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第三話

 ──そしてそれから数日後。

 リズは自身の非番に合わせ、手紙でドミニクを子爵家の屋敷に招いていた。


 直接返事をすると言って招いたからか、応接間に通されたドミニクはやや緊張した面持ちである。

 騎士団の制服ではなく仕立ての良いシャツとジャケットを纏ったドミニクを隣の部屋からこっそり覗き見て、リズは私服のドミニクにちょっぴりときめきつつも最初からこうしておけば良かったなと独りごちた。

 間も無くして部屋にやって来たのはリズの父親と一人の令嬢。勿論、令嬢はリズであってリズではない。

 そう、最後の手段とはズバリ替え玉作戦である。

 リズとしてはお互い騎士である以上、剣で決着をつけるというのも選択肢にあったが、リズは今のところ手合わせですらドミニク・ギーに勝てたことがない。

 それに、今回彼が申し込んできたのは婚約であって、決闘ではない。

 なのでとりあえず一旦剣は置くことにした。


(これで上手くいくと良いんだけど)


 まさかデビュタントの時に一度会っただけの人間を正確に記憶している訳はないし、あれから既に数年経っている。

 しかも幼少期よりやむを得ない場合に限り、こうして度々リズの替え玉役をしている彼女は、場慣れしている上、背格好もリズとほぼ変わらないので気付かれる事はそうそうないはずだ。ちなみに彼女は使用人の娘である。

 騎士団での生活で愛用している動き易い制服姿のまま、リズは息を殺して隣室の様子に耳をそば立てた。

 お決まりの挨拶から始まり、事前の打ち合わせ通りに替え玉役の娘が、病を思わせる弱々しい声でこのお話はお受け出来ませんと告げた瞬間、隊長が朗らかな声で言った。


「今日は本人から返事を頂けると手紙を貰ってこちらに伺ったのだが?」


 朗らかではあったが、同時にものすごく圧力のある声だった。

 その一言と共に、部屋の中の空気がピシリと凍り、隊長の鋭い視線が隠れているリズの方へと向けられる。

 ドア越しに気付かれた事を察し、これはまずいと逃げようとしたリズだったが、それよりも失礼と上品に断りを入れながら立ち上がったドミニクが続き間の扉を開けてリズを見つける方が早かった。


「やぁ、リズ」

「は、はは、ご、ご機嫌よう……?」


 視線と笑顔で縫い止められたリズは、引き攣った笑みを浮かべてドミニクから逃げようと隙を窺っていたが、悲しいかな相手に隙がない。

 さすが隊長だと捕まったリズは諦念からその場で項垂れ、一部始終を見ていた父親は、気付かれたのならもう諦めなさいと溜め息混じりに言った。

 更には、あとは二人でよく話し合って決めるようにと言い残すと、替え玉である使用人の娘を連れてさっさと席を立ってしまった。

 本来なら娘の婚約には父親の許可が必須であるし、婚前の男女を一つの部屋に残すなんて事も許されないのだが、リズが騎士になる為に通した無理のあれこれ含め、リズ自身で話をつけろということだろう。

 リズに甘い父親ではあるが、最後までただ甘いだけの父親でもなかったようだ。

 言葉通り二人だけにされてしまった応接間で、リズはドミニクに手を引かれてソファまで戻り、気付いた時には何故か彼の隣に腰を降ろしていた。


「あ、あのぅ、隊長、その、いつからお気付きで……?」

「リズがヴェスピエ子爵令嬢だという事か? そうだな、君がデビュタントしたあの夜会で全てを察したと言うか……」

「ワァ……」


 隠すも何も最初からほぼほぼ全部知ってたんですね、と思わず乾いた笑いを浮かべたリズは、余計に訳がわからなくなる。

 彼は花丸健康優良児のリズが病弱令嬢エリザベス・ヴェスピエであると知っていて、病弱でも構わないという熱烈な手紙と共に婚約を申し込んだのだ。

 これは一体どういう事だろう。


「私の正体を知ってたのなら直接言ってくれたら良かったのに、わざわざ病弱で通ってる方の私に婚約の申込みなんて……」

「君と結婚する為に正規の手続きを踏んだつもりだが」


 何故こんなに回りくどい婚約申込みを?

