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エデンの東  作者: 鴨葱
1/12

 絹糸のような雨が、さらさらと降り続いていた。目に見えぬ程度の細やかなものであったが、少年にとっては陰鬱で冷ややかな雨に違いなかった。胸に抱いた菊の花束がくしゃりと音を立て、朽ちゆくばかりのじめじめとした家を見上げる。墓石と言うにはあまりに粗末な石塚が、妙な存在感を放っていた。


「ただいま」


 癖の強い漆黒の髪に、意志の強さが現れる金色の瞳。「久しぶり」と語りかける横顔は、とても16の子供には見えない風格を漂わせていたが、胸元で合わせた二つの手は、誤魔化しきれない程に震えている。未だ、心の傷が癒えていないのだろう。重々しく口を開いた彼のまつ毛は、風もないのにふるふると揺れていた。


「中々、来れなくてごめん。……今日は、報告があって」力ない笑みを口角に漂わせ、「聞いてくれる?」


 若葉に彩られた夏の里山が、一瞬で血色に染まった1年前の惨劇。廃嫡された兄による一家惨殺事件(・・・・・・)が、彼の人生に暗い影を落とした。賞金稼ぎとして忙しくしていなければ、きっと自我すら保つ事も出来なかっただろう。


「……兄さんが、賞金首になった。……S(クラス)の犯罪者に」


 冷たい石塚に落ちた大粒の涙が、雨に溶け込み消えてゆく。形の良い唇から漏れ出た嗚咽が、人気のない山奥に静かに轟いていた。


「父さんや兄弟を殺したアイツを……俺は許さない。でも……俺さえいなければ、俺が嫡子にならなければ、こんな事にならなかったのかな。……父さん」


 自分から嫡子になりたいと頼んだわけではない。それでも兄に対する罪悪感が、肉親同士で殺し合う事への抵抗感が、復讐への覚悟を揺るがせるのだ。



 路地を小刻みに折れながら、男は死に物狂いで走っていた。荒野の狼に追われる兎のように、驚くべき速さで逃走していた。息は絶え絶えに、両手を振り回し、絶望の感情を両の目に迸らせる。如何なる手を使ってでも、追跡者を煙に巻く必要があった。しかし、後ろから追ってくる足音は男の前へと回って、


「ゲームオーバー」と余裕綽々。口元でにんまり弧を描く。「こんにちは。賞金首さん」

「……っ!」


 はっはっ、と口の外で動悸を打つ男を前に、追跡者は旅行鞄を肩に担ぎながら一歩ニ歩と歩み寄る。金色の瞳が印象的な、若い賞金稼ぎであった。青年は後退する男の鼻頭に大剣の切っ先を向けると、


「無駄無駄! 無駄な抵抗止めなって」

「お前……何者だ……」

「賞金稼ぎ」くつりと喉の奥を鳴らす。「んでもって、国家魔術師」

「国家、魔じゅ……君のような子供が……?」

「そっ」訝しむような視線を跳ね除けるように、青年は呵々大笑と大剣を肩に担いだ。「今回の試験で合格する予定」

「……」


 新興国家アメラギス――未だ民族闘争が絶えない此の国には、魔力という異質な力が存在する。二百年前の独立戦争では大いに役立ったという話だが、共通の敵を失くした多民族国家にとって、巨大な力は内紛を生む要因に成り得た。故に、国は反逆者が生まれぬよう、生まれても直ぐに制圧出来るように、国家試験を設け、落第生には魔力の封印を強要している。そう簡単に合格出来るような難易度ではないのだ。


