54 発行元はどこですか
目の前の光景に開いた口が塞がらないほど驚いた。
あの時成さんが…。胡散臭い笑みしかできないあの時成さんが…!私の目の前で腹を抱えて爆笑している…。笑いすぎて、なんなら涙も出ている…。
信じられない。あの時成さんが…
(いや、というか…何に爆笑してるの?この人)
人が真剣に、勇気を振り絞って、覚悟を決めて、時成さんの面倒をみるのだ。と責任をとろうとしたことに対して、大爆笑で返すのは、どうかと思うのだけれど……。
一頻り笑って満足したのか、時成さんはまだ少しヒィヒィ言いながらキセルを手に取って座椅子に座り直した
「はぁ…。笑うのも疲れるものなんだね。可笑しかった…」
「…失礼にもほどがあるんですけど。」
「そうだね。由羅…君の気持ちはありがたく受け取っておくけど、その必要はないよ。この黒く変色した手を見せることで、由羅に伝えたかった事は『これ以上、無茶をしないように』という戒めで、お灸を据えようと思っただけだからね」
「それがまさか、責任をとると言い出すとは…。」と俯いて少し震えている時成さんはきっと、思い出し笑いを堪えているのだろう…。なんだろうか…だんだんと、…恥ずかしくなってきた…。
込み上げてきた羞恥心を誤魔化すように、私はジトリと時成さんを睨みつける
「っわかりましたよ!!もう無茶はしません。色々と納得はいきませんが…これ以上ゲンナイさんのように『私の子守り』なんていう可哀想な役職の人を増やすわけにはいかないし」
ゲンナイさんもゲンナイさんだ。いくら抗議しても聞く耳をもってくれなかったし、時成さんに何を言ってももう無駄だろうし、そうなったらもう頷くしかない。
時成さんは相槌の代わりにキセルの煙を吐いた。その顔は、何を考えているのか全くわからず…先程の爆笑が嘘のようだ…。
「時成さんも…さっきみたいに普通の人間らしく、爆笑したりできるんですね。初めて見ましたよ」
「…私もはじめてこんなに笑ったよ」
「……時成さんって、結局。どういう存在なんですか?」
「それもまた、今にしては難しい質問だね。考えておこう」
にっこりと胡散臭い笑みに戻った時成さんのその顔と言葉に“それ以上聞くな。”と言われている気がして、腑に落ちない気持ちのまま、私は座布団の上に正座した。
時成さんは「さて」と話題を切り替えるように「では恒例の好感度チェックといこうか」と指示棒でモニターを差す
ぴょこぴょこと動くハートの器たちがなんだかおもしろくはないけれど、私の予想していた通りにゲンナイさんのハートは増えていた
「おやゲンナイのハートが4個と半分にまでなっているね。」
やっぱりかぁ、と少し頬が赤くなる。だってゲンナイさん、遠征から帰ってきてからあからさまだもの…。話す時とかこう、もう私を見る目がさ…もう、好きだと語ってるもの…。三つにはなってると思っていたけど、それ以上に増えてたか……
浄化と共鳴の効果なのだろうけど…ハートが1個半も増えればこんなことになってしまうのか…
ゲンナイさんは大人だから、私が嫌がることはしてこないし別にいいのだけど、やっぱり真正面から好意を向けられると、照れるものがあるというか…恥ずかしいというか…
「ちなみにそれってハート何個がMAXですか?」
これ以上ハートが増えた時の好意に果たして耐えられるのだろうか、と尋ねた質問に時成さんは座卓の引き出しから、なにやら本のようなものを取り出しパラパラと捲りだした
「うーん…。最大で5個だね。3個から完全な好意状態で4個からが、えーと…魅了状態だね」
そう説明書に書いてある。と本から顔を上げた時成さんに、その説明書は何?誰が発行してるの?とツッコミたくなったけどグッと堪えた
だけど、そうか。ということは、ゲンナイさんはいま魅了状態ということなのか…。え、つまり私にメロメロになってるということ?なにそれよくわからない
