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エデンの東  作者: 鴨葱
9/12


 仮面の下ではた(、、)と息を止める。違和感が神経を伝って全身を駆け抜けていく。勢い良く振り抜いた心武は空を切り、ファントムは大鎌を薙ぎ払った状態で動きを止めた。手応えがない。気配もない。不意をついたタイミング、襲いかかったタイミング共に完璧だったはずなのに、まさか逃げられるだなんて――。


(あの怯えた状態で、よくもまあ)

瞬間移動(テレポート)、か」


 耐えようにも耐えられない笑いを口角に浮かべて、ファントムは放り投げるようにして大鎌から手を離した。瞬間、心武・死の宅配便(チェック・メイト)は乳白色の薄霧となり、術者の身体を覆い隠していく。不意に吐息が溢れた。空間の架空を一点見つめ、乾いた上唇をひと舐めしてから、ゆったりと後ろを振り向いた。……誰もいない。当たり前のように静寂が漂っているのに、何かが息づいている気配をファントムは敏感に肌で感じとっていた。


「誰」


 咽頭に張り付いた声を引き剥がすように呟くと、「お見事」という賛辞の声が聞こえた。意識しないとわからない、希薄になった気配が、徐々に輪郭をくっきりさせていく。不意にぱちぱちと手を打つ音が聞こえた。薄暗い廊下の奥から姿を現したその人物は、真紅の瞳にあどけない笑みを浮かべており、死体が転がるこの場所には些か不釣り合いに思えた。ファントムが口を開く。


「いつから見ていたんだい?」

「ふふ、いつからだと思います?」


 余程自分の腕に自信があるのか。頭のネジが一本か二本外れているだけか。はたまたその両方か。わざとらしく肩をすくめる彼に、ファントムは不快のシワを眉間に刻んだ。今すぐミンチにしてやろうか、物騒な思考が脳裏をよぎる。


()だなぁ。そんなに怒らなくたっていいじゃないですか。……ま、仮面で顔見えないケド」

「キミ、僕をからかいに来たの? 勇気あるね」

「まっさかぁ」

悪びれもせずケラケラと、辺り憚らずに笑いながら彼は続けた。

「俺は、貴方をからかいにきたわけではないんですよ」

「ふ……まさか、チームでも組みに来た。とか?」

「そうですねぇ。それもいいかも!」

仮面の下で目を見開くファントムに対し、意味ありげなあざ笑いを浮かべると、

ロード(・・・)

「……!」


 彼は口元を手で覆い隠しながら、ファントムの耳元で二の句を続けた。


「……から依頼を受けて、貴方の監視をする事になりました。俺の名前はシノ。『アンフィル』の雇われ諜報人。お目にかかれて光栄です、十二使徒オスカー・L・ファントムさん」

「組織の人間か」

皮肉の笑いを瞳に漂わせて、ギョロッと目線を横に向ける。

「見た事ない顔だけど」

「それは、貴方がいつも集会をすっぽかすからですよ。だから、監視係がつくんですよ」

「それはそうだネ」

弾かれたようにシノから身を離し、ファントムは極めて下品な舌なめずりをした。

「でも、まいっちゃうよなぁ」

「……何がです?」

「こんな見目麗しい少年が四六時中側にいて、ボク、我慢出来るかわからないよ」


 性衝動か、はたまた殺人衝動か。全く読めない。どちらでも全然おかしくない声色で、ファントムは悦に浸りながら言った。誰もが距離を起きたがる、組織の中でも爪弾きにされる異常者。なのにシノと名乗った彼は、ファントムを恐れるどころか、笑いそうになるのを腰を曲げることで懸命にこらえていた。


