20 最終回
第20話。
夢は終わった…
その夢とは何だったのか。
現実世界に戻った健太の心の変化は?
最終回です。
確かめたい。そんな思いで、健太はあの尾根伝いの林道に再びやって来た。無我夢中で走り、往復したこの道。そこは、思いの外酷く荒れていた。
あの日見たはずの景色。あの恐怖が、脳裏に浮かぶ。
飛鳥が転落したはずの現場。深い谷。横たわる赤いバイク、転がるヘルメット。そして―。
―ううっ!
目を固く閉じ、首を横に振った。
恐る恐る目を開く。
穏やかに沢が流れる、何でもない谷。健太は道端に座り込み、その谷を、目を逸らさずに見つめた。
自分の名誉ばかり気にして、大切なはずの人を思いやる気持ちさえ捨ててしまっていた。そんな奴の側に居れば、誰だって落ち着いてなんかいられる訳がない。
それは不確かな記憶に過ぎないが、飛鳥が身をもってそう教えてくれた気がした。
自らが犯したミスを、ミスと知らされた時―。
省みることを“敗北”などと思った。今思えば、勘違いも甚だしい。しかしそんな気性だから、責められればその全てを跳ね返そうとしてしまう。それはそのまま苛立ちへと繋がり、不穏な空気をもたらすだけでなく、果ては人を傷付け、苦しめてしまう。
「もしかしたら俺も、塚原や重谷と同じ人種だったのかもしれねえな。嫌いな奴らと自分が同じなら、憎もうにも憎めやしない。それでも俺は、彼らを憎んだんだ。」
ダダダダダダダダダ――
遠くから、小石を弾くタイヤの音、力強く回るエンジン音が聞こえる。
1台のバイクが近付いてくる。林道ツーリングだろうか? そう思ってもみたが、そのバイクは、座り込んで物思いに耽る健太の背後で止まった。
―え!?
「今日は。山村健太さん…ですよね?」
「あ、あ、あ、は、はい…」
「ぃよっこらしょっと!」
「君…は?」
声をかけてきた小柄な女性ライダーは、ヘルメットを脱ぎ、ニッコリ笑う。ピンクの歯茎がチラリと覗く、その特徴的な口元。
「あ…あ、飛鳥!? 飛鳥!!」
健太は思わず名前を口にした。
「え? あ、いいえ、私、鳥研京都支所の…健太さんの事務所の平野って言います。」
「違う? 飛鳥…じゃない!?」
「ええ。平野杏美って言います。」
―あ、あの絵本の作家さん。ひらのあずみさんだ!
健太は、彼女が背負うリュックを見た。その赤いリュックの左側にぶら下がるのは、見覚えのある『A』のイニシャルが書