 そんな疑問が顔に出ていたのか、ドミニクはやれやれと溜め息を吐き、幼い子供を諭すかのような口調で続けた。


「よく考えてみろ、リズ。俺だって本当はリズに直接結婚を申し込もうと思ったんだが、それだと結婚前の身辺調査で君が身分を偽っている事が騎士団中に知れ渡ってしまうだろう」

「あぁ! なるほど、確かに!」


 すっきりと解決した疑問にリズが膝を叩く。ぱぁんと良い音がした。

 王宮騎士団に所属する者が結婚する場合、身内に犯罪者などがいないかを調査される事になっている。

 隊長格ともなるとそれはもう念入りに相手も身辺調査をされるだろう。

 騎士団入団試験の為に偽造した、田舎の屋敷で使用人をしている夫婦の娘という身分も、入団試験の際は通用したが平民のあれそれなど諜報部によって改められればあっという間に真実が露見する。間違いない。諜報部の優秀さは騎士のリズだって知っている。

 だが、貴族相手の身辺調査はそれなりの手順というものがあり、何より本当の身分であれば調べられたところで「身辺に問題なし」で終わるはずだ。

 つまり、エリザベスに直接婚約の申し込みをすれば、身辺調査ではリズ=エリザベス問題は回避出来る。

 騎士としての身分を守る為にこの婚約話を断る事ばかり考えていたリズは、自分の視野がかなり狭くなってしまっていた事に気付いて、目から鱗がバラバラと落ちる思いでほうと息を吐いた。


 ちなみにこの国の法では、平民が貴族を騙るのは犯罪として厳罰に処されるが、逆はそうでもない。

 だから実際リズが「実は平民じゃなくて貴族なんです!」と言ったところで罪には問われない。

 問われないが、堅苦しい貴族社会において大顰蹙を買うのは目に見えていた。

 何せ現状だと貴族令嬢は騎士団入団試験を受ける事すら暗黙の了解で出来ないのだ。


 ヴェスピエ子爵家は貴族社会においてそこまで立場や発言権が強い訳ではない。

 だからこそリズは平民と偽って騎士団に入団したし、この事は絶対にバレてはいけないと今まで必死になっていた訳で。

 だから、何か問題があったかと真顔で首を傾げているドミニクの反応は、全くもって想定の範囲外だった。

 この件について、少なくとも自分にだけは事前に伝えてくれていたら、こんなに悩んで右往左往する事もなかったのに。

 いや、そもそも事態をこんなにややこしくしたのは自分自身に他ならないのだが。

 世の中とは実にままならないものである。


「えぇと、つまり、隊長は私が子爵令嬢である事も、身分を偽って騎士団に在籍している事も知っていて、その上でこの申し込みをした……?」


 頭の中で状況を整理し、リズはせめて事実確認はしっかりせねばとドミニクに問う。

 返ってきた答えは当然のようにYESだ。


(ちょっと待って、これ私に都合が良すぎない? いやまだ諸々問題が残っている! 何より、私に伯爵夫人は絶対無理だよ!)


 もたらされた返答に卒倒しかけ、しかし気合いで持ち堪えて握った拳でふかふかのソファの座面を叩きながらリズは叫んだ。


「隊長! せっかく申し込んで頂いた婚約ですが、私、自分で言うのもアレですけど、令嬢としては問題だらけですよ! というか問題しかないです! 既に令嬢歴よりも平民騎士歴の方が長いですし!」


 今まで口にした事こそなかったが、リズだって結婚式で綺麗なウェディングドレスを着る事は憧れだし、失恋して泣く程にはドミニクの事だって好きだ。

 だが、それはそれ、これはこれだ。

 子爵令嬢として生きるよりも騎士として生きてきた自分には、ドミニクの妻として伯爵夫人の地位にいる未来がさっぱり想像出来ない。

 初恋の終わりに泣いたのは一種のけじめと感傷のようなもので、身分を隠して騎士になる以上、結婚など出来るはずがないと諦めていたリズにドミニクとどうこうなりたいという気持ちは元々なかったのだ。

 ここまで来たらヤケだと、リズはドミニクに全てをぶつけ、そしてとどめだとばかりにドミニクの眼前に自らの手のひらを突き出した。


「ほら、この剣ダコで硬くなった手のひら見て下さい。絶対に令嬢の手じゃないでしょう? 訓練で肩幅だって腕だってがっしりしてるし、腹筋だって割れてるんですよ? こんな私が伯爵夫人になんてなれるような女だと思いますか?」


