最低男、断罪される(1/1)
「クリスタ……どうしてここに?」
エドウィン様は城の中庭にいた。私が近づいていくと、その茶色い目が大きく見開かれる。
「約束は守ります」
急いでいたために呼吸が乱れる。息継ぎをしてから続けた。
「このままだと、私はどこまでも不誠実な人間になってしまうから。それだけは絶対に嫌です。ワガママなことを言っているのは分かっていますけど……」
「……たとえそうだとしても、俺は嬉しいよ」
エドウィン様が穏やかに笑う。私は小さく頷いた。やっぱりエドウィン様はいい人だ。恋は信じられなくても、エドウィン様自身のことなら信用してもきっと平気だ。
「そのままの条件で賭けは続行しましょう。一ヶ月以内に謎の手紙の差出人が見つかるかどうか。エドウィン様は見つかる方に賭けて、私は見つからない方に賭けました。もしエドウィン様が勝ったら、私はエドウィン様の恋人になる。けれど、私が勝ったらエドウィン様には私を諦めてもらう」
「ああ、そうだったな」
「分かっているとは思いますが、今の状況はエドウィン様にとって厳しいものです。約束の期限まで、後二十日くらいしかないんですから。それなのに手がかりはゼロ。それでもやるんですね?」
「当然だ! 今の俺にはクリスタがいる。百人力じゃないか!」
私なんて何の役にも立ってませんけど、と言いたいところだけど、エドウィン様があんまりにも目を輝かせていたから黙っておいた。
エドウィン様といるのは存外悪くない心地だったから、お互い様かもしれない。
「次はどんな調査をするつもりですか?」
レディー捜しの方へと頭を切り替えて尋ねる。
「私の記憶が正しければ、八方塞がりだったと思うんですけど……」
「手はあるさ」
エドウィン様が粘り強く言った。
「昨日、『レディーが使っている香水を買った店を当たればいい』と言っただろう? 俺たちはレディーのことを何も知らないから見つかりっこないと君は言った。だけど香水の購入者のリストか何かがあれば、それを辿ることによって……」
「あれ? クリスタ?」
嫌な声が聞こえてくる。向こうから歩いてきた青年に、私は心臓が止まりそうになった。
「最近よく会うな。どうだ? この出会いを祝して散歩でもしないか? ……ああ! 殿下もいらしたのですか! よければご一緒しませんか?」
いつも誰かしらを取り巻きみたいに引き連れているマンフレートには珍しく、今日は一人だ。足に力が入らなくなってきて、私はその場に立っているのがやっとだった。
――君みたいな美しい人を見たのは初めてだ。
――俺は君に心を奪われてしまった。一目惚れをしてしまったんだ。
――ちょっとした勝負だよ。
――悪いな、クリスタ。
頭の中で忌まわしい記憶が洪水を起こす。身も心も凍るような悪寒が走る。叫び声が喉の奥から漏れ出そうになった。
けれど、肉がぶつかり合う重たい音にハッとなる。マンフレートが地面に倒れ込んでいた。
「で、殿下……?」
マンフレートは頬を押さえて、信じられないような表情でエドウィン様を見ていた。エドウィン様は肩で息をして、大声で怒鳴る。
「この最低のクソ野郎が!」
エドウィン様がマンフレートを殴ったのだ。そう気付いた時には、エドウィン様はマンフレートに飛びかかっていた。
「大嘘つきの恥知らずの卑怯者め! クリスタがどれだけ傷付いたと思ってるんだ!」
「で、殿……」
「地獄へ落ちろ、人でなし! 他の誰が許しても、俺はお前を絶対に許さないからな!」
エドウィン様はマンフレートに馬乗りになり、その顔や体にめちゃくちゃに拳を打ち付けていった。
初めは皇太子相手だからと遠慮する気持ちもあったらしいマンフレートだが、流石に身の危険を感じたのだろう。何とか反撃しようと、エドウィン様を突き飛ばそうとする。
けれど、鍛えられた体を持つエドウィン様はそんな抵抗を歯牙にもかけない。マンフレートの手をいとも容易く捻り上げ、そのまま最低男に制裁を加え続けた。
その仕置きもようやく終わる時が来た。マンフレートが気絶してしまったのだ。少し息を乱しながらエドウィン様が立ち上がる。私はハラハラしながらエドウィン様に話しかけた。
「あ、あの……?」
こんな暴力的な光景は今まで見たことがなかった。私は何もされていないのに、怖くてたまらない。よく知っていたはずのエドウィン様が、怪物にでも変身してしまったような気分だ。
「どうした、クリスタ」
こちらを向いた時のエドウィン様の表情はいつも通りの柔らかなものだったから、私は安堵した。大丈夫、彼は怪物などではない。
「ええと……その……あ、ありがとうございます……?」
この反応は正解なのだろうか。でも、エドウィン様は私のために戦ってくれたんだ。だったら、感謝の言葉の一つくらいはかけておかないといけないだろう。
「礼なんかいいさ」
エドウィン様は何てことなさそうに肩を竦めた。
「こういうバカは、一度痛い目を見ないといけないんだ。……だけど、まだ足りないな。あと二、三十発は鉄槌を下してやらないと。……水をかけて起こしてやるか。見張っておいてくれ、クリスタ」
私が何か言う前に、エドウィン様はどこかへ行ってしまった。まだやるの? 流石にこれ以上は、ただのケンカじゃ済まないような気もするけど……。
私は地面で伸びているマンフレートを落ち着かない気持ちでチラチラと見る。こいつと二人きりになるなんて、どう考えても最悪の状況だった。
でもマンフレートはピクリとも動かないから、勇気を出して彼の傍にかがみ込んでみる。その腫れ上がった肌はところどころ青紫色に変色しており、鼻からは血が出ていた。
そんなふうに観察している内に、私は自分の中にこびりついていた彼への恐怖心が薄まっていくのを感じた。
可愛そうに、ご自慢のお顔がボコボコだ。こんな醜男に微笑みかけられたって、誰もときめかないに違いない。私はふふっと笑った。
エドウィン様はすごい。ちょっと手段は過激だったけれど、完璧なものなどないと教えてくれた。人をたぶらかし、私に癒えない傷を負わせた無双の美形もこの通り。一皮剥けばただの人だ。
今になって分かった。あの時の私の恋は幻想だ。私は恋に恋していた。それだけのことだったんだ。




