十
十
波紋のように広がる衝撃が、防風となって周囲を包んだ瞬間。乾いた土が煙のように舞い上がり、レイは大きな瞳を糸のように細くした。体中の水分が、ジリジリ干上がっていくような焦燥感。上擦った気張り声が鼻孔でくぐもり、歯が金物のようにガチガチ音を鳴らした。努力だけでは辿り着けない天性の領域。量、濃度共に一級品であるノエルの魔力は、技術特化型のレイを以てしても完全掌握する事は不可能であった。ハッ……と乾いた笑みを浮かべ、彼は凛とした声を張り上げる。
「リージン! これ以上は無理だ、受け身の準備を……!」
「……! わかった」
落下の衝撃が相殺されたタイミングを見計らい、魔力への干渉を止めた刹那。操縦者を失った魔力は四方八方に分散し、2つの体は、旋風に呑まれる様にして宙へ放り出されていった。ノエルは弾かれるように振り向きながら、顔全体に焦りの色を漂わせる。
「レイ! リージン!!」
ドン、という乾いた着地音が聞こえた。地に落ちた身体はバウンドして、痛みと衝撃が神経を刺激した。気を失うほどではなかったが、言葉を返す気力もないレイは、唇をへの字に結んで首を振った。動きたくない。何もしたくない。このまま担架で運ばれて、丸一日横になっていたい。なのに、つんのめるように走り出すノエルの存在が、彼の後ろに現れた人影が、現実逃避をする事すら許してくれなかった。レイは、横たわったまま動こうとしないリージンを揺さぶりながら、目に鋭い光を湛える。
「ノエル……っ、後ろ!」
「……っ」
ハッと息を呑むように立ち止まったノエルは、目に狼狽の表情を浮かべて、こわごわ後ろを振り返った。物音すら立てない、ひそやかな足取り。希薄で、存在すら感じられないその軍人は、「そのまま楽にしてろ」と言わんばかりにひらひら手を振ってみせた。
「アンタは?」
「警戒するな、敵じゃない。……ま、味方でもないけど」
気だるそうに軍服の襟を正して、男はフラワーホールの階級章を見せつける。
「アメラギス国陸軍少尉、ハドラー=アークスだ。俺は、二次試験合格の知らせと……最終試験の内容を伝えに来た」
リージンが顔を上げる。思わずこぼれた「まだあんの?」という言葉には、堪えがたい悲愴が込められていた。ファントムとの戦いで、彼は魔力の殆どを使い果たしている。過酷な試験に挑む余裕はなく、また無謀でもなく、リージンは放心したように首をガクリ胸に落とし込んだ。
「せめて回復時間は欲しいんですけど〜」
「早とちりすんな。別に今すぐ戦えなんて言ってないだろう」
呆れた、というふうに肩を窄めて、ハドラーは続ける。
「そもそも、最終試験は半年から一年かけて行うのが通例だ」
「は? いちねん?」
ノエルの目が瞬く。意味がわからないと言いたげな表情をしていた。「だって前回は――」と言葉尻を飲み込んだ彼に、ハドラーの視線が注がれる。
「前回の一次試験は筆記、面接。二次は、10分間全員で戦い合って、立っていられた者が合格……という内容だった。まさか、たった1人の受験生が、全員を瀕死状態にしてしまうなんて誰が想像出来る?」
「……。シオン、アルジェント」
「そうだ。前回の合格率が低すぎたお陰で、今年はやたらめったら受験生が多くてな。前試験なんていう抜き打ちテストを行ったのも、要は人を減らす為。選りすぐりの人材だけで試験を行いたいと、レクター大佐が」
短髪の頭を掻き毟りながら、ハドラーは面倒臭いという感情を吐息に乗せた。
「ま、最終試験を突破しねぇと、どの道合格は出来ねぇ。うだうだ言ってねぇで、とりあえず話を聞け。いいな?」
「はあ、まあ」
うだうだ喋ってたのは貴方では?という言葉は飲み込んで、地べたに座り込んだ尉官らしからぬハドラーに、3人はただただ頷くしかなかった。ハドラーは、パンッと手を打って、満足げな笑みを頬に浮かべる。
「まず、最終試験の内容は賞金稼ぎだ」
「賞金稼ぎ?」
思わず聞き返すノエルに、ハドラーは肯定の意を込めて大きく頷いた。
「そうだ。賞金首の級ごと点数配分されててな。100点に到達した者から順番に、国家魔術師になれるシステムになっている。賞金稼ぎ未経験の奴にはちと不利なゲームだが、お前らはどうだ?」
「俺は大丈夫。レイとリージンは?」
「僕も大丈夫だよ」
一夜にして全てを失ったノエルは勿論の事。移民二世であるリージンも、まともな仕事に就く事が出来ず、賞金稼ぎで食いつなぐ日々を送っていた。賞金稼ぎはあまり誇れた仕事ではないが、今回ばかりは運がいいと言わざるを得ない。2人は顔を見合わせて、安堵の表情を浮かべた。しかし、レイは得心のいかない顔をして、訝しげな目をハドラーに向ける。
「筆記もなし、面接もなし。実践さながらの手の込んだ試験ばかり。即戦力を求めているように思えるのですが、近く何かあるんですか?」