「俺が言う事ではないけど。その、魔術師試験……確か明日だろう? こんなところで油売ってていいのかい?」


 魔術師試験の合格者は、毎回1割にも満たしておらず、最難関と名高い国家試験である。青年の自信過剰な発言に、男が呆れるのも無理からぬ話であった。


「危険度E級の窃盗犯・マイク=リチャード。捕まえれば3万円の賞金。……普通に欲しい」

「なんだ君も貧乏人か。ひもじいな」

「し、仕方ねぇだろ!? 俺は昨日から――」


 何も食べてないんだよ、と続けようとした青年の声を、ポッポッポッという鳴き声が遮った。石レンガの上に止まり、じっとこちらを伺う、よく躾けられた伝書鳩である。青年は不服そうな面持ちで、足に括り付けられた手紙を受け取ると、驚きを幼い表情(かお)に漂わせた。


「……アメラギス国連邦行政部?」

「国家試験の受験資格について、と書いてるね」


 受験者全員に一斉送付された書類である事は見当がつく。しかし、男の言う通り、魔術師試験は明日に迫っているのだ。何故今頃、という言いようのない不安が胸に広がり、青年は緊張した強い表情のまま字面に目を走らせていった。





 はじめまして、ノエル=アルジェント様。

 私は、陸軍教育総監第一部長、兼、魔術師試験審査部長のマルコ=レクターです。この度は、魔術師試験の受験申込、誠にありがとうございます。

 魔術師試験は、隔年で行われる国家試験です。25歳までの能力者を対象とし、規定の年齢までに、資格の取得をされていなければ、魔力を剥奪。力の封印をさせていただきます。その際に、逃亡をはかる方もいらっしゃいますが、例外なく投獄させていただきますので、ご理解のほどよろしくお願いします。

 少々暗い話になりましたが、何も悪い事ばかりではございません。晴れて国家魔術師になった暁には、ライセンスを持つ者にしか許されない仕事、施設への出入りが認められます。国から与えられる任務を、遂行していただければ、安定した収入も約束いたしましょう。どうか、頑張ってください。


※お知らせ

《前試験》を行います。

責任者を務める私の意向で、今年より導入した制度です。明日の試験までに、あるものを用意していただきます。ただし、もし用意する事が出来なければ、失格と見なしますのでご注意ください。

 明日までに用意してほしいものは――


『    』


 それでは、ノエル様のご活躍期待しております。

また、集合場所ですが、明日10時、各州の陸軍師団司令部に変更となりましたのでお間違いなきよう。





「……は?」


 書類を持つ手が震えた。思いつく限りの罵詈雑言が口から飛び出していきそうだった。金眼は右往左往とし、血色の良い肌はサーと血の気を失う。無理だと思った。少なくともノエルには難しい課題だった。だけど、彼の辞書に“諦める”という文字はなく、使い古した大剣を鞘に戻しながら、やや語尾の高ぶった声で話し始める。


「……この街にある情報屋知らん?」

「ただの食い逃げ犯が知るわけないよね」


 明日までに用意しなければいけないもの――それは、危険度B級以上の賞金首。ノエルは、驚愕と狼狽で腹立たしい気分になりながら、


「なんで、E級なんだよ、おっさん!!」


と、理不尽に詰め寄った。


「ええ!?」

「……駄目だ。駄目だ駄目だ、こんな事してる余裕はない……おっさん、今回は見逃してやる! じゃあな!」


 タイムリミットまで、残り15時間。心なしか嬉しそうな男をその場において、ノエルは脱兎の如くスピードでその場を後にした。


 しかし、情報屋という仕事は、多岐に渡る情報を売り買いする裏の仕事。命の危険に晒される事が多く、白昼堂々経営するような間抜けは存在しなかった。カフェを装っていたり、ビルの地下に酒場を作ったり等、1日2日で見つけ出せない場所に店を構えている。それをたったの数時間で見つけ、かつ賞金首を捕まえるなど、賞金稼ぎを本業にし、各地を放浪している彼にとっては、この上なく難しい課題であった。


「はあ……どうしろって言うんだよ」


 ため息一つ。俯いた顔を僅かに上げると、朧に輝く水銀の灯が、光り無き街を静かに照らしていた。昼間の賑わいは鳴りを潜め、帰路を急ぐ人達の足音が無機質にアーケードに轟いていた。時計に視線を落とせば、指針は21時を示しており、昂然と歩くノエルの歩調は、やがて引きずるような重い足どりになっていく。嘆きと諦めが入り交じる、なんと言えない背中をしていた。


(これ、全員落ちるんじゃねぇの?)


