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気分転缶

作者: えんがわ

 *


 わたし岡田舞子は高校三年生。受験生なんです。

 知ってますか? 末っ子にとって受験って大変なんです。特に兄ちゃんたちが東京の有名私立に受かってたりすると。円形脱毛症になるくらいに頑張って、勉強してたりすると。その、プレッシャーが。わたしも同じくらい、いやいやそれ以上って、ハードルがドンドン高くなっていくんです。ヤバいんです。


 今日も今日とて夏休み返上の予備校通いです。そこで、もう、わたしの人生で何一つ使うことのないような、イギリスの名誉革命の年号とか習わされるんです。もう、嫌。いやいや、あの、その、そう言うのは東大王とか。もう、国のお偉いさんとクイズ研究会の奴隷となった、たまたま記憶力が良い脳味噌限定にしてください。


 そんな色のない灰色のわたしの受験ライフでも、ひと時の安らぎってあるんです。知ってますか? 知ってたら百万円あげますよ。って知ってるわけないか。

 それは予備校の帰り際、夏の高い日差しも沈んだ夜道を照らす自動販売機。そこに並ぶジュースたち。そこにあるんです。


 もう夜なのにむっと来る空気の中、道幅のない通りを、偶に申し訳なさそうに車が通ります。隠れ家的な居酒屋から出て来る偉そうなおっさんと、へこへこしているおじさんが妙な笑い声をあげます。

 八月の終わり。嗚呼、わたしもアリのように働きっぱなしです。本当はセミのようにひと夏で燃え尽きる愛とか、それは大げさだけど、ドラマチックな恋に憧れたりするのですけど。そんなのは心に閉じて。大学生になってからとか思って。それは言い訳だとわかってるのですけど、踏み出せないのを勉強という言い訳でくるんでるのもわかってるんですけど。どうしようもない淡い思いは、淡いまま泡となって消えた方が良いんだよね。それが青春だよね。




 そんなこんなで疲労困憊なわたしは、今日も新たな自動販売機探しをするのです。見つけるのは簡単です。何せ、電気でピカピカーッとこれでもかと自己主張してるんですから。

 今日のターゲットは、うどん屋の駐車場の隣にありました。年季の入った自動販売機に、缶ジュースが並んでいます。そこをざっと見て新種をわたしは探します。大抵の人が買うであろう、エメラルドマウンテンやコカコーラではなく、誰もが狙わないだろう、新種を探します。



 例えばここでは、ジンジャエールなんてレア物じゃないでしょうか。これは一週間前に既に飲んでたので除外ですけど。さぁ、もっともっと自販機君とにらめっこしましょう。レア物は、自動販売機の隅っこにあったりするんです。

 緑色のラベルでGATORADEと英字だけが書かれている飲み物。雰囲気からしてエナジードリンクっぽいですけど、妙にアメリカンな大雑把さが却ってそそります。



 ん? 左隅にもう一つ。けばけばしく黄色と黒で、MAX COFFEEと描かれている缶を見つけました。これは……うん、二週間前も見たぞ。その時はピーチネクターという桃のジュースにやられてしまいましたけど、そのリベンジと言う感じでしょうか。意外と、流行ってるのかな。でも、スマホで検索なんてしません。知らないからこそ、ジャンク漁りは楽しいんですよね。



 GATORADEとも悩んだけど、COFFEE、今日は徹夜して夏休み最後の追い上げをしようと思うから、眠らぬ夜の栄養源にと、MAX COFFEEに突撃です。

 突撃と言っても、えいやって120円を自販機に入れて、ぽちってボタンを押して、ガシャコンって缶が落ちて、それぃって缶を掬い上げて、たーってブルタブを開けて、そのまま一気に唇から体内にドリンクイン。

 えっ? 甘い! メチャクチャ甘い! わたしの気のせいなら良いんだろうけど、これは確実に砂糖どっさりの甘さだ! スズメバチのような黄と黒に彩られた缶をよくよく見ると、練乳入りとも書かれている。


「ハズレだ……」


 思わずそう口にして、でも缶に口をつけた以上、無理やりにジュースを飲みきる。


「もうっ!」


 缶を地面にカァンと投げつけて、八つ当たり気味に帰るわたしでした。


 でも、今思えば、それはそれで良い気分転換だったんだろうなぁと思ったりします。甘いものとコーヒーで、その日は何時もより頑張れた気がするし。


   *


「随分と守りを固めてきたな」

「ああ、バックラインに4人。きついか。水野?」

「いんや、じょーとー、燃えない、面白く無いプレイをする奴らをこらしめてやるよ」


 虚勢だと自分でも分かっている。時間がない。もう手遅れなのも分かっている。それでも、勝負は捨てたくない。残り10分。でもそれは試合の80分だけではなくて、サッカーに費やしてきた12年の最後の10分なのだ。これが終わったら、サッカーで飯を食う夢を見る、プロになることを諦めなきゃいけない。そして残るのは、趣味として、何か楽しそうに、お気楽に、女をナンパする口実のようなサッカーしか待っていない。