「ふっ……くくっ」


 ファントムの瞳に困惑の色が浮かぶ。


「嬉しいなぁ、ファントムさん」

脇に差した刀をスッと抜き、下段に構えながらシノは続けた。

「最近、手に入れた打刀。試してみたかったんですよね。相手、してくれます?」

「早速、職務|(監視)放棄してんじゃないヨ……」


 戦闘意欲も性的意欲も削いでおきながら、爛々と勝負を挑んでくる青年に、ファントムはある種の畏怖を覚えるのだった。



 喘ぐように呼吸を弾ませて、額に浮き出る大粒の汗を片手で拭う。想像以上に魔力を消費してしまったリージンは、体を投げ出すようにして横たえていた。勢い余って床に放り投げてしまった2人に視線を向けると、ノエルは『気にするな』と言わんばかりにひらひらと手を振ってみせる。実際、疲労の色を隠せないでいるリージンに比べれば、大した打ち身ではなかった。


「大丈夫? アンタ、もう魔力残ってないでしょ」

「まあ……」

首の後ろを擦りながら、リージンは気まずそうに笑った。

「精密な魔力コントロールなんて出来る状況じゃなかったし」


 あの時。ファントムが死の宅配便(チェック・メイト)を振り抜いたあの瞬間(とき)。リージンの心はこれ以上ないほどに乱れていた。まして他人(ひと)を抱えた状態。精密な魔力コントロールなど出来る筈もなく、四方八方に散漫し、いつまで経っても必要量に満たない魔力を、無理やり()で補うしかなかった。つまりリージンは、中級術を使用する為だけに、全魔力を放出してしまったのである。


「99階に移動出来たのは不幸中の幸いだね」

「悪、かったな」


 詫びる言葉と共に、ノエルは手を差し伸べた。右往左往に瞳を泳がせ、バツが悪そうに口を尖らせる様子から、自分のワガママが招いた事だと理解しているのだろう。リージンは「ふぅん」といたずら好きの子供がするような意地悪な笑みを浮かべて、立てた片膝に肘をついた。


「魔力は体力。体力は体を支える資源の総称。資源が枯渇してる僕は今とーってもダルい」

「ご、ごめんって。ほら、捕まれよ」

「じょーだん。野郎の介抱なんて御免――」


 差し伸べられた右手を払い、床を踏みつけるように立上がろうとすると、膝が金具のようにがくがくと鳴った。「あれ?」と首を傾げるリージンに音もなく近づいたレイは、彼の腕を自身の肩に回して一回り大きい体を支える。


「無理をするな」

「ごめ、想像以上にガタが……」


 決まりの悪い顔をして、伏目がちに視線を逸らすリージンを、ノエルはしらーっとした顔で見つめていた。レイは無音のため息をひとつついて、


「アレとやり合ったんだ。無理もない」

「ああ……魔術師試験をゲームか何かだと思ってたな。アレは」

「ゲーム?」


 キョトンと目を丸くするノエルに対し、リージンは肯定の意を込めてコクリと頷いた。


「電車内でもファントムは大鎌……いや、具現武器を抱えていたでしょ? 心武を常に具現化させていた魔力量にも驚きだけど、具現化させながら魔術も使うなんて、並のコントロール技術じゃ出来ない事だよ」

「何でそんな事」

「自ら制限をかけた縛りプレイなんじゃない? いやぁ、もう二度とアレとは関わりたくないね!」


 具現武器は魔術ではない。精神とシンクロした、その人だけのオリジナル武器である。具現時に使う魔力消費量は初級魔術とさして変わらないが、コントロールの難易度は上級魔術に匹敵する為、常に気を張ってなければその形状を保つ事は不可能なはず。なのに、ファントムは、列車に乗っていた時既に死の宅配便(チェック・メイト)を具現化していた。無意味な行為だ。対戦相手の意表を突く為だとしても、魔力を消費し続けるデメリットが大きすぎるし、何より心武の破壊は精神(こころ)の破壊に直結する。余程の自信がなければ出来ない行動である。


「ナメられたものだな。……けど、私も二度とアレとは対峙したくない」


 きつい形の目と眉に濃い陰影を宿して、レイは「足が竦んでどうしようもなかったよ」と続けた。闇幻結界(リム・エレイア)を撃ち破った時のあの自信は、もうすっかりしぼんでいる。魔力濃度とタイプ相性の優位性があったにもかかわらず、始終押されっぱなしだったのだ。意気消沈するのも仕方のない事だろう。ノエルは思案するように首を傾げると、