 ただでさえ少ない異能者を、更にふるいにかけるとは、マルコ=レクターとは如何なる人物なのだろう。ノエルは表情に悲壮感を漂わせながら、ガクンと首を折るようにして項垂れた。瞬間、


「――――!!!!」


耳をつんざくような男の怒声が、アーケード通りに響き渡る。

 ノエルは反射的に顔を上げ、「なんだぁ?」と、近視のように目を鋭く細めた。ピントが合った金色の視界に、半グレ5人に取り囲まれた、少年の姿が浮かび上がる。


 遠目からも目立つ銀色の髪。意志の強さが感じられる紫色の眼光。七分袖のワイシャツと黒いベストを着用し、下はグリーンチェックの膝丈キュロットを履いている。何処かの民族衣装を彷彿させる、独特なファッションであった。少年は訝しげに眉を潜め、


「聞こえなかったのか? その汚い手で私に触れるなと言ったのだが」


 半グレの眼に獣のような怪しい光が宿り、ノエルの頬に冷や汗が伝った。


「こ、いつ……あまりナメんじゃねぇぞ! ぶっ殺すぞ!!」

「レイ。……こいつじゃない」


 端正な顔立ちからは想像もつかない、酷い毒舌。感情の起伏を感じられない、機械のような声色。男達の表情は次第に怒気を帯びていき、周りの空気は葛湯のように重たくなっていった。


 彼らは真っ当ではない。人を殴りたくて仕方ないという目をしている。下手したら、命すら奪われかねない危険な状況。なのに、レイと自称した男は一戦交える事を望むかのように、徐ろに三節棍を構えてみせた。


 余程、武芸に自信があるのか。はたまた、相手の力量をわからぬ馬鹿なのか。長身で筋肉質な男達に比べ、彼はあまりに華奢で小柄。このままでは殺されかねないと、レイの身を案じたノエルは、


「あンの、馬鹿……!」


と、悪態をつきながら夢中で駆け出していった。

 しかし、焦燥を漂わせた顔で、背中の大剣に手を伸ばそうとした――その瞬間。氷のように冷たいレイの眼が、ギロリとノエルの姿を捉える。咎めるような視線が、余計な手出しは無用だと、訴えかけているように見えた。


「……っ!?」

「言っておくが、私は強い」

誰に向かって言っているのか、虚な目でレイは続ける。

「病院送りになりたくなければ、今すぐ退け」

「この……っ、本気で死にてぇらしいなァ!」


 戦いに(いざな)う露骨な挑発だった。されど、男は総毛が粟立つ殺気を放ち、激情に突き動かされるように、サバイバルナイフを大きく振りかぶる。風を斬り裂く音が、周囲の悲鳴によりかき消され、レイは“やかましい”といった顔で、ほんの僅か身を反らした。必要最低限の動きであった為、ナイフの切っ先がベストを掠ったが、全く意に介さず相手の懐に飛び込んでいく。


「……っ!?」


 その素早さ、戦い慣れをした大胆さに、男は狼狽え後退った。その一瞬の隙を好機と捉えたレイは、即座に男の顎を蹴り上げ、ガラ空きとなった脇腹に棍棒を叩き込む。ボキッというこもった音が、男の体内から聞こえた。レイの無機質な瞳が、他の4人に向けられる。


「全員、病院送り希望者か? いいだろう」


 鬼か夜叉、最初に呟いたのは誰だったろう。骨が折れようが、血反吐を吐こうが、攻撃の手を止めない容赦のなさに場は騒然となっていった。戦いの場において、一瞬の判断が命を左右する……きっと彼は、それを本能的に理解している人間だ。