 長年の鍛錬で手のひらの皮は厚く、硬くなり、間違っても貴婦人の手には見えない。

 それはドミニクに理想と現実の落差を突き付けるのにこの上ない物的証拠だ。

 いや、そのはずだった。


「ちょ、ちょっと、隊長⁉︎」


 突き出したリズの手をドミニクが自身の大きな手で包み、緩く握る。

 そして彼はそのままリズの手の甲に恭しくキスを落とした。

 その流れるような美しい所作に、はくりとリズの喉から悲鳴とも吐息ともとれないものが漏れる。

 目を開けたまま夢を見ているのかもしれないと混乱するリズに、ドミニクはポツリと呟いた。


「──俺は、君と結婚する為ならいっそのこと貴族籍を捨てても良いと思っていたんだ」


 その呟きにリズはギョッとして我にかえる。

 貴族籍を抜けるというのは、貴族にとって最早刑罰の一種である。

 自分からそんな事を望むなんてとリズは先程とは違う意味で混乱した。


「え、どうしてそんな」

「リズが、平民だというから。結婚を申込むのなら、そしてそこに身分の差が壁となるのなら、自分の貴族籍に未練はないと、そう思ってな」


 ドミニクは優しい手付きでリズの手を取ったまま続ける。


「俺は騎士団で頑張る君を見て、君と共に時間を過ごしていく中で、自然と君に惹かれたんだ。君の負けず嫌いも、同期をちぎっては投げする剣の力量も、泣き言ひとつ言わず厳しい修練を熟す姿も、休日に街に出て一緒に買い物をした時も、いつだって俺は君が眩しく見えた」


 待て、一緒に買い物というのは、武器屋に新しい籠手を新調しに行った時の事ではないのかと、リズは混乱しつつも記憶を引っ張り出して思う。

 今すごくきらきらふわふわしたモノのように、そう、恋愛小説の逢瀬のようにドミニクは語ったが、実際の行き先は無骨極まりない武器屋だ。いいのか、それで。

 一旦落ち着いてほしい。何かがおかしい。やはり自分は目を開けたまま夢を見ているのではないだろうか。


「待っ、待って下さい」


 リズは距離を取るためにドミニクに握られた手を振り払おうとしたが、結局それは叶わなかった。

 むしろ先程よりも強く手を握られ、リズの指先はドミニクの唇に触れそうなくらいの距離まで引き寄せられてしまった。


「待たない。ここで攻め手を緩めては勝機を逃す。良いか、リズよ。騎士の制服を纏って凛と立つ君は、その金の髪と空色の瞳も相俟ってまるで春の女神のようで、俺はそんな君に恋をしたのだ」

「ひぇえ」

「だから俺が好ましいと思ったのは騎士たる君だ」

「で、でも、だからって貴族籍捨てようだなんて」

「貴族籍を抜けても自立出来るだけの地位はあるから問題はない。君を幸せにする覚悟も出来ている。まぁ実際のところはお互いまだ貴族なのだし、この点も問題ないだろう。……俺では、駄目だろうか」


 言いながらドミニクは握っていたリズの手をそつと離し、代わりにその手のひらに小ぶりのブローチを置いた。

 繊細な金の彫刻が施され、中心に深い青色の宝石が嵌められたブローチだ。

 流行りの暖色のアクセサリーではなく、吸い込まれそうな程に深い青色の宝石が手の中できらりと輝く。

 それを見た瞬間、リズはドミニクが令嬢にプレゼントを贈りたいと言っていた時の事を思い出した。

 あの時、リズは確かに自分は青色が好きだと言ったのだ。

 驚いて顔を上げれば、じっとドミニクの灰銀色の瞳がリズを見詰めている。

 こんな至近距離で見詰められたのは初めてだ。


「これ……」

「君は青色が好きなんだろう?」

「そうですけど……。じゃああの時私に貰って嬉しいものを聞いたのって……」


 思わず問い掛けたリズに、ドミニクはやれやれと溜め息を吐いた。


「あの時は君が直接俺の査定に来たのだと思って、俺は非常に言葉を選んで答えたんだぞ」


 最初から、この人はリズ自身を見てくれていたのだ。

 煌めく冬の星のような灰銀色の瞳に見詰められて、リズは自分の頬にじわりと熱が集まるのを感じる。


「先程から聞いているが、いつもの歯切れの良さがないな。婚約の申し込みが嫌で断りたいのなら此処ではっきりとそう言ってほしい。希望があれば今後の隊の編成も考慮する」

「そんな事!」


 違う。断らなければとは思ったけれど、それは婚約の申込みが嫌だと思ったからではない。隊が離れるのだって嫌だ。

 ドミニクからの申し出はとても嬉しかった。

 でもその申し出を受け、ゆくゆくは伯爵夫人になるというのならリズはせっかく手に入れた騎士の身分を諦めなければならない。


「私、は……」


 道は二つに一つ。

 頭の中でぐるぐると色んなことが目まぐるしく駆け巡り、考え過ぎて次第に呼吸が浅くなる。

 縋るようにドミニクを見遣れば、彼の瞳は優しく星の光を湛えていた。

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