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エデンの東  作者: 鴨葱
5/12

 救護班に支えられるクレヴァーに背を向けて、レイは会場4隅に設置された螺旋階段に足を乗せた。堅苦しい気持ちが段々とほぐれ、一歩一歩足を運びながら知ってる顔を無意識の内に探す。満面の笑みを浮かべるリオ。呆れたように腕組みをしているリージン。そして、怒りを含んだ表情のノエル――。


「……うわ」


 一体、何に対する怒りなのか。レイの頭脳をもってしても、理解が追いつく事はなかった。しかし、ノエルの性格を分析し、そこから答えを導き出した瞬間。レイは、はた……と何かに気づいたように、その場に立ち止まる。螺旋階段を登り終えた自分を待つものは、おそらく彼の怒鳴り声だろう。

(おせっかいな奴)

 漏れたため息は、思いの外大きな音を鳴らしていた。


「なんて無茶な戦い方を……! もし神経薬が間に合わなかったら、アンタ、ミンチになってたんだぞ!?」


 出会って間もない。それも、仲間ですらない人間の心配をするとは――なんてお節介。なんてお人好しなのだろうか。レイは、蒸気させているノエルから視線を反らすと、ポーカーフェイスを崩す事なく淡々と話し始めた。


「ミンチにはならないさ。奴の心武はおそらく未完成(・・・)。中級防御術でも何とかなったかもしれない程度のものだった……。それに」

「?」

「あのくらい煽らないと、面白くないだろ?」

「……ばっ、エンターテイメントじゃないんだぞ!? もし一歩間違えてたらどうなってたと!」

「おせっかい」

ふっ、と鼻で笑いながらレイは柵に寄りかかった 。

「おせっかいなお前に、一つ情報をくれてやる」

「情報ォ?」

「この先、ゆっくり話す機会なんて、あるかもわからないし……」


 ノエルの肩に手を置いて、レイは、誰にも聞かれないように顔を近づけた。耳に生温かい息がかかり、ノエルの表情は一瞬にして青ざめる。


「……は?」


 震えるように激昂する神経が。心の底に沈殿していた闇が。ノエルの理性を壊し、感情を暴走させていく。試験が行われてる会場で、殺気を放つわけにはいかないとわかっていながら、一度漏れ出た感情はノエルにも抑えようがなかった。


 憤懣を乗せた血液が、全身を巡回していく。窘めるようなレイの声が、次第に遠ざかっていく。このままではマズイと、脳裏に警報を鳴らした。けれど、シオン(・・・)という地雷を踏まれた彼に、冷静さが戻る事はない。


「感情のコントロールくらい覚えたらどうだ」

血の気の引いたノエルを掴み寄せながらレイは続ける。

「とりあえず、それ。なんとかするぞ」

「は?」

「逃げるなよ」


 驚目を瞠らせた金色に、体を開いて掌底を打ち込もうとするレイの姿が映し出される。ノエルは反射的に逃れようと身悶えたが、意外に強いレイの握力がそれを許さなかった。


「なっ……にしやがる!?」

「逃げるなと……言っただろっ!? 癒心(セウス)!!」

「……っ」


 1次試験でも使用した癒やしの術――癒心(セウス)は、激高した心を穏やかに、高なる鼓動を段々に、落ち着かせていった。まるで、怒りや悲しみ、憎しみまでも風化してしまったかのように、ノエルは毒気が抜けた表情でレイを見つめる。


「なんだ、これ」

「一時的に負の感情を緩和させる術だ。持続はしない」

ノエルから手を離すと、レイは一歩後退りながら続けた。

「お前。そんなんじゃ、いざ遭遇した時まともに対話出来ないぞ」

「ア、アンタに関係ないだろ!? 大体、シオンの居場所は知らないって電車で言ってたじゃんっ」


 ノエルの拗ねたような口ぶりに、レイは口元に手を当て視線を反らした。何かを考えているようだが、その表情はピクリとも動かない。


「居場所は知らない。が、知ってる事もある」

「知ってる事?」

「ああ。だが、その前に確認しておきたい」

ガラス玉のような空虚な瞳が、ノエルを瞳を真っ直ぐに捉えた。

「シオンは、ノエルの兄で間違いはないな?」


 ノエルの眼が、徐々に見開かれていく。身体は凍りついたかのように硬直させ、狼狽えてる様を隠せずにいた。嫡子問題の拗れを原因に、一族を滅ぼしたSS級の賞金首。復讐を誓った憎むべき相手でありながら、どうしようもない負い目を感じている血の繋がった兄。――シオン=アルジェント、その人に違いない。


