序章 -未熟-
「慎重?」
バルデルの鼻息が荒くなった。
「俺たちは敵の数倍、しかも敵はたかが山賊どもの寄せ集めだ。何を『慎重』にする必要がある!」
バルデルの怒声に、ディエゴは顔をしかめた。カイトが顎を撫でながら尋ねる。
「アルヴィン。何か懸念があるなら、聞かせてくれないか」
アルヴィンは椅子から立ち上がり、カイトの視線をまっすぐ見つめ返した。
「全軍による突撃、それがまさに敵の思惑だからです」
そう言うと、アルヴィンは地図に視線を落とした。
「敵は1,000程度、対してこちらは7,000弱。加えて我が軍は高所を占拠しており、敵の動向を余さず監視できる状況にあります」
「そのとおりね」
ロベルタが自分の爪を眺めながら、興味なさげに呟いた。
「全てにおいてあたし達が優勢、だから全軍突撃でケリをつける。筋は通ってるじゃない」
「ロベルタ殿。問題は、我が軍が優位に立っている事実が、敵にとっても明らかということです」
ロベルタの眉間に深いしわが寄った。隻眼の鋭い視線がアルヴィンに向く。
「……だから何? 言いたいことがあるなら、はっきり言いなさいよ」
「確かに、不自然かもしれません」
意外にも、割って入ってきたのはマリンだった。不意に集まった視線に、マリンはあたふたしながら体の前で両手を振る。
「私が敵なら、もうとっくに逃げ出しているでしょうから……」
「左様」
アルヴィンのすぐ横で地図を眺めていたグスタフがうなずく。
「不利な敵相手に玉砕するような殊勝な山賊などおらぬ。この期に及んで逃げを選ばぬということは、敵はこの戦に勝算ありと踏んでおるということであろう」
アルヴィンはグスタフを見て微笑むと、カイトに視線を戻した。
「わざわざ敵の策に正面から挑むことはございません。ここは巧遅に徹した方がよい局面であると、私は考えます。何卒、方針の再考をご検討いただきたく」
天幕の中を、一瞬の静寂が包んだ。
カイトは「ふむ」と一声呟き、顎を撫でていた手を下ろした。
「アルヴィン、お前の懸念は分かる。確かに奴らが何か仕掛けを打っている可能性は高いだろう」
「では……」
「では聞くが、敵の策は何だと思う?」
アルヴィンは言葉に詰まった。
我が軍は高所より常に敵を監視できる状況にある。敵が戦域に何かの仕掛けを施そうとしているならば、すぐに物見の者が報告にやってくるだろう。それに、奇襲を期して伏兵を置くにしても、周囲は遮蔽物が全くない平野だ。兵を隠せる場所など、敵陣周辺にあるはずもなかった。
確たる答えを持ち合わせないまま、アルヴィンは何とか言葉をひねり出した。
「……わかりません。しかし、敵の戦術が不明であるならば、ますます一層慎重に行動すべきです」
アルヴィンは会議机に手をつき、ぐっと肩を乗り出した。
「我々で敵陣周辺の偵察を行います。皆様には敵を包囲しながら接近していただき、安全が確認されてから突撃いただければ……」
「はっ、冗談じゃないね!」
ロベルタが殺気立った声を上げた。
「『偵察を行います』だって? 一番槍をかすめ取ろうったって、そうはいかないよ」
「クソガキが、その手は食わんぞ!」
ロベルタに呼応して、バルデルの激しい怒声が響く。
痛恨の念が、アルヴィンの胸を刺し貫いた。
クレセントがそうであるように、他の傭兵団も慈善事業でここに集まっているわけではない。増してや、純粋な正義感で集ったわけでもない。傭兵団が戦う目的は、武勲を立て、それに見合った報酬の支払いを受けることだ。多くの武功を立てた傭兵団は報酬に色がつく。だが、何の成果もない傭兵団には、最低限の報酬しか与えられない。
彼らに向けて偵察を提案したのは自分の判断ミスだと、アルヴィンは自責した。ロベルタやバルデルが抜け駆けを疑うのは詮無きことだ。アルヴィンに手柄を独占する意図など毛頭なかったが、訂正するには遅すぎた。
カイトが首を横に振りながら言う。
「奴らは既に東部の集落で悪逆の限りを尽くし、なおも東メルヴ平野に居座っている。これ以上奴らを自由にさせれば、民にさらなる被害が及ぶかもしれん。もはや一刻の猶予もない」
「しかし、敵の意図が不明な以上、強攻策は無益な犠牲を出しかねません」
「犠牲は百も承知だ」
