四
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棺桶のような電車から下りると、そこには暗闇の中で揺らぐ一つの灯籠があった。ぼんやりとした仄暗い灯りが、上へと続く長い階段を照らし、まるでこちらこちらと誘っているように見える。霊的なものが好みそうな、淀んだ湿気ある空気が漂っていた。ノエルは不快とも当惑ともとれる表情を浮かべ、狭く急な石段に一歩一歩足を乗せていった。一刻も早く上り終えたい……その一心で。
しかし、ようやく辿り着いた先に扉らしきものはなく、彼らの目に飛び込んできたものは、灯籠の灯りに照らされた白いコンクリートの壁だった。「なんだよこれ」と頼りない声をもらすノエルの後ろで、レイは無機質な瞳をキョロキョロと彷徨わせている。
「ノエル。その壁、ちょっと押してみろ」
「は?」
「おそらくだが、第3師団での仕掛けと同じだ」
「……。あっ……回転するのか」
第3師団の受付がやってみせたように、ノエルは冷たい壁に身体を預け力を込めた。瞬間、ギギギという鈍い音を奏でながら壁は回り、ノエルは飛び出すようにして魔術師試験の会場へ足を踏み入れる。大勢の熱気が、2人を包み込んだ。
「これは――」
しかし、グラウンドを囲う壁は高く、観覧席に椅子は用意されていなかった。魔術師が闘うように設計された造り。外の世界と隔離されたような空間。ここで闘うのかと思うだけで、不安と歓喜に手が震えた。同じ電車に乗車していた受験者も強者揃いだったが、数が増えた分威圧感が違う。レイは、ノエルを押しのけて会場を見渡すと、
「信じられないな」
と言って、電子手帳を手に取った。
彼の武器は『情報』である。高いサイバー能力で、国の中枢から受験者名簿を盗み出し、知人の協力を仰いで、個人情報の収集を行った。この電手手帳には、様々なデータが詰まっており、彼が、乗車している受験生の顔を知っていたのも、この為である。
「前試験で脱落した者が殆ど居ないとは……」
「一筋縄じゃいかない、って事?」
「まあ、そうだな」
「へえぇ……。じゃあ、アンタから見て、一番強い奴って誰っ」
「楽しそうだなお前」
仮面のように冷然とした顔で、興奮気味のノエルを一瞥すると、レイは周辺だけでなく反対側のスタンド席にまで視線を巡らせた。しかし、「いた」と驚目を瞠らせて、腕を上げようとしたその時。紫眼に映し出されたのは、横から飛び出してきた見覚えのある眼帯であった。
「……リージン」
行き場をなくした右手をプラプラさせるレイの姿の横には、あからさまに嫌そうな顔をしたノエルの姿があった。リージンは糸のような目を機嫌よく細めて、
「嫌そうな顔浮かべてくれちゃって。僕と君の仲じゃん」
「親友面やめろ! 大体、リオはどうしたんだよリオは!」
案の定食って掛かるノエルの後ろで、レイはやれやれと肩を竦めていた。リージンは長い袖で口元を覆い隠すと、ふふふと隙間風のような笑声を漏らす。
「リオちゃんは会場の中を歩き回ってるよ。こーんな殺気立ってるのに、怖いもの知らずだよね。ま、そこが彼女の良さ、というか魅力なんだけど」
「後方彼氏面やめろよなぁ……」
引いた笑みを皮膚の上に載せて、ノエルは「もういい」と後ろを振り返った。
「で、一番強い奴って?」
「……とりあえず、あれ」レイは、部屋の隅を顎で決った。「強い奴ってよりは、危険人物。死神との異名を持つオスカー・L・ファントムだ」
胸元に白十字を着けている仮面の男――同じ電車に乗っていた、大鎌を担いだあの人である。
「確かに危なそうだけど……変態ぽくて」