「レイ」

「……?」


 突然。なんの前触れもなく、黙りこくるレイの脳天に、鋭いチョップを落とした。無機質な表情が崩れる。大きく見開いた瞳に涙の膜が張る。じんじんと痛む頭を抱え、胎児のように体を丸めるレイの横で、リージンはオリーブ色の瞳に驚愕の色を浮かべていた。


「ちょっノエル、君、何してくれてんの!?」

「次、対峙した時は、俺が盾になってやるよ!」

「……は」


 大きく美しい目を見開いて、レイは口を真一文字に結ぶ。その自信は何処から来るんだと、二つの目が語っていた。旁若無人、身の程知らず、弱い犬ほどよく吠える――言いたい事は山ほどあったが、喉までせり上がった声は何故か言葉に成らず。レイは、言葉を発する代わりに、爪先で弁慶の泣き所を小突くと、痛みで跳ね上がるノエルをジト目で見つめた。


「な……っにしやがんだテメー!」

「どの口が。盾になって貰わずとも、今のお前よか私のが強い」


 はあ、とわざと大きな溜息を洩らしたレイに、ノエルはほんの僅か目に角を立てる。


「よく言うぜ。ファントムにビビってたくせに」

「イズミにボロカスに負けた奴が何を」

「うっ……。次の作戦は俺頼りのくせに」

「私の技術で成立する策だ。自惚れるな、家門の七光りが」


 売り言葉に買い言葉。互いの逆鱗にきっちり触れ合った2人は、暫し睨み合った(のち)「ふんっ」と嫌そうな音を鳴らしてそっぽを向いた。リージンはやれやれ……という風に力なく笑うと、地団駄を踏むような激しさで階段を登りだすノエルに声をかける。


「まーた1人でどこ行くっていうの」

「……屋上」

ピタリと足を止め、振り向きざまに中指を突き立てる。

「早くこっから脱出して、そのムカつく顔とおさらばするんだよッッ」


 肩で風を切りながら、ずんずん足を急かせるノエルを、レイは呆れ眼で見送る。「やれやれ、癇癪持ちの子供かね」と、わざとらしく肩を竦めた彼を、リージンはしらーっとした顔で見つめた。五十歩百歩、大同小異、どんぐりの背比べ――喉まででかかった言葉を胸の奥に収め、リージンはおもむろに階段を見上げる。踊り場を曲がったノエルの姿はもう見えなかったが、100階(屋上)まであと26段。急ぐ必要はないだろうという判断を下した、その刹那。


「うわあああああーっ!」


 恐怖に直面したような、死にものぐるいの声が反響し、リージンは烈しく何かに急き立てられるような焦りを抱いた。一際取り乱した声で「ノエルっ!」と彼の名を呼んで、一段飛ばしに階段を駆け上がっていく。そんな遮二無二の背中を追いかけるように床を蹴ったレイだったが、踊り場を曲がったところで足を止めたリージンに、思い切り鼻からぶつかる羽目になった。


「いきなり止まるな!」

「……」


 普段ならすぐ謝りそうなリージンが、レイの声に反応を見せない。何かあったのかと、途端に不安になったレイは、リージンの背中から顔だけ出して階段の上を伺った。


「ノエル……?」


 扉の前で尻餅をつき、驚愕の色を浮かべた金色の瞳が、レイとリージンを捉える。


「アンタ達も見てみろよ」

「えっ?」

「いーから」


 早くしろと言わんばかりに顎をしゃくって扉の向こうを指し示すノエルに、レイとリージンはお互い顔を見合わせてから、パタパタ音を立てて階段を登った。そして、ノエルと同じ場所で、同じものを見て、2人は思わず言葉を失う。……扉の向こうに、地面と言えるものはなかった。勢い良く飛び出していたらどうなっていたか。考えただけでも恐ろしい。落ちるとこだった、とボヤくノエルの言葉に、2人は首筋に刃をあてられたような恐怖を感じた。


