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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

【改題】悪役王女の数奇な嫁入り 〜契約結婚でもいいですが、そのうち後悔すると思いますよ?〜【短編版】

作者: 三毛猫かりん


【旧題】敵国から嫁いできた悪役王女……のつもりだったのですが、めちゃくちゃ大事にされている上に、契約結婚になるようです。




 落ちこぼれで、呪われた第三王女。


 生まれたときから、それが私の立場だった。



   ~✿~✿~✿~


 私はヴィオレッタ=フォン=ヴィンセント。


 国王である父ヴィルクリフ=フォン=ヴィンセントと、父に()()()()にされた侍女ケイトの間に生まれた子だ。


 私の存在は醜聞であったらしく、生まれたときからその存在は無碍に扱われてきた。


 母は物心ついた頃から、そばに居なかった。


 育てたのは使用人達。

 一日三食、固くて小さなパンに冷えたスープを与えられた後、放置される。

 礼儀作法もわからず、人に話しかけると、嫌な顔をされる。それだけならまだいいほうで、ひどいときは突き飛ばされることもあった。


 だから、私は庭の隅で、誰にも見つからないように過ごしていた。


 空からやってくる鳥、木々のざわめき、草の唄に耳をかたむけながら、ただひたすらに時が過ぎるのを待つ。

 王宮内の噂話をぼんやりと聞きながら、それを話す人もなく、ただひたすらに生きているだけの日々を過ごしていた。


 ここに居る意味は、よくわからない。

 よくわからないけれども、鳥のように私には翼もなくて、猫のように牙もなくて、木々のように目を塞ぐこともできない。

 だからきっと、私はここに居るのだろう。


 そう思って過ごしていたある日、私に声をかけてきた人がいた。


「……あなた」


 木にもたれかかっていた私は、ゆっくりと顔を上げて声のしたほうを眺めた。


 ガリガリに痩せ細りながら庭の隅で固まっていた私に声をかけたのは、金髪碧眼の小さな女の子だった。

 いや、私のほうが小さいのだから、小さな女の子と言っては失礼だろう。

 けれども、その当時の私には鏡を見るという習慣がなくて、だから比較対象は視界に入る大人達しかいなかったから、その三分の二ほどしか背丈のない彼女はやはり、『小さな女の子』でしかなかったのだ。

 歳の頃は、十歳を過ぎた頃合いだろうか。


 キラキラしたまぶしい服を着た彼女は、たった一人で私の前で仁王立ちしていた。

 私を見た後、にわかに青ざめ、手が震えているような気がする。


「あなた、こんなところで、何をしているの」


 聞かれた言葉に、私は答えなかった。


 そう言った彼女が、とても綺麗だったからだ。

 私の視界の中で一番綺麗なのはこの子だなあと、ぼんやりと眺めるのに忙しくて、答えを返す暇がなかったのだ。


 そうして私が黙っていると、その子は怒ったような顔で、「何をしているのって、聞いてるの!」と叫んだ。

 これは答えを返さなければならない流れか。


「……わ……」


 私は、と言おうとして、喉が絡んで咳き込んでしまう。

 そういえば、私はずいぶんと長い間、声を発するということをしてこなかったかもしれない。

 何度か話をしようとし、けほけほ咳き込む私に、その小さな女の子はさらに青ざめていた。


「も、もういいわよ! こちらに来なさい!」


 女の子は私の手を引いて、王宮の中に入っていった。

 そこは煌びやかな部屋で、大きくなってから思い返すと可愛らしさもあるのだけれども、その可愛らしいさを感じ取ることはこのときの私には難しかった。


 部屋の入り口で身を固めている私に、彼女は不審そうな目を向けてくる。


「何してるの? こっちに来なさいよ」

「……」

「何か問題があるの?」

「汚し、たら、あの」


 怒られるから。


 最後まで言わなかったその言葉を正確に読み取った彼女は、苦虫を噛み潰したような顔をする。


「王女のあなたが部屋を汚して、誰が怒るって言うのよ」

「……みん、な」

「あなたの周りにいるのなんて、使用人達ぐらいじゃない。片付けるのが彼らの仕事でしょう!」

「……」

「もう、いいわ。ほら、これを食べて、飲んで」

「……?」

「あなた、このままお風呂に入れたら倒れちゃいそうじゃない。先に少し食べなさいよ」


 机の上に用意されているのは、サンドイッチのようだった。ハムときゅうりの挟まれたそれが、キラキラした装飾のついた真っ白なお皿の上に、五切れほど置いてある。

 隣にはコップが一つと、レモンの浮かんだ水の入っている水差し。


 あんまり綺麗なお皿に載っているので、手を出しづらくて、ただひたすらお皿を見つめていると、女の子は「いいから、席につきなさい」と私を椅子に座らせた。


 そのまま動かない私に痺れを切らしたのか、彼女は私の目の前でコップに水を注ぎ、その場で飲み干す。


「これで、心配ごとはなくなった?」


 眉根を寄せる彼女に、私は首を振った。

 どうやら彼女は、私が毒を疑っているとでも思ったらしい。


 恐る恐る、彼女が机に置いたコップに手を出し、水を注いで一口飲む。


 レモンの入った水は、あんまり美味しくなかった。

 でも、それを言うと怒られる気がしたので、私は口をつぐみ、もう一口水を飲む。


 喉が潤ったので、少しは声が出そうな気がして、私は女の子に話しかけてみた。


「あの」

「……何よ」

「みんな、あなたのこと、好きだから。お水も、危なくないって、聞いて、知ってる」

「みんな?」

「いっぱい、いる。風にも、水にも、木にも」


 どうしてだろうか、女の子の顔色がさらに白くなっていく。

 でも、とりあえず、これを言わなければ。


「お姉ちゃん、ありがとう」


 それが、第三王女の私と、姉さま――国王と第一王妃の血を継ぐ正当なる王位継承者、第一王女アイリス=フォン=ヴィンセントとの出会いだった。

 当時八歳と、十歳の少女の邂逅である。


 

