序章 -軍議-
「では、私が現在の状況を簡潔にご説明いたします。こちらをご覧いただきたい」
そう言うや否や、カイトは中央に置かれていた会議机に、大きな羊皮紙を広げた。等高線と記号がびっしり書かれた、東メルヴ平野の地図。アルヴィンはその精密さに内心驚嘆した。
地図の中央に、カイトは赤い丸石を一つ置いた。一同の視線が丸石に集中する。
「敵はここ、平野中央に布陣しております。数は1,000程度、軍旗から見てベレウス山賊団と考えられます」
「ベレウス山賊団?」
ロベルタの反問に、カイトが顎を撫でながら説明する。事あるごとに顎を触るのは、カイトの癖だ。仕事で交流のあったアルヴィンは、彼のことをよく知っていた。
「二年ほど前までこの付近を荒らしまわっていた山賊団です。ここ最近は大人しくしていたようなのですが……なぜ今になって活動を再開したのかは目下不明です」
ベレウス山賊団――アルヴィンはその名も知っていた。
平野の北側、険峻な山脈がそびえ立つ南アルト地方。ベレウス山賊団はその山々に巣食う山賊団だった。時折山から降りてきては付近の村々を襲い、略奪・誘拐・暴行・殺人と非道の限りを尽くす。その凶悪さは折り紙付きだった。
ゲオルグ率いるクレセントも、傭兵ギルドからの依頼を受け頻繁に交戦していた。だが、二年前にゲオルクやカイトと共に侵攻を撃退してからは、話題に上った記憶がない。既に解散、もしくは壊滅したのではないか。アルヴィンは今の今までそう考えていた。彼らが再び現れた理由など、見当もつかなかった。
「ふん、そんなこと、知る必要もない」
バルデルが大きく鼻を鳴らし、たくましい腕を組んだ。
「今日一人残らず死ぬことになるからな。巣穴から這い出てきたこと、後悔させてやる」
「奇遇だねえ、バルデル。あたしも同じ気持ちだよ」
ロベルタが快活に笑うと、バルデルはあからさまに視線を反らし、再び大きく鼻を鳴らした。
カイトは軽く咳払いし、赤い石の近くに六つの青い丸石を置いた。幾重もの等高線に囲まれた場所――つまりここだ。
「対して我が軍は、ここメルヴ東の丘に布陣しております。兵数の内訳は、傭兵団『獄炎』が2,500、同じく『ライトニング』が2,300、『クレセント』が200、あとは……マリン殿?」
マリンと呼ばれた女性は、カイトの視線に引きつった笑みで応えた。
「えーっと、ひ、100くらい、ですかね」
「あらあら、アルヴィン坊やよりもショボい団があったのね」
ショボくてすみません、と嫌味を受け流すマリンは愛想笑いを崩さなかった。
一瞬の静寂ののち、カイトが再び咳払いする。
「……マリン殿の傭兵団『スウィフティア』100。ここにわが傭兵団『ホークアイ』1,700を加え、総勢6,800となっております」
「では、我が軍は敵を大幅に上回っているということだな?」
椅子から贅肉のついた体を乗り出して、ディエゴはカイトに問うた。
「左様でございます。全軍で一気呵成に攻撃すれば、勝利は疑いありません」
カイトが大きく頷いて答える。自信に満ちた、張りのある声だ。
アルヴィンは地図を俯瞰しながら、静かに状況を咀嚼した。
我が軍は7,000弱、敵は1,000程度。数も練度も圧倒的に我が軍が勝っているのは明らかだ。しかも丘に布陣する我らには高所の利があり、平野にいる敵の陣容を正確に把握することもできる。常識的に、負けるほうが難しい勝負だ。
しかしアルヴィンは、頭の中に引っかかる心地の悪い何かを拭い去ることができなかった。思考を巡らせるうちに、それは徐々に輪郭を表し、言葉の形に収斂されていく。
カイトの答えに気を良くしたのか、ディエゴの脂ぎった頬が緩くなった。
「では全軍で総攻撃し、さっさとこの戦を終わらせよう! それで良いな、ビクトール君?」
同意を求められたビクトールは、前方を凝視したまま、視線を合わせる素振りも見せなかった。
「拙者にはメルヴィラ軍を差配する権限などございませぬ。どうか皆様でお決めください」
不愛想なビクトールの答えに、ディエゴは中途半端に禿げた頭を掻いた。
「つれないのう……では、ここにいる皆の意見を聞かせてもらおうか」
バルデルは頭の後ろに手を組み、椅子の背もたれに寄りかかった。
「それでいいんじゃねえのか? 全軍突撃、これ以上に分かりやすくてつええ作戦はねえ」
ロベルタも長い足を組みながら答える。
「あたしも賛成。あんたは、カイト?」
「当然、賛成です。一刻も早くべレウス盗賊団を撃滅しましょう」
カイトの声には力が籠っていた。彼の傭兵団は、べレウス山賊団と幾度となく戦いを繰り広げてきた。討伐への並々ならぬ思いを、アルヴィンは感じずにはいられなかった。
「お前はどう思う、アルヴィン?」
カイトはアルヴィンに問うた。全ての視線が、一斉にアルヴィンを向いた。
「私は――」
一呼吸置き、アルヴィンは言葉を紡ぎ出した。
「攻勢には賛成です。ただ、慎重を期した方がよろしいかと愚考します」