「やっぱり、気づいてたんだ」

「名字が同じ、属性も同じ、顔立ちも似てるとなれば流石にな」

頬にまつげの影を作りながら、朗々とした口調でレイは続ける。

「情報屋の卵として、シオン=アルジェントの居場所は私も追っている。……が、彼の消息は、軍の情報機関ですら掴めていないというのが現状だ」

「まどろっこしい。何も知らないなら最初(ハナッ)からそう言――」

「誰も何も掴めていない、という事を知ってる」


 間髪入れずに訂正され、ノエルは拗ねたような表情を浮かべた。


「何が言いたい」

「手当り次第兄の居場所を聞いて、自分の出自を悟らせるのは危険だ。敵が多い事くらい……アルジェント家が或る民族(・・・・)から恨みを買っている事くらい、知らないわけじゃないだろう?」

「……」

「お前がどう生き残ったのか知らないが」一呼吸置いて、「唯一の生き残りをそのままにしておくとも考えにくい。お前がシオン()にとっての脅威なら、何れ向こうから接触してくると思うけど」

「この2年間何も無かったのに?」

「ロイドに手子摺(てこず)る程度じゃ驚異にはならんだろ」

「は」


 悪気はないのだろうが、気分の良い語気ではない。感情を映さない虚空の瞳が、余計にノエルの琴線に触れた。ノエルは、全身でため息をついて、


「魔力量が少ない人に言われたくないんですけど〜」

「……」

ふいっ、と何もない壁を見て、レイは眉間にシワを寄せる。

「お前程度、魔術に頼らずとも勝てる」

「んだと!?」


 稲妻が走ったような亀裂が2人の間に生じる。殴り合いに発展しかねない重々しい空気が流れ、口論となって巻き上る険しい渦巻は留まる事を知らなかった。今まで行司気取りで見物していたリージンも見るに見かねて間に入り、人一人挟んで啀み合う姿はまるで年端の行かぬ子供のよう。とてもノエル(17歳)の男とレイ(19歳)の男がしていい喧嘩ではなく、リージンは2人の顔に手のひらを押し付けながら両腕を真横に広げた。


「だーっ、落ち着け。落・ち・着・け! 注目の的になってるぞ恥ずかしい!!」

「うるせぇ!」「うるさい!」

「うるさいのは君等だろ!?」

「リージンさんも大概ですよぉ」

一歩離れたところから、リオは3人に声をかける。

「喧嘩はそれくらいにして、モニター見てくださいよモニター」

「モニタァ?」

「一大事ですよぉ。特にノエルさん」

「……俺?」


 不機嫌なシワを額に浮かべてノエルは、リージンの腕を剥がしながら視線を上に向けた。蛍光灯の眩しい光を避けるように腕を額に翳し、天井から吊るされた大きなモニターを鋭く見つめる。強い光源を放つ画面には、各ブロックの対戦が終了した文と、選出された6人の名が揺れており、ノエルはハッと息を呑んでから挑戦的な笑みを頬に浮かべた。戦闘部隊からも欲しいと言われてる、知名度No.1の正統派実力者――イズミ=ヒルベルト。彼こそが、ノエルの対戦相手だったのである。