   ~✿~✿~✿~


 それからというもの、アイリス姉さまは、私の世話を焼くようになった。


 私を家来のように常に連れ歩き、便利な小間使いとして命令を出す。

 私が着ている服は姉さまのお下がりか、姉さまよりも一段も二段も粗末なもの。


 ただ、食事のマナーがなっていないと遣いづらいと言われ、いつも姉さまと食卓を囲っていた。

 お客様の相手をするときも、勉強をするときも、ずっと姉さまのそばにいるように言われ、そのとおりにしていたので、勝手に知識が頭に入ってきた。


 たまに、「私にもストレス発散が必要なの」と言いながら、アイリス姉さまは人払いをし、私と二人きりになる。

 そうして、姉さまは自分の服を取っ替え引っ替え、私に着せるのだ。

 姉さまの服は装飾が多く、着替えるのは大変なのだが、姉さまが楽しそうにしているから、きっとこれは楽しい時間なのだろう。


 そうして、第一王女の腰巾着として育った私が十八歳になったその年、ヴィンセント王国と最も仲の悪い隣国マグネリア王国から使者が来た。


 使者が持ち込んだのは、両国の融和のために、マグネリア王国の王子とヴィンセント王国の王女の婚姻を結ばないがとの提案だった。


 議会の場は紛糾した。


「なりません! 憎きマグネリア王国と融和など!」

「マグネリアの男は野蛮で奔放だと言います。そのような場所に、我が国の王女を差し出すなど、笑止千万」

「しかし、婚礼費用としてゼディア鉱山の採掘権を十年分譲渡するとある。これは切り捨てるのは惜しい利権です」

「我が国の王女を差し出した場合、その扱いはひどいものであることは想像に易い。暗殺されでもしたらどうするのです」

「――それを理由に、攻め入ればよいだろう」


 そう告げたのは、この国の国王、ヴィルクリフ=フォン=ヴィンセント。

 この国の主人は、この縁談を受け入れるつもりなのだ。

 であれば、家臣達はそれに従うより他はない。

 反対派の家臣達は、青ざめた顔をしている。


「……ですが、王女方のうち、一体誰が」


 この国には三人の王女が居る。


 第一王妃の子にしてこの国の王太子、アイリス第一王女。

 第二王妃の子であるイルゼ第二王女。

 そして、第三王女である私、ヴィオレッタである。


「第一王女が行けばよい」


 その冷たい声音に、言われた内容に、アイリス姉さまの体がビクリと強張る。


 その冷たくも粘着質な何かを孕んだ声の主は、第二王妃のミラベルだ。

 第一王妃の唯一の子であるアイリス姉さまを、いつも目の敵にしている人。


「この国には、我が息子ウィリアムと娘イルゼがおる故、後のことは任せるがよい」


 シン、と静まり返った議会の場に、アイリス姉さまは苦虫をかみつぶしたような顔をする。


 この国の第一王妃は、この場には居ない。

 ずっと眠り続けているのだ。


 ここ十年以上、王を支えてきたのは第二王妃と第三王妃。

 特に、第二王妃ミラベルの言葉に逆らうことのできる者は少ない。


 アイリス姉さまはいつだって頑張っているけれども、まだその根回し、権力的背景は第二王妃ミラベルに及ばない。

 なので、基本的にアイリス姉さまが第二王妃ミラベルの意見をねじ伏せるためには、理屈で押さえつける必要がある。


 しかし、この件は、アイリス姉さまには分が悪い案件だ。

 一見、王太子であるアイリス姉さまを嫁がせるのは愚行にも思われる。

 しかし、アイリス姉さまは第一王妃が不在で後ろ盾が弱いので、姉さまが隣国に嫁ぎ、第二王妃の子である第一王子ウィリアムに王太子を譲るほうが国が安定すると思っている勢力もいる。


 第二王妃ミラベルを、理屈で制するのは容易ではない。


 この場で第二王妃ミラベルの意見を覆すならば、権力にものを言わせるしかないのだ。

 そしてそれができる人物は、普通に考えるならば、ただ一人。


「お父様は、それでいいのですか」


 アイリス姉さまも、そのことをわかっているのだろう。

 姉さまは立ち上がり、毅然と首をあげて父王に物申した。


 しかし、自身の最初の子である第一王女に対して、国王ヴィルクリフは暗い視線を投げる。

 そこに込められている黒い感情に、私は目を伏せた。


 どうやら、第二王妃ミラベルに物申すことができる唯一の人物は、口を出す気はないらしい。


 硬く握られているアイリス姉さまの右手を見ながら、私はその場で立ち上がった。


「わたくしが嫁ぎます」


 頭から黒いヴェールを剥ぎ取り、その場で姿を見せた私に、議場はざわめいた。


 いつも私は姉さまの後ろを歩くとき、上半身を隠すような黒いヴェールをして過ごしていた。

 私の姿を見ると、苦い顔をする人が多かったから。


 けれども、今はその人を威圧する雰囲気を出すべきときなのだろうと思ったのだ。

 物は使いようだ。


 今も、私を見て皆が蒼白な顔をして黙り込んでいる。


 黒髪に長いまつ毛、大きな紫色の瞳。

 この国では忌避される肉付きのいい体に、ぽってりとした唇。


 毒婦と罵られた第一王妃の侍女ケイトの娘。

 国の醜聞を体現した、落ちこぼれの第三王女ヴィオレッタの姿に、皆が慄いている。


「わたくしが、隣国マグネリアに嫁ぎます。……呪われた子であるわたくしを、自国から追い出し、マグネリア王国に送り付ける。我が国は、婚礼費用としてゼディア鉱山の採掘権を手に入れる。王太子をアイリス姉さまから変える必要もない。皆様も満足の結果ではございませんか?」


 周囲を見渡すけれども、誰も異を唱えない。


 呪われた子。

 そう、ここに居る者達は皆、私のことを呪われた王女だと思っているのだ。


 だから、隣国に嫁がせる王女の話をしている最中、誰も私の名前を出さない。


 居ないものとして扱われる存在。禁忌の子。

 それが私、王女ヴィオレッタなのだから。


 ふと、父であるはずの国王ヴィルクリフを見ると、こちらもまた苦虫をかみつぶしたような――いや、激しい怒りに身を焦がさんばかりの目でこちらを見ていた。


 あと一押しか。


 私はそっとアイリス姉さまに身を寄せ――姉さまに触れないものの、お父様から見ると、寄り添っているように見える角度で――ゆっくりと瞼を上げ、上目遣いで国王を見ながら、口を開いた。


「わたくしを……()()()()引き剥がしたほうが、お父様のお心に沿うのでは?」

「――貴様! 所詮は魔女の娘か!」


 会議机を殴る音に、議場に居る一同は視線を逸らす。

 そして、アイリス姉さまは、驚きのままに私を振り返った。


 小さな頃はわからなかったけれども、今の私は知っているのだ。

 私が憎まれ、それだけではなく、腫れ物に触るような扱いを受けている理由を――アイリス姉さまが知らないそれを、知っている。


 国王を動かすには、私が受けてきた苦役の要因、その逆鱗を、ほんの少しなでてやるだけでいい。


「お父様も、異論はないようですね」

「ヴィオレッタ!? 何を……お、お父様、お待ちください!」

「この女狐が、どこへなりとも行け!!」


 アイリス姉さまの静止も虚しく、会議は終了した。

 静まり返った議場の中、国王だけが大きく音を立てて立ち上がり、その場を去っていった。


 青ざめて立ち尽くすアイリス姉さまの横で、私は肩をすくめて再度席に着く。

 その様子を、第二王女イルゼは退屈そうに横目で見て、欠伸をした。



   ~✿~✿~✿~


「なんてことをしたの!」


 その後、アイリス姉さまは魔王のような顔をして私の手を掴むと、自室に私を引き連れていった。


「いつもと違って、着飾っていると思ったら!」

「第二王子が、今日はそういう話し合いだと言っていた」

「あなた、まだあんな奴と話をしてるの!?」

「私からは近づかない。でも、第二王子エクバルトは私の体を触りたがるから」

「――だから近づかせるなって言ってるでしょう!!!」


 ヴィンセント火山のように噴火したアイリス姉さまに、私は口を閉ざす。

 


   ◇◆◇◆


 第三王妃の子である第二王子エクバルトは、私がアイリス姉さまの後ろを付いて歩くようになってからというもの、何かと私に文句をつけてくるのだ。

 おそらく、第一王妃の子であるアイリス姉さまや、第二王妃の子である第二王女イルゼ、第一王子ウィリアムに頭が上がらない鬱憤を、私にぶつけているのだと思う。


 その文句の種類が変わったのは、数年前のことだろうか。

 私の体に肉がつくようになり、エクバルト兄さまはそれに対して一々、「だらしない体つき」だと嫌味を言うようになっていた。

 私の体は、アイリス姉さまのような弓張月と評される美しい体つきではない。

 そんなことは、アイリス姉さまの着せ替え人形ができなくなってしまったことで、とうにわかっている。

 しかし、あの次兄は私を貶めるために、そうなじってくるのだ。

 黒い髪も、紫色の瞳も、肉ばかりがついた体も、下賤な本性の表れだと罵倒してくる。


 ただ、たまに()()()()()()こともあり、流石に困ってアイリス姉さまに相談したところ、アイリス姉さまの目が吊り上がり、その日以降、第二王子エクバルトはアイリス姉さまの目の前では話しかけてこなくなったのだ。


