箱入り令嬢が、美貌の令息の一目惚れを信じたら(3/3)
約束の日。私はあらかじめ打ち合わせておいた待ち合わせ場所へと向かった。城下町の目立たないところに建っている、隠れ家風の居酒屋の裏口だ。
――マンフレート!
先に来ていた恋人を認めた私は、最低限の品だけを詰め込んだトランクを胸に抱えながら走り出した。
――ごめんなさい、待たせてしまった? さあ、早く帝都を出ましょう。それで私たちの新天地へ……。
それ以上は続かなかった。辺りの建物の影から、何人もの男性が姿を現わしたからだ。
私は彼らを知っていた。マンフレートの友人たちだ。彼らがここに居合わせたのは偶然とは思えなかった。
私は直感する。きっと駆け落ちのことをどこかで聞きつけて、止めに来たんだ、と。
――マンフレート、早く!
ここまできて阻止されるわけにはいかなかった。私は無我夢中で恋人の手を取る。
――急いでここから逃げるのよ! 誰にも邪魔なんかさせないわ!
私はマンフレートを引っ張った。しかし、彼は動こうとしない。それどころか、笑ってさえいた。
――……マンフレート?
何かがおかしい。困惑する私にその違和感の正体を教えてくれたのは、彼の友人たちだった。
――まさか本当に来るとはな。
――お前には負けたぜ、マンフレート。
友人の一人がマンフレートに何か光るものを投げて寄越した。目を凝らしてみると、一枚の銀貨だと分かる。
――だから言ったろ? 俺に落とせない女はいないんだよ。
マンフレートは銀貨を指先で弄びながら高慢な態度で言った。私は嫌な予感に襲われつつも、「マンフレート?」と小さな声を出す。
――これは……一体……?
――ちょっとした勝負だよ。
マンフレートの代わりに答えたのは、彼の友人だった。
――真面目で引き籠りのクリスタ嬢。いくら帝国一の色男って言っても、こいつはなびかせられないだろう。俺たちはそう思ったんだ。
――だけど、マンフレートは「楽勝だ」と言うじゃないか。
――じゃあ、それが本当か試してみよう、ってなったわけで……。
――嘘よ!
私は顔を引きつらせた。
――何言ってるの! マンフレートは私の恋人よ! そうでしょう、マンフレート?
――ああ、そうだ。
返事をしたのは、またしてもマンフレートの友人だった。
――帝国中の他の女と同じく、な。あんた本当に世間知らずなんだな。こいつが遊び人って言われてんの知らなかったのか?
遊び人? 遊び? まさか……私との関係も?
私は縋り付くようにマンフレートを見た。彼も私を見つめ返す。そのすさまじく整った顔には、軽薄な表情が浮かんでいた。
その瞬間、私は今聞いた話が全部本当だったと理解した。
――悪いな、クリスタ。
マンフレートが言った。
悪い? 悪いって何が?
一目惚れだの、好きだの、愛してるだの、思ってもいないことを言ったこと?
たった銀貨一枚の賞金のために、人をオモチャにしたこと?
それとも、私の心をこんなにも傷付けたこと?
――また遊んでやるから元気出せよ。君みたいな女性は、中々新鮮で面白かったぜ?
マンフレートの友人たちがどっと笑う。彼らは互いに肩を抱きながら、どこへなりと姿を消した。
取り残された私は立ち竦む。
私……こんなところで一体何をしているんだろう。
目立たない服と動きやすい靴、身の回りのものが入ったトランク。何もかもがバカみたいだ。こんな格好でどこへ行こうというの? 同伴者もいないのに。
……そう、もう彼はいない。
不意に涙が込み上げてきて、私は大声で泣いた。うずくまり、トランクに顔を埋めて声の限りに泣き叫んだ。
でも、どうして泣いているのかは分からなかった。悲しいのか悔しいのか怒っているのか、その全部なのか、何も分からなかった。
心配した通行人が警邏隊員を呼んできてくれ、その詰め所で保護されてからも私はずっと泣きじゃくっていた。
お父様が迎えに来てくれ、屋敷に帰り着いてからも涙は止まらなかった。
お父様は何があったんだとしつこく聞いてきたけれど、とても答えるどころではない。涙が涸れてしまってからもそれは同じだった。
結局、お父様が真相を知ったのは宮廷に流れた噂話がきっかけだった。
――ねえ、信じられる? あの堅物のご令嬢が……。
――駆け落ちですって! 人は見かけによらないものねえ。
――またマンフレート様が女性を泣かせたの?
誰が言い出したのか、話は瞬く間に広がっていった。その内容が本当のことだと分かった時のお父様の怒りようといったらなかった。
――クリスタ、忘れたのか! お前みたいな若い娘が気軽に出歩くとどうなるのか、日頃から言って聞かせていただろう!?
私は反論しなかった。お父様は正しい。私は家から出るべきじゃなかったんだ。
――今回のことで何を学んだのか、自分の胸によく聞いてみろ。
お父様はそう言って、私を部屋に閉じ込めた。その間、私はずっと自分の身に起きたことを考えていた。
マンフレートの話は嘘だらけだった。私を好きだと言ったことも、一緒に逃げようと言ったことも、何もかも。きっと結婚話だって、私の迷いを断ち切るためのでっち上げだったんだろう。
この経験から何も得るものがなければ、私は本当の意味でただ騙されただけの間抜けな娘になってしまう。
そんなのは絶対に嫌だった。
だから決めた。
一目惚れなんか信じない。
恋は幻想。いつかは裏切られる。
もう誰も好きになったりしない。
この教訓を胸に刻みながら、これから先生きていこう。そう誓ったのだ。




