8話 「仮面の真実、繋がる記憶」
ムシャーマの熱気が最高潮に達した夜、波照間島の広場は人々の歓声と太鼓の音で震えていた。
悠馬は、ミルク様の仮面を手に、祭りの中心で立ち尽くしていた。仮面の内側から漏れる自分の息の音が、奇妙な高揚感を生み出している。
「先生、そろそろニンブチャーが始まるよ!」
ナギサが黄色い法被の袖を引っ張る。
輪になって踊る人々の中心には、五穀を入れたカゴと酒が供えられ、無縁仏を慰める念仏踊りが始まろうとしていた。
「……この仮面、どこか温かいんだ」
サラが耳元で囁く。彼女も白い衣装に身を包み、巫女のような佇まいだった。
「ミルク様の仮面は、何世代も受け継がれてきたもの。触っていると、昔の人たちの祈りが伝わってくるようでしょ?」
その瞬間、太鼓のリズムが変わり、三線の音色が森へと吸い込まれていく。
悠馬の視界がゆらめき、仮面の奥から黄金色の光が漏れ始めた。
――気がつくと、そこはムーの神殿の中庭。
アマテが白い衣を翻し、仮面を手に立っていた。
「悠馬……ついに“器”が目覚めたのですね」
「アマテ……この仮面は?」
「ムーの巫女たちが使った“記憶の器”。あなたの手に渡るべき時が来たのでしょう」
神殿の柱には、波照間島の御嶽と酷似した紋様が刻まれている。
ラグナ王子が鎧をまとって現れ、剣を地面に突き立てた。
「我が国も、かつてこの仮面で神と交信した。だが今や、滅びの時が迫っている……」
アマテが静かに頷く。
「ラグナ様、記憶の橋は開かれました。この方(悠馬)が、ムーの知恵を未来へ運んでくださる」
突如、地面が轟音とともに割れ、神殿の天井から炎の粉が降り注いだ。
人々の悲鳴が響く中、アマテは悠馬の手を握り締めた。
「見てください……これがムーの最後の日です」
――現実に引き戻されるように、悠馬は広場の地面に膝をついた。
汗が額を伝い、仮面の内側で自分の鼓動が鳴り響いている。
「先生! 大丈夫ですか!?」
サラが駆け寄り、仮面を外す。
ナギサが水入りの竹筒を差し出す。
「またあの夢……?」
「……あの仮面は、ムーの巫女たちのものだった。ラグナ王子が滅びの瞬間を見せた」
サラの瞳が揺れる。
「先生、これは……!」
彼女が石版を取り出し、その表面を指さした。
これまで判読不能だった文字が、微妙に光を帯びている。
「文字が……浮かび上がってる!」
悠馬がルーペを覗き込む。
「東の海……来訪神……記憶の継承……」
断片的な単語が、波照間の伝承と重なり合う。
「先生、これって……」
「ああ。石版はムーの知識を伝える“記憶の器”。仮面と同じ役割を持っているんだ」
その時、アカネが静かに近づいてきた。
「お前さんたち、こっちへいらっしゃい」
三人は祭りの騒ぎを後にし、アカネの家の奥座敷へ導かれた。
床の間には、古びた木箱が安置されている。
「実はな、この箱は代々“ミルクの仮面”と一緒に伝えられてきたものだ」
アカネが慎重に蓋を開ける。
中からは、貝殻で装飾された古い巻物と、黒曜石の破片が現れた。
「これは……!」
悠馬が巻物を広げる。
そこには、波照間島の地図と、海を渡る船団の絵が描かれている。
「昔話にある“東の海から来た神々”。実は、ムーと呼ばれる国から逃れてきた人たちだったんじゃないかね」
サラが息を呑む。
「つまり、波照間の祖先はムーの生き残り……?」
アカネは深く頷いた。
「この巻物は、私の曾祖父が井戸の底から見つけたものさ。“記憶の橋を渡る者”が現れる日まで、秘密にせよと……」
ナギサが木箱の底を指差す。
「おばあ、これもムーのもの?」
そこには、石版と瓜二つの模様が刻まれた石板があった。
悠馬が震える手で取り上げる。
「間違いない……ムーの神殿の壁画と同じ模様だ!」
サラが石板を回収し、石版と並べる。
二つの石が触れた瞬間、微かな振動が起こり、模様が光り始めた。
「先生、見て! 文字が動いている……!」
光の粒子が空中に浮かび、古代ムー語と日本語が交互に現れる。
アカネが驚きの声を上げた。
「これは……神様の言葉を翻訳する“鏡石”だったのか!」
悠馬の脳裏に、アマテの声が響く。
『全ての答えは、あなたの選択の中にあります』
「……僕たちは、ムーの記憶を解き明かす“鍵”を見つけた」
サラが決意を込めて頷く。
「島の伝承と石版を照合すれば、ムーと日本の神話の繋がりを証明できる」
ナギサが木箱の中から小さな貝殻の首飾りを取り出す。
「これ、アマテさんがつけてたのと似てる!」
その首飾りには、夢の中で見た神殿の紋章が刻まれていた。
アカネが感慨深げに語る。
「曾祖父は“海の向こうから来た巫女”の話をしていた。きっと、アマテさんのような人が……」
突如、外から地鳴りのような音が響いた。
広場の方で人々の悲鳴が上がる。
「地震だ!」
書架から本が崩れ落ちる中、悠馬は石板を抱きかかえた。
「みんな、外へ……!」
四人が家を飛び出すと、目の前の道路が割れ、海水が噴き上げていた。
「津波の前兆……!?」
サラが叫ぶ。
