プロローグ
星環暦817年。人類(ヒューマ国)、結晶族、仮面族からなる正軸国と、昆虫族、粘体族、海鱗族、巨巌族、毬藻族を中心とする連合国との間で激化した第六次世界大戦は、最後まで徹底抗戦を貫いたヒューマ国が、連合国側の提示した『オルドナ宣言』を受諾したことで終結した。
オルドナ宣言には、好戦的で危険な種族と認定された人類に対し、次のような処遇が定められた。
・人類は100年後を期限として人道的に絶滅(寿命による自然死または安楽死)することとし、これを拒む場合は100年の猶予なく直ちに武力による絶滅が執行される。
・人道的絶滅を選択した場合、人類は滅びゆく種として保護対象とされ、100年間にわたり平穏と厚遇が保証される。
・人類は繁殖を禁止され、男女ともに去勢手術を受ける義務を負う。
◆
星環暦817年某日。連合国軍総司令部の最奥にある執務室。その重厚な扉を、ひとつの影がノックした。
「入れ」
応じる声は短く、鋭かった。
扉を開けて足を踏み入れたのは、透けるような白い肌に銀の髪を持つ人物。その身体は無駄なく引き締まり、瞳は黄金色に澄んでいた。年齢は二十前後に見えるが、立ち居振る舞いには老練な軍人にも通じる隙のなさがある。
男とも女ともつかない中性的な容姿は、審美的に見れば整いすぎていて、敵兵の引き金に一瞬の迷いを生じさせるだけの力を持っていた。
「観測局所属中佐ソランテ、参上いたしました」
執務机の正面に直立し、敬礼する。
「楽にしろ」
書き物をしていた男が顔を上げる。男は昆虫族であり、その容貌はカマキリに酷似していた。
連合国軍総司令部・総帥マンティス。
逆三角形の頭部に備わった複眼が、じっとソランテを捉えていた。軍服に包まれた腕は一見人間のようだが、ペンを握る手の甲からは、刃渡り十五センチほどの鎌が静かに突き出ている。
「面と向かって話すのは初めてだが……噂どおり、人間と変わらぬ見た目をしているな。霊族と人間の混血だとか」
「はい。母が霊族です」
「ならば人間なのは父方か。ソランテ中佐、貴様は父親の種族が絶滅することについて、どう思う」
空気がぴんと張りつめる。だがソランテが怯むはずもない。なぜならソランテの中で、答えは決まりきっているから。
まばたきひとつせず、毅然としてそれを口にする。
「いいえ、総帥閣下。私に父は存在しません。存在するのは遥か昔、母を暴行した下劣な人間がいたという事実のみです」
「……そうか。理解した」
マンティスは頷き、続ける。
「本日より、貴様には100年におよぶ観測任務に就いてもらう。課せられた使命はすでに通達のとおり、二つある。ひとつは、人間たちの中に生まれつつあるレジスタンスの発見および粛清。もうひとつは、人間たちの安らかな絶滅のサポート――具体的には、100年を待たず死にたい人間に安楽死を提供することや、人類が絶滅することによる世界的な意義を人間たちに説き、納得のうえで絶滅の日を迎えさせること。いずれも、貴様以外に適任者のいない重要任務だ」
「心得ております」
「人類の100年は、霊族の血を引く貴様にとって、わずか1年程度の感覚だと聞く。だが、我々にとっては違う。昆虫族の寿命は約30年。連合国を構成する他の種族も、貴様ほど長命ではない。100年の間に、総帥の座は幾度か入れ替わることになるだろう」
マンティスは立ち上がり、執務机を回ってソランテのそばに立つ。
ふたりの軍人が正対する。
「しかし、総帥が誰であろうと、貴様の立場が変わることはない。貴様は連合国軍総司令部総帥直下の観測官だ。よって他のいかなる命令にも従う必要はない。指令は私が直接下す。報告も相談も、私に直接上げろ」
「承知いたしました」
「期待しているぞ、ソランテ中佐」
鋭利な鎌を持つ手が、軍の敬礼を形作る。
「人類に、人道的な絶滅を!」
その言葉は、連合国が定めた人類絶滅計画のスローガンだった。
ソランテもまた背筋を伸ばし、覚悟を込めて敬礼を返す。
そして心から口にする。
「人類に、人道的な絶滅を!」