回接触レポート。その文中に「キモかった」とは、さすがに書けない。だが、それ以外の言葉が見つからない。
もちろん、冷静な視点を保つべきなのはわかっている。しかしドルドンの「ナリュたん」連呼、チャイナ服姿のソランテへの過剰な反応、さらには次の訪問にゴスロリ衣装の着用を所望する一連の“愛情表現”を最も適確に表すワードは「キモイ」一択だ。
あんな環境で、どうしてナリュは平気なのだろう。
ソランテの目には、ドルドンのように欲望剥き出しの男のもとで、大人しく――いや、そうでもないのかもしれないが――ペットとして飼われる少女が、心底疑わしく思えた。
人間の十六歳といえば思春期真っただ中だ。それがあの男のキモさにどうして耐えられる?
彼女をそうさせる"裏"があるのではないか。
たとえば、レジスタンスとしての任務とか。
と、所感を添えて送信ボタンをクリックする。ソランテは椅子の背にもたれ、長く息を吐いた。
夜の帳が下りたトルク岩区。連合国が用意したアパートの一室は、最低限の家具だけが備え付けられた、殺風景な部屋だった。ベッド、デスク、ミニキッチンと水回り。
それでも戦地の野営よりずっとマシだ。
不意に、窓の外から賑やかな声が聞こえてきた。
「っははは! お前、そんなんで女が口説けるかよ」
「うるせぇ。そのときはイケると思ったんだって」
どうやら酔っているらしい。ソランテはカーテンをわずかに開けて、通りを見下ろした。
街灯の明かりに照らされた歩道を、人間の男と巨巌族がよろめきながら歩いていく。
何がそんなに楽しいんだか。
口に出して言う代わりに、またため息が漏れた。
あと100年で滅びる種族と、仲良くなって何になる。それともアレか? たとえばペットとしてならば、刹那的な関係が美談になるとでも?
人間が犬猫を飼うように。
「くだらない」
ぽつりと呟いて、ソランテは静かにカーテンを閉じた。
◆
ドルドンから指定されたその日、ソランテは、渡されていたゴスロリ衣装を身にまとい、館を訪れた。
黒を基調とした華やかなドレスは、胸元にあしらわれた深紅のリボンが目を引く。
銀髪には黒薔薇のついたヘッドドレスをつけ、ロングブーツのヒールがカツカツと硬い床を打つたび、全身のレースが揺れ動いた。
「こ、これは……!」
対面した瞬間、ドルドンは鼻息荒く体を震わせた。
「ソラたぁああ……その衣装、その髪型、その佇まい……まさしくオデの理想のゴスロリっ!」
キモイ。
「フィギュア化して飾りたいぃぃ」
ソランテは、無理やり引き上げていた口角がヒクつくのを感じた。気を抜くとうっかり暴言を吐いてしまいそうだ。
「そ、ソラたんっ……きょ、今日はねっ、ナリュたんと三人で、行きたいとこがあるのぉ! もぉ、想像しただけでオデ、鼻血出そう……い、一緒に来てくれるよねぇ?」
巨巌族用の背負いカゴにナリュとふたりで入れられて、連れていかれたのは、巨大な撮影スタジオだった。
大理石の床と円柱、天井のフレスコ画が美しい神殿セット。自然光風の照明が教室内を照らし、羊皮紙や羽根ペン、革張りの本などの小物が充実したギムナジウムセット。果ては、六角形の棺が置かれた地下室に、血のように赤い薔薇の花びらが降り注ぐ吸血鬼の館セット。
ソランテとナリュは、それらすべてでポーズを取らされ、写真を撮られた。
「くふぅ……ソラたん、ねぇ、お願いだから、もっと腰を……くいぃってしてくれると、ああそう、最高っ、泣いちゃう……ナリュたん、君のその瞳にオデ、捕らえられて……一生出られないっ……」
ソランテはうんざりしていた。ドルドンのポーズ注文は妙に際どい。何故ナリュと頬や体をくっつける必要があるのか。セットごとに衣装の写真が撮りたいならば、普通にふたり並んで立てばいいのではないか。
だがナリュは微笑みながら、すべての要求をこなした。それどころか自ら「次はこうしてみよっか」と、ポーズの提案までする始末だ。
彼女のせいでソランテは、ゴスロリに関係のない猫の真似までさせられ、さらには写真に音声など残らないというのに「にゃん」と言わされたのだ。
「よくやるな」
撮影の合間、ソファでジュースを飲みながら休憩するナリュに、ソランテは皮肉のつもりで声を掛けた。
「え、何が?」
「あの巨巌族の悪趣味につき合ってやることだ」
「うーん? ……よくわかんないけど、どうせなら可愛く撮れるほうが楽しいじゃん」
「いや、そうではなく……ドルドンのこと、気持ち悪いと思わないのか」
ナリュはクスッと笑った。
「キモいよ。でも、飼い主だもん。ちょっと言うこと聞いてあげるだけで何でも買ってくれるし、いい部屋住まわせてくれるし。……え、何その顔。なんか文句でも?」
「君の人生が充実しているようには思えない」
「充実とか、意味わかんないなー。生きてるだけで満点っしょ?」
「残りの人生でやりたいことは?」
