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7話 「ミルク神の微笑、遥かな来訪神」

ムシャーマの余韻が島に残る翌朝、波照間島の空はどこまでも澄み渡っていた。

悠馬は、昨夜の祭りの熱気と、夢の中でアマテやラグナたちと交わした言葉が、胸の奥で静かに渦巻いているのを感じていた。


「先生、今日も広場に行こうよ!」


ナギサが元気よく声をかける。

「ミルク様の仮面、近くで見せてもらえるっておばあが言ってた!」


サラも、白いワンピース姿で微笑む。


「ムシャーマの翌日は、仮面や衣装を手入れして、来年の祭りまで大切に保管するの。島の人たちにとって、ミルク様は“記憶の守り神”なのよ」


悠馬は、ノートとカメラを携えて二人と広場へ向かった。

昨夜の喧騒が嘘のように静かな朝。広場では、年配の男性たちがミルク様の仮面を丁寧に拭き、黄色い衣装を陰干ししている。


「おはようございます。昨日は本当に素晴らしい祭りでした」


悠馬が挨拶すると、ミルク様役の男性がにこやかに応じる。


「遠くから来てくれてありがとう。ミルク様の仮面、触ってみるかい?」


仮面は、白く福々しい顔立ちに、どこかコミカルな微笑みをたたえている。

「……この顔、どこかで見たような……」


サラが解説する。


「ミルク様の顔は“布袋さん”に似ているでしょ? 八重山や沖縄では、弥勒菩薩が布袋さんの姿で現れると信じられているの。中国南部やベトナム、台湾にも似た仮面の神様がいるのよ」


「へえ……。じゃあ、ミルク様は、海の向こうからやってきた神様なんだ」


ミルク様役の男性が頷く。


「その通り。ミルク様は“ニライカナイ”――東の海の彼方から神船に乗ってやってきて、五穀の種をもたらす来訪神だ。昔は豊年祭のときに現れていたけれど、旗頭を巡って大喧嘩があってからは、今の盆祭で行列するようになったんだ」


ナギサが仮面をそっと撫でる。


「おばあが言ってた。ミルク様は女の神様で、付き人の子どもたちは“ミルクの子ども”なんだって」


サラが頷く。


「波照間では、ミルク様は女性とされているの。付き人の子供たちが“ミルクの子”で、道化役のブーブザーはミルク様の旦那さん。ちょっかいを出して、行列を盛り上げる役目なのよ」


