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「離婚してほしい」〜美しい旦那様は今日も己の心に嘘をつく〜

作者: もちまろき



「…アメリア、僕と離婚してほしい」


 夜半、夫婦の寝室にそろっと入って来た夫サイラス・ジョーンズが言った言葉に、アメリアははぁとため息をついた。



「今度はどこのどなたですの?」


「その…テイラー男爵家のマリー嬢なんだ。」


「まぁ、テイラー家と言えば事業で失敗して財政が火の車と噂の…。そういえば先日の夜会にはテイラー家の方々も参加してましたわね。」


「そうなんだ。

友人達への挨拶回りで君と少し離れた時に、僕の不注意でマリー嬢とぶつかってしまって…。

彼女が持っていたワインがドレスに溢れてしまったんだ。

すぐに謝ってドレスの弁償をさせてほしいと申し出たんだけど、マリー嬢は自分も不注意だったからと受け入れてくれなくてね。

どうしようかと途方に暮れていたら、それならば観劇に行ってみたいと。」


「観劇?もしかしてフェリーチェの泉を見に行かれたのですか?」


 最近王都で流行っている『フェリーチェの泉』という劇。

身分差のある男女が偶然出会い、恋に落ち、数々の障害を乗り越え結ばれるストーリーは特に若い令嬢達に刺さるようで、連日チケットは売り切れだと聞く。


「よくチケットが取れましたわね。」


 サイラスは気まずげに目線をウロウロとさせ、

「あぁ、その…ジョーンズ家の名前を出したんだ。今回は僕のせいでドレスをだめにしてしまったし、マリー嬢がそれで気が済むのならと思って…。」


 劇的なロマンスの観劇を2人で見に行ったところを顔見知りに見られ、2人が叶わぬ恋に燃え上がっているとあらぬ噂を立てられていると言う。


 ごめんよ、また君に迷惑をかけてしまって。と俯くサイラスの頭に垂れ下がった犬の耳が見えるようで、アメリアはこれ以上サイラスを詰める事ができなかった。


(結局いつも、許してしまうのよね)



(だって、だって……お顔がこんなにもイイのだものっ!!!)






◇◇◇




 

 サイラス・ホワイト子爵令息とアメリア・ジョーンズ侯爵令嬢の結婚は1年前、両家の事業提携のために成された。


 ホワイト家は弱小子爵家として目立たない存在だったが、2年ほど前領内に聳え立つ山から鉱石のカケラが発見された。


 しかし発掘には人材も費用もべらぼうにかかる。どうしたものかと思案しているところに話を聞きつけて融資の提案をしたのがジョーンズ家だった。


 ジョーンズ家は歴史ある侯爵家として名の知れた名家であるが、これと言った特産もないことから、近年ではジリジリと他家の隆興に脅威を感じていた。


 ここらで一度存在感をアピールしておきたいと思っていたところ、出入り商人の噂話からホワイト領の鉱山の話を知り、入念な下取りの元採算がとれると判断し資金提供と共同事業を申し出たのだ。


 鉱山の発掘となると一大事業ということもあり、両家の結びつきを確かなものにするために急遽縁談をまとめることにした。


 そうしてジョーンズ家の末娘のアメリアがホワイト家長男のサイラスのもとに嫁ぐこととなった。




 

「初めまして、本日はお時間をいただきありがとうございます。サイラス・ホワイトと申します。」


 初めての顔合わせでにっこり微笑むサイラスを見たアメリアは、ドバーンと雷に打たれたかのような衝撃を受けた。


 (噂には聞いた事があったけれど、なんて美しいお顔でしょう…!!これはおかわり三杯いけるわね…)



 何を隠そう、アメリアは無類の「美しいもの好き」だった。


 幼い頃から美しいものが大好きだった。

両親に買ってもらったキラキラ光る髪飾り、王都で評判の美しい装飾のお菓子、刺繍の得意な侍女が作る美しい紋様のハンカチ、美しい夕焼けの景色、そして勿論美しい人に対しても。


 サイラスは、透き通ったアクアマリンの瞳にこれでもかと陽の光を反射する金の髪、スッと通った鼻梁に品の良い形をした口元。


 王族にも引けを取らないのではないかと思える美貌を持つ青年で、間違いなくこれまでの人生で出会った人々の中で群を抜いて整った顔立ちだった。


 (あぁ、天使かしら、妖精かしら!!この方が私の婚約者になりやがては夫になるなんて…こんなに美しいお顔を近くで見つめられる人生ってなんて素敵なの!!)






