9話 「油雨の記憶、甦る神話」
地震と津波の危機から一週間が過ぎ、波照間島は静かな復興の日々を迎えていた。
悠馬はアカネの家の縁側で、石板と巻物を広げていた。朝日が珊瑚石灰の壁に反射し、資料の文字を浮かび上がらせる。
「……油雨の伝説、これだ」
サラが指差した巻物の一節には、波状の模様と共に「天より熱き油降り、万物焼く」と記されていた。ナギサが貝殻の首飾りを手に覗き込む。
「おばあの話とそっくり! ミシク浜の洞窟で兄妹が生き残ったんだよね?」
アカネが頷きながら茶をすすった。
「昔の人は、この油雨を“神の怒り”と呼んだ。でもな、最近の学者さんたちは火山の噴火か何かじゃないかって……」
悠馬はルーペを握りしめた。
「ムーの壁画にも同じ災害が描かれていました。大地が裂け、空から火の雨が降る……。きっと同じ現象が両方の地で起きたんです」
その時、玄関で音がした。
「失礼する。東京から参った佐伯だ」
佐伯俊哉教授が、日焼けした肌に皺を刻んで立っていた。悠馬の恩師である考古学者は、石版の写真を見て駆けつけたという。
「君の報告を受けてね。……これが例の石板か?」
佐伯は早速資料に目を通し始めた。
「イザナギ、アマテ……。確かに日本神話の神々の名がムー語で刻まれている。だが、これが真実なら学会は大騒動だ」
サラが熱を込めて説明する。
「教授、波照間の伝承と石板の記録が完全に一致しています。油雨伝説も、兄妹始祖神話も……」
佐伯は卷物の「アラマリヌパー」の記述を指でなぞった。
「新生の女か。沖縄の他地域では聞かない特殊な神話だ。もしこれがムーの滅亡とリンクしているなら……」
突然、ナギサが叫んだ。
「みんな、見て! 石板が光ってる!」
石板の中央部に刻まれた渦巻き模様が淡く輝き、空中にムー語の文字列が浮かび上がる。
佐伯が眼鏡をずらし、興奮した声を上げた。
「……『東の島に残せし記憶』『沈みし民の祈り』……これは!」
悠馬のスマートフォンが鳴り響く。カナエ記者からの着信だ。
「新田さん、緊急です! 島の南側で謎の組織が発掘作業を……!」
一同が顔を見合わせる中、佐伯が石板を叩く。
「急げ! あの組織が“記憶の橋”を破壊する前に!」
一行は砂塵を上げて海岸へ向かった。ミシク浜の洞窟近くで、黒い作業服の男たちが重機を操っていた。
カナエがジャケットを翻して駆け寄る。
「あの洞窟は油雨伝説の聖地です! 何の権限で……!」
作業員の一人が冷たく笑う。
「学術調査の許可を得ていますよ。この島の“遺物”は我々が管理します」
悠馬が石板を掲げて叫んだ。
「この洞窟はムーと波照間を繋ぐ記憶の場だ! 壊させない!」
その瞬間、石板が強く輝き、洞窟の奥から轟音が響いた。
「なんだあの光は……!?」
作業員たちが後ずさる中、洞窟の天井が崩れ落ち、内部から青く光る石柱が現れる。
サラが息を呑んだ。
「……ムーの神殿の柱と同じ模様!」
佐伯が震える手でメモを取る。
「まさか……本土の縄文遺跡とも共通するこの文様が……」
カナエがシャッターを切りまくる。
「大スクープです! 日本神話の源流がここに……!」
その時、洞窟の奥深くから甲高い金属音が響き渡った。
アマテの声が、悠馬の脳裏に直接響く。
『注意せよ……“カグツチ”の影が近づいている』
「みんな下がって! 何か来る……!」
悠馬の叫びと同時に、洞窟の闇から人影が現れた。
黒いローブに身を包んだ男――カグツチが、鈍く光る短剣を構えている。
「……石版を渡せ。この“記憶”は我々が継承する」
ナギサが恐怖で硬直する中、サラが前に出る。
「あなたこそ、ムーの内乱を起こしたカグツチですね? 歴史を繰り返すつもり?」
男の目が鋭く光る。
「我々は真実を暴き、ムーの力を復活させる。お前たちのような“橋”など要らん」
佐伯が考古学者らしい冷静さで問いかける。
「君たちの目的は? 古代文明の技術利用か? それとも……」
カグツチが短剣を振り上げた。
「語る必要はない。ここで“記憶”を断ち切るまでだ!」
その瞬間、石板が爆発的な光を放ち、洞窟全体が黄金色に染まる。
アマテとラグナの幻影が現れ、カグツチの動きを封じた。
「……アマテ! なぜ今さら……!」
「カグツチ、そなたの野望はムーを滅ぼした。この時代まで過ちを繰り返させない」
ラグナの剣が光り、カグツチが後退する。
「くっ……またしてもか……!」
黒い煙と共にカグツチが消え、洞窟は静寂に包まれた。
佐伯が石板を抱きしめ、震える声で呟く。
「……ここに全ての答えがある。日本列島の成り立ちさえ書き換える大発見だ……」
悠馬が潮風に吹かれながら決意を込めて言った。
「でも教授、真実を暴くことが本当に正しいのか……。この記憶は、あまりにも重い」
サラがそっと肩に手を置く。
「先生、私たちは“橋”として、過去と未来のバランスを取らなければならない」
ナギサが貝殻の首飾りを掲げた。
「この島の人たちの想いも一緒だよ! おばあやみんなの願いを乗せて……!」
アカネが遠くから駆け寄り、洞窟の石柱を撫でた。
「……とうとう見つかったね。曾祖父が守り続けた“真実の柱”」
カナエがデジタルカメラの画面を見つめる。
「この写真をどう扱うか……。世界に発表すれば大騒動になる」
夕陽が水平線に沈む中、悠馬は仲間たちを見渡した。
「一度、島の人たちと話し合おう。記憶の継承は、みんなで決めるべきだ」
波照間島の夜明けが、新たな歴史の幕開けを告げていた――。