 姉さまの目を忍んで接触をしてくるようになっただけなのだが、私はアイリス姉さまにいつもベッタリくっついているので、被害は格段に少なくなった。


 そして、奴はこのたび、大変いい情報を私にもたらした。

 アイリス姉さまが隣国に嫁がされそうだという、今回の件である。


「お前、アイリスを野蛮なマグネリア王国なんぞにやりたくはないだろう。会議の場で、代わりに嫁ぐって言えよ」

「……」

「なんだよ」

「そんなに、アイリス姉様が居なくなったら困る?」


 私の言葉は、どうやら図星だったらしい。

 エクバルトは、カッとした様子で私を睨むと、勝手に私の胸を強く掴み、「このデブが!」と叫んで去っていった。

 不快だし痛かったけれども、情報の内容もタイミングも素晴らしかったので、今回のみ許すことにした。


 第一王妃の子であるアイリス姉さまが居なくなれば、この国は第二王妃ミラベルの勢力の天下だ。

 第三王妃もその子であるエクバルトも肩身が狭くなることは目に見えている。

 エクバルトがあれほど焦るということは、よほど第二王妃が官僚達を押さえ込んでいるのだろう。


 というわけで、アイリス姉さまの嫁入り話を事前に知っていた私は、身勝手にも、それを単独で邪魔したのである。



   ◇◆◇◆


「ヴィオレッタ。いいから、お父様にもう一度掛け合いなさい。あなたがマグネリアに行くことなんてないのよ!」

「それで、アイリス姉さまが嫁ぐの?」

「そ、それは……」

「マグネリア王国の男は野蛮だって」

「――私は、こんなことを押し付けるために、あなたを拾ったんじゃない!」


 叫ぶアイリス姉さまに、私はなんだか胸がムズムズするような、不思議な感覚を覚えた。

 よくわからないその感覚を、目をぎゅっとつむり、押さえ込む。


 それはそれとして、そういえば、そろそろ伝える時かもしれないと、私は思い立つ。


「アイリス姉さまが私を拾ったのは、姉さまのお母さま――第一王妃を、目覚めさせたいからでしょう」


 その言葉に、姉さまがサッと青ざめる。

 私は、ああ可哀想だなと思った。


 この十八年間、眠り続けている第一王妃クリスタ。

 彼女は、その侍女ケイトが私ヴィオレッタを生み落とした数日後に、夫である国王ヴィルクリフに刺されたのだ。

 そして、普通であれば命を落とすはずだった彼女は、魔女の血を引く侍女ケイトの魔法により、その命を繋いでいる。


 命を落とすことは無いけれども、眠り続けている王妃クリスタとその侍女ケイト。


 母に会いたい幼いアイリス姉さまは、魔女ケイトの娘である私に目を付けた。

 私に食べ物を与え、教養を与えていれば、もしかしたらこの妹が気が向いて母を目覚めさせるかもしれない。

 アイリス姉さまはその一心で、私を囲っていたのである。


 しかし、ほかならぬ私がそのことを知っているとは思っていなかったのだろう。


 罪悪感に殺されそうな顔をしている姉さま。

 だから言いたくなかったのだ。


 けれども、しかたがない。

 きっとここを逃せば、伝える機会がなくなってしまう。


「ごめん、姉さま。それは、できない」

「……ヴィオレッタ、あなた」

「だから、私が隣国に嫁ぐ」


 血の気が引き、もはや白くなった顔で立ちすくむアイリス姉さまの碧い瞳を、私は真っ直ぐに受け止める。

 そして、その美しい顔を眺めながら、滑らかな白い頬に手を添えた。


 アイリス姉さまは、強くて、美しくて、とてもよわい。


「私は、姉さまの一番の願いを叶えてあげられない。だから、任せて」


 アイリス姉さまは、その場で泣き崩れた。


 姉さまを泣かせてしまった私は、とても悪い子だ。

 けれども、自分が泣かせたのだと思うと、何か満ち足りた思いもあって、その満ち足りた心のまま、私は姉さまのそばにそっと腰を落とす。


 何か言わなければいけないと思い、ふと、議場で出ていた話題のことを思い出して、口にしてみた。


「私が隣国で殺されたら、アイリス姉さまは助かる?」


 両頬を思い切りつねられた。

 涙でぐしゃぐしゃになったアイリス姉さまに烈火の如く怒られたのは、その二秒後のことだ。

 「こんなに怒られるなら口に出すのではなかった」とポロリとこぼすと、さらに怒られた。

 失態である。


「嫁ぐなら、マグネリア王国を骨抜きにしてきて」

「骨抜き?」

「王太子を落として、王族をメロメロにして、周りのみんながあなたの言うことはなんでも聞いてしまうくらい愛されて」

「……」

「それがあなたの使命よ!」

「自国でもできないのに」


 目の前に大魔王が降臨した。

 だから素直にごめんなさいと謝る。


「ごめんなさいじゃ許さない」

「……」

「ヴィヴィ」

「……頑張り、ます」

「うん」


 頷くと、姉さまはぶわっと涙腺を決壊させて、私に抱きついた。

 細くて柔らかいその感触に、これも最後なのかなと思うと、心に重しを抱えたような気分になる。


 こうして、私は隣国マグネリア王国に嫁ぐことになった。


 その使命は、『王太子を落として、王族をメロメロにして、周りのみんなが私の言うことはなんでも聞いてしまうくらい愛される』ことである。


 そもそも愛されるってことがなんなのか、私にはよくわからないけれども、姉様がそう言うのだからしかたがない。



   ~✿~✿~✿~


 

 こうして、私はマグネリア王国にやってくることとなった。


 供に付けられたのは、なんだか死にそうな老人ばかりであった。


「やぁ、国王様もよぅまたこんな老いぼればかりを集めたもんだぁ」

「あたしゃ、しがない洗濯ババですよ。姫様の面倒を見切れるとは思えないんですがねぇ」

「そう言うけどサァ、マチルダ婆さん。謝礼に目がくらんで片道切符に手を出したのはお前さんだろうに」

「娘夫婦に『子どもの教育には金がかかる』って身売りにされたんだヨォ!」

「何を隠そう、俺も身売りだぞ」

「ジジィババァの身売りたぁ、世の中摩訶不思議だねぇ」

「昔は金の工面といえば、子どもの身売りだったんだけどな」

「世知辛い! いやぁ、世の中、世知辛い!」


 だははは、と笑い声が響く馬車の中、私は一人、黒いヴェールを被ったまま静かに外を見ている。


 この馬車の中には、自称も他称も老いぼれな侍従侍女達が居座っているのだ。

 国王は馬車の数までケチったので、唯一の貴賓用の馬車である私の馬車にも使用人が詰め込まれている。

 使用人用の馬車は安物で尻が痛くなるらしく、使用人達は競って私の馬車に乗りたがった。

 そして、大木の幹のように図太い神経をした彼らは、静かに外を見る私を他所に、世間話に花を咲かせるのである。

 相手は五人、私は一人なので、多勢に無勢。

 私は諦めている。


 ちなみに、護衛達はなんだか三十代の男が多い。

 酸いも甘いもわかったようなプライドの高そうな顔付きの者が多く、私にも老いぼれ組にも話しかけてこない。

 時たま、暗い目でこちらを見てくるのですごくうっとおしい。


 どう考えても、暗殺専用の部隊である。


 あれらは私だけを処理するつもりなのだろうか。

 この自称他称おいぼれ侍従侍女達も巻き添えなのだろうな。

 多額の謝礼金。

 彼らの家族がわかって了承していたのだとすると、鬼の所業である。


 ああ、世の中、世知辛い。

 頭痛が、痛い。


 こうしてたどりついたのは、マグネリア王国の王宮だ。

 寄り道は暗い顔つきの護衛達が許さないのでしかたがない。

 王宮の正門を通るとき、ふと、このマグネリア王国の正門を堂々と通ったヴィンセント王国の王族用馬車はこの馬車くらいかもしれないと思いながら、窓の外をカーテンの隙間からこっそり眺める。