「……貴様で最後だ」


 頬についた返り血を拭い、レイは最後の1人を放り投げる。彼の目前には、積み上げられた男の山が出来上がっており、ノエルはその身体能力の高さに驚きを隠せないでいた。


「……意外に……強いんだな」


 自然と出てきた素直な賛辞に、レイは僅かに視線を反らす。胸元で揺れる魔法石を片手で弄びながら、


「君はお人好し? それとも偽善者?」


と、開口一番失礼な言葉を浴びせた。ノエルの頬がピクリと引きつる。


「人を助けるのに理由なんていらねーだろ!」

「……。そうかな」ふん、と鼻で笑い「貴様、今年の国家試験を受ける者だろう」 

「な、なんでそれを……」


 狼狽を顔に漂わせたノエルに、レイは追い打ちをかけるように口を開いた。 


「受験者の素性は調べている。……大方、助けるふりをして、B級の賞金首を横取りしようと――」

「は!?」

「……なんだ。人の話はちゃんと」

「こいつら……賞金首だったの?」


 驚いて目を白黒させるノエルに、レイは面食らった鳩のようにぽかんと口を開けた。


「くそー! 知っていれば、横取りしたのに!!」

「……バカ正直」

呆れ眼でノエルを見つめ、レイは小さくため息をもらす。

「という事は、やはりまだ捕まえてないのだな」

「え、ああ、まあ。情報屋を探してたんだけど……」

「随分と効率が悪いやり方だな。情報屋を見つけてタイムアウトが関の山だろう」


 歯に衣着せぬ率直な発言に、ノエルは項垂れるようにして頭を下げた。もう怒る気力すら残っていないらしい。


「でも、まあ……疑って悪かった。……そういう事なら尚更、自分の力で捕まえないと気がすまないだろう。私の獲物を分け与えられてもな」

「いやっ! 別に! そんなこだわりは――」

「そこでだ」


 反論するノエルの台詞を見事に遮ると、レイは何事もなかったかのように続けた。計算なのか天然なのか、ノエルの頭では推し量る事が出来ない。


「私は情報屋志望の受験生だ。つまり、賞金首の情報をいくつか持っているのだが――」

「教えてくれるって?」

「ああ。今夜11時、3番州行きの夜行列車に危険度A級の暗殺者が1人乗るのだが……捕まえる気はないか? 第3師団司令部も駅から近い。悪い話ではないだろう?」

「え……まあ」


 困惑で思考が停滞するノエルに、レイは無機質な瞳をほんの少し和らげる。


「何故? って顔だな。理由は簡単。私は今夜その列車を使う。睡眠を妨害してほしくないのだよ」


 自分の睡眠を邪魔されたくないからと、こともなげに言い放つ彼の姿を、ノエルはしばしの間呆然と見つめていた。





「そこにいるのはわかってます」


 レザー張りのオフィスチェアに腰を掛け、男は、固く閉ざされた扉の向こうへ言葉を投げかけた。机に両肘をつき、軽く額に手を当てている。


「入りなさい」


 ほんの少し、語気を強めてみたものの、招かれざる客は、一歩たりとも動こうとはしない。まるで、“特定してみろ”と挑発するかのように、己の気配を消したまま、じっとこちらを伺ったままである。居心地の良いものではなかった。されど、男は、「これもまた一興」と頬に笑みを漂わせる。


 見事としか言いようのない、完璧な気配絶ちであった。神経を研ぎ澄ませていなければ、国家魔術師と言えども、その存在に気づく事は出来なかっただろう。しかし、実力者故にツメの甘さが際立つと、男は思った。


 何せ、ここは陸軍の中枢。それも部長室である。上層部の個室に来られる権力……もしくは人脈を持ち、かつ遊び心がある者となれば、自ずと候補は限られてくるのだ。今でこそ陸軍は、政治の一翼を担うアメラギスの核だが、元を正せば戦う事しか脳がない戦闘狂の集まりである。居る事さえわかれば、正体を見破る事は容易い。


