最低男、化けて出る?(2/2)
「申し訳ありません……」
私はロナルト様の顔から視線を外し、彼のベストから覗く貝殻みたいな飾りのついた懐中時計のチェーンを見ながら、出来るだけすまなさそうな表情を作った。
「その……マンフレートのことを殴ってしまって……。それで、彼は気を失ったんです……」
「殴った!?」
ロナルト様は深い青の瞳を見開いた。
「なんとまあ大胆なことを……。お怪我はありませんでしたか?」
「いえ、あの、ですから気絶を……」
「息子のことではなく、あなたのお体の話ですよ」
ロナルト様が心配そうな顔になる。何でそんなことを聞くの? 近くで見ていただけなんだから、怪我なんかするはずないのに。
と思ったところで、言葉が足りなかったことに気付いた。
「殴ったのは私じゃないです。エドウィン様です」
急いで付け加える。
「中庭で偶然会って、それで……。で、でも、エドウィン様は悪くないんです! だから、皇帝陛下に訴えたりするのはやめていただけるとありがたいのですが……」
真実を告げたものの、もしかしたら墓穴を掘ってしまったんじゃないかと焦る。
マンフレートに聞いたところによると、ロナルト様はもう二十年以上も前から宮内大臣の座に着いているらしい。きっと皇族からの信頼も厚いんだろう。
そんな彼が息子に降りかかった災難を苦にし、持てる権力を駆使してエドウィン様を排斥してしまったらどうしよう?
エドウィン様は離宮に送り返され、今度は一生帝都へ帰って来られないかもしれない。
ああ、どうして私ってこう考えなしなのかしら? 自分のバカさ加減に腹が立つ。
「もちろん、そんなことはしませんよ」
落ち着かなくなっていた私に、ロナルト様が優しく言った。
「殿下はあなたのために立ち上がったのでしょう? 大切な方のために行動を起こしたのです。それなのに、愛し合う二人の仲を裂くような真似はしませんよ」
「あ、愛し合ってはいませんよ?」
ごく自然に私たちの関係に言及され、狼狽してしまう。何故だか恥ずかしくて頬が熱くなった。
「宮廷で私たちのことが色々言われているのは知っています。でも、あんなのデタラメですから」
「おや? そうなのですか? 以前殿下が私が保管している文書を貸して欲しいと仰った時に、『これでクリスタの恋人になれるぞ!』と楽しそうにしていらっしゃったものですから、てっきりお付き合いされているのかと思ったのですが……」
「してないです」
エドウィン様、傍目から見ても浮ついてるように感じられたんだ。これじゃあ、私たちの関係についての噂が流れるのも無理はないのかもしれない。
「ですが、お二人は毎日のように会っていらっしゃいますよね?」
「それは……ちょっとした賭けをしてるんです」
ここまで来たら全部話してしまおうと思って、私は懐からレディーの手紙を出す。
最近では特に読む予定がなくても、彼女からの手紙を何枚か持ち歩くのが習慣になっていた。
「レディーを……この手紙の差出人を捜してるんです。見つかったら、エドウィン様の恋人になるっていう条件で」
「思い切ったことをなさいますね」
「……どうでしょう? だって、今のところ何の目星もついていないんですから」
「なるほど……」
ロナルト様は手紙をじっと見ている。何か思いついたことでもあれば言って欲しいと感じながら私は続けた。
「筆跡からじゃ誰なのか分からないし、手紙から香ってくる香水もよくあるものなんですって。もうお手上げですよ」
「それらについて、あなたは何も思うところがないのですか?」
「筆跡と香水ですか? 特にありません。綺麗な字だなとは思いますし、香水の香りは懐かしい感じがしますけど……。エドウィン様もそんなことを言っていたから、誰でもそう考えるんじゃないでしょうか」
「ふふ、なるほど」
ロナルト様は奥ゆかしく笑ってみせる。
マンフレートじゃ、絶対にこんな笑い方はできなかっただろう。この親子、そっくりなのは見た目だけかもしれない。ロナルト様は人格者っぽいし、マンフレートが彼に似なかったことが心底残念だ。
「懐かしいということは、どこかで会ったことがあるということですよ。身近な女性なのでしょうね」
どうやらロナルト様もレディーは女性だと思ったらしい。でも、私の身近にいる女性って? 考えてみたけど誰の顔も浮かばなかった。少なくとも、生きている女性の顔は。
レディー以外で私が親しみを覚えている女性なんて、お母様だけだ。だけど、お母様はもう死んでいる。死んだ人が手紙をくれるなんてどう考えてもあり得ない。
せっかくだけど、ロナルト様のアドバイスは何の役にも立ちそうになかった。
不意に、ここに長居しすぎたかもしれないと気付く。
エドウィン様は気絶したマンフレートを起こすために水を取りに行ったんだ。きっともう帰って来てるだろう。私の姿が見えなかったら、困らせてしまうかもしれない。
お暇したいと告げると、ロナルト様は私のためにドアを開けてくれた。
「何かあればいつでも頼ってくださいね」
去り際にそんなことまで言ってくれる。「人格者っぽい」というさっきの考えは改める必要がありそうだった。この人は「人格者っぽい」のではなく「人格者」だ。
「マンフレートのことで罪悪感を覚えなくてもいいんですよ?」
「好きでやっているのですよ」
笑顔のロナルト様に見送られながら退出し、私はエドウィン様のところへ向かったのだった。