「我々は、ヴィンセント王国より参った。こちら、ヴィオレッタ=フォン=ヴィンセント殿下である!」


 ヴィンセント王国の護衛の兵士の一人が先ぶれの声を上げると、周りから拍手が聞こえた。

 昨日泊まった宿から到着の日時を指定していたので、出迎えがいるらしい。


 しかし、うちの兵士も大概である。

 そんな声を上げたら、すぐさま私が馬車から出てくると皆が期待するではないか。


「よっこいしょ。アァー、やっと着いたヨォ!」


 スンッと拍手が鳴り止んだのが手に取るようにわかった。


 もちろん、最初に馬車を降り立ったのは、侍女のマチルダ婆ちゃんである。

 今日は初めてこの王宮に来るハレの日なので、いつもに比べると着飾っている。彼女は、いじらしいところのある可愛いお婆ちゃん侍女なのだ。


 私は貴賓なので、馬車の一番の上座――つまり、一番奥に座っている。

 馬車から出るのは最後である。


 きっと、マグネリア王国の人達は、マチルダ婆ちゃんを私だと思っているのだろう。

 可哀想に。


「……ヴィ、ヴィヴィアン第三王女殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅう……」


 あ、なんだか可哀想な人達の代表っぽい人の声が聞こえる。

 声が震えている。

 憐れなことだ。


 しかし、婆ちゃん達はめげない、負けない、気兼ねしない。


「あんらヤダァ、素敵な御人じゃぁないの! あたしがあと五十歳若けりゃ、このままお手を取りたいところなんだけどねぇ」

「マチルダさん、あんたそんなに若くなったら、消えてなくなっちまうヨォ!」

「違いねぇ! 違いねぇ!」

「おやまぁ、マチルダさんの言うとおり、本当にいい男! オホホ、目の前を失礼いたしますわね」

「おいおい、この人、王子サマを見て色気付いてるぞ」

「ほら、出てった出てった。後ろがつかえとる」


 五人の使用人達が出た後、王宮入り口は静まり返っていた。


 私は流石に少し悩んだ。

 とんだ登場シーンである。

 なんとか王族っぽさを出さねばならない。

 とりあえず、ゆっくり出ればいいか。


 私は、もったいつけるように、それはそれはゆっくりと馬車から身を現した。


 黒いヴェールを頭から被っているので、姿がはっきり見えるわけではないが、身分の高そうな若い女の登場に安心したのだろう、周りから全力でほっとしたような空気が伺えた。


 特に、馬車の入り口付近にいる一番目立つ若い男。


 アイリス姉様と同じ金髪碧眼の、見目麗しい青年は、ちょっと涙目になりながらこちらを見ていた。

 歳の頃は、二十代半ばほどだろうか。

 瞳が大きく、顔だけなら女性と見間違うこともありそうな中性的な雰囲気の人だ。

 男からも女からも引く手数多だろう。

 もしかして、この人が私の相手なんだろうか。気の毒に。


 私はとりあえず挨拶を済ませることにし、その場でゆっくりとカーテシーをする。


「ヴィンセント王国からやってまいりました、王国第三王女ヴィオレッタ=フォン=ヴィンセントでございます」


 私の挨拶に、ハッとした様子の王子さまは、慌てて口上を述べ始めた。


「ようこそ、ヴィオレッタ第三王女殿下。私はマグネリア王国の第一王子にして王太子を拝命しています、マイケル=ミゼル=マグネリアです。長旅の上、この国まで来てくださったこと、本当に感謝いたします」


 なるほど、これがマグネリア王国の第一王子か。

 野蛮というよりは、線が細くて、むしろ野蛮な男に襲われてしまいそうな美しさがあるけれども……夜になると、野蛮なのだろうか?


 そんな適当なことを考えているうちに、無骨で野蛮な原始人のはずの第一王子は挨拶を終え、私達は部屋へと案内されることになった。


 老いぼれ組は、後ろでやいのやいのと元気にうるさかった。

 誰かに怒られてほしい。



   ~✿~✿~✿~


 それから、マイケルは私を、私の自室となる部屋に案内した。

 割ときれいに整えられた、ぜいたくな調度品の置かれた部屋だった。


「……」

「お気に召しませんでしたか? 本当はヴィンセント王国風の部屋にした方がいいかと思いましたが、にわか知識でそういったことをすると返って恥ずかしいことになるかと、ためらわれまして」