「……ほう」
驚目を瞠らせて、次に微笑を口角に浮かべて、ハドラーは「残念だが」と目尻にシワを寄せた。
「俺たちにも、レクター大佐の考えてる事はわからない。聞きたいなら直接聞くんだなッ」
「無茶を言う……」
「んな事ァないだろ。合格して候補兵にでもなれば、少尉同等の地位を与えられる。戦闘部隊にでもなれば左官級、上は将官級だ。機会は幾らでも訪れるだろ」
さもありなんといった顔をしてハドラーは続ける。
「だから、今は余計な事を考えるな! 今から言うルールを頭に叩き込め。いいな?」
「……」
有無を言わさぬ語調だった。本当に何も知らないのか、重大な何かを隠そうとしているのか。わからない。どちらでも全然おかしくない態度に、レイは二の句を継ぐことが出来なかった。ハドラーは我が意を得たりというように鼻で笑って、口上でも読み上げるような口調で説明を始める。
「タイムリミットは1年。賞金首の換金時に懐中時計を提示すると加点されていくシステムで、個人プレイも協力プレイも可能だ。プレイヤーの分母が多ければ多いほど、1人頭の配点は減るデメリットはあるが――まあ、より危険度が高い賞金首を狙いにいけるメリットはあるかな。
配点は、B級以下は5点。A級で10点。
S級20点、SS級30点、SSS級50点となっていて、
SSS級を上回るSSS+は、協力人数関係なく満点合格、
となっている。ただし、+がつく犯罪者は、アメラギス国が誇る各戦闘部隊の長――13の軍神でなければ倒せないと判断した犯罪者だ」
間違っても手を出すな、と念を押し、ハドラーは、特にお前と言わんばかりの目をノエルに向けた。タワーでの一部始終を見られていたのか。レイやリージンからも訝しむ目を向けられノエルは、何か口にしかけたことを躊躇ってそのまま口を噤んだ。ハドラーは喉の奥でクックと笑う。
「懐中時計の破壊イコール失格、というルールは継続される。懐中時計が壊されると、1番州の陸軍本部に転送されるシステムになっていてな。それで……」
途端にハドラーの歯切れが悪くなった。考えあぐねるように視線を彷徨わせて、掠れた声を絞り出す。
「他人の懐中時計を壊しても、25点、加点される。こっちは協力プレイで点を配分する事は不可能だ」
「……へえ?」
多勢に無勢。雉と鷹。自身の能力、現在の限界点を知ったノエルには、独り行動という選択肢はゼロに等しかった。たとえ、仲間に寝首を掻かれるリスクがあったとしても、危険度の高い賞金首を狙いにいけるメリットには代えがたい。ノエルは微笑を口角に浮かべて、
「随分、意地の悪ィ試験なこって」
「それは同意」
わざとらしく肩を竦めてハドラーは続けた。
「最後に、その懐中時計についてだが――」
「おう」
「文字盤の中央に穴があるだろ? 各自、師団で配られた車輪十字のピンバッチを差し込んどけ」
「……ピンバッチを?」
「それが最終試験開始の合図になる」
好きなタイミングで始めな、と少し投げやりな口調で続けると、ハドラーは胸ポケットから起爆スイッチに酷似したナニカを取り出した。まじまじと探るように見つめる金色の瞳が、ほんの僅か狼狽で揺らぐ。
「それは――」
カチッと音が聞こえた。躊躇なくボタンを押したその手で、ハドラーは自分の後ろを指し示した。瞬間、地面は身震いでもするかのように低い唸りを鳴らして反転し、地下へと続く石畳の階段が陽光に晒される。
「この下には、各州に続くたくさんの一両電車がある。好きな方面へ行くといい」
「手続きをした州じゃなくてもいいの?」
「ああ。独りで挑むも良し、仲間と挑むも良し。ここが分岐点になるから、よーく考えろよ」
特にお前と言わんばかりの顔をして、ハドラーはノエルの頭に軽く手を置いた。呆けていたノエルの顔が、みるみる羞恥の色に染まっていく。
「っ、何してやがる……っ!?」
「あまり死に急ぐなよー。青年」
「……は?」
「君たちの健闘を祈る」
踵を返したハドラーの気配は、既に希薄になっている。手を振りながら、けれど一度も振り返らず木々の奥へ姿を消していく彼の姿を、ノエルは目で追う事しか出来なかった。死に急いでいるつもりはない。けど、傍から見れば冷静を欠いた無謀な復讐に見えるのだろう。ノエルは面伏せな気持ちでため息をもらすと、どうしたものかと思案するレイとリージンに目線を向けた。
「これからどうする?」
「ここは早く離れた方がいいかもな」
片膝に頬杖をつきながら、レイは視線を宙に彷徨わせる。
「他の受験生と鉢合わせても厄介だし」
リージンは相槌代わりに息を吐いて、「意外と鈍感?」と呆れ眼でレイを見つめた。感情の起伏が乏しい無機質な瞳が、一回二回と瞬く。