「ノエルさん、どうしますかぁ?」

「……どうするって?」

「えー、私なら棄権するかもなぁって」

むう、と口を尖らせてリオは続けた。

「イズミさんは、本人の意思で今年も受験してますけど、本当は試験免除だったんですよ。無理無理、特別枠すぎます。ノエルさん殺られますって」

「なっ……!」


 レイは鉄格子に背中を預けながら、ひどく神妙な顔つきでノエルを見つめる。


「すまない。全く否定出来ない」

「この……っ!」


 言いたい放題の2人に、堪忍の尾が切れたノエルは、反射的に大剣に手を伸ばした。今にも斬りかかりそうな彼の姿にリージンは、背後からノエルを羽交い締めにする。


「待て待て待て! 強敵であればあるほど、手合わせする価値はあるでしょ! ねっ……ね!?」

「一理あるな」

ふむ、と頷いて、レイは猫のような瞳に怪しい光を宿す。

「ノエル。イズミは、前回の試験にも参加してる」

「それが?」

「惜しくも唯一の合格者(・・・・・・)に敗れはしたが、その功績が認められ、今回の受験免除……特別合格枠が用意された男だ。そうだろう? リオ」

「えっ」


 唐突に話を振られたリオは、声が出ずに無言で頷いた。


「それにイズミは、天才と謳われた唯一の合格者に続く第二の天才と言われた。……って事はだ。行方不明の唯一の合格者との力の差がわかるいい機会だと思わないか?」

「唯一の合格者、ねぇ」

パン、と拳を掌で受け止めて、ノエルは鉄格子に飛び乗った。

「俄然やる気でたわ。ぶちのめす」

「……そうか」


 対岸のスタンド席から飛び降りるイズミを追うように、ノエルは飛び立つ鳥のように身を跳ねる。睨み合ってるわけでも、暴言を吐いているわけでもない。それなのに2人から伝わる緊迫感は異常で、モニター越しの試験官も、開始のタイミングを見計らっているように見えた。ごくり、喉の奥を鳴らして、試験官はゆっくりと口を開く。


『これより――』


 レイは下を覗き込むように、鉄格子の上で腕を交差させると、ぽつり「頑張れ」と零した。それは誰かに伝えたいと言うより、思わず頭に浮かんだ単語を口にした、という様子だった。



 開始の合図が聞こえると同時に、ノエルは勢いよく地面を蹴った。雷属性の魔術師は基本的に動きが速いが、その中でも抜きん出た速さを持つ彼にイズミは思わず目を見開いた。


 一目見ただけでわかる潜在能力。魔力の密度、総量共に、ノエルは標準を上回る。しかし、天才と謳われる兄と比較されて育った弊害か。劣等感の塊である彼に自信なんてものはなく、感心を顕にするイズミの表情(かお)ですら、格下に対する余裕の表れに思えてしょうがなかった。


(兄さんはイズミに勝った。イズミに勝てなければ俺は一生兄さんには届かない……!)


 考えるよりも先に身体が動く。戦略も戦術もないまま、相手を威嚇するような電流を足に纏った。対ロイド戦でも見せた、動きを早くする術――電光石火(エレキッカー)。放たれた矢のような速さで、イズミの後ろに回り込んだノエルは、抜刀した大剣を脳天目掛けて振り下ろした。だが、隠す気のない殺気は、速ささえ対応出来れば交わすのは容易である。イズミは前宙で攻撃を交わしてから、宙返りの状態で掌をノエルに向けた。


水流(アクル)


 自身に向かって放たれる、渦を巻いた白濁の水流。ノエルは大剣を振りかぶってそれを一掃すると、着地したばかりのイズミに向かって初級攻撃術(ライズ)を放った。しかしイズミは、生身の状態で中級強化術(エレキッカー)に反応出来る男である。攻撃範囲の狭い初級術を避ける事など造作もなく、電撃はイズミの横をすり抜けて、後ろの床を僅かに焦がすだけに終わった。


(強い……)


 天才の名に恥じない確かな実力だと、この時ノエルは確信する。


「……君」


 相手の出方を伺ったまま動かないでいるノエルに、イズミは声をかけた。男にしては高く、どこか気品がある声だが、藍色の前髪から見える青眼は挑発的な笑みを浮かべている。


「潜在能力は高いけど、これじゃあ宝の持ち腐れだね」

「何が言いたい」

「同じアルジェントなのに大違いだなぁ……って」

「は?」


 安い挑発だ。わかっている。だけど、心の一角に燃え上がる憤懣の炎を、消化する(すべ)をノエルは知らなかった。やり場のない怒りを魔力に変えて、ノエルは両腿に気合いという鞭をいれ、勢いよく地面を蹴る。放たれる水の渦を右、左と躱して、逆手に持ち替えた大剣を薙ぎ払った。当たれば命はない。空気を断裂するような鋭さに、イズミは一瞬、固唾を吞むような真剣な表情を浮かべる。