幼女誘拐とかしそう、なんて思っていると、心を読んだらしいレイから静かな指摘が入った。
「そっちの毛もあるかもしれないが。どちらかと言えば少年……」
「きっしょ……」
「ファントムは、人を殺める事に躊躇いがない。危険度A級以上――生死問わずのターゲット相手に、殺しを楽しんでいる異端者だ。……知名度は決して高くはないが、力量に関しては底知れない。あとは」
「あとは?」
「戦闘部隊からも欲しいと言われてる知名度No.1の正統派実力者、イズミ=ヒルベルトだな」
電子手帳の角を顎に当て、レイは、対岸のスタンド席に指先を向けた。しかし、ノエルが正統派実力者とやらを確認しようとした――その時。会場は暗転し、天井から吊るされた大きなモニターに、軍服を着込んだ男が映し出される。
『皆さん、こんにちは。今回の魔術師試験を担当する事になりましたマルコ=レクターです。これより、第71回・魔術師試験の一次試験を開始いたします』
※
試験の説明を端的に行ったマルコは、「健闘を祈ります」という言葉を残し、モニターから姿を消した。 静まり返っていた場内は徐々に騒がしくなり、ノエルはじわじわ緊張の息を吐き出していく。
一次試験の内容は、一対一の真剣勝負。勝者は合格とし、敗者は敗者復活戦に挑む事が出来る。対戦相手が、直前までわからないという緊張感はあるものの、3/4の受験者が、二次試験へ進めるという比較的簡単な試験でもあった。ただ一つ難点を上げるとするなら、一度に3つの会場で行われる為、試合の回転が早く、治療してる時間がほぼ皆無な点だろうか。
ノエルは、再びモニターを見上げる。蛍光灯の眩しい光に一瞬顔をしかめたが、直ぐに狼狽を頬に漂わせ、恐る恐る視線を横に向けた。モニターに表示された2人の名前。そこに自分の名はなかったが、よく知る人物の名前が白字でくっきり表示されていたのだ。
「……レイ」
「私か、早いな。Aブロックだから……ここか」
他人事のように頷くレイを見て、ノエルは驚き呆れた。彼の目が真面目でなかったら、一笑に付したいところである。
「アンタ……なんでそんな冷静に」
「冷静? まさか。これでも焦っている」
「嘘つけ」
「嘘なものか」
胸の高さまである安全柵に凭れるようにして、レイはグラウンドを見下ろした。
「……クレヴァー=アレン、といったか」
「え?」
「私の対戦相手だ。属性は鋼だったか」
やる気満々で面倒くさいな、と続ける彼にリージンは、「そうは言ってもねぇ」と、わざとらしく肩を竦めて、柵に背を凭れた。
「挑発までしてくれてるよ」
レイは、怪訝そうに眉を潜めて返す。
「それはもう熱烈にな」
安い挑発に乗るような、馬鹿な真似はしない。けれど、顔も知らない対戦相手に喧嘩を売り、自分の存在をこれでもかとアピールしている男が、レイの目には常軌を逸した存在に映って仕方がなかった。能面のような表情が、ほんの僅か歪を見せ、ノエルは驚いたように目を見張る。
「おー。珍し」
「は?」
「苛立ちを顔に出すなんて、珍しいもん見たなって」
「苛ついてなどいない」
間髪入れずに否定を口にして、レイは安全柵に飛び乗った。
「安い挑発に乗るほど、私は馬鹿ではない」
安全柵に足をかけ、グラウンドへ飛び降りるレイと、金髪灰青眼の男――クレヴァーの視線がかち合う。モニター越しに、軍服を身にまとった年若い男が姿を現したが、2人の意識がそちらに向く事はなかった。一発触発の火花が散つ。
『こんにちは。試合の進行役を努めさせていただく、ライト=グレインです。指定された受験者はグラウンドに……ああ、もう準備してますね』