「ふー……」

息を吐き、男は、呆れ眼で扉を見つめた。

「……リオくん」


 固く閉ざされた扉が、これ以上ないほどひっそりと開けられる。おずおずと顔を覗かせたその人は、実に不服そうな、拗ねた表情を浮かべていた。


 宝石のような翡翠の瞳、オレンジがかった明るい髪。肩にかかった毛先がくるんと外に跳ね、健康的な太腿にはホルスターが着けられている。


「気配消してたのになぁ。なんでわかっちゃうんですかぁー? マルコさん」


 流石は国家元首、兼、陸軍元師の一人娘。大佐室にノックもせず入るとは、大した玉である。リオは、常軌を逸する図々しさで、ズカズカと部屋の中へ入って行った。


「貴女の絶ちは完璧でしたよ……でも、ツメが甘い」

「えー?」

「こんな近くで気配を消したら怪しいに決まってます。やるならこの階に来た時にやるべきでしたね」


 散乱した書類をテーブル端の方に積み上げながら、マルコと呼ばれた男はクスリと笑った。クリっとしたリオの丸い瞳が僅かに細められる。


「むう……確かに」

「それはそうと、何か用でも? 貴女、確か受験生でしょ? 油売ってる暇があるんですか?」


 早く出ていけと言わんばかりのマルコに、リオは「あるある、大アリですよ!」と、ばしばし机を叩いた。積まれたばかりの書類は振動で崩れ、室内に流れる空気が途端に固まる。上司の子息でなかったら問答無用で追い出していたものを、マルコは強張った笑顔を頬に浮かべた。


「問題? それは、なんですか……」

「今年の魔術師試験、あれどーなってるんですかぁっ!」


 焦燥とも苛立ちとも取れる声色で、リオは爆発したように叫んだ。やれやれと肩を竦めたマルコは、


「ああ……前試験についてですか……」


と、いかにもうんざりしたような口ぶりである。


「そーですよっ! あと16時間で、どうしろっていうんですか! これじゃ皆落ちちゃいますよっ!」

「……事情があって、選りすぐりの良い人材を求めているんですよ。今年はね」


 リオは眉をひそめる。納得いかないという表情だった。


「どういう事ですか……」

「絶望的な状況でも諦めない精神力、追い詰められた時に発揮出来る判断力――そして、強い相手と戦える戦闘力。前試験は、これらを見定める為に設けました」

「……っ! ……でも、でも……っ、これ運もあるじゃないですかぁ!?」

「運も立派な武器です。文句があるなら再来年またどうぞ」


 えー、という批判の声が上がる中、マルコは淡々と続けた。


「勿論、権力も仲間も使い方次第では武器となります。優れた部分で足りない部分を補う事も大事、要は総合面が高い人を国は求めているのです」

「要は私に父親の権力を使えって事?」


 マルコはうっすらとした笑みを浮かべる。権力も大きな武器、使うも使わぬもリオの勝手。だが、責任者という立場上、これ以上助言する事は出来なかった。ご自身でお考え下さい、口で言わず目で訴えかけると、リオは不服そうに口を尖らせる。


「ま、使えるものは使ってかないと。ですね」

「ええ。試験はまだ始まってません。手段はご自由に」


 そう、まだ試験は始まっていない。故に、ルールはない。どんな事をしてでも受かりたいという闘志、それが見たいとマルコは思っていた。

(一昨年の合格者は、1人だけでしたが……)


「今年は、何人の受験者が生き残れるでしょうね」


 まだ見ぬ受験生達を思い浮かべながら、マルコはくつくつと喉の奥で笑った。





 領土の広いアメラギス国では、長距離列車のほとんどが、夜行列車である。自動車の一般普及により、稼働本数は減ってしまったが、未だその人気は衰えていない。

 見渡す限り人、人、人。夜更けとは思えない日中のような混雑ぶりに、ノエルの表情(かお)は不満と不安に染まっていった。


――発車時刻20分前に落ち合おう


と、一方的な約束を取り付けてきた張本人(レイ)は、未だ姿を現さない。


「……」


 嘘をつくような人には見えなかった。少なくとも、他人を蹴落とすような真似をするとは思わなかった。一度信じた相手を疑いたくはなかったが、経過していく時間が、追い詰められた状況が、ノエルの心に“疑”を植え付けていく。


 そもそも、彼とは偶然知り合った他人で、同じ試験を受けるライバル。蹴落とすべき相手なのだ。持ちつ持たれつといった、温い関係に非ず。自分の獲物をとられない為の詭弁だったとしても、何ら不思議ではない。


(騙された……?)