悠馬は、仮面を手に取ってみる。

手触りは素朴で温かく、何世代もの手を経て磨かれてきたことが伝わってくる。


「……不思議だな。この仮面を見ていると、遠い昔から続く祈りや願いが、ずっと受け継がれてきたんだって実感する」


ミルク様役の男性が、しみじみと語る。


「島の祭りも、神様も、みんなで守ってきたものさ。昔は、ミルク様が現れると、子どもたちが“ミルク様、五穀をください!”って叫びながら追いかけたもんだ」


ナギサが、目を輝かせて言う。


「先生、来年は私も“ミルクの子”になりたいな!」


サラが微笑む。


「きっとなれるわ。島の子どもたちは、みんな順番に役目をもらうの。祭りは、島の“記憶の継承”でもあるのよ」


悠馬は、夢の中で見たムーの神殿の祭りと重ね合わせる。


「……ムーでも、神殿で仮面をつけた巫女や神官が、民を導いていた。仮面は、神と人を繋ぐ“橋”だったんだ」


サラが、そっと耳打ちする。


「先生、今夜もう一度御嶽に行ってみない? ミルク様の仮面を持って、夢見の儀式をしてみたいの」


悠馬は、静かに頷いた。


「うん。きっと、何か新しい記憶が開かれる気がする」


その夜、三人は御嶽へと向かった。

森の奥、月明かりに照らされた聖地。

サラがミルク様の仮面をそっと抱き、祈りの言葉を唱える。


「……東の海の彼方から来た神よ、島の記憶を私たちにお示しください……」


悠馬とナギサも、静かに手を合わせる。

風が、森を渡る。

悠馬の意識が、ふたたび遠ざかっていく――。


――黄金色の空、ムーの神殿。

アマテが、白い仮面を手に現れる。


「悠馬……あなたは、また“記憶の橋”を渡ってきたのですね」


「アマテ……この仮面は、島のミルク様のもの。波照間の人々は、仮面を通して神様と繋がっている」


アマテは、静かに微笑む。


「ムーでも、神と人を繋ぐために仮面が使われました。仮面は、記憶と祈りを未来へ託す“器”なのです」


「僕は、どうすればいい? この記憶を、現実の世界でどう伝えればいい?」


アマテは、優しく答える。


「あなたの選択に委ねます。けれど、どうか忘れないで。歴史は、ただ繰り返すだけではなく、人の選択で変わることもあるのです」


そのとき、神殿の奥からラグナ王子が現れる。


「アマテ、祭りの準備はできているか?」


アマテが頷く。


「はい、ラグナ様。民も神官も、皆が集まっています」


ラグナが悠馬に目を向ける。


「そなたも、我らの祭りに加わるがよい。記憶の橋を渡る者として、ムーの最後の祭りを見届けてほしい」


悠馬は、夢の中の祭りと、現実の島の祭りが重なり合うのを感じていた。


夜の御嶽には、静かな月明かりが差し込んでいた。

サラはミルク様の仮面を膝に置き、白い衣をまとって祈りの言葉を繰り返す。ナギサは両手を合わせ、目を閉じている。悠馬も、石版を胸に抱き、深く息を吸い込んだ。


「……東の海の彼方から来た神よ、島の記憶を私たちにお示しください……」


その瞬間、悠馬の意識はふわりと浮かび、再び夢の世界へと誘われる。


――黄金色の空、ムーの神殿。

アマテが白い仮面を手に現れ、悠馬の前に立つ。


「悠馬……あなたは、また“記憶の橋”を渡ってきたのですね」


「アマテ……現実の島で、ミルク様の仮面を手に、みんなで祈りました。波照間の人々は、仮面を通して神様と繋がっている」


アマテは静かに微笑む。


「ムーでも、神と人を繋ぐために仮面が使われました。仮面は、記憶と祈りを未来へ託す“器”なのです」


「……この島の人たちは、ミルク様を“来訪神”として迎え、五穀豊穣や幸せを祈り続けてきました。ムーの人々も、同じように祈っていたの?」


「ええ。ムーの民も、海の彼方から神がやってくると信じていました。神殿では、巫女や神官が仮面をつけて神を降ろし、民の願いを伝えていたのです」


ラグナ王子が現れ、悠馬に声をかける。


「そなたは“未来の証人”だ。ムーが滅びても、我らの思いは消えぬ。記憶の橋を渡る者よ、そなたの世界で、我らの祈りを伝えてくれ」


悠馬は、強く頷いた。


「必ず伝えます。ムーの記憶も、あなたたちの願いも」


アマテが、そっと仮面を悠馬に手渡す。


「この仮面は、時を超えて祈りを繋ぐ“鍵”です。あなたの世界でも、どうか大切にしてください」


――ふいに、遠くから太鼓と三線の音が聞こえてきた。

現実の御嶽で、サラが静かに歌い始める。


「ヤーラーヨー、ヤーラーヨー……」


ナギサも、そっと口ずさむ。


「ミルク様、五穀をください……」


悠馬は、夢と現実がひとつに溶け合うのを感じていた。

波照間島のムシャーマで、ミルク様がもたらす五穀と幸せ。

ムーの神殿で、巫女と王子が未来を祈る祭り。


――すべては、遥かな記憶の“橋”で繋がっている。


やがて、祈りの儀式が終わると、サラがそっと仮面を抱きしめた。


「先生、夢の中で何か見えましたか?」


悠馬は、静かに語る。


「アマテが、仮面を“記憶の器”だと言っていました。ムーの民も、神と人を繋ぐために仮面を使っていた。波照間のミルク様と、ムーの神殿の巫女……きっと同じ祈りが、時を超えて受け継がれてきたんだ」


ナギサが、目を輝かせて言う。


「お兄さん、来年のムシャーマも一緒に参加してね! 今度は私が“ミルクの子”になるから!」


悠馬は、優しく微笑んだ。


「もちろんだよ。君たちと一緒に、この島の記憶を未来に繋いでいきたい」


サラが、そっと手を重ねる。


「先生、私たちで“記憶の橋”を守りましょう。島の神話も、ムーの記憶も、語り継ぐことで生き続けるはずだから」


悠馬は、胸の奥で静かに誓った。


「……僕も、この島の記憶を、ムーの記憶を、未来へ繋ぐ“橋”になりたい」


夜空には、無数の星が瞬いていた。

波照間島の精霊の祭りと、ムーの祈りが、悠久の時を超えてひとつに結ばれる――。



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