「これは、落下中にも何かあるかもしれないな」


 しみじみと呟いたレイを、ノエルは呆れ眼で見つめる。


「縁起でもない事言うの大好きだよな……アンタ」

「事実を言ったまでだ」

扉の枠に手をかけ、乗り出すかのようにレイは下を覗き込んだ。

「リージンの魔力が回復するのを待ったほうがいいかな」

「他の連中がこっちに来たら面倒だぞ」

「それは、そうだが……」

「それに、なんか、いけそうな気がするんだよな。大丈夫だって」

「根拠は?」

「直感!」


 直感で動く野生児、そして周りを巻き込む強情さ。気合を入れるかのように拳を握りしめたノエルに、レイは諦めたように観念の眼を閉じた。


「リージンの魔術に頼れなくなった今。落下中の妨害には私が対処しなくてはいけなくなった。ノエルの魔力と、波長を合わせる時間が短くなった今、成功率は当初より激減。怪我しても恨むなよ」


 感情の起伏がない無機質な表情。伏目がちの瞳に光はなく、何を考えているのかわからない。だけど、額に浮かび上がった汗が、青くなった唇が、1人プレッシャーと戦っている事を示していた。この作戦はノエルの魔力量がなければ成り立たない。だけど、作戦の成否はレイの技術力にかかっていると言っても過言ではないだろう。リージンは弟に接する兄のような態度でレイの肩に手を置くと、落ち着き払った声で「大丈夫」と呟いた。


「さて。行こうか、ノエル」


 わかった、という風に深々頷いて、ノエルは2人の手を引き扉の前に立った。


「んじゃ、空の散歩といきますか。頼むぞ、レイ」

「……」


 泰然自若。不安など微塵もないとでも言う風に、宙へと駆け出すノエルの後ろで、レイは真一文字に結んだ唇をほんの僅かしならせる。


「上等……!」


 全身に感じる強烈な風圧。気流に乗って滑空してく身体。片手を広げ、少しでも空気抵抗を生みながら、レイはキョロキョロと周りを見回した。下は、芝生。ビルの周囲には木々が広がり、遥か遠くに街が見える。一見、罠はないように思える。が、何を仕掛けてくるかわからないのが魔術師試験である。警戒するに越した事はないと、レイは神経を張り詰め警戒を強めた。瞬間、太陽を反射した光が視界の端に映る。

(今のは――)


「ボウガン……!」


 リージンが叫ぶ。と同時に、多方面の茂みから矢を放たれ、3人の間に緊張が走った。防御術で対処しようと、咄嗟に片手を振り上げるレイだったが、「僕がやる」と鏢を構えたリージンによって、その動きは制される。


「……なっ」


 右、左、前、後ろ。向かってくる矢を次々と弾き落としながら、リージンは盤石の自信を頬に浮かべた。空中という悪条件の中、ほぼ同時にそれも的確に当てる神業。彼の才能は魔術ではなく、武術にあるらしい。


「この程度なら僕ひとりで大丈夫! 君は準備を――」

「……わかった」


 レイは、抱きつくような格好でノエルの首に腕を回すと、自身の魔力をノエルの波長に摺り合わせていった。魔力量、魔力濃度共に超一級品。技術さえ身につければ、他の追随を許さない術者になれるだろうに、よほど師の教え方がまずかったのか。基礎が出来ていない現状を惜しく、勿体なく感じた。レイは、ビル4階を過ぎた辺りで波長を合わせる奥義――波合(はごう)に成功させると、恬とした快活の声でノエルの名を口にする。


「ノエル!」

「おう!」


 決壊したダムのような勢いで、体内に巡る魔力を外へと放出するノエルにしがみつきながら、レイは四方八方に飛び散る魔力を地面へ、一箇所へとぶつけた。

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