「いえ、もっとこう」

「こう?」


 埃だらけで蜘蛛の巣が張っている部屋をあてがわれるのかと。


 そう思った私の頭の中は、どうやら読まれていたらしい。

 特段何も口に出していないというのに、マイケル第一王子はしばらくわたしを見た後、面白いものを見つけたような顔でにこりと笑った。


「せっかく遠くから来てくださったお嫁さんに、そんなひどいことはしませんよ」

「……」

「さあ、荷物を置いたら、こちらへどうぞ」


 そう言うと、マイケル第一王子はせかすようにして私を部屋の外へ促した。


 長旅後で、部屋に着いたばかり。

 こういうときは、少し休む時間をくれるものじゃないのだろうか。


 私は、自分の連れてきた護衛達を見ながら、そんなことを思いつつ、紫色の瞳で隣に立つ金髪碧眼の王子をちらりと見た。


「何か?」

「いえ」

「ふふ」


 私の視線を受けた王子は、なんだか嬉しそうにくすくすと微笑んでいる。


「ヴィオレッタ様は、とても素直で可愛らしい方ですね」


 どうやら、考えていることがわかりやすいと言われたらしい。

 憮然とした気持ちを隠さずに顔をそらすと、隣の王子はなんだかより嬉しそうな顔で笑っていた。


 だいたい、私のことを可愛いと言うのは、アイリス姉さまだけの特権なのだ。

 姉さましか言う人が居なかっただけでもある。

 とにかく、この男は、女たらしだ。

 間違いない。

 野蛮かどうかはわからないけれども、奔放な人物なのだろう。

 要注意である。



「改めまして、ヴィオレッタ様。このたび私共の提案に乗ってくださったこと、また長旅の上、この国まで来てくださったこと、本当に感謝いたします」


 応接室にたどりつくと、マイケルは私に、これまでの経緯を話し始めた。


 マグネリア王国が周辺国に対して融和策を進めるようになったのは、マイケルの提案によるものであること。

 今回の縁談についても、マイケルが言い出したことであること。


 私のような女が妻になるなんて可哀そうにと思っていたけれども、そんなことはなかった。

 こいつは自分で勝手に縁談を持ち出していたのだ。

 マチルダお婆ちゃんが私なのだと、三ヶ月くらい誤解させておけばよかった。

 失態である。


「あの、本当に申し訳ない。……その、そんなにご迷惑でしたか」


 迷惑でした。


「迷惑だなんて、そんなことはございませんよ。素敵な縁を結んでいただいたこと、この上なく光栄でございます」


 それだけ述べると、私は出されたクッキーをこれ以上ないほどの素早く力強い動きで咀嚼した。

 その圧力に、マイケル第一王子は目を丸くした後、ハハハと笑いだした。


「これは手ごわいお方だ! ふふ、いいですね」

「……?」

「私はあなたが好きですよ。上手くやっていけそうです」


 そう言って、マイケル第一王子は人好きのする笑顔を浮かべた。

 その笑顔に、なんだか覚えのあるような胸の中がむずむずするような感覚を覚えて、私は目をつぶってその気持ちを抑え込む。


 そして、ああそうだと思い、ぱさり、と黒いヴェールをその場に払いのけた。

 ヴェールの下から現れたのは、黒髪に紫色の瞳の乙女。

 肉がたくさんついた体つきに、ぽってりとした赤い唇が特徴的な、悪夢を体現した悪魔のような女である。

 一応、家族になるからには、この品のない残念な姿も見てもらっておいたほうがいいだろう。


 そう思って姿を現したところ、案の定、目の前のおりこうさんな王子さまは驚いたように目を見開いた。

 しかし、目をそらすこともなく、嫌悪の感情も読み取れない。

 うん、悪くない反応だ。

 ヴィンセント王国で忌避されていたことを思えば、マシなほうだと思う。


「これから、よろしくお願いしますね」


 私は表情筋が死んでいるタイプなのだが、ここぞとばかりになけなしの筋力を使ってなんとか顔に微笑みを浮かべる。


 ここではじめて、柔和一辺倒であったマイケル第一王子から返事が返ってこなかった。

 なんだか、私を見て呆けているようにも見える。


 無理に笑ったとはいえ、そんなに怖かったのだろうか。


 まあ、こればかりは持って生まれてしまったものだから、しかたがないと、諦めることにする。



   ~✿~✿~✿~


 それから、私は国王夫妻や、マイケル第一王子の弟達にも挨拶をした。


 なんとこのマイケルという男、弟が四人も居るのだ。

 マイケルは二十三歳で、弟は二十歳、十八歳、十三歳、十一歳。

 何やら、国王マイルズの妻である第一王妃ナサリエと第二王妃ニコラが、交互に男の子を生んだのだという。


 そして、一家が一緒に居る様子を見ると、どうやら国王と第一王妃、第二王妃の関係性は良好のようだ。

 うちの国とは大違いである。


 その後の会食も、なごやかなもので、食事の質も申し分ないものであった。

 不思議なことに、私もマグネリアの王族と同じものを食べた。

 一人だけ切り方が雑にされているとか、量が半分にされているとか、そんなことはなかった。

 遅効性の毒も、多分入っていないと思う。


 マグネリアの食事は、とても美味しかった。

 魚介がふんだんに使われていて、そういえばこの国には大きな湖があったなと思い出す。

 味も、普通の塩味や、甘い味、辛い味とは違って、深みがある気がする。

 ヴィンセント王国のものと、何が違うのか、うまく言葉にできない。

 けれども、とても美味しい。

 つい、必要最低限のことを話す以外はもくもくと料理を食べてしまい、気が付くと、周りの皆がニコニコ微笑みながら私を見ていた。

 どうやら、私が料理を気に入っていることがバレてしまったらしい。

 ちょっと恥ずかしかったけれども、そこそこに会話もしていたし、マナー違反はしていないはずだ。

 美味しいワインのお代わりをしてその場を濁しておいた。


 食後に与えられた私室に戻ったところ、その日のうちに、私の周りはマイケルの用意した使用人達で固められていた。

 老いぼれ侍従侍女達は、それぞれの適職に配置されたらしい。

 お婆ちゃん達は私の侍従侍女は荷が重いと言っていたし、配慮されてよかったねと素直に思う。


 ちなみに、マイケルにあてがわれた使用人達は、私を粘着質にいじめてくるのかと思いきや、優雅で優しい人達だった。

 私が暇そうにしていると本を用意してくれるし、マグネリア王国に関する軽い会話を提供してくれたりする。

 洋服を含め、ほとんど物を持ってこなかった私に、クローゼット一杯の洋服やお飾りを見せて「では、マイケル殿下が用意されたものを着放題ですね。きっと殿下も喜ぶと思います」とニコニコ笑ってくれる。

 体に当ててみると、明らかに胸が収まりきらなかったので、ちょっと気まずい時間がながれたけれども、「サイズを調整しますね。腕が鳴ります」と採寸をして、裁縫に取り組んでくれた。

 優しくされすぎて、この辺りでちょっと怖くなって、厚遇恐怖症の私はトイレで一人になって震えた。


 夜になると、マイケルが私の私室にやってきて、申し訳なさそうに、私が連れて来た護衛達はヴィンセント王国に帰すことにしたと告げられた。

 誰か傍に残したい者が居るかと聞かれたので、誰も居ないと伝えると、安心したような顔をしたので、思わず言葉が出てしまった。


「なぜ?」


 私がまっすぐに彼の目を見ると、その碧色の瞳に、わたしの紫色の瞳が映っている。

 マイケルは軽く目を見開いた後、思わずと言った様子で頬を緩めた。


「それは、なぜ私が彼らを追い払ったのか、ということですか?」

「……」

「それとも、なぜ彼らがあなたを害しようとしていることに気が付いたのか、ということでしょうか」


 護衛達は、私を害しようとしていた。


 多分、初めに私室に案内されたとき、一人でしばらくゆっくりしていたら、私はその隙に彼らに殺されていたのだろうと思う。

 隣国の第三王女が無事に王宮に到着したという安心感と、出迎えの準備をしなければならないという焦りで、あからさまに王宮内の者達は油断していた。その隙に、女一人を仕留めることなど容易であっただろう。

