嘘と本当と希望と現実(3/4)
「では、すぐに出発しましょう。日暮れまではまだありますし、今発てば……」
ロナルト様が懐中時計を取り出す。その蓋の裏にはめ込まれている肖像画を見て、私は目を見開いた。
「お母様……」
そこに描かれていたのは、私の寝室に置いてある上品そうな表情のお母様よりも、ずっと生き生きとした顔をした女性だった。
生前のお母様はこんな溌剌とした人だったんだろう、というのが一目で分かるような絵だ。
「こうしていると、時計を開く度に自らの罪の重さを実感できますからね」
ロナルト様が言った。
「彼女はもう時を刻むことを許された身ではない。皇太后陛下からロケットペンダントを譲り受けた時、そのことを忘れないようにしなければと思って懐中時計に改造したのです」
「皇太后陛下から?」
私は懐中時計の鎖についている貝殻のチャームを見つめた。もしかして、このマークは皇太后陛下を現わすものだったの?
その瞬間に思い出した。皇太后陛下の名前は真珠を意味する「メーガン」だ。だから「真珠姫」なんだろう。
母后の名前なんて知っていても普段は呼ぶ機会がないから、頭の中からすっぽりと抜けていた。
「私の母はロナルト様を嫌っていましたし、てっきり皇太后陛下とも仲が悪いのかと……」
「昔は快く思われていませんでしたよ」
ロナルト様は懐中時計をしまう。
「あなたのお母様が亡くなられた時、皇太后陛下はひどくお嘆きになっておいででした。後追い自殺まで考えておられたのですよ? そんな彼女を慰めている内に、初めは頑なだったあの方も心を開いてくださるように……」
「ぎゃー!」
外から悲鳴が聞こえてきて反射的に振り向く。血の気が引いた顔の使用人が窓越しに立っていた。
「奥様、奥様ぁ! し、知らない男がお嬢様を誘惑しています! 誰か来てぇ!」
使用人がドタバタと走り去っていく。その声を聞いた人たちが動き出したのか、屋敷がにわかに騒がしくなった気がした。
「『誘惑』とは大げさな。……いえ、まるで見当外れということもないのでしょうか?」
「ここのお屋敷の人たちは皆、女主人に毒されてますから」
なんて解説を加えている場合じゃない。邪魔が入らない内に、この家から抜け出さないと!
でも、裁縫室の扉を開けた先に待っていたのは、屋敷に仕える巨漢の庭師だった。
「その綺麗な顔を二目と見れねぇようにしてやるぜ!」
庭師は物騒なことを言ってロナルト様に飛びかかる。私は思わず目を両手で覆いかけた。
だけど、ロナルト様は涼しい顔で庭師の攻撃を避け、その後頭部に手刀を入れて昏倒させてしまう。私は呆気にとられた。
「つ、強いんですね……」
「昔取った何とやら、です。かつては人の奥様や恋人を横からさらっていって、それが元で決闘騒ぎになることもしばしばでしたからね。多少は腕に覚えがないと、今頃はお墓の中ですよ」
「……私の母には殴られてたくせに」
「女性からの平手打ちは甘んじて受けることにしていたのです。……いただいたのは拳でしたが。さあ、行きましょう」
ロナルト様に先導され、私は部屋を出る。けれど、廊下でまたしても使用人の一団に行く手を阻まれた。
「こいつ、お嬢様を誘拐する気なのか!?」
「そうはさせねぇぞ!」
「取り逃がしたら、奥様に殺されちまう!」
伯母様は使用人たちを恐怖で支配でもしているんだろうか。屋敷の中から次々と腕っ節が強そうな人が現われ、ロナルト様に掴みかかろうとする。いくらなんでも、これじゃあ多勢に無勢だ。
「クリスタさん、行ってください!」
降りかかる拳を避けながらロナルト様が言った。
「殿下があなたを待っています! 外に私が乗ってきた馬車が止まっていますから、それを使ってください!」
どうしようかとオロオロしていた私だけど、エドウィン様の名前を出されてしまったら嫌とは言えない。
それに、馬車とはいいことを聞いた。きっとそこには御者さんとか誰かがいるはずだし、その人が皆に話をしてくれれば、ロナルト様が不審者じゃないって分かってもらえるはずだ。
「助けを呼んできます!」
私はそう言って、ロナルト様に背を向けて駆け出した。
けれど、玄関に入ったところで、いかめしい顔を作って腕組みしている伯母様と鉢合わせてしまう。
「クリスタ、男と会っていたと聞いたよ」
表情に負けず劣らず、伯母様の声は厳しかった。
「あたしの屋敷でそんなふしだらなマネをするとはいい度胸じゃないか。その性根、たたき直してやるよ!」
伯母様は私の腕を引っ張って屋敷の奥へ連れ込もうとする。私は「離してください!」と言いながら身もだえした。
「ロナルト様は伯母様の考えているような方じゃありません! ただのお客様です!」
「客? だったらどうして正々堂々と訪問しないんだい」
「そんなことしたって、伯母様は追い返してしまうでしょう!?」
「よく分かってるじゃないか」
伯母様は私を放り投げるようにして、居候先の部屋へと押し込んだ。