「そういう意味じゃないっしょ。……ねえ、ノエル?」
「……」
「僕も賛成ー」
「まだ何も言ってねぇっての!」
ぷはっ、と息を吐き出すようにノエルは笑った。首を後ろに反らしながら、屈託ない朗らかな笑顔であった。今まで見てきた生意気で挑戦的な笑顔じゃない。幼さを残した、無邪気で朗らかな表情に、レイはパチクリと目を丸くする。
「俺の聞き方が悪かった。レイ、リージン、俺とチームを組んでくれ」
*
勢いに圧倒されたと言うべきか。普段見せない笑顔に騙されたと言うべきか。ほぼ成り行きでチームを組む事になったレイは、ガードレールに腰を掛けながら今後の事について頭を悩ませていた。
3番州ブリカルト群。アメラギス国内で最も面積が小さく、州内では2番目に人口が多い。所謂、都心である。治安が悪化しやすい都心は、犯罪が起こりやすい反面、その人口の多さ故見つかりにくい。大物狙いならともかく、早急に3人の共通財産を作りたい今の状況には、些か適してないとレイは思っていた。
その日暮らしのノエルとリージンは言わずもがな。拠点としてる場所が遠いレイも持ち金は僅か。数日の宿代くらいは払えるが、すぐ底が尽きるのは目に見えている。
(治安が悪い国に移動するにしても何処に行けば……)
レイは眩しそうに空を見上げながら、おもむろに口を開いた。
「どう思う?」
前置きも説明も一切ない突拍子のなさ。キョトンと目を丸くするノエルに代わり、リージンは苦笑いを浮かべながら頷いてみせた。
「まだ日は高いからね。手っ取り早く稼げる地域を、とりあえず拠点にして、持ち金増やした方がいいと思う」
「え? なんの話だ? 金?」
訳がわからないと言わんばかりの露骨な表情に、レイはわざとらしく肩を竦める。
「旅をするには金が必要になるだろう」
「わ、悪かったな……頭の回転鈍くて」
「ほう、自覚はあったのだな」
驚いたように目を見開いて、レイは続けた。
「なら、1番適した場所を考えろ。流浪人の出番だぞ」
「こいつ……」
ノエルの頬がピキッと引き攣る。
「レーイ。いちいち煽るの止めろー?」
ツンと取り澄まし、他人の神経を逆撫でする口の利き方。どうしてこうもノエルに突っかかるのか。怒りを露わにするノエルを宥めながら、リージンは苦言を呈する事しか出来なかった。しかし、喧嘩を売った張本人でありながら、レイは何事もなかったかのように口を開く。
「それで? 何か案は」
「……はいぃ?」
空気が読めないのか。あえて読まないのか。この状況、このタイミングでよく言えたものだと、リージンは感嘆の息を洩らし、ノエルは思わず空を仰いだ。
「資金集めと言えば、11の県だろ……」
「ほう」
「スラム街も多い。犯罪も日常茶飯事。大物に当たらなくても小金稼ぎくらいにはなる……」
「なるほど」
不貞腐れた表情をしたノエルを無機質な瞳で見上げ、それから怪訝そうに眉をひそめるリージンに視線を移した。
「何か引っかかるのか?」
「うん? うーん……いくらなんでも治安悪すぎじゃない? ちなみに何番置県?」
「5番置県のオリンズ市。最近、栄えてきたし……半年くらい住んでたから土地勘もあるんだ。つーか、そんな悪くもないぜ」
「悪くない?」
「おう。市場は安いし、宿代も安い。まあ、インフラは整ってないし、夜道は未だ危険だけどさ」
観光者が避けて通るスラム街を、故郷のように語るとは。ノエルの発言に狼狽えるリージンの反応が、レイの目には至極真っ当に見えた。危険を省みない勇気は、度が過ぎれば愚かなだけである。
「良いか悪いかはともかく、だ。私も、スラム街行き自体には賛成なのだよ。我々には、場数を踏む必要があるからな……」
「場数って……?」
きょとんとレイを見つめるノエルの横で、リージンは神妙な面持ちで瞼を伏せる。
「受験者狙いの受験者」
「そうだ。配点25は魅力的すぎるし、遭遇したら即バトルも有り得なくない。それに――」
「それに?」
「SS級以上の賞金首と戦う事になるかもしれないだろ?」
思案するかのように目を細めると、レイはガードレールから身を下ろした。おしりについた白い汚れを軽くはたき、ふんと鼻で笑う。
「ファントムにちぐはぐなチームワークと言われた通り、我々は戦いの場において意思疎通が全く出来ていない。このままではお互いの足を引っ張り合うだけだ」
個人の能力が高くても、チーム戦になれば確実に負ける。だから場数を踏みたい、3人で強くならなければいけないのだ、と続けるレイに、ノエルは唇を剃り返すようにニッと笑った。
「いーじゃん。望むところっしょ」
「……ノエル」
彼の辞書に不安という文字はないのか。挑戦的に、かつ楽しげに笑うノエルを見上げながら、レイは眩しそうに目を細めるのだった。