 味方のゴールキーパーがコントロール無視の長いゴールキックを放つ。それが偶然か必然か、俺の近くに落ちる。行ける! 身体全身のありったけの力をふり絞ってボールを追う。ワントラップで上手いこと球の勢いを消す。そのまま相手ゴールへと一気にドリブルする。ディフェンダーは目の前に一人。マンツーマンだ。他の味方はまだ戦線に間に合っていない。ここは俺が行くしかない。右に見せて左に切り込む。フェイント! だが、相手は振り切られない。粘りやがる。どうする? ここから打つか。もう一度ドリブルで、こいつを抜こうとするか。「オゥー」威勢のいい掛け声が聞こえる。何時の間にかディフェンダーがもう一人、ゴール前に陣取っている。シュートしかない! ゴールの左上ぎりぎりへ。何年も練習し続けただろう。この時のためのエースの俺だろう。打て!



 ボールはキーパーの届かない左上のスペースへと勢いよく飛んだ。そしてゴールポストに弾かれた。そのボールは相手ディフェンダーに処理され、そのままロングパスされた。その時、試合終了をつけるホイッスルが鳴らされた。


 帰り際の宇都宮線で、俺はキャプテンの若菜に話しかける。

「負けたんだな、俺たち」

 それにしみじみと若菜は答える。

「ああ、でも、悔いはないよ」

「俺は、分からないな。何時かこうなる時が来るってのは頭では分かってたけど。実感がない……まだ負けてないような。明日になれば、また試合に出てそうな」

 車窓からは見たことのない夏の田畑の景色が続く。

「止めとけ、止めとけ。俺らはペレにもマドレーナにも、中田にも久保にもなれなかったんだよ」

「ああ……」

 俺は気もそぞろに答える。若菜は諭すように言葉を続ける。

「カズって知ってるか?」

「三浦カズだろ。名前だけは知ってる。確か大ベテランでJ2でやってる」

「それが、とっくにJ2からはリタイア。ゴールを稼げないお荷物として、今はフットサルから、J3か実業団か。晩節を汚し過ぎだぜ。あの、伝説のキングカズが」

「だからって、俺も諦めろってか」

「どうしようもないこともあるよ、俺らも引退しないとな。サッカーが全ての毎日から」

「だからって受験勉強か?」

 若菜は大げさなジェスチャーをしながら、首をぶんぶんと振り。

「いんや、俺は実家の梨畑を継ぐわ。お前はそうはいかんだろうけどな。水野」

「はは……漁船があったら、マグロ漁師にでもなれってか。いい加減だな。若菜」

「いい加減でいいんだよ。俺たちは熱くなり過ぎた。サッカー、サッカーって。今、思えばな。だけど、何時かきっと大切な思い出だって言えるようになるよ。きっとこの負けは、人生での勝利に続いていく。大切なケイケンだよ。そう言って、折あって行かないとやっていけないだろ。俺たち。ん? おい? 何だ? 水野……泣いてるのか。……いや、何でもない」

 畜生。俺は何も言えないで、顔を逸らす。


  *


 夏の終わりも蝉はウルサイ。そろそろミンミンゼミからヒグラシの出番だろうと思うんだが、相変わらずだ。何を楽しんであんな声で泣き続けているんだろう。そんなじりじりと夏の余韻が続く細道を行く。鞄につけた風鈴代わりの鈴がチリンチリンと歩に合わせて、蝉の声にかき消されまいとかすかに響く。

 俺はサッカーから離れ、かと言って勉強も出来ず、怠惰な時間を過ごしていた。今日は二学期が始まったばかりの学校をサボって、デパートのゲーセンに入り浸って、「太鼓の達人」というアーケードゲームで太鼓をバシバシとひたすらに音に合わせて叩き続けて、一日を過ごした。何処にでもある風景。何処にでもある街角。何処にでもいる普通の人。結局は、俺もそこからは逃げ出せずに一生を終えるのだろう。あそこに転がっている空き缶のように。黄色と黒でカラーリングされた空き缶のように。



 と、何だろう。そのような虎柄の空き缶ってあっただろうか。見慣れぬ色に自然と手が伸びて拾ってしまう。MAX COFFEEと書かれていた。そして、ああ、マックスコーヒーかと思う。異常に砂糖が入っていて、コーヒー牛乳よりも甘い。かなり健康に悪そうな飲み物だ。確か千葉県の名産と聞いた覚えがあるが、何時の間にかこの街にも上陸していたのか。いや、もしかしたら、千葉からここまで何十キロもはるばると旅して来たコーヒー缶かもしれない。そう思うと楽しくなってきた。そう感じるのはいつ以来だろう。


 気分に合わせてコロコロと缶が転がる。足元にあるそれに合わせて、微調整のキック。ドリブルのように、缶と共に走り続ける。子供の時以来の缶蹴りだ。今度は思い切ってシュート! カァンと音が鳴り、缶は遠くへと飛んでいく。ゴール! いや、ゴールポストだろう! それに向かって思いっきりダッシュ! 今度こそ間に合わせる! ここだ! キック! どうだ決まっ……!