「あはは、学校の教師みたいなこと聞いてくるんだね。あ、宣教師って教師だっけ? わかんない。やりたいことねぇ……ラクに楽しく生きることかな」
掴みどころのない返答に、ソランテは眉をひそめた。ラクに楽しく生きる。それは生きていることになるのだろうか。
ナリュがケラケラと笑う。
「"ソラたん"こそ、どうしてそんなことやってんの?」
彼女の視線は、ゴスロリ衣装を着たソランテの頭からつま先までを意味深に上下した。
「あたしを絶滅キョージュ派(?)に誘い込むため?」
「いや、思想を強いたいわけじゃない。ただ私は――」
「あたし、政治とか宗教とか難しい話は嫌い」
ナリュは飲み干したジュースのグラスを置いて立ち上がる。
「ドルドンしゃまぁ! フィルム交換終わったぁ? レンズ交換だっけ?」
ナリュという少女は、自分自身の未来にも種族の未来にも、興味がないのだろうか。
今が良ければそれでいい、というたぐいの人間は確かにいる。彼女もそうなのかもしれない。
ソランテは、機材をごちゃごちゃといじるドルドンへ歩み寄っていくナリュの後姿を見つめた。
姿だけでいえば彼女は、反逆の兆しなど感じられない、華奢で可愛いお人形だった。
「はうぅぅ……今日も最高に脳がとろけたッ……! ふたりとも、天使で女神で宇宙だったよぉぉっ! ご褒美、何がいいかなぁ?」
「あたし、クラヴィアナイトつきの指輪がいいー!」
と甘えたように言うナリュ。クラヴィアナイトは、夜空のような濃紺に金粉が散ったような宝石で、『星喰いの瞳』とも呼ばれている。
「ソラたんは何がいい?」
問われたところで欲しいものなど……とソランテは迷いながら、そういえば自分はヒューマ国の料理を、連合国側に輸入されるレトルトでしか食べたことがなかったなと思い至った。
任務でヒューマ国に降り立ってからも、連合国から支給されるレーションしか口にしていない。
本場のヒューマ料理が食べたい。彼らが絶滅してしまう前に、目ぼしいものは味わっておかねば。
「何か、食べに連れてってください」
しおらしい感じを装ってねだってみると、ドルドンは「いいよ、いいよぉ!」とブンブン頭を上下させた。
かくしてソランテたち三人は、巨巌族と人間が共同経営するカフェにやってきた。
テラス席で丸テーブルを囲んで座り――テーブルが巨巌族サイズなので人間用の椅子はプールサイドの監視員かと思うほど高い――テーブル一杯に展開された料理の中からパンケーキなるものを選んで口に運ぶ。
脳天に突き刺さるようなシロップの甘さが、なめらかな生クリームと混ざって、ほどよく緩和される。
ふわふわの生地は、噛めば噛むほど小麦の風味が広がり、芳醇なバターの香りが鼻を抜けていく。
美味しい。
これを作れるというだけでも人類には生きる価値があると思ってしまうほどに。
「なんだなんだぁ? ボッチのドルドン君じゃねぇかぁ」
パンケーキとの対話に水を差す雑音がして、ソランテは渋々そちらを振り向いた。そこには、ちょうどドルドンと同じ年ごろと見える巨巌族の若者ふたりが立っていた。
「まぁた、お人間遊びかよ。まあ、お前みたいなキモオタと遊んでくれるのはお人間くらいだもんなぁ」
「あはは! お人間ちゃんが絶滅したら、どんすんだよ? ボッチに逆戻りか? かっわいそー」
「てか、この前よりひとり増えてんじゃん」
「あ、ほんとだ。じゃあ、古いほうちょっと貸してくれよ」
巨巌族の武骨な手がナリュへと伸びる。
「だっ、駄目だよ、ナリュたんはオデの――うぶべっ!」
顔面に拳を食らったドルドンが椅子ごと盛大に倒れ、その衝撃で地面が跳ねる。
ヒュウウン……ボテッ
殴られたドルドンから分離した岩の破片が弧を描き、ソランテの食べ掛けだったパンケーキを押し潰した。
プチン、とソランテの中で何かが切れる。
ソランテは、ドルドンがハンバーグを切るのに使っていたナイフを手に取ると、人間離れした跳躍力でテーブルを飛び越え、若者のひとりに飛びついてその頭と首を構成する岩の隙間にナイフを突き立てた。
「わ、わあああっ! 死んじゃうううう!」
刺されたほうがドスドスと地を揺らしながら逃げていき、もうひとりが慌ててあとを追う。
ナリュは絶句しており、地面に転がったままのドルドンは呆然とソランテを見上げていた。
やがて正気を取り戻したらしいドルドンが、瞳を輝かせてソランテに迫った。
「ソ、ソラしゃま、カッコイイ……! オデのボディガードになってくらしゃい!」
「駄目よ! 浮気なんて許さないんだからっ!」
ナリュがバンッとテーブルを叩き、あろうことかソランテにジト目を向ける。
いや、違うだろう。睨む相手が。
理不尽だとは思うが、変に対抗して観測対象に嫌われては敵わない。
では今日はこのへんで、と濁したソランテは、奇跡的に無傷だったマカロンを黒レースのハンカチに包んで、そそくさと退散した。