 マグネリア王国の王宮内に、ヴィンセント王国の第三王女の遺体が一つ。

 間違いなく、マグネリア王国は、遠路はるばる嫁ぐためにやってきた王女を暗殺したという汚名を被る。

 要するに、戦争の始まりである。


 しかし、マイケルは私を私室に案内した後、私からひと時も離れず、そのまま応接室に連れ去った。

 それ以降も、マイケルが信用する使用人に私を預けるまで、常に傍に居て私に気を配っていた。


 それだけなら、戦争を避けただけ、という理由で終わりだったのだけれども。


「……なぜ、優しくするの?」


 私の質問に、彼はなぜかとても楽しそうにしていた。


「遠くから来てくれたお嫁さんを大切にするのは、普通のことでは?」


 答えない私に、マイケルは穏やかな笑みを浮かべたまま、私の右手をとり、そっとキスをするフリをした。


「おやすみなさい。僕達の大切なお嫁さん」


 それだけ言うと、彼は私の部屋を去っていった。


 私は、彼に取られた自分の右手を眺めながら、不思議な気持ちで胸がいっぱいになっていた。

 言葉にしがたいこの想いは、一体何なのだろう。


 それにだ。


「私、誰と結婚するんだろう」


 私はまだ、私の結婚相手が五人の王子のうち誰なのか、誰からも聞いていない。



   ~✿~✿~✿~


 マグネリア王国にやってきて、一週間後のこと。

 私は王宮の中庭で一人、本を読んでいた。


「またそこで本を読んでいるのですか?」


 私は最近、ちょっとした空き時間に中庭で本を読むことにハマっている。

 別に暇なわけではなく、私の案内役のマイケルが忙しすぎて細切れに時間が空くのだ。

 そういうとき、本を読んでいると基本的に誰も私に話しかけてこないし、色々と()()に耳を傾けることができるため便利なのである。


 今も中庭の一部に設けられたテラス席にて、日陰パラソルの下、本を読んでいたのだ。

 しかし、私の思惑に反して、話しかけくる者が現れた。

 第二王子のミゲル=ミゼル=マグネリアである。


 ダークブロンドの髪が知的な雰囲気を醸し出している、勝気な顔をした男である。

 第一王子のマイケルは私より少し背が高い程度だが、この男は頭もう一つ分ほど背が高い。

 どうやら暗い色の服を好んでいるらしく、今日も黒い王族用執務服を身にまとっていた。


 金糸の装飾が施された黒づくめ。

 明るく華やかな王宮庭園がこれほど似合わない王族も居るだろうか。


「あなたにそれを言われるのは心外ですね……」

「あら」


 どうやら私の心の声は、口からほんの少し漏れ出ていたらしい。


 何度も言うが、私は黒髪に紫色の瞳。

 それに加えて、今日は自国から持参したたいしたことのない真っ黒なデイドレスを身にまとっている。

 私の雀の涙ほどしかない予算で作った、三着しかないまともな貴族服のうちの一枚だ。

 ちなみに色は、全部黒。

 黒は汚れもほころびも目立ちにくい素晴らしい色である。


 黒髪長髪の色白の貴族の女が、真っ黒なデイドレスを着て、黒装束ミゲルに負けず劣らず、華やかな庭園の一角を黒く汚している。

 私に言われるのは、心外。さもありなん。


「兄上が用意した服はどうしたのです」

「入りませんでした」

「……それは、失礼いたしました」


 私が自分の体を見ながらそう言うと、ミゲルは顔を赤らめ、サッと目を逸らしたので、おやと首をかしげる。

 どうやらこの二十歳の青年は、勝気でプライドが高そうな顔つきに反して、この手のことには奥手らしい。


 私が不思議そうに彼を見ていると、ミゲルは咳ばらいをし、勝手に私の目の前の席についた。

 それとなく遠くに居た侍女がやってきて、ミゲルにカップを差し出し、紅茶を注いで去っていく。

 席をどうぞなんて言った覚えはないのだけれども、相手はこの国の王子だし、私に選択権はないということなのだろう。


「兄上はどちらに?」

「あちらです」


 私は、王宮の三階にある応接室の窓の方に、チラリと視線を投げる。


 そこには、貴族や商人達に囲まれたマイケルの姿があった。

 会議をしていると聞いているが、皆、表情はなごやかで、友達と話をしているような雰囲気が見て取れる。


「またですか。本当に、よく根気が続くなあ」


 思わず口元をほころばせるミゲル第二王子に、私は前々から、というか一週間前から思っていたことを告げる。


「ミゲル殿下は、どうしてマイケル殿下のことが大スキなんですか?」

「ゲッホゲホゲホゲホ」


 ミゲルはせき込んだ。

 熱い紅茶をむせるほどの勢いで飲み込むとは、第二王子は舌も食道も鋼鉄でできているのだろうか。


「何をどうしたらそういう質問が出てくるんですかね!?」

「……」

「兄上と私は母親が違いますからね。兄上と私の仲がいいのは、外から見ると不思議かもしれませんね」


 この男、勝手に自分で納得していったぞ。


「うちの国も、派閥争いは盛んだったのですよ。下町の商工会から、街と街、議会派閥に、政治勢力。まあ、そちらの国でも、変わらないと聞いていますが」

「そうですね」

「お恥ずかしながら、特に我々王族の派閥争いは激しくてね。侯爵家出身の母上――第二王妃と、伯爵家出身の第一王妃の対立はひどいものでした。ですが、それを兄上が仲裁したのですよ」


 琥珀色の瞳が、なんだかキラキラと輝いている。

 そう、このミゲルという男は、マイケル信者なのである。

 彼が兄マイケルを語る時、そこには憧れと信頼と信用が存在し、顔は赤らみ、頬は緩んで、瞳は煌めく。

 それを知らないのは、ミゲル本人ぐらいのものである。


 そのミゲルいわく、マイケルは人の仲裁が上手いらしい。

 ミゲルが小さい頃は、第一王妃と第二王妃の仲が悪く、兄であるマイケルと話す機会すらほとんどなかった。しかし、気が付いたころには、母親たちは親友のように仲よくなっていたのだという。