 キィィィと言う車のブレーキ音。やや遅れてクラクションの鳴り響く音。その後どぉんと言う衝撃と跳ね飛ばされる自分の身体。そして、それで。


   *


 次に目覚めたのは見知らぬベッドの中だった。ほっとしたオヤジとオフクロの顔は、本当にしばらく忘れられないくらいに疲労と喜びで、崩れていた。申し訳ない、ありがたい、と思う。

「ここは?」

 分かっているのにそう問いかけれずにいられなかった。オフクロは「病院だよ」と言う。オヤジは「意識が飛んでたんだぞ、まあ5、6時間だけだけどな」なんて必要以上に声を張って答える。


 事の顛末はこうだ。ペーパードライバーの青年が車を走らせていたら、高校生とおぼしき少年が飛び出してきて、急ブレーキを踏み込んだが、跳ねてしまった。跳ねられた少年は、頭を打ったのか、軽い昏睡状態。そのまま病院にまで運ばれ今に至る。



 何故、少年が飛び出したのかは不明。青年の発言で、飛び出す前に黄色い信号のような何かが飛んできた、という訳の分からない供述があり。そこに事件性を感じた警察が動いて、取り調べが行われた。「缶蹴りをしていた。あれはマックスコーヒーの缶だった」と少年が答えたら、強面の警察官はしばらく困った顔をして、しらーとした空気が流れて、気まずい中、説教をあーだこーだ。でも、マックスコーヒーの缶でした、と打ち明けた時に、微妙に笑いを噛み殺していたような気もする。まぁ、何だかんだで、病院に一泊。翌日には家に帰ってこれた。


 そして、学校では一躍、俺は時の人になっていた。「車に跳ねられた」というニュースは尾びれ背びれを付けつつ、クラス内のSNSで拡散、増長され。翌日、けろりと登校した俺に、周囲はざわつき、容疑者インタビューのような、ワイドショーのような質問攻めが殺到した。周りの珍しいものを見る眼は気に障るが、その中に幾つか俺が無事であることを心から喜んでいる色があったのには俺自身、救われた気持ちになった。それはオヤジとオフクロにも混じっていた色だ。

 そんなのに気付かないで一人でこのまま腐っていく自分を想像したら、少しゾッとした。俺を大切に思ってくれている人がいる。俺はそれに応えたい。今まではサッカーだったけど、時には勉強で、時には今みたいにどーでもいーようで、大切な駄弁り話の中で。


   *


 大切な話があると、岡田から呼び出された。岡田とは小学校以来の付き合いだが、俺がサッカーに熱中するようになった中学から関係が疎遠になり、何故か高校も同じだったのだが、出会ったら挨拶をする程度の仲に止まった。俺の印象では何事にも一生懸命な姿は尊敬というよりも、可愛い感じだが、最近は勉強漬けと言うか、目元がくもを張っているというか、どよーんと眠たげだ。顔全体のパーツは悪くないし、小学生の時の楽しそうな笑顔とかを思い起こすと、もっとオシャレをすれば良いのにと思う。

 と今、頬を赤く染めた岡田を見ると、意外にも洒落ているような気がした。寝ぐせもない整った髪に、最近感じていたよたよたとした疲れ切った感じがない。何というか、少し可愛い。その薄紅の唇から告白を受ける。


「水野君、大切な話があるの」

「うん?」

「水野君、車に跳ねられたんだってね」

「ああ、岡田も知ってたか、そうそう缶蹴りをしていててね、バカだよ、俺」

 岡田はびくっと少し跳ねた感じがして

「ううん、水野君はバカじゃない。よく聞いて。わたし、伝えたいことがあるの」

 岡田がここまではっきりと自己主張したことは今まで無かった。そこまでして一体……

「何だい?」

「わたしね、水野君にこの気持ち伝えなくても良いと思っていた。このまま片思いのままでも良いと思っていた。何となくこのまま終わってもいいかって。だけど、大きな事故があったって聞いて。もしかしたら命もって思ったりして。そうすると、今、告白しないときっと後悔するなって思って。好きです」

 おいおい、と思う。この展開、ちょっと聞いてないぞ。

「いやいや、まだ準備できてないから」

「えっ? ダメなの」

「あー、ダメじゃないダメじゃ。でも、ちょっとだけ待って。いきなりすぎて」


 なんて、マックスコーヒーも敵わないくらい、野暮ったくて甘すぎる展開だ。こいつの空き缶をポイ捨てした何処かの誰かさんに感謝しないといけないのかもしれない。

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