「でも」

既の所で刃を躱し、遠い間合いから渾身の蹴りを放った。

「そんなんじゃ僕には掠りもしないよ!」

「……くっ!」


 大剣から手を離したノエルは、交差させた両腕でそれを受け止める。ミシミシと骨が軋み、額に浮かんだ冷や汗が、ツ……と頬を伝っていった。


「当たんねーよ」

「減らず口を」大きく後ろに飛び退きながら、両掌を前に突き出して、「水大砲(ハイドロキャノン)!」

「……っ、雷盾(エレキシルド)!!」


 術の(ランク)を上げてくるイズミに、ノエルの心は焦燥に駆り立てられた。水が凝縮した巨大な砲弾を、唯一の防御術で受け止めはしたものの、雷盾(エレキシルド)は元来耐久性のない初級防御術である。中級術を防ぎきるほどの強度はなく、紫電の光を纏った長方形の盾は水の重みで大きく曲がった。ミシミシッという嫌な音が聞こえる。


「チィッ」


 咄嗟の判断で横に飛び退いて、コナゴナに砕け散る盾を視界の端に入れた。観覧席すらも席捲(せっけん)する倒壊の衝撃波が、煙幕のように空中で広がっている。ノエルは、術を破られた反動で身を仰け反らせながらも、隙を見せまいと右手を振りかざした――が、衝撃など意に介さないイズミは、既に目前まで迫っており、空を切って放たれた回し蹴りに、ノエルは反応する事が出来なかった。


 鋭い一撃であった。視界がぐらりと揺れ、口の中に鉄の味が広がっていった。2発、3発と蹴りや拳が飛んできて、反射的にそれらを受け止めるが、一度崩れた体制を立て直す事は困難を極めた。やられっぱなしの防戦一方。それでも、倒れるわけにはいかなかった。兄への復讐を誓う彼にとって、イズミは超えなければならない壁であり、負けられない相手なのである。


「……っ、にゃろう」


 ノエルは電光石火(エレキッカー)で無理やり後ろに飛び退くと、目を瞑りたくなるような目映い閃光を両腕に迸らせた。勝ちへの執念と言うべきか、負けられないという強い想いに呼応するような輝きに、イズミの蒼眼は警戒するように細められる。


落雷(サンダーボルト)!!」


 片腕を振り翳した瞬間――上空に暗雲が立ち込め、紫電の稲光がぴりぴりと裂ける。突然閃き落ちる稲妻は、中級攻撃魔術とは思えない程に威力が強く、観覧席にいる誰もが食い入るように見つめていた。イズミは疾風のように駆け抜けて、落雷を1つ2つと躱していく。あくまでも冷静、取り乱している様子もなかったが、虚を衝かれたような狼狽がそこにはあった。


「厄介な技を……っ!」

空中で身を翻しながら、両掌を地面へと振り落とす。

水柱(ハイドロポール)!!」

「……!?」


 術者の周りから噴き上がる、白濁した水の柱。激しい落雷を順番に吸収(・・)してみせるも、当たるごとに形を崩し、その本数を減らしていった。一見すると、イズミが押されているように見える。しかし、力の配分を苦手とするノエルに比べ、イズミの技術力は他の追随を許さなかった。魔力総量は変わらない、とすれば、先にノエルの魔力が尽きるのは必然である。


「なっ……!」


 イズミは、初級攻撃術にも劣る、残りカスような落雷を手の甲で払い除けて、「ここまでかな」と息を吐いた。


「降参する?」

「誰ァが、降参なんか!」

「言っとくけど、僕、まだ術解いてないんだよ?」

「……っ」

「復元出来るんだよ。これ」

散り散りになっていた水の分子を己に引き寄せながら、イズミは冷ややかな微笑みを口元に浮かべる。

「しかも、君の雷を含んだ状態でね!」


 自身の雷で強化された水柱が鞭のようにうねる。受け止める術の無いノエルは持ち前のスピードでそれを避けると、大剣を拾ってからイズミとの距離を縮めた。魔力の総量が多いとは言え、上級術に限りなく近い落雷(サンダーボルト)の消費量はやはり大きい。イズミの強力な技に対抗するだけの力は持ち合わせておらず、棄権という選択肢を除けば、肉弾戦に持ち込むしか道はなかった。しかし、雷の力でパワーアップした水柱(ハイドロポール)の中に飛び込んでいくのはあまりに無謀、死に急ぐようなものである。


「あンの、馬鹿!」


 レイは、ノエルの危うい闘い方を見て、鉄格子を握りしめながら歯を鳴らした。雷を含んだ水の柱が、ノエルを追いかけていく――。

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