「それだけでなく、長年にわたって深溝を作ってきた国内の派閥を一つ一つを訪問して、あっという間に対立を解きほぐしてしまうんですよ。兄上はすごい方なんです」

「そうですか」

「あなたは、兄上に興味がないのですか? 自国と、私達の国の融和まで図ろうとしている人ですよ?」


 不満そうな顔をしている無意識系ブラコン王子に、私は思案する。

 私は、あの王子に興味があるのだろうか。


 実は、この一週間、このミゲルにだけでなく、マイケルの家族全員にこの話を聞かれたのだ。


 国王も第一王妃も第二王妃も第三王子も第四王子も第五王子も、皆が口をそろえて、マイケルを褒め称える。

 そして、お前もマイケルに興味があるだろう?と詰め寄ってくるのだ。


 毎回濁してきたけれども、実際に私はどう思っているのだろうか。


 皆を笑顔にする、立役者。

 国と国との諍いすらも、何とかしてしまうのかもしれない、立派な王子……。


「つまらない人」

「……は?」

「あの王子様。一体、何がしたいのかしら。あなたは聞いているのですか?」


 鼻白んだ様子のミゲル殿下に、私がゆったりと瞬きをしながら問いかける。

 すると、ミゲルはその言葉の意味を咀嚼したのだろう。

 サッと血の気が引いた顔になり、わなわなと震え出した。


「ね。知らないのでしょう。表面しか見えないうちは、人間ってつまらないわ」


 それだけ言うと、私は再び手に持った本に向き直り、文字を追うことに専念し始めた。

 ミゲルは二十秒ほどその場で固まっていたが、我に返ったのか、すぐに「失礼します」と言い、そのまま立ち去って行った。


 私は実は、ミゲルが急にやってきて近くに座っていたことに、ちょっとドキドキしていた。

 手に持っていた本が、アイリス姉さまからもらった、淑女御用達の大切な本だったからである。

 装丁には、『この世界を作ってきた歴史ある技術』という大それたタイトルが刺繍で刻まれている。

 しかし、その内容は、私のこれから行う作戦には必要不可欠なものなのだ。

 きっとこの本が全てを変えることだろう。


 私は本を最後まで読み切ると、ぱたりとそれを閉じた。

 うん、決行は今日がいいかもしれない。



   ~✿~✿~✿~


「……なぜ、ここにいらっしゃるのか、聞いてもよろしいですか?」


 いぶかる声に、ようやくやってきたかと、私は寝台から身を起こす。


 そこは、マイケル=ミゼル=マグネリア王太子の寝室だ。

 私がしどけなく寝そべっているのは、彼の寝台。


 ガウンを羽織っているものの、その下は薄手のナイトウェアで、身を起こしたばかりの私は乱れた髪を手櫛で整える。

 正直、婚前の令嬢が晒していい姿ではない。

 けれども、アイリス姉さま御用達の『この世界を作ってきた歴史ある技術』に載っていた技なのだ。

 起き抜けに乱れた髪を手櫛で整える。

 これで男はイチコロなのである。


 実際に、マイケルも扉の前から動かない。

 きっと、技が効果を発揮しているのだろう。


「話があったからです」

「日中、いつでも声を掛けてくださって構わないのに」

「二人で話をしたかったんですよ」

「部屋を確保いたしますよ」

「それではよくないのです」


 マイケルは戸惑った様子のまま、寝室の扉付近から動かない。

 技が効きすぎたらしい。

 なので、寝台から降りた私は彼に近づくと、そっと寝台横のソファに彼をいざなった。


 どうするべきか彼も決めかねていたのだろう。

 わたしがいざなうままに動かされ、ソファへと腰を落ち着ける。

 そして、その左隣に、私も一緒に座ってみた。


「ええと。本当に、急にどうされました?」

「マイケル殿下と面と向かってお話をしたかったのです」

「ですから、日中でも」

「ここなら、誰の目も気にする必要はありませんよ」


 ぴくりと強張った顔に、私は自然と頬が緩んでしまう。


 昼日中ではだめなのだ。

 太陽の下、使用人達が居るようなその場所では、この男の仮面は剥がれない。

 もっと油断を誘い、じっくり揺さぶり、隙をつかなければ。


「マイケル殿下。国と国との溝を埋めるため、この婚姻を提案したのは、あなた様でしたね」

「そうですね」

「普通に考えれば、私の婚約者となるべきは、あなた様であるはず。ですが、この一週間、誰も私に婚約者が誰なのか、教えてくれませんでした」


 まあ、マイケルは王太子だ。

 敵国の王女を妻に据え、ひいては王妃にするというのは、国として許容しがたいという考え方もあるだろう。

 とはいえ、その懸念があるのであれば、まずは私にそういった説明があるはずだ。


 けれども、この一週間、誰しもが、私の婚約者が誰であるのかという話題に触れようとしなかった。


 わざわざ、遠方から嫁いできた王女に、相手を伝えない。


「それはなぜですか?」


 上目遣いに尋ねると、マイケルは降参したと言わんばかりにため息を吐いた。


「そうですね。あなたには最初から説明しておくべきでした」

「と、いいますと?」

「結婚するなら、あなたと一番相性のいい王子が結婚したほうがいいと考えていたのですよ。ただ、好きな王子を選んでくれと言うのも、あまりにあけすけすぎるかなと思いまして、なかなかお伝えしづらかったのです」


 意外な返事に、私が紫色の瞳をぱちぱち瞬くと、マイケルは肩を落として説明し始めた。


「あなたは、遥々やってきてくれた可愛い僕達のお嫁さんです」

「……」

「大切にしたいと思っています。ですから、あなたの夫となる人物についても、勝手に僕達が決めるのではなく、あなたと心を通わせた王子が居れば、そちらを優先しようと考えていました」

「……僕?」

「!?」


 ハッとした顔でこちらを見たマイケルは、慌てたように目を彷徨わせ、顔を真っ赤にして口元を押さえていた。

 どうやらこの男、「私」が外向けで、「僕」と言うのが素らしい。

 うん、いい感じにボロが出始めている。


 ちなみに、「忘れてください」と言うけれども、これを聞いたのは三回目である。

 そして、この表情がセットである。

 しかも、聞いたのは私だ。

 残念だが、一生忘れることはないだろう。


「それで、私と他の王子が仲よくならない場合はどうするおつもりだったのですか?」

「……実際、どうなのですか? 弟のメルヒオールと仲がいいと聞いています。確か同じ年でしたよね」

「ああ。彼は私と趣味が似ていたので、少し話が合っただけです」

「彼と婚約しますか?」

「メルヒーには他に好きな人が居ますよ」

「!? そ、そうなんですか!?」

「メルヒーだけでなく、私は、あなたの弟と想いあうような関係にはならないと思います」

「……そうですか」

「どうしましょうか」


 彼は少し考えるようにして俯くと、一度頷き、真剣な顔をして私に向き直った。

 アイリス姉さまと同じ色を持つ、金髪碧眼の王子様。

 その顔つきまでがアイリス姉さまに似ていたので、私は居住まいを正す。


 そう、アイリス姉さまに似ているのだ。


 ろくなことを言い出さないときの、アイリス姉さまに。


「あなたが弟達の誰かを選ばないのであれば、自動的にあなたの夫は私に決まります」

「そうですか」

「私はあなたを、幸せにしたいと思っています。あなたは、私のわがままを呑んで、この国まで来てくださった尊い女性だ。だから、女性として幸せになる権利があってしかるべきだと思うのです」


 言葉を選ぶようにして話をするその声は、とても優しい。

 そういうところも、アイリス姉さまに似ている。


 だから、私は少し気を抜いてしまったのだ。


「ですから、私達の結婚は、形ばかりのもの――契約上の結婚としましょう」


「ゲッホゲホゲホゲホ」

「だ、大丈夫ですか!?」

「すみません、喉に何か絡んだみたいで。ええと、何か大変なことをおっしゃったような」

「私達の結婚は契約結婚にしましょう」


 こ、こいつ、二回も言ったぞ。


「申し訳ございません、話を掴みかねます。どういった理由で、その、契約結婚と?」

「あなたと恋仲になった男を、愛人に据えてくださって構わないということです」

「あいじん」

「はい。私とあなたの結婚は、国を結ぶ大切な架け橋です。その形さえ残れば、自由にお過ごしいただいて構いません。そのことで、あなたに不利益がないようにいたしましょう」

「本当に、ろくなことを言い出さない……」

「えっ?」

「いえ。……その」


 正直、『生涯を懸けてあなたを幸せにする』とか、『一生あなただけを見つめます』とか、本でよく見るような甘すぎて吐き気がするようなことを言われるのだろうなと思っていた。

 吐き気はするけれども、姉さまの指令をこなす第一歩ではあるので、まあ仕方がないかと思っていたのだ。


 しかし、これは予想の斜め上である。


 契約上の結婚。契約結婚。


 マイケルはどうやら、厚意のつもりでこれを申し出ているようだ。

 悪気はない。

 しかし、結果は悪い。

 これはつまり、今後一切お前には興味を抱かないと言ったに等しい行為である。


 今後一切、名目上の妻に過ぎないお前には興味を抱かない。


 メロメロに堕ちるなど、笑止千万――。


「なるほど」


 ぱさり、と黒いガウンをその場に払いのけた。


 ガウンの下から現れたのは、服の定義について考えざるを得ない透過性の高いナイトウェアに身を包んだ、乙女の肢体である。

 豊満な体つきにぽってりした唇が特徴的な、悪魔のような女の体だけれども。


 その姿を見た途端、目の前の金髪碧眼の王子さまは目を見開いて石のように固まった。

 若干頬が赤らんでいるけれども、目をそらすこともなく、嫌悪の感情も読み取れない。

 うん、まあ、悪くない。足止めは成功である。


 あの愚兄エクバルトも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だと言っていた。

 だから、よくわからないけれども、きっとこれはそこそこに効果を発揮してくれているということなのだろう。


「マイケル殿下は、わたくしの心の赴くままにしてよいとおっしゃるのですね」

「えっ!? あの、いえ! そうですね!?」

「得たい男を、手にしてよいと」

「そのとおりですが、ガウンを着てください」

「もっと見てもよいのですよ。私が欲しいのは、あなたですから」


 おりこうさんな顔で固まった王子さまに、私はにっこりと微笑みながら、その左腕にしなだれかかる。

 アイリス姉さま御用達の『この世界を作ってきた歴史ある技術』に掲載されていた技その二である。


 とはいえ実は、いつもアイリス姉さまでやっていたから簡単なことだ。

 その腕に絡みついて逃げられないようにしつつ、体重を載せながら耳元で囁くと、アイリス姉さまは「なんでもするから離れなさい!」と、だいたいのおねだりを聞いてくれるのだ。

 便利な技である。


「わたくしに、あなたをください」

「ヴィ、ヴィオレッタ様……!?」

「どうか、ヴィオレッタと」

「……こんなことをしてはいけません。こういうことは、心が通い合った者同士で」

「あなたは私の婚約者なのだから、いいではありませんか。心は後から通わせればよいのです。わたくしのことがお嫌いですか?」

「そのようなことは!」

「では、問題ありませんね」

「わ、私では、だめです!」

「だめ、とは?」

「……っ、わ、私は……」

「はい」

「私では、きっと、あなたを幸せにできません……」


 顔を真っ赤にしたマイケルは、ハッと我に返ったような顔で目をさまよわせ、私の顔色を窺う。


 私は、心がトクンと高鳴るのを感じた。


 見つけた。

 これが、獲物だ。

 私の、私だけの、面白いもの。

 みんなが褒め称える王太子、マイケル=ミゼル=マグネリアの弱点。


「一人を、幸せにすることができない?」


 サッと青ざめた顔をしたマイケルに、私はぺろりと厚い唇をなめる。


「みんなを幸せにするために奔走している、王子さま。この一週間、私に話しかけてきた人は、みんながあなたに感謝していました」

「そう、ですか」

「はい。みんな、あなたのやってきたことを、自分の手柄のように語っていました。けれども、あなたがどんな人で、何をしたくて、どうして生きているのか。誰も知らないのです」