アカネが蒼い顔で呟く。
「油雨伝説の再来じゃ……」
悠馬のスマートフォンが緊急警報を発した。
「M8.3……南海トラフ巨大地震!?」
波照間島全体が軋み、人々が港へと殺到する。
ナギサが泣きながら悠馬の袖を引く。
「お兄さん、どうしよう……!」
その時、石板が強く輝きだした。
アマテの声が、悠馬の脳裏に直接響く。
『記憶の橋は開かれた――今こそ選択の時』
「……みんなを高台に誘導する! サラさん、ナギサちゃんを頼む!」
「先生は!?」
「僕は……あの仮面でムーの知恵を借りる」
悠馬は広場へ駆け戻り、ミルク様の仮面を被る。
黄金色の光が視界を覆い、ラグナ王子の声が聞こえる。
『そなたに我が民を導け!』
「わかってる……!」
地震の揺れが激しさを増す中、悠馬は仮面越しに叫んだ。
「東組の者、公民館の地下室へ! 前組は学校の屋上へ!」
混乱する人々が、不思議と彼の指示に従い始める。
サラが避難民を統率し、ナギサが子供たちを誘導する。
「先生、南側の崖が崩れそうです!」
「分かった! 西組は迂回ルートで……!」
その瞬間、仮面から強烈な光が迸り、悠馬の意識が深淵へと引き込まれる。
――黄金色の空間で、アマテとラグナが待っていた。
「あなたの選択が、歴史を変える」
「僕は……この島を守りたい!」
アマテが微笑み、杖で地面を叩く。
「ならば、ムーの知恵を使いなさい」
現実の悠馬の手が、石板に向かって伸びた。
「……地下水路を開放せよ!」
轟音とともに島の中央部から清水が噴き上がり、津波の勢いを弱める。
人々が奇跡に歓声を上げる中、悠馬はその場に崩れ落ちた。
「お兄さん!」
ナギサの泣き声が遠のいていく。
最後に視界に映ったのは、仮面の内側に刻まれたムー語の文字列だった。
『記憶は、未来を照らす』
――波照間島の夜明けが、新しい伝説の始まりを告げていた。
遠くでサイレンが鳴り響く。
悠馬は、地面に倒れたまま、霞む視界の中で人々が避難する姿を見つめていた。
サラがナギサを抱きしめ、アカネが島の子供たちを励ましながら高台へと導いていく。
仮面を被ったままの悠馬は、まだ現実と夢の狭間をさまよっていた。
――黄金色の空間。
アマテとラグナが、彼の前に立っている。
「悠馬、あなたの選択が、ついに島の未来を動かした」
アマテの声は、どこか優しく、しかし厳かだった。
ラグナが静かに言葉を重ねる。
「ムーの民も、かつて大災厄に直面し、選択を迫られた。だが、我らは記憶を“橋”に託した。そなたもまた、未来を照らす者だ」
悠馬は、胸の奥から湧き上がる熱いものを感じていた。
「僕は……僕は、ただ皆を救いたかった。ムーの知恵も、島の伝承も、すべてが今に繋がっている。僕は“記憶の橋”として……」
アマテがそっと手を伸ばし、悠馬の額に触れる。
「あなたの心の中に、すべての記憶が宿っています。恐れずに、歩み続けてください」
その瞬間、黄金色の空間が崩れ、現実の世界へと引き戻された。
「……先生! しっかりして!」
サラの声が、現実の音として耳に届く。
悠馬は、ゆっくりと目を開けた。
仮面は外れ、石板は胸の上にあった。
周囲には、避難を終えた島の人々が集まり、安堵と驚きの表情で彼を見つめていた。
「先生、島の地下水が湧き出して、津波が小さくなったって……みんな言ってるよ!」
ナギサが泣き笑いの顔で叫ぶ。
サラも、涙ぐみながら微笑む。
「あなたが最後まで冷静に指示してくれたから、誰も大きな怪我をしなかったわ。……ありがとう、悠馬先生」
アカネが、そっと悠馬の手を握る。
「お前さんは、島の“記憶の橋”だよ。ムーの知恵も、島の祈りも、みんなお前さんの中に生きている」
悠馬は、胸の奥に残る余韻を噛みしめながら、静かに石板を見つめた。
その表面には、ムー語と日本語が交互に浮かび上がっている。
「……記憶は、未来を照らす」
ふと、空を見上げると、嵐の去った後の夜空に、満天の星が広がっていた。
波照間島の人々が、静かに手を合わせて祈りを捧げている。
「先生、これからどうするの?」
ナギサが尋ねる。
悠馬は、ゆっくりと立ち上がり、三人を見渡した。
「この島の伝承と、ムーの記憶を、もっと深く調べたい。石板の謎も、仮面の意味も、まだすべてが解けたわけじゃない。……でも、今は、皆が無事で本当によかった」
サラが、そっと寄り添う。
「私も、もっと知りたい。ムーの記憶と日本の神話、そして島の人たちの思いが、どう繋がっているのか……」
アカネが、優しく微笑む。
「お前さんたちなら、きっと真実に辿り着けるよ。島の神様も、きっと見守ってくれる」
ナギサが、星空を指さす。
「お兄さん、あれ見て! 流れ星!」
悠馬は、夜空に流れる一筋の光を見つめた。
それはまるで、ムーからヤマトへと繋がる“記憶の橋”のようだった。
「……行こう、みんな。僕たちの旅は、まだ始まったばかりだ」
星降る夜、波照間島の人々の祈りと、悠久の記憶が静かに重なり合う。
悠馬は、胸の奥で新たな決意を抱きながら、仲間たちとともに歩き出した――。