 アメリアは無類の「美しいもの好き」だった。

…そして、美しいものを目にすると少々脳内が残念になってしまう「隠れオタク」女子だった。




 アメリアの脳内では神々の祝福のようなファンファーレが鳴り響いていたが、これまでの18年、由緒ある侯爵家で厳しく躾けられた淑女の仮面を崩す事なく品のある微笑みで答えた。


「アメリア・ジョーンズと申します。こちらこそ本日はお会いできて嬉しいですわ。」




 その日は2人でお茶を飲みながらお互いの事をゆっくりと話した。


 (語り口は優しいし、とても穏やかそうな方ね。それになんと言っても顔がいい……!!)


 くぅ!っと悶えそうになるのをグッと堪え、初顔合わせを無事に終えた。



 アメリアはその夜すぐさま父親にサイラスと結婚したい旨を伝えた。

 アメリアの鼻息の荒さに僅かに引いた父だったが、アメリアの美しいもの好きを密かに知っていたため

(これは、サイラス殿の美貌にやられたな…)と気付いた。

まぁ、将来の夫を気に入ったと言うならば言うことはない。


 幸いにもサイラスもアメリアに好印象を抱いてくれたようで、婚約からの結婚はトントン拍子に進んだ。






1年の婚約期間を経て結婚、今は結婚して約1年が経つ。

 夫婦仲は良好で、サイラスは結婚してからも穏やかで優しくアメリアを守ってくれるし、アメリアは美しいサイラスを間近で見られて眼福の日々を送っている。






 

 そんな中、初めて暗雲が立ち込めたのは結婚してわずか3ヶ月の頃だった。


「…アメリア、離婚してほしいんだ…。」


 深く目線を下げながら唐突にそう告げた夫にアメリアはきょとんとした。


「サイラス様、突然何を仰っているのです?」


 もごもごと言いづらそうにしていたサイラスだが、辛抱強く聞いていくと申し訳なさそうに口を開いた。


「実は、この間隣の領に視察に行っただろう?その時に領主の娘さんが宴会でお酌をして回っていて。僕のところにもお酌に来てくれたんだ。

それで、そんなに飲んだつもりはなかったんだけど不覚にも酔い潰れてしまったみたいで…その晩の記憶が曖昧なんだけどね、

翌日その娘さんに声をかけられて、昨日の言葉を本気にしていいですか?って聞かれたんだ。」


「昨日の言葉?何を言ったんですか?」


「それが、その…。娘さんに一目惚れしたと、こんなに美しい人に出会ったことはないと言って、その……キスを、したみたいなんだ。」


 そう言うとサイラスはこの世の終わりかのような顔で項垂れた。


「本当にごめんよ、アメリア。

記憶には全くないんだけど、強くそう言い切られてしまって…。

お酒を飲んでいたのは事実だし、実際記憶も曖昧だから僕が何を言っても聞き入れてもらえなくて。

 君と言う妻がいながら他の女性に愛を囁いてキスをするなんて、君の夫である資格はもう僕にはない…。」


 そう言うとサイラスはポロリと涙を溢した。


 


 アメリアは突然の夫の浮気疑惑に呆気に取られ悲しみとも怒りともつかない感情が湧き起こっていたが、サイラスの涙を見てグツグツと煮えたぎりそうになっていた感情の波がスンっと引いていくのを感じた。


 (こんな時でさえ顔が…顔が良すぎるっっ!!涙を流す姿さえ神の作りし芸術だわ…!)


 それに、よくよく考えるとおかしな話だ。


 サイラスはそもそも普段から大してお酒は飲まないし、悪酔いしたり記憶を無くしたりすることもない。

 しかも視察先でそこまで酩酊するような飲み方をするなんて考えられない。


 (それに、自惚れでなければ私を妻として心から慈しんでくれている、と思う。)


 婚約した当初はこんなに美しい人から愛されるなんてありえるのかしらと思っていたが、サイラスは誠実でそしていつでもアメリアを大切にしてくれた。


 気が優しく穏やかなサイラスは恋や愛など直接的な言葉はあまり言わないけれど、アメリアに向けられる静かな愛情を日々感じていた。


 (そのサイラス様が初対面の領主の娘に愛を囁く…?考えられないわ。)