 そうなのかな、と反復するように呟くと、ノエルは吐き出すような笑みを浮かべた。考えるまでもない。現に、レイの姿はどこにも見当たらないのだから。


「くっそ、あの能面野郎……」


 普段なら、気にも止めない数分の遅刻。だけど、今の彼を疑心暗鬼にさせるには、十分すぎる理由だった。


 ここで待ちぼうけを食らうより、当てのない情報屋を探した方が、まだ幾分希望がある。そう考えたノエルは、もう一度辺りを見回した(のち)、潔く踵を返そうとした――その時である。見覚えのある能面顔が、ヌッとノエルの視界に入り込んだのは。


「ひっ!!」

「遅れてすまない。あの5人を警察に引き渡していたんだが、手続きが長引いてしまった」

「……レイ、おま、なんで」

「何を驚いている? まさか、私が約束を破るとでも?」

感情の起伏がない、小さく掠れるような声でレイは続ける。

「蹴落したくなる実力をつけてから言え」

「なっ……!?」


 社会通念が欠けている、高圧的かつ唯我独尊な言動。これまで多くの敵を作ってきたであろう難儀な性格に、ノエルは不満の吐息を深く吸い込んだ。どうにも気持ちがクシャクシャしてかなわなかったが、ノエルはレイのトランクケースを引っ手繰って改札口へと足を向ける。


「ちょ……っ」

「チビには重いだろ。……で? 賞金首。師団に連れてかなくても良かったんだ?」

「は? あ、ああ」困惑気味に頷いて、レイはノエルに切符を渡した。「警察に引き渡すと証明書をもらえるのだよ。5人も引きずって行くわけにはいかないだろ?」

「貰ってきたのか?」

「無論だ」

 

 首を倒すようにして頷くと、レイはノエルを案内するかのように列車内へと足を踏み入れた。


「悪いが、部屋は私と同じだ。自由席の雑魚寝よりマシだろ?」

「あ、ああ。構わない。……いくらかかった?」

「元々取っていた部屋だ。構わん」


 発車のベルが鳴り響く。車両と車両の連結部が揺れ、轟々と唸る稼働音が車体を包んだ。自家発電に頼ってる廊下の灯は黄ばんだように暗く、夜闇を照らす月光は汚れた窓に遮られている。ズラリと並ぶ白い引き戸は、精神病棟を連想させ、今にも幽霊が出てきそうな不穏な空気が流れていた。あまり良い環境とは言い難い質素で殺風景な車内。されど、寝台列車で個室を利用した事のないノエルには、何もかもが新鮮で、目新しい体験であった。キョロキョロと忙しなく動く金色の瞳を、レイは上目がちに見つめる。


「まるで好奇心旺盛な子供だ」

「世間一般的に17歳は子供ですー」

「来年成人ではないか」


 ノエルはレイを見下げた。感情の起伏を感じられない彫刻のような顔が、ほんの僅か気づかない程度の笑みを浮かべていた。珍しいものを見るような、見知らぬ人を見るような眼差しを向けるノエルだったが、「なんだ?」と問うてくる彼の顔は既に無へと返っていた。急に魚みたいな顔になるじゃん……と、ノエルは心の中で言ちる。