アルヴィンの反論は、カイトの断固とした一言に跳ね返された。
「今こそ女神ナーヴェが与えたもうた千載一遇の好機。奴らに殺された民と仲間の仇を取ってやる。絶対に逃がすものか」
「カイト殿……」
息を荒くしながらベレウス山賊団への憎しみを迸らせるカイトの姿に、アルヴィンは愕然とした。
強攻策の非合理性を説明すれば少しは耳を傾けてくれるかと思っていたが、甘かった。カイトの意志はあまりにも固い。
グスタフがアルヴィンの左肩をぽんと叩いた。
「坊ちゃん、これ以上は……」
「ああ、わかっている」
これ以上の説得は、ただ時間をいたずらに浪費するだけだ。
アルヴィンは一呼吸置くと、上座に向き直り、深く一礼した。グスタフもそれにならった。
「要らぬ議論を吐いて軍議を乱したこと、お詫び申し上げます。我々クレセントも、総攻撃を支持いたします」
「全くだ、臆病者のクソガキが」
バルデルの悪態を聞き流し、アルヴィンは席に着いた。胸から溢れる慙愧の情念を、表情に出さないよう取り繕うのに必死だった。
ディエゴが口を開く。
「えー、では総攻撃ということで決まりじゃな」
意見を求められなかったマリンの眉がぴくっと痙攣した。それに気づかなかったのか、ディエゴは続ける。
「ところで、敵の出方がわからぬ以上、本陣にも兵が残っていた方がわしも安心なのじゃが……」
「あのガキどもにやらせたら? 前線に出たくないみたいだし」
親指でアルヴィンとマリンを指しながら、ロベルタが食い気味に提案した。バルデルが半笑いを浮かべながら同意する。
「あいつらの兵は所詮300程度、前線にいようがいまいが戦況に大差ねえだろ。本陣の護衛には丁度いいんじゃねえか? せいぜい旗でも振ってろよ、ガキども」
アルヴィンは歯噛みした。ここで反論すれば、またしても時間を浪費してしまう。ロベルタとバルデルは、アルヴィンとマリンに後方の役回りを押し付けたのだ。彼らを勲功第一の競争から蹴落とすために。
アルヴィンの代わりに何か言おうとするグスタフを今一度手で制し、アルヴィンは断腸の思いで答えた。
「承知いたしました。本陣護衛の任、謹んでお受けいたします」
「あ、私もつつしんでおうけいたします」
アルヴィンに続いて、マリンもたどたどしく定型句を吐いた。
ディエゴは満面の笑みで「よしよし」と頷いた。
「では、獄炎・ライトニング・ホークアイの三隊は角笛の合図に合わせて突撃、各々競って功を成すこと。それで良いな、ビクトール?」
「皆様でお決めになったのならば、拙者に異存はございませぬ」
ビクトールはやはり直立不動のまま、無機質な声で答えた。だが、ディエゴはその回答に満足だったようだ。上機嫌な様子で宣言する。
「うむ、では軍議を終了する。みな、精一杯励みたまえよ」
ロベルタとバルデルは立ち上がり、ディエゴに一礼した。
「無駄に長い軍議だったわね。おかげでお尻が痛いわ」
「全くだ、誰のせいで長引いたんだか」
やたらと大きな声で話しながら、天幕から出て行く。当てこすりのつもりだろうが、アルヴィンには腹を立てる気になれなかった。
カイトがアルヴィンの元に歩み寄ってきた。先ほどの厳しい表情とは打って変わり、穏やかな微笑みをたたえている。
「アルヴィン、大丈夫か? 奴らのことなら、気にしなくてもいいんだぞ」
「カイト殿……お考え直しいただくことは、できないのでしょうか」
カイトは首を小さく横に振った。
「お前の意見は正しい……だが、俺がそれを受け入れることはできない。俺は奴らに仲間をいささか多く殺されすぎた。ここで逃がすわけにはいかないんだ」
アルヴィンはカイトの言葉を受け止めた。反駁すべき好敵手の意見としてではなく、同じ戦場を共に戦った仲間として。
「わかりました。カイト殿、くれぐれもお気をつけて」
「ありがとう。グスタフ殿、この戦が終わったら一緒に酒でも飲みましょう。奢りますよ」
「生意気な奴め……いいだろう。楽しみにしておいてやる」
カイトは背中を向け、「では」と右手を振りながら天幕を出て行った。ディエゴとその召使い、ビクトールも天幕を後にし、残ったのはアルヴィンとグスタフ、そしてマリンの3名のみとなった。
静寂の中、マリンがおずおずと口を開く。
「えーっと、じゃあ、振りましょうか……旗」