「事情はわかりましたわ。ですが、あまりにも突然で、しかも不可解なところが多すぎます。私の方でもその晩何があったのか調べさせていただいても宜しいですか?」


「あぁ、勿論だ。アメリア、迷惑をかけて悲しませて、本当にごめん。」



 

 翌朝、アメリアは早々に実家の父に連絡を取って侯爵家お抱えの諜報員を借り、件の領主邸に紛れ込ませ情報を探らせた。


 そうして分かったのが、領主の娘は大人しそうな外見とは裏腹に大層な男好きで、これまでも出入り商人や男爵家のような末端貴族と度々夜のお遊びに精を出していたとのことだった。


 例の夜も、お酌で近づいた時にサイラスのグラスに弱い睡眠薬を入れ酩酊させていた。

睡眠薬を購入させたり、サイラスの気を引くために協力させた使用人から証言が取れた。


 侯爵家の名前を出し領主に正式に抗議をすると、領主は娘のしでかした事を知らなかったようで、真っ青になって謝罪をしに来た。


 娘を問い詰めたところ、サイラスの美貌に一目惚れし、あわよくば男女の仲になろうとしたこと。

 既成事実を作ろうとしたが、酩酊しながらもサイラスはさっさと客間に帰り鍵をかけて寝てしまったようで、実際は何もなかったこと。

 それでも諦めきれず、サイラスがキスをしてきたと嘘をつき、そのまま関係をもてれば万々歳と思ったこと。


 領主はそこまで語ると項垂れ、娘は修道院にやります、と土下座した。


 サイラスとともにその話を聞いたアメリアは、娘の処罰については口を出さないが、次同じような事があったらホワイト家もジョーンズ家も黙ってはいないと静かに圧をかけた。


 (私の美しい旦那様を泣かせたのだもの。責任はきちんと取ってもらわないとね。)


 




 その夜、サイラスは改めてアメリアに頭を下げて謝った。


「今回のこと、僕に隙があったからこんな事になってしまった。何もなかったとはいえ、君を傷つけて本当にごめん。」


「サイラス様は貶められそうになった被害者ですもの。もうそんなに謝らないでください。」


「アメリア、ありがとう。

…その、きちんと言えていなかったけど、僕は君と結婚できて幸せだよ。」


 うっすらと頬を染めてそう言ったサイラスを見て、アメリアは不覚にもドキッとし、そんな自分に困惑した。


 (もう私ったら、ドキッてなによ…!今までサイラス様の美しさにキュンキュンした事は数知れずだけど、こんなに胸が高鳴ったのは初めてかも…)






 その後も夫婦仲は穏やかに過ぎて行ったが、サイラスが女性からのトラブルに巻き込まれることは止まなかった。


 既成事実を作ろうとしたり、外堀から埋めようとしたり、ハニートラップを仕掛けられたり。

 既婚者になって尚、サイラスの美しさにのぼせ上がるレディは後をたたないが、アメリアからしたら仕方ないことかも、とも思う。


 (だってこの美貌。神の領域だもの。)


 事件が起こる度にサイラスは顔を真っ青にしてアメリアに謝り、アメリアに僅かでも火の粉がかかりそうな時は「離婚してほしい」と言うが、アメリアからしたら「サイラス様の気持ちが動いたわけでも実際に不貞を犯したわけでもないのに、はて、離婚?するわけなかろ」という気持ちでいつもいなすのだった。





◇◇◇




 それでも、こう頻繁に問題が起きるのは大変疲れるし、流石のアメリアも離婚を何度も口に出されるのは堪えるものがあった。


「ね、サイラス様。結婚してこの1年、こう言った事が何度かありましたね。

 そしてサイラス様が離婚を口に出したことも複数回。

 私達はよい関係を築けていると思いますし、その、自分で言うのもなんですがサイラス様は私を大事にしてくださっていると感じておりましたので、今までは取り合ってきませんでした。

 でも、そう思っていたのは私だけなのでしょうか?