目に角を立てる2人に苦笑をもらしながら、ライトは開始を告げる甲高いブザー音を鳴らした。瞬間、クレヴァーは両足に気合いの鞭を入れ、弾丸のように飛び出していく。三棍棒を構える間も与えない、先手必勝の剛拳がレイの頬を掠った。紫色の大きな瞳が、零れ落ちそうな程見開かれる。
(鋼の拳――)
体の一部を鋼に変える初級変化術・硬化。手、足、額と、攻撃に応じて硬化の部分を変え、クレヴァーはレイを防戦一方に追い込んでいった。粗削りながらも体術の心得があり、完璧とまではいかないものの魔力コントロールも優れてる。戦い慣れしているのか頭の回転も早く、挑発を行うだけの実力は伴っているように見えた。しかし、どの攻撃も、避けられないほどのものではない。
レイは、クレヴァーの打撃を、必要最低限の動きで交わし、掌を用いて衝撃を流していった。傍目から見れば、追い詰められているのはレイであるが、その実、精神的負担を強いられているのはクレヴァーの方であろう。レイはくつりと笑みを浮かべて、
「データ通り、直情的な男だ」
「あ゛ぁ゛!?」
大振りの右フックを後ろに飛び退いて交わすと、レイは体を開いて、
「癒心!」
鋼の拳に掌底打ちを決めた。
瞬間――皮膚を覆う鋼は蒸気のように消え、術を破られたクレヴァーは反動を受け一歩ニ歩と後退る。何が起きたかわからない、そんな顔をしていた。
聖属性の初級補助術・癒心は、触れた相手の敵意や殺意を緩和させる癒しの術であると同時に、相手の魔力コントロールを狂わせるという副作用もある。今回、レイは、その副作用を利用したのだが、そこに気づくほどクレヴァーの知識は深くはない。まるで、得体の知れないものを見るような目で、レイを一瞥すると、クレヴァーは、後ろに飛び退き両手を前に突き出した。掌に集まる灰色の魔力は、「鋼砲」の一言で左腕を機関銃へと変え、鋼の弾丸を連続的に発射させる。
傍聴席をざわつかせる速さと威力だった。けれど、レイはウエストポーチに手を回しながら、弾丸の軌道を見極め避けるを繰り返すだけだった。聖属性は防御主体。防げる術はいくらでもあるのに、である。不可思議な戦い方をするレイを黙って見ていたノエルは、理解出来ないとでも言いたげに首を傾げた。
「なんで、アイツ、術を使わないんだ?」
「あー……それは」
「魔力配分ですよ」
リージンの台詞を遮って、ノエルの問いかけに答えたその人物は、何が面白いのかヘラヘラと笑っている。ノエルは呆れたような表情を浮かべて、
「どこ行ってたんだよ……リオ」
「レイさんは、この戦いに負けた時の事も、考えてるんだと思いますよ」
「僕もそう思う」
リオの説明を補足するように、リージンは続けた。
「多分だけど、レイは魔力総量が低い。そして、それを知力と魔力コントロールで補っている技術タイプだ。ここで全力を出して、最悪負けてしまったら? 敗者復活戦で勝ち抜けなくなるんだよ」
「まあ、二次試験も控えてますし、魔力をスッカラカンにはしたくないですよね」
そういうもんかね、と腑に落ちない顔をして、ノエルは再度グラウンドへと視線を向けた。
「……っ」
片腕を機関銃に変える中級攻撃術――鋼砲。高い機動力と殺傷力を誇る反面、軌道を読まれやすいという弱点を持ち、武術の心得がある者同士の戦いにおいては、勝負の決定打になり辛いと言われている。だが、あくまでそれは一般論。魔術の質は術者の技量に左右され、全項目を器用にこなすバランスタイプであるクレヴァーが放つ弾は、速く重く大きかった。避ける事は容易くとも、距離を縮められるほどの隙は与えてはくれない。
(欠点らしい欠点がない優等生タイプ。だけど)
レイの、猫のような瞳が悪戯に笑む。
(精神面においては、まだ、まだ……!)