「イクマも一気に3個に増えてはいるけど、ゲンナイが他の者に比べて頭一つ抜けているね。あれかな?由羅はゲンナイを狙っているのかな?推しというやつかな?」
「恋愛ゲーム感覚で話すのそろそろやめませんか?」
無償に腹が立つので。とすんとして言った私に「真面目なんだけどね」と胡散臭い笑みで返す時成さんはすっかりいつも通りだ…。
安心したような憎たらしいような…複雑な心境になりながらも、モニターへと視線を向ければ、随分と増えたハート達がぴょこぴょこと愉快に跳ねていた
【4個半】 ゲンナイ
【3個】 イクマ
【2個半】 サダネ・ナズナ・ナス子・トビ
【1個半】 シオ
【1個】 キトワ・ツジノカ
【0個】 アネモネ
増えて、いるのはいいのだけど…。恐ろしいのは何故増えたのかいまいち分からないところだな…。サダネさん達なんて。私特になにかした覚えないのに増えてるし…。
「少し気になるのだけど。キトワのハートが全然増えてないのは何故なんだろうね?」
「え?キトワさんですか?」
「うん。ツジノカやシオはそもそも会う機会が少ないからハートが少なくても仕方ないと分かるのだけど。キトワとは会う頻度も高いはずなのに、どうしてだろうねぇ…キトワはアホの子が苦手なのかな?だとしたら由羅には難しいかもしれないね」
困ったねぇ。とわざとらしく眉を下げる時成さんに口元がヒクリとひくついた
少しは人間らしさが見えたかと思えば、小馬鹿にしてくるその様まで、より鮮明に表現してこなくていいんですよ。この野郎……。
わなわなと震える私を気にするでもなくモニターを見る時成さんをいつか思いきり殴ってやりたい…。
そんなことを思っていた私の耳に「最後に由羅は誰を選ぶのかな」と呟く時成さんの声が聞こえてきて…
まるでその言葉が矢にでもなったかのように、私の胸にズキッと刺さった……!
さきほどまで、腹を立てていたのに…時成さんの他人事のような、そのたった一言のせいで…今はもう胸が痛い……。
腹が立ったり、不安になったり、苦しくなったり…。時成さんの前では感情の歯止めなどきかなくなって…。私は私を制御できなくなってしまう…。
いい加減これはなんなのか、と困惑していた時「いいことを思いついた」と時成さんが私に振り返った
「ハートを増やすためにも、明日から由羅にはキトワの補佐をしてもらおうか」
「……え゛っ……?き、キトワさんの補佐ですか?」
「うん。あと、ハートの少ないシオとキトワの好物でも教えてあげようかな。今日の夕食にでもあげてみなさい。」
ハートが増えるかもしれないからね。となんだか急にサポートキャラっぽい発言をした時成さんにメモを渡されて、私はとても複雑な心境になりながら「ありがとうございます」とそれを受け取った
善は急げとばかりに、屋根裏から下りてキトワさんへの連絡を旅館の人に指示する時成さんをぼんやりと眺める
その左手には、しっかりと黒革の手袋がされていて
黒くなっていた二本の指は石のようにピクリとも動いていなかった
「キトワの都合に合わせるけど、今日中にはこちらに来るよう伝えておいて」
「はい。かしこまりました。」
丁寧に頭を下げる旅館の女中さんは、時成さんのその異変に気付いてすらいないようだった
(あ、いま…なんとなく、わかった…)
私の中の光が消えると共に『時成さんが消えなくてもすむ方法』がもし、あったとしても……
この人はきっと、教えてくれはしないだろう…。
だって時成さん自身が、それを望んでいない…。
(あぁ、どうしようもないな…)
漠然と悟ってしまった私の頬に
一雫だけ涙が流れた…。
時成さん…
いい加減私にも、あなたが何者なのかーー
分かってきた気がするんですよ……。




