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序章 -異変-

 喊声、そして地響き。


 手に手に得物を握り、傭兵たちが声をあげながら平野を駆け抜ける。六千以上の歩兵が、一斉に突撃する様は壮観だ。敵陣南西に弧状に広がる半包囲陣が、中心に向けて瞬く間に縮まっていった。


「すごい……」


 マリンが隣で呟いた。


 アルヴィンは戦場を俯瞰する。左翼側の部隊が、明らかに突出していた。あの位置にいるのは、カイトが率いる傭兵団『ホークアイ』だ。天幕での会話が、アルヴィンの脳裏をよぎる。


 ――俺は奴らに仲間をいささか多く殺されすぎた。ここで逃がすわけにはいかないんだ。


 きっと、団員も同じ気持ちだったのだろう。左翼から発せられる喊声は一段と激しく、灼熱の殺気をたたえていた。


 敵と我が軍の距離を目算する。接触まで、あと二百歩。


 後方より追随していた弓兵が立ち止まり、弦に矢をつがえはじめた。刹那、舞い上げられた土煙を貫いて、鋭い矢が山賊めがけて飛んでいく。


 メルヴィラの傭兵が使う弓は、身の丈ほどもある長弓だ。鎖帷子や皮鎧で身を覆っていても、たやすく貫通する威力がある。矢の描く弧が頂点に達したとき、アルヴィンはそれらが敵の戦線に与える打撃を信じて疑わなかった。


 しかし次の瞬間、傭兵たちが放った矢は、後退する山賊団の僅か手前に、空しく突き刺さっていた。山賊たちが踵を返して後退したのだ。潰走しているのではない。むしろ退きながらも、見る見るうちに隊列が整えられていく。


 通常、軍勢の進行方向を変えることには困難が伴う。兵の動かし方を少し間違えるだけで、部隊に大きな混乱を招きかねない。隊列が乱れることはあっても、整えながら回頭するなど、よほど練度の高い部隊でなければできない芸当だ。


 しかし、彼らはそれを瞬く間にやり遂げた。まるで海を回遊する小魚の群れのごとく、全員が同じタイミングで戦場に背を向け、一挙に走りだしたのだった。一糸乱れぬ、とはまさにこのことを言うのだろう。


「あの動き、いち山賊団のものとは思えませぬな」


 グスタフが感心したように言った。アルヴィンがカイトとの共闘を思い出しながら答える。


「ベレウス山賊団は強敵だったが、あれほど精密な動きは出来なかったはず。これほどまでの練度を、どうやって……」


 アルヴィンは思わず固唾を飲んだ。瞬きする時間すら忘れて、戦場を凝視する。


 斉射を避けた山賊団は、なおも北東へ向けて後退していた。傭兵たちもそれを追って走る。必死の猛追にもかかわらず、山賊団との距離は百五十歩程度からなかなか縮まらない。標的を逸した半包囲陣は見る影もなく、山賊団の真後ろで一塊となっていた。


 とはいえ、陣形が多少崩れても、まだ数の優位がなくなったわけではない。精強を誇るメルヴィラの傭兵団を相手に、いつまでも逃げ続けることはできない――アルヴィンは敵の動向を、食い入るように見つめていた。


「アルヴィンさん、見て! あれ!」


 叫び声に振り返ると、マリンが引きつった表情で北の空を指差していた。


 大きな黒い影が一つ、青空を飛んでいる。二枚の翼。二本の足。しなやかに伸びた尾。長い首についた、恐ろしげな顎と蛇のような眼。


「飛竜だ!」


 兵士から声が上がった。


 空の支配者、飛竜。自由自在に空を舞い、地に這う生物を捕食する、強大なる生物。太陽の光を受けて、その赤い鱗が鮮血のごとく煌めいていた。


 本陣の丁度北側から不意に現れた飛竜は、戦場の方角へ真一文字に突進していく。その巨躯からは想像もつかない、恐るべき速度だ。


 両足に生えた勇壮な鉤爪が、何かを鷲掴みにしていた。酒樽のような形をした、黒い物体だった。飛竜はその楕円体を、捕らえた獲物の死体でも運ぶかのように握っていた。


 一体、あれは……? アルヴィンの疑問は、マリンの絶叫にかき消された。


「あれを落とす気だわ!」


 突然マリンに両肩を掴まれ、アルヴィンは呆気に取られた。マリンが叫ぶ。


「みんなを伏せさせて!」

「えっ?」

「伏せさせて! それから目を瞑って、耳を塞がないと!」


 鬼気迫る表情でまくしたてられる。


「マリン殿、おっしゃる意味が……」

「早く!」


 マリンの細い腕が、アルヴィンの肩を激しくゆする。発する言葉はもはや悲鳴に近かった。アルヴィンはその意図は全く推し量れなかったが、冗談を言っていると切り捨てることもできなかった。


 アルヴィンはグスタフに目配せし、小さく頷いた。グスタフが大声で指令を発する。


「全員、伏せろ! 目を瞑って、耳を塞げ!」


 続いてクレセントの小隊長連中が命令を復唱する。三百もの兵たちが、一様に困惑の表情を浮かべながら、地面に突っ伏し、掌で耳を覆った。


 視界の端で、ディエゴが狼狽している。体を震わせながら、ビクトールに助けを求めているようだった。


「なんじゃ、何が起こっておる」

「言う通りになさった方がよろしゅうござる。さ、お伏せなされませ」


 ディエゴの丸々と太った体が、どすんと地面に横たわった。


 周囲が伏せの姿勢を取る間、アルヴィンの視線はなおも飛竜に向いていた。


 飛竜が、握りしめていた爪をぱっと開く。


 黒い物体が空中で解き放たれ、緩やかな弧を描いて地面に吸い寄せられていく。落下する先にあるのは、カイトたちがいるメルヴィラ軍の陣だ。


「あなたも伏せて! 早く!」


 既に伏せの姿勢をとっていたマリンに右腕を引っ張られ、アルヴィンは我に返った。地面に伏せ、眼を瞑り、耳を塞ぐ。


 その刹那、アルヴィンを襲ったのは、塞いだはずの耳をつんざくほどの轟音と、瞑ったはずの目ぶたを貫く閃光、そして体を地面から引き剥がさんばかりの、猛烈な暴風だった。

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