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第3話です。
本職は写真家の、主人公・健太。
まずは活動のための地盤を固めなければなりません。今回は、まだそんな段階です。
そしてここでも、物語の中だけに存在する団体が出て来ます。
日が落ち、森は闇に包まれた。
健太は、キャンドルランタンの微かな光を頼りに食器を片付ける。
食物の匂いは野生動物を誘う。放置するのは不衛生かつ危険だ。洗えない物は袋に入れて、固く縛る。決して自然環境に悪影響を及ぼしてはならないのだ。
チョロチョロチョロチョロ――
沢を流れる水音が聞こえる。人里離れた奥地の夜は、とても静かだ。街明かりも届かず、空には無数の星が光を放つ。
「天の川だ。凄え星の数だな。」
いつしか空はすっかり晴れていた。星明かりが木々を柔らかく照らす。しかし、コノハズクの声は聞こえない。ましてや暗闇の中で姿を探すなど、至難の業だ。時折聞こえる「ガサガサ」という音は、おそらく鹿だろう。木の葉が触れて擦れ合う音とは違う。
―今日は無理っぽいな。
22:00を過ぎた頃、健太は探鳥を終了して焚き火台に薪を置き、着火する。山間部での野宿には危険が付き纏う。野生動物を寄せ付けないため、火を焚いておくのだ。
「さて、仕事終了!」
1人酒の時間を楽しむと、やがてほろ酔いで眠りについた。
キョッキョキョキョキョッ――
チョロチョロチョロチョロ――
キョッキョキョキョキョッ――
東の空が少しずつ明るくなると、水音をかき消す様に、ホトトギスの囀りがこだまする。
―よく寝たな。
キョッキョキョキョキョッ――
「ホットトギスゥ。あははは。」
「ピンポン♪ それ、正解! 鳴き声が名前の由来やで。」
―うわっ!!
「あ、飛鳥…ちゃん。何でこんな早くから居るんだよ?」
「早いって、もう7:00やで。もう鳥さんは目覚めてるで。トリケン、寝過ぎちゃうの? お酒でも飲んで酔っ払ったかな〜???」
―何でそんな事わかるんだよ? 酒臭えか?
「呼気から基準値を超えるアルコールがぁ…」
「やめろっ!」
「えへへへへ!」
「バイク朝活。」
飛鳥はそう言って笑う。ツーリングという程でもないのだろう。だとすれば、この近くに住んでいるのか?
「さっさと帰って仕事するわ。」
「何の仕事?」
―仕事なんて、訊いてどうすんだよ?
「何やろ? えへへ。その内わかるかも。」
―て事は、また会える?
「ほな、またねー!」
ダダダダダダダダ――
―また会える? 違うな。またどこかで会うって事か?
何だかモヤモヤする。今日は撤収して事務所に戻ろう。そう思ったその時だ。
ピールリーピーリーピピッジジジ――
「あっ!!」
健太は、レンズの先、ファインダー越しに美しい瑠璃色の鳥を見つけた。
「オオルリじゃん!」
パシャパシャパシャパシャパシャパシャ――
レリーズを握る手に緊張が走る。僅か2〜3秒程の間だが、その姿はカメラのセンサーに焼き付き、健太の心を震わせた。
「お帰り。」
「あ、菊池さん。おはようございます。」
「撮れ高は?」
「ありました。青いのだけど。」
「カワセミ?」
「オオルリですよ。」
「ほおっ! ええやん!! ワシはまた、山ガールとでも知り合うたんかて思たんやけどな。はっはっは!」
「あ、あは…ははは…」
―何でそんな事わかるんだよ? 山ガールじゃないけど。
「いや、冗談や。」
―何だよっ! 冗談かよっ!