…サイラス様は、本当に心から私と離婚されたいと思っていらっしゃるの?」



 そう口にすると、不意にアメリアの目からポロッと涙が溢れた。


 (いやだわ、泣くつもりなんてなかったのに…どうしてかしら。サイラス様のお言葉を想像すると胸がこんなに苦しいわ)



 もしも本当に離婚となりサイラスと離れることになったら、この美貌を間近で見ることは叶わなくなる。

 それは非常に悲しいし残念だ。


 けれど、アメリアの目と心を楽しませてくれる美しいものは他にも沢山ある。

それこそお菓子だって、ドレスだって、刺繍だって、景色だって…。


 それなのに、アメリアはサイラスと離れることを考えただけで張り裂けそうに胸が痛む。


 (なんでかしら…)


 


 そう思った時に、アメリアはようやく気付いた。天啓のようだった。




 (…あぁ、私はサイラス様を愛しているのね。)



 美しさとは見た目だけではない。殊人に関しては、その為人や仕草、優しさや強さ…全てが組み合わさり「美」なのだと感じた。


 そう感じさせてくれたのはサイラスだった。

いつもアメリアを見つめる温かい目、語りかける優しい声、共に寝るベッドの上でふわりと抱き寄せてくれる思いの外力強い腕。


 言葉がなくても「愛されている」と感じさせてくれた。




 (離れたくない。この「美しい人」から。)






「あなたを愛しています。」





 そう言った瞬間、強い力で腕を引かれあっという間にサイラスの胸の中に抱き込まれていた。


「サイラス様…」


「アメリア、僕の言葉が足りないばかりに、君を傷つけ続けて本当にごめん。


…僕も君のことが大好きだ。心から愛している。口下手で、こんな気持ちは初めてで、なんと言って伝えればいいのかわからなかった。


 いつもいつも君をギュッと抱きしめて、キスをして、抱き合って、他の男の目なんかには触れさせたくないと思っていたけれど、自分にはそんな資格はないと思っていた。

 あまりにがっついて君に嫌われるのも怖かった。」




 


 そうしてサイラスは、己の心のうちを隠さずアメリアに話した。


 サイラスの両親は典型的な政略結婚で、美麗な見目をしていた父親は外に何人も愛人をつくって家庭を顧みなかったこと。

 母親はそれに心を痛め、徐々に心を壊して行ったこと。

 父親そっくりの美しい顔をしたサイラスに「美しさは破滅を招く。お前の父親があんなに美しくなければ…。お前がこんなに美しくなければ…。お前もいつか私と同じように不幸になる」と呪詛のように繰り返したこと。




「顔合わせで君を初めて見た時、なんて美しい人だろうと思ったよ。見た目も勿論だけれど、君のキラキラ輝く瞳に魅了されたんだ。

 君はとっても楽しそうだった。楽しそうに、嬉しそうに僕をまっすぐ見つめていた。

 君の目に映る世界はどんなに輝いているんだろうと興味を持ったよ。」


 「それから君と一緒に過ごしていくうちに、淡い気持ちが徐々に根を張って大きくなっていくのが分かった。

 君の明るさに、物事を見るそのまっすぐな姿勢に惹かれる心を止めることはできなかった。


 でもそれと同時に、君のような輝く人の隣に自分がいていいのかと感じるようになった。

僕は不幸を呼ぶ人間だ。実際色々なトラブルに合っているし、そこに君だけは巻き込んではいけないと…。巻き込むくらいなら離れるべきだと…。」



 そう言うと、一層強くアメリアを抱きしめた。


「…でも、やっぱりダメだ。君と離れるなんて出来ない。そんな事をしたら僕は息もできなくなるだろう。


 君を離してやれない僕を許してほしい。

愛してる、アメリア。こんな僕だけれど、どうかこれからも永遠に一緒にいてくれないだろうか。」



 アメリアはその言葉を聞くと、カタカタと震えるサイラスの体にギュッと腕を回した。



 この人の心が初めて分かった気がした。私を見つめる瞳がなぜあんなにも温かかったのか、本当の意味で分かった気がした。

この美しいひとの孤独な心に触れた。

 

 その瞬間胸にあたたかな想いが溢れ、全身を駆け巡った。



 (神様、この美しい人を私の人生に与え賜うて下さりありがとうございます。)




「勿論です、愛する旦那様。あなたの"美しさ"は私をこんなにも満たしてしてくれます。私は"幸せ"ですよ。」




◇◇◇




 その後のホワイト子爵夫妻の仲睦まじさは社交界でも有名で、子世代・孫世代まで脈々と語り継がれた。


 お互いを「私の(僕の)美しいヒト」と言って憚らないホワイト子爵夫妻の名は、比翼の翼、連理の枝の代名詞となった。


 あまりの仲睦まじさにちょっかいを出す女性もあっという間にいなくなり、夫妻の幸せな日々は末長く続いた。

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