1話 「導きの石版」 波間に浮かぶ影
主要登場人物
- 新田 悠馬
27歳、男性。若き考古学者。情熱的で好奇心旺盛だが、やや内向的。沖縄の離島で発見した石版をきっかけに、ムーと日本神話の謎に挑む。現実と夢の狭間で揺れ動く主人公。
- サラ・アマミ(さら・あまみ)
25歳、女性。沖縄出身の民俗学者。悠馬の調査に協力する。明るく快活だが、家系に伝わる“巫女の血”を密かに気にしている。悠馬と次第に信頼関係を築く。
- アマテ(古代ムーの巫女)
年齢不詳、女性。ムー王国の神殿に仕える巫女で、ヒミコを思わせる神秘的な存在。悠馬の夢の中で現れ、彼を導く。王国の運命を左右する鍵を握る。
- ラグナ・オウ(ムー王国の王子)
19歳、男性。勇敢で理想に燃えるが、王国の滅亡を前に苦悩する若き王子。アマテと深い絆で結ばれている。
- カナエ・ミカヅチ
33歳、女性。日本の大手新聞記者。悠馬の動向を追い、古代文明の謎に興味を持つ。冷静で知的、時に皮肉屋。
- 佐伯 俊哉
45歳、男性。悠馬の恩師で考古学教授。ムー文明の存在に懐疑的だが、悠馬の情熱に巻き込まれていく。
- イザナギ(ムーの賢者)
年齢不詳、男性。ムー王国の知恵者で、アマテの師。滅びゆく文明の記憶を後世に託そうとする。
- ナギサ・アオイ
16歳、女性。沖縄の離島に住む少女。石版の発見に偶然関わり、悠馬たちの調査を手伝う。素朴で純粋。
- カグツチ(ムーの反乱軍指導者)
28歳、男性。ムー王国の内乱を率いるカリスマ的存在。理想と野望の狭間で揺れる。
主な舞台
現代日本(沖縄の離島、東京の大学、各地の遺跡)、および夢や幻視の中で描かれる古代ムー大陸(神殿都市、王宮、戦場、沈みゆく大地)。
世界観
ムー大陸は高度な文明を誇ったが、内乱と天変地異により滅亡の危機に瀕している。ムーの神話や言語が日本神話の源流となったという仮説。現実世界と夢(過去)が交錯し、悠馬は両世界を行き来する。石版はムーからヤマトへの“記憶の橋”として機能する。
島の朝は、静寂とともに始まる。波照間島の東端、まだ人影もまばらな浜辺に、悠馬はひとり立ち尽くしていた。潮の香りが鼻腔をくすぐり、遠くでカモメの鳴く声が響く。彼の足元には、昨夜から気になって仕方のない岩場が広がっていた。
「……ここで間違いないはずだ」
悠馬は呟き、リュックからスケッチブックと手袋を取り出す。昨日、ナギサが興奮気味に語った“変な石”の話。最初は島の子供らしい無邪気な作り話かと思ったが、彼女が描いた絵には、明らかに人工的な幾何学模様があった。
「お兄さん、ほんとに来てくれたんだ!」
背後から弾けるような声。振り返ると、ナギサ・アオイが素足で砂を蹴りながら駆けてきた。手には、昨日と同じ青いガラス玉を握っている。
「おはよう、ナギサちゃん。もう朝ごはんは食べた?」
「うん! おばあが作ってくれたサーターアンダギー、三つも食べたよ!」
「元気だなぁ……。じゃあ、昨日の場所、案内してくれる?」
「うん、こっちだよ!」
ナギサは小さな手で悠馬の袖を引っ張り、岩場の奥へと誘う。潮が引いたばかりの岩陰は、まだ海藻の匂いが強く残っていた。ナギサが指差す先、そこにそれはあった。
「……これだ」
悠馬は息を呑む。黒曜石のような光沢を持つ石版。表面には、渦巻きや直線、未知の文字がびっしりと彫り込まれている。彼は手袋をはめ、慎重に砂を払い落とした。
「先生、やっぱり普通の石じゃないよね?」
今度は、サラ・アマミがやってきた。彼女はカメラを首から下げ、ノートを小脇に抱えている。潮風に揺れる黒髪と、健康的な小麦色の肌が、島の朝日に映えていた。
「……これは、ただの石じゃない。明らかに人工物だ。しかも、この文字……」
悠馬はルーペを取り出し、石版の表面を丹念に観察する。サラもしゃがみ込み、興味津々で覗き込んだ。
「沖縄の古い碑文とも違うし、漢字でもない。何語なんだろう……」
「見たことがある気がするんだ。大学の資料室で、古代の未解読文字の論文を読んだときに……」
「まさか、ムー語?」
サラが冗談めかして言うと、悠馬は真剣な顔で頷いた。
「伝説のムー大陸。学会じゃ“オカルト”扱いだけど、もし本当に……」
「悠馬先生、顔が怖いよ。そんなに本気で信じてるの?」
「信じてるわけじゃない。ただ、目の前の事実を無視したくないだけだ」
悠馬はそう言いながら、石版の端に指を滑らせた。そこには「イザナギ」「アマテ」と読める名が、奇妙な文字で刻まれている。
「イザナギ……アマテ……。日本神話の神様の名前?」
「でも、漢字じゃない。発音だけが伝わったのかもしれない」
ふたりが石版に見入っていると、遠くから少女の声が響いた。
「お兄さん、サラさん、見つけたよ!」
ナギサ・アオイが、素足で砂浜を駆けてくる。手には青いガラス玉を握っていた。
「これも、石のそばにあったの!」
ナギサは息を切らしながら、ガラス玉を差し出す。悠馬は受け取り、光にかざした。玉の内部には、渦巻くような模様が浮かんでいる。
「不思議だな……。まるで、記憶が閉じ込められているみたいだ」
サラがガラス玉を覗き込み、目を丸くした。
「これ、琉球ガラスじゃないよね? もっと古い……」
「ガラスの成分を調べれば、年代がわかるかもしれない」
悠馬は、石版とガラス玉を慎重に並べた。ナギサは膝を抱えて座り込み、好奇心いっぱいの目でふたりを見上げる。
「ねぇ、お兄さん。これって、すごいお宝なの?」
「お宝かどうかは、これから調べてみないとね。でも、大事な“記憶”が詰まってる気がするよ」
サラが微笑み、ナギサの肩を抱いた。
「悠馬先生、夢中になりすぎて倒れないでよ。昨日だって、夜遅くまで資料見てたんだから」
「大丈夫だよ。……でも、なんだか、胸の奥がざわざわする。まるで、何かが始まる前触れみたいだ」
そのとき、不意に風が強くなり、石版の表面が朝日を反射した。その光が悠馬の目を射抜く。
「……!」
次の瞬間、世界がぐらりと揺らぐ。波音が遠のき、空気が重くなる。悠馬は思わず目を閉じた。
――気がつくと、そこは見知らぬ大地だった。
黄金色の空、巨大な神殿、異国の衣装を纏った人々。悠馬の前に、ひとりの巫女が立っていた。白い衣をまとい、琥珀色の瞳が静かに悠馬を見つめている。
「――あなたは、記憶の橋を渡る者」
その声は、どこか懐かしく、そして神秘的だった。
悠馬は息を呑んだ。現実と夢のはざま――彼の“旅”は、いま始まった。