「わあっはっはっは!!」
何だ? この独特な空気は。だが、健太も嫌いではない。菊池とは絡みづらく、とっつきにくい印象だが、嫌な男でもない。
そんな事を思いながら、自身のパソコンを立ち上げ、カメラを接続する。モニターには、木の葉の緑とオオルリの青い羽色が、美しいコントラストを描き映し出された。
「あとで見せてもうてええか?」
「あ、はい。でもこれ、編集したら一旦“JMPA”に提出するんですよ。作品として登録されたの以外のカットならいつでもお見せ出来るので、それからになりますけど。」
「うん。構へんよ。楽しみにしとくわ。」
「編集出来たら、挨拶がてら大阪の協会事務所に行ってきます。いい手土産が出来ましたよ。」
大阪梅田。日本自然写真家協会(JNPA)。
鳥研京都支所から1時間半の道のりを、健太は車を走らせて来た。
「野鳥写真家の山村健太です。この度、京都に住む事になりまして。」
「大阪支部長の塚原です。よろしく。え〜っと、山村健太君って、あの?」
「はぁ、『あの』と申しますと?」
「奥多摩で活動していた、山村健太君やんね? カワセミ…やったっけ? 青い綺麗な鳥。」
「ご存知でしたら光栄です。」
「いや、まぁ。関東からは、一応連絡はもろてるで。こっち(関西)来はる言うて。」
「あ、はい。よろしくお願い致します!」
挨拶もそこそこに、健太は朝撮ったオオルリの写真を8カット、提出した。
「今日の朝、京都市の山間部で撮った物です。」
「おお! ええやん!! 綺麗やなぁ。」
実は、プロとは言うがその中でも、健太の腕前はなかなかなものだ。一瞬のシャッターチャンスが明暗を分ける野鳥撮影において、カメラとレンズの性能を最大限に活かし、芸術性さえも持たせている。
「これ、全部販売するの?」
「いや、この中ののいくつかを作品として出そうと思います。残りの中から1カットは、事務所の人に頼まれてますんで。」
「事務所て? 人雇うてんの?」
「鳥研。野鳥研究会の京都支所です。鳥研事務所に飾るために無償提供したいんです。」
「ほぅ! 山村君の名前やったら高額で売れるのに? 事務所に1カットだけ欲しいんやったら、ほら、この7カットは登録しようや。」
「ありがとうございます。でも、お言葉だけ頂いておきます。僕が本当に世に出したいのは、オオルリの写真じゃない。」
「ちゃうの?」
「ええ、本気で狙ってるのは、赤い鳥です。」
―赤い鳥???
塚原は首を傾げた。あまり野鳥の事は知らない様だ。
「こんな綺麗な鳥やのに? それより赤い鳥ってホンマに居るん?」
「ええ。希少種になります。そいつをバッチリ収めたら、きっと…」
いい値が付くはず―。
健太はそう言った。言ってから少し後悔した。確かに野鳥写真は生業だ。売れなければ生活もままならない。しかし、この赤い鳥だけは金目当てで狙っている訳ではない。
「撮影技術はもちろん、その鳥を見つけるための技術も試されるんです。さっきはいい値なんて言ったけど、気持ち的には金じゃない。僕自身の人生がかかっているチャレンジなんです。」
塚原は、椅子に座ったまま健太を見上げ、少し間を置いた。
「気に入った!! 頑張れ!! 楽しみにしてるで!!」
「あ、ありがとうございます!!」
さて、人生がかかっているなどと、また大層な事を言ってしまったものだ。
「アカショウビン、撮れなかったら…いや、撮れたとしても、作品にならなかったら、俺の人生は…?」
帰りの道中、車を走らせながら思った。
「アホか? 俺って。折角良いのが撮れたのに、何で塚原さんの言う通りにしとかねえんだよ。」
凄くモヤモヤする。何故こんなに意地を張る? 赤くなくたっていいじゃないか。
“赤いの”見つけてきてよ―。
そう言って京都に派遣されたのは事実だ。しかも支所長などという肩書きまてもらって。だからこそ、その赤い鳥をモノにしたい。いや、モノに出来そうな気がしてならない。根拠はないが、それ故に拘らずにはいられない自分が居る。
あの、飛鳥という女と出会ってからというもの―。
読んでいただき、ありがとうございます。
団体名を考えるのにも、略称があればイメージが引き締まってきますね。
今回登場した野鳥
ホトトギス。
泣かぬなら…で知られるホトトギスは、本文内にもある「鳴き声が命名の由来」という“説”を聞いた事があります。ただその鳴き声は、「特許許可局♪」とも聞こえる…なんて言われます。
オオルリは前回にも触れた、瑠璃色の羽を持つ姿も声も美しい夏鳥です。