6話 「ミルク様の仮面、記憶の継承」
ムシャーマの熱気が島じゅうに満ちていた。
夜が明けると同時に、波照間島の路地には太鼓と三線の音が響き、色とりどりの法被や着物をまとった人々が集まってくる。
旧暦七月十四日――先祖を供養し、豊作と島の安全を祈る日。
この島最大の行事に、島外からも帰省者や観光客が集まり、集落は一年で最も賑やかな朝を迎えていた。
「先生、ほら見て! ミルク様がもうすぐ来るよ!」
ナギサが、広場の端を指さして跳ねる。
悠馬とサラも、鉢巻きを締め直し、列の後ろに加わった。
「ミルク様って、どんな神様なの?」
悠馬の問いに、サラが小声で答える。
「五穀豊穣と幸せをもたらす神様よ。ミルク様は“弥勒”のこと。仮面をつけて、黄色い装束で現れるの」
「島の人たちにとって、一年で一番大事な日なんだね」
そのとき、銅鑼の音が鳴り響いた。
ミチサネー――仮装行列の始まりだ。
先頭には、福々しい仮面をつけたミルク様が立ち、その後ろにミルクンタマー(弥勒の子どもたち)、大旗、五穀のカゴ、雨降らしの神フサマラー、道化役のブーブザーが続く。
「わあ……本当に仮面が優しい顔してる」
ナギサが感嘆の声をあげる。
ミルク様は、ゆっくりと歩きながら、沿道の子どもたちの頭を優しく撫でていく。
「ミルク様に触ってもらうと、幸せが訪れるって言われてるのよ」
サラが微笑む。
悠馬も、どこか神聖な気持ちでその光景を見つめていた。
「この仮装行列、三つの組に分かれてるんだね」
「東組、前組、西組――それぞれの集落から出発して、公民館に集まるの。ミルク様の仮面や衣装も、組ごとに少しずつ違うのよ」
ミチサネーは、太鼓や三線の音に合わせて、ゆっくりと島の路地を進む。
沿道では、島を離れていた人々や観光客が手を振り、写真を撮る。
ナギサが、誇らしげに言う。
「先生、ムシャーマの日は、島のみんなが“家族”になるんだよ。遠くに住んでる人も、みんな帰ってくるの」
「すごいな……。こうして記憶や伝統が、何世代にも渡って受け継がれていくんだ」
やがて、仮装行列は公民館前の広場に到着した。
そこでは、棒術や太鼓、舞踊、念仏踊り(ニンブチャー)、獅子舞、民謡など、さまざまな芸能が奉納される。
「先生、あれが“棒術”だよ!」
ナギサが指差す先で、若者たちが竹の棒を振り回し、力強く演武を繰り広げている。
太鼓のリズムが空気を震わせ、観客から大きな拍手が起こる。
「すごい迫力だな……。夢の中で見たムーの祭りも、こんなふうに熱気に満ちていた」
サラが、そっと耳打ちする。
「先生、ムシャーマの芸能には、海の彼方から来た神様や、再生の物語がたくさん込められているの。棒術や獅子舞も、悪霊払いと豊作祈願の意味があるのよ」
やがて、舞台では狂言や舞踊、民謡が次々と奉納される。
子どもたちが輪になって踊る「ニンブチャー」は、無縁仏を慰め、祖先を供養する踊りだ。
「ナギサ、踊りの輪に入ってみようか?」
「うん!」
二人は手を取り合い、島の子どもたちと一緒に輪の中へ。
悠馬は、踊りながら、夢の中で見たムーの神殿の踊りを思い出していた。
――黄金色の空、神殿の中庭。
民が輪になって踊り、神々と祖先に祈りを捧げていた。
アマテが、白い衣をまとい、静かに手を合わせている。
「悠馬……あなたは、また“記憶の橋”を渡ってきたのですね」
「アマテ……現実の島で、みんなが踊り、祈り、祖先や神様に語りかけていた。夢と現実が、だんだん重なってきている気がする」
アマテは、優しく微笑む。
「祭りは、記憶を新しくする儀式。ムーでも、神々と民が一つになり、未来への祈りを捧げた。あなたの島の祭りも、同じ願いを受け継いでいる」
「……僕は、どうすればいい? この記憶を、現実の世界でどう伝えればいい?」
「あなたの選択に委ねます。けれど、どうか忘れないで。歴史は、ただ繰り返すだけではなく、人の選択で変わることもあるのです」
――現実に戻ると、祭りの終盤を告げる「ユーニガイ(世願い)」の歌が響く。
八重山の節歌「ミルク節」、別れの「ヤーラーヨー節」。
島の人々が手を取り合い、輪になって踊る。
悠馬も、サラも、ナギサも、アカネも、その輪の中にいた。
「先生、楽しかったね!」
ナギサが笑顔で言う。
サラも、感慨深げに呟く。
「……島の人たちの記憶が、こうして今も生きている。私たちも、その一部になれた気がします」
アカネが、静かに語る。
「ムシャーマは、島の“記憶の灯”さ。みんなで守り、繋いでいくものだよ」
悠馬は、石版を見つめながら、静かに誓った。
「……僕も、この島の記憶を、ムーの記憶を、未来へ繋ぐ“橋”になりたい」
夜空には、無数の星が瞬いていた。
波照間島の精霊の祭りは、こうして新たな記憶を刻み、次の時代へと受け継がれていく――。