「ここだな」


 ピタリと足を止めたレイは、切符に印字された部屋番号に視線を落としてから、ガラッと控えめな音を立てて扉を開いた。ノエルは息を呑むように立ち尽くして、


「えっ……ここ? ここ!?」

「うるさい」


 家も財産も失って以降、ノエルは常に金欠状態。その日暮らしをする内にケチが染み付き、移動する時は決まって自由部屋――つまり雑魚寝部屋を利用していた。値段が倍以上かかる個室を利用するという発想自体なく、豪華個室(・・・・)と言われるスーペリアツインなんて存在すら知らなかった。バスタブ付のシャワー、衛星放送受信テレビ、ビデオデッキ、オーディオ、カード式電話、専用トイレ、洗面台――ここに一人で泊まろうとしていた彼の金回りの良さに、ノエルはゾッとする。


「……ここ、いくらだったの」

「聞きたいか?」

「遠慮しとく……」


 ベッドの上にショルダーバッグを放り投げながら、レイは凍りついたまま動かないノエルを手を引いた。紫色の両の目に、怪訝の色が浮かぶ。


「早くしろ。情報共有するぞ」

「お、おう!」

「お前が相手にする男は、ロイド=パトリック。これが、指名手配書だ」


 乱暴に渡された手配書を手に取りながら、ノエルはゆっくりと椅子に腰を下ろした。


 アメラギス国は、危険度の高さで賞金首のランクを定めている。上はSSSから下はEまで存在し、S以上は異能者を指していた。今回のターゲットは危険度A級。勿論、魔術は使えない。


 しかし、ロイド=パトリックと言えば、 誰もが一度は耳にした事のある有名な犯罪者だ。あらゆる暗殺術を会得した、その道の天才と言われており、事実、返り討ちにされる国家魔術師が後を絶たなかった。油断してかかると、こちらの首が狩られる。


「ロイド=パトリック……か。流石に知ってる」

「そうか。なら、話は早い」微動だにしない表情を、微かに和らげ、「実を言うと、ロイドは仕事でこの列車に乗っていてな。殺しのターゲットもここにいるのだよ」

「ぅえっ!?」

「ターゲットの名はリオ=クルスク。今年の魔術師試験の受験者で、陸軍士官学校の生徒。そして現国家元首兼、陸軍元師の1人娘だ」


 胸ポケットから電子手帳を取り出して、レイはモノクロ画面に視線を落としながら続ける。


「おそらく、元帥に恨みを持つ者が金で依頼したんだろう」

「なるほど……。じゃあ、そのリオって奴の部屋。特定したほうが良いかもな。危険すぎるだろ、いくら魔術師とは言え」

「なんだ、助けるつもりか」

「当たり前だろ! 死なれても目覚め悪いし」

「当たり前ねぇ」


 猫のような目を丸くして、レイは二度、睫毛を瞬かせた。お前はお人好しだな、とでも言いたげな(まなこ)に、ノエルは躊躇いの表情を浮かべる。


「そうだな。ついでに助けてやれ。……リオ=クルスク、彼女の居場所だが――」ふいに視線を逸らして、レイは後ろの壁をコンコンと叩いた。「ここだ」


 なんの冗談かと耳を疑った。壁の向こう、つまり隣の部屋に元帥の一人娘がいると、この男は言っているのだ。ノエルは、訝しげに眉をひそめて、


「嘘だろ」

「昼間の半グレ共。捕らえられなかった時の為に一応、な。……見てみろ」

「お、おぅ……」


 促されるまま、電子手帳に映る細かな文字に目を通した瞬間。ノエルは、喉の奥で情けない悲鳴をもらした。いつ列車に乗るのか、どの個室に泊まるのか、全てを知った上でこの部屋を指定したというのなら、これはストーカーと言っても差し支えない。ノエルは鳥肌を擦るような仕草をして、


「その見た目でストーカーとか凄ぇギャップだな」

「ストーカーではない!」


 味方でいる内は心強いが、敵に回したらこれほど怖い相手もいないだろう。ノエルは、レイとの距離を物理的に置きながら、


「こんな情報どこから仕入れたんだ?」


と疑問をぶつけてみたが、レイから答えが返って来る事はなかった。

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