 だんだんと白い顔になっていくその綺麗な顔に、私はただ、ああ、可哀そうだなと思う。


 みんなの幸せのために動いているのに、みんなに褒められて、みんなに共有されて、みんなに必要とされながらも、必要とされない、可哀そうな王子様。


 だから言いたくなくて、でも、言いたかったのだ。

 その碧い瞳が濁るところを、私は見たかった。


 それは、アイリス姉さまと同じ色だから。


「あなたは、みんなの幸せな顔を見るのが好きなのですよね。誰かの輪の中に居るときが一番輝いていて、その人数が多ければ多いほど、あなたは心から安心する」

「それは、もちろんです。それの何がいけないのです」

「だけど、一人の人間にも愛されたいと思っている。自分はその人に、時間を割くつもりがないのに」

「……何が言いたい」

「『みんなと私と、どちらが大切なの?』」


 カッとした顔をしたマイケルは、その数瞬後に、我に返ったように息を呑み、そして、両手で顔を覆ってうなだれた。


 『感謝』『信頼』『好意』を、きっと国で一番集めている王子さま。

 けれどもそれは、家族の外に居る人に対する感情なのだ。

 彼自身の内面に興味を持った上でのものではない。

 可哀そうな王子さまは八方美人で、色んな人に好かれているけれども、向けられた好意は、とてつもなく軽い。


 だから、彼は心の中で、愛を求めている。

 夫婦として、家族として、自分をただ求めてくれる相手を欲している。


 そして可哀そうなことに、彼は頭が良すぎるのだ。


 自分を欲する相手を大切にできない己を、知ってしまっている。


 そう、マイケル=ミゼル=マグネリアは、強くて、美しくて、とてもよわい。

 私のアイリス姉さまと、同じように。



 数分、動かなかった彼は、長く息を吐くと、ようやく顔を上げて私を見た。


「あなたは一体、私を怒らせて、何がしたいのです」

「あなたの望みを、かなえて差し上げます」

「え?」

「先ほども言ったでしょう? 私は、あなたが欲しいのです」


 心の鎧が外れたまま狼狽えている彼に、私はどうしようもなく心が弾み、どうすればこれをもっと面白くできるのか思考が巡らせる。


 とりあえず彼の左腕を私の胸に沈ませながら、右腕を絡ませ、彼の左手に私の左手を添えて、こちらも絡ませてみた。『この世界を作ってきた歴史ある技術』その三だ。

 絶対に逃がさないという私の意思を受け取ったのか、マイケルは言葉もなく震えている。


「私は、あなたの好みだと思いますよ」

「何、を……」

「マイケル殿下は、面倒くさい人が好きですよね。私はめちゃくちゃ面倒くさい人間です」

「ああ、それはまあ、その?」

「あと、あなたの生き方を知った上で、夫になったら面白そうな人だなと思っています」


 え、と固まった彼に、私はにっこりと微笑む。

 しばらくして、私が言った内容が頭に染み渡ったのだろう。

 じわじわと顔が赤く染まっていったので、私はそっと彼の耳元に口を寄せた。


「最初は契約結婚とやらでもよいですが……」


 後で、後悔すると思いますよ。


 そう囁いて、耳にふっと息を吹きかけた。


 そして、恐る恐る上目遣いで相手の様子をうかがってみると、いつも笑顔一辺倒だった彼が、顔を真っ赤に染め、悔し気に顔を歪めて、涙目でこちらを見ていた。

 うん、よいよい。

 私が思い描いたとおりの、美味しそうな王子さまの出来上がりである。


「あ、あなたはどこでこんなことを学んだのですか」

「ある人で練習しました」

「!? ど、どこの誰です!」

「気になりますか?」

「!」


 もちろん相手は、アイリス姉さまです。


 そう言おうと思ったのだけれど、私は口をつぐむことにした。

 どうやら思った以上に私のやったことは効果が出すぎたらしく、彼は口元を押さえたまま、涙目で本当に恨めし気に私を睨んできていたからだ。


 実は、あまりやりすぎると、アイリス姉さまは一週間、口をきいてくれなくなるのだ。

 マイケルもこれ以上追い詰めると、一週間、口をきいてくれなくなるかもしれない。

 来国して一週間しか経っていないのに、ここから一週間、案内役のマイケルに無視されるのはちょっと堪える。


「それじゃあ、私は部屋に戻ります」

「え!?」

「用事は済みましたので」

「よ、用事……済みましたか!?」

「話は済みました」

「で、ですが、夜はまだ」

「未婚の子女は、二十二時には寝ないといけないと言われているので」


 アイリス姉さまの教えは絶対なのだ。


 マイケルは口を開けたまま固まっているので、多分退室しても問題ないだろう。

 失礼しました、と頭を下げると、私は自室へと戻った。


 そういえば、今日は色々とアイリス姉さまの本に載っていたイチコロ技を使ったけれども、マイケルは野獣に変身することはなかった。

 何度も石のように固まっていたので、効果がなかったわけではないのだろうけれども、マグネリア王国の男の人って、噂と違って別に野蛮な感じはないのかもしれない。

 私の次兄エクバルトのほうが、百倍野蛮では?


 そんなこと思いながら、私はふっかふかな寝台の上で気持ちよく就寝し、その日、とてもいい夢を見た。

 この国のみんなに愛されて、王太子は私にメロメロになっていて、なんでも言うことを()()()()()()夢である。


 実は、みんなが何でも言うことを聞いてくれるようになったら、お願いしてみたいことがあるのだ。

 それを言うのが私の望みで、それだけのために、私は生きている。


『ほんの少しの間でいいから、私の目の前に、アイリス姉さまを連れてきて』


 多分叶わないと思うけれども、言うだけならきっと自由だ。

 別に叶えてくれなくてもいい。

 アイリス姉さまの指令は『聞いてくれる』ようになることであって、『叶えてくれる』ようになることではなかったし。

 それに、誰かにそれを言うことすら許されない今よりも、ずっとずっと、幸せのはずだ。


 こうして、それを口に出す日を夢見て、私はすやすやと眠りをむさぼるのだ。


 ちなみに、枕元には、アイリス姉さまの髪の毛が入ったお守りを置いている。

 姉さまが寝ている間に勝手に毛先を失敬したのだ。

 多分、ばれたら死ぬほど怒られると思うから、この秘密は墓場まで持っていくつもりである。



   ~✿~✿~✿~


 このとき、私は知らなかった。

 私がやったことは、私が思った以上に、マイケルの心に火をつけていたらしい。


「なんなんだ、あの女……くそっ、練習相手って誰だ……!」


 その後、マイケルは私の『練習相手』を調査すべく、ヴィンセント王国に諜報員を放ったけれども、その相手は見つからず、私の知らない所で地団駄を踏んでいたらしい。

 そして、そのことを私が知るのは、結構先のことになるのであった。



~終わり~


ご愛読ありがとうございました!


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訳あり伯爵様 漫画1巻
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疲労困憊の子爵サーシャは失踪する 〜家出先で次期辺境伯が構ってきて困るのですが!
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[良い点] す、すごく面白かったです! もちろん、連載版も読みに行きます。 めちゃくちゃ楽しみ! [一言] 訳あり伯爵様第3部開始→サーシャ(ソフィア)再開→この作品。 ここ数日、私の中で「黒猫かり…
[一言] 続きが!とても!読みたいです!!!
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