5話 「精霊の祭り、記憶の灯」
夜の御嶽での“夢見”の儀式の余韻を胸に、悠馬たちは翌朝、島の中心部へと向かった。
波照間島は、夜明けとともに静かに目覚める。赤瓦の屋根が並ぶ集落の路地には、朝露に濡れたハイビスカスの花が咲き、遠くから三線の音色が微かに聞こえてくる。
「先生、今日は“ムシャーマ”の準備があるんだよ!」
ナギサが、弾む声で言った。
サラが微笑む。
「波照間島で一番大きなお祭りよ。旧盆の中日に行われる精霊祭。“ソーリン・ムシャーマ”とも呼ばれているの」
悠馬は、ノートに“ムシャーマ”と大きく書き込んだ。
「精霊祭……。島の人たちがご先祖様や神々と向き合う大事な行事なんだね」
ナギサが、誇らしげに頷く。
「うん! おばあも子供のころから毎年踊ってるんだって。今日はみんなで仮装して、太鼓や三線で踊るんだよ」
サラが補足する。
「ムシャーマは、五つの集落が三つの組に分かれて行うの。仮装行列“ミチヰサネー”や、舞台での踊り、弥勒神や獅子の登場もあるわ。島中の人が参加して、精霊とともに一年の豊穣と平安を祈るの」
悠馬は、島の人々の熱気や誇りを肌で感じていた。
「こういう行事が、島の記憶を今に繋いでいるんだな……。ムーの時代も、きっと同じように祭りで神々や祖先を祀っていたんじゃないか」
ナギサが、ふいに手を挙げる。
「先生も仮装しようよ! おばあが法被と鉢巻きを貸してくれるって!」
悠馬は、戸惑いながらも笑った。
「いいのかな……。じゃあ、せっかくだから参加させてもらおうかな」
そのとき、アカネが家の奥から姿を現した。
白い法被に身を包み、手には色鮮やかな鉢巻きを持っている。
「悠馬さん、サラさん、これを巻いておくれ。今日は島の“記憶の灯”をみんなで守る日だよ」
サラが、感謝の気持ちを込めて頭を下げる。
「ありがとうございます。私も小さい頃から見てきたけど、参加するのは初めてです」
アカネは、三人の額に鉢巻きを巻きながら、優しく語りかける。
「ムシャーマは、精霊とともに踊り、歌い、島の記憶を新しくする日さ。昔の人も、こうして神様や祖先に祈りを捧げてきた。踊りや歌の中に、失われた大地や遠い海の記憶が流れているんだよ」
ナギサが、目を輝かせて言う。
「おばあ、弥勒神ってどんな神様なの?」
アカネは、少し遠い目をして語る。
「弥勒神は、未来からやってくる救いの神さ。島では“ブーブザー”って呼ばれる弥勒の夫や、獅子、鬼も一緒に現れる。みんなで踊り、歌い、悪いものを追い払って、平和と豊穣を願うんだよ」
悠馬は、夢の中で見たムーの神殿の祭りを思い出した。
「……ムーの王国でも、神殿で大きな祭りがあった。神々や祖先を祀り、民が一つになって祈る光景……。島のムシャーマと、どこか重なって見える」
サラが、そっと頷く。
「先生の夢と、島の祭り――記憶の橋が、また一つ繋がったのかもしれませんね」
やがて、集落の広場に人々が集まり始めた。
法被や着物、鬼や獅子の面をつけた子供たち。三線や太鼓の音が響き、舞台には色とりどりの踊り手たちが並ぶ。
「ナギサ、そろそろ出番だよ!」
アカネが声をかけると、ナギサは元気よく手を挙げて駆け出していく。
「先生、サラさんも一緒に!」
悠馬とサラも、列に加わった。
やがて、ミチヰサネー――仮装行列が始まる。
島の道を練り歩きながら、みんなで歌い、踊り、笑い合う。
「ヤーラーヨー、ヤーラーヨー!」
掛け声が響き、太鼓のリズムが胸に響く。
悠馬は、夢の中で感じた“祭りの熱”を、現実の島で全身に浴びていた。
「……不思議だな。まるで、ムーの記憶がこの島に生きているみたいだ」
サラが、そっと耳打ちする。
「先生、祭りの途中で“御嶽”に立ち寄る習わしがあるの。そこで、精霊や神様に祈りを捧げるのよ」
やがて、仮装行列は森の奥の御嶽へと向かった。
静かな聖地で、アカネが祈りの言葉を唱える。
「……海の彼方の神よ、祖先よ、どうか島をお守りください。失われた記憶を、未来へと繋いでください……」
悠馬は、石版をそっと取り出し、手を合わせた。
その瞬間、ふいに意識が遠のく――。
――黄金色の空、ムーの神殿。
アマテが、白い衣を翻して現れる。
「悠馬……あなたは、再び“記憶の橋”を渡ってきたのですね」
「アマテ……今日は、島の祭りに参加している。現実と夢が、だんだん近づいてきている気がする」
アマテは、静かに頷く。
「祭りは、記憶を新しくする儀式。ムーでも、神々と民が一つになり、未来への祈りを捧げた。あなたの島の祭りも、同じ願いを受け継いでいる」
「……僕は、どうすればいい? この記憶を、現実の世界でどう伝えればいい?」
アマテは、優しく微笑む。
「あなたの選択に委ねます。けれど、どうか忘れないで。歴史は、ただ繰り返すだけではなく、人の選択で変わることもあるのです」