「流石に生身はキツいな。避けられないほどではないが」
挑発的な声色が、クレヴァーの逆鱗を刺激する。抑えきれない怒りの念が、白い肌を燃えるように火照らせる。自制が利かなくなった魔力は、体中から放出され、憎悪に染まったグレイッシュブルーの瞳はレイを捉えて離さなかった。
(挑発させて、隙を作る事が目的だったが、まさかここまで乗ってくるとは)
憤懣の情と比例するかのように、鉄の塊は更に大きく、そして速さを増していく。まるで、空を割くような衝撃だった。けれど、反面、命中力は欠き、先程まではなかった隙が生まれているのも事実だった。
レイはウエストポーチから卍の手裏剣を引き抜くと、冷静に弾道を見極め、身体をひねる。抜刀術のような動きであった。目の前の敵を薙ぎ払うように、卍の剣をクレヴァーに投げつける。
「……なっ!!」
障害物をすり抜ける、予想の斜め上をいく反撃に、クレヴァーの焦りを含んだ声が聞こえた。攻撃の手を止め、鋭い刃を咄嗟に払い除け、手の甲にザクロを潰したような傷が出来る。ぽたり、ぽたり、と、糸のように垂れる赤い鮮血が、床の上を生き物のように這い、広がっていった。焦燥と憤懣に歪んだ瞳に、飄々としたレイの表情が映し出される。
「お前、攻め入られると苦手なタイプだろ。防ぎ方が雑すぎる。一生残るぞその傷」
分析するように呟いて、相手の出方をじっと伺う。攻撃の機会が訪れたにも関わらず、一切手を出そうとしない舐め腐った態度は、クレヴァーの逆鱗を刺激するに十分だった。
「バカにしやがって。お望みどおり、ぶっ潰してやるよ……!」
衝動的に胸を叩いたクレヴァーの利き手が、灰色の魔力に覆われていく。レイの眉間に僅かなシワが刻まれた。
「お前、それ……嘘だろ」
「心武! 朝星球!!」
心の臓に集められた魔力が、物質化し、武器へと変わっていく――次の瞬間。レイは後ろへと飛び退き、クレヴァーは彼を追うようにして、鎖に繋がれた鉄球を放った。
術者の心臓を具現化した武器、通称・心武。術者の精神と直結している為、強さの程度に差はあれど、大体は上級魔術に匹敵する強度を誇っていた。武器破壊、イコール、精神崩壊に繋がる諸刃の剣でもあるが、レイが扱える初級・中級術では、破壊どころか防ぐ事すら困難であろう。
(まいったな)
レイは、飛んでくる鉄球をバク転で避け、空中で苦無を投げつけた。――しかし、
「甘ぇんだよ!!」
クレヴァーはそれを手の甲で払い除けながら前進し、レイが地に足をつく前に飛び蹴りを食らわせる。
「っ、らぁ!!」
「……っ!」
誤算だった。遠距離攻撃に適した武器を見た時に、肉弾攻撃は仕掛けてこないだろうと決めつけてしまった。蹴りを受け止めた左腕がミシミシと音を立て、男にしては軽いレイの身体が宙へと蹴り飛ばされる。クレヴァーの勝ち気な笑みが、レイの無機質な瞳に映し出されていた。
「お前――何故、心武を使える?」
「は……?」
「魔力コントロールが高くなければ、心武は扱えない。お前の技術では到底――」
「っ、るさい!!」
言うが早いか。右腕を大きく振りかぶり、殺意の塊と化した心武を、レイ目掛けて投げ飛ばす。
絶対絶命であった。
なのに、身動きがとれない空中では避ける術など無いというのに、レイは魔力を使うどころか、体制を立て直す素振りも見せなかった。まるで、“心武が煙のように消失する未来”を知っているかのように。彼は、膝から崩れ落ちるクレヴァーの姿を、冷静な眼で見据えている。
「思ったより、時間がかかったな」
乳白色の薄霧となった、心武だったものに包まれながら、レイは壁を足蹴に地面へと着地する。
「クレヴァー。お前の負けだ」
「……テメェ、一体何を……」
クレヴァーは、何が起こったかわからない、といった顔をしていた。震える手足、せり上がる吐き気。これでは心武を維持するどころか、初級魔術を放つ事すら不可能である。
「俺にっ、一体何をしやがった!!」
「クレヴァー……」
レイの目が瞬く。まだ気づいてないのか、とでも言いたげに、
「それはだな、卍手裏剣に神経薬を塗ったのだよ」
「はあああ!!??」
いけしゃあしゃあと言い放つレイに、クレヴァーの額に筋が浮かぶ。
「なんっっだ、それ卑怯だぞ!!」
「使ってはいけない、なんてルールはない」
「これは魔術師試験だろーーーーッッ!」
「魔力は無限に溢れ出る泉じゃない。節約するのも、また戦略だ」
魔術は便利な魔法ではない。体内を巡る魔力には、総量というものが存在し、魔力の量に恵まれた者もいれば、恵まれない者もいる。これは、努力だけでは補えない『才能』という個性であり、レイにはこの才が圧倒的に欠如していた。故に、一回戦から全力を出すわけにはいかなかったのである。
「安心しろ。敗者復活戦には支障はないし、何なら解毒薬もある」
「……。は? なんだそれ。だから、負けを認めろって……そう、言ってるのかよ」
「随分と察しが良い。なら、合理的に判断したまえよ」
2つの視線がかち合う。クレヴァーは途端に、肩の力を抜いたような、薄い笑みを浮かべて、モニター越しの試験官へと視線を移した。まるで、自分の負けを認めるかのように。