そのとき、神殿の奥からラグナ王子が現れる。
「アマテ、祭りの準備はできているか?」
アマテが頷く。
「はい、ラグナ様。民も神官も、皆が集まっています」
ラグナが悠馬に目を向ける。
「そなたも、我らの祭りに加わるがよい。記憶の橋を渡る者として、ムーの最後の祭りを見届けてほしい」
悠馬は、夢の中の祭りと、現実の島の祭りが重なり合うのを感じていた。
ムシャーマの仮装行列は、太鼓と三線の音に導かれ、島の路地を練り歩いた。先頭には黄色い装束に穏やかな仮面をつけた「ミルク様」が立ち、続いてブーバタ(大旗)、五穀を入れたカゴを持つカンゴンタマー、日の丸を持つ子どもたち「ミルクンタマ」――島の豊穣と未来を象徴する役割が、ひとつひとつ丁寧に受け継がれている。
「ナギサ、あれがミルク様だよ。幸福と五穀豊穣の神様なんだって」
悠馬が小声で教えると、ナギサは目を輝かせて頷いた。
「うん! ミルク様が歩くと、島に幸せが来るんだよ。あの仮面、ちょっと怖いけど、なんだか優しい顔してるよね」
サラがそっと補足する。
「波照間のミルク様は、“結婚した女性”の象徴でもあるの。各集落ごとに装いが違って、みんな自分の集落のミルク様が一番だって自慢するのよ」
仮装行列は、やがて公民館の中庭に到着した。
そこでは、法被に鉢巻き姿の若者たちが「棒術」を披露し、太鼓のリズムが空気を震わせる。
舞台では狂言や舞踊、獅子舞、民謡が次々と奉納され、観客席には老若男女がぎっしりと並んでいる。
「すごい熱気だな……。島中の人が一つになってる」
悠馬は、祭りの一体感に圧倒されていた。
ナギサが、舞台に立つ子どもたちを指差す。
「先生、あれが“ニンブチャー”だよ! 念仏踊りっていって、無縁仏を慰める踊りなんだって」
サラが説明を加える。
「ムシャーマの中心は、この“ニンブチャー”。輪の中心に供物と酒を供えて、家庭で祀られない無縁仏を慰霊するの。祖先供養と豊年祈願が一つになった、島の大切な行事よ」
悠馬は、夢の中で見たムーの神殿の祭りを思い出していた。
あのときも、人々が輪になって踊り、神々と祖先に祈りを捧げていた――。
「……ムーの祭りも、きっとこうだったんだろうな。人々が輪になり、歌い、踊り、祈ることで、記憶を未来へ繋いできた」
アカネが、静かに語りかける。
「踊りも歌も、みんな神様や先祖への“言葉”さ。昔の人は、文字がなくても、こうして大切なことを伝えてきたんだよ」
やがて、祭りの終盤になると、再び仮装行列が始まり、元来た道を戻る。
その途中、御嶽に立ち寄り、再び祈りを捧げる。
「……海の彼方の神よ、祖先よ、どうか島をお守りください。失われた記憶を、未来へと繋いでください……」
悠馬は、石版を胸に抱き、目を閉じた。
すると、再び意識が遠のく――。
――黄金色の空、ムーの神殿。
アマテが、白い衣をまとい、悠馬の前に現れる。
「悠馬……あなたは、また“記憶の橋”を渡ってきたのですね」
「アマテ……現実の島で、みんなが踊り、祈り、祖先や神様に語りかけていた。夢と現実が、だんだん重なってきている気がする」
アマテは、静かに頷いた。
「祭りは、記憶を新しくする儀式。ムーでも、神々と民が一つになり、未来への祈りを捧げた。あなたの島の祭りも、同じ願いを受け継いでいる」
「……僕は、どうすればいい? この記憶を、現実の世界でどう伝えればいい?」
アマテは、優しく微笑む。
「あなたの選択に委ねます。けれど、どうか忘れないで。歴史は、ただ繰り返すだけではなく、人の選択で変わることもあるのです」
そのとき、神殿の奥からラグナ王子が現れる。
「アマテ、祭りの準備はできているか?」
アマテが頷く。
「はい、ラグナ様。民も神官も、皆が集まっています」
ラグナが悠馬に目を向ける。
「そなたも、我らの祭りに加わるがよい。記憶の橋を渡る者として、ムーの最後の祭りを見届けてほしい」
悠馬は、夢の中の祭りと、現実の島の祭りが重なり合うのを感じていた。
――現実に戻ると、祭りの終わりを告げる「ユーニガイ(世願い)」の歌が響き、八重山の節歌「ミルク節」、別れの「ヤーラーヨー節」が歌われる。
島の人々が手を取り合い、輪になって踊る。
悠馬も、サラも、ナギサも、アカネも、その輪の中にいた。
「先生、楽しかったね!」
ナギサが笑顔で言う。
サラも、感慨深げに呟く。
「……島の人たちの記憶が、こうして今も生きている。私たちも、その一部になれた気がします」
アカネが、静かに語る。
「ムシャーマは、島の“記憶の灯”さ。みんなで守り、繋いでいくものだよ」
悠馬は、石版を見つめながら、静かに誓った。
「……僕も、この島の記憶を、ムーの記憶を、未来へ繋ぐ“橋”になりたい」
夜空には、無数の星が瞬いていた。
波照間島の精霊の祭りは、こうして新たな記憶を刻み、次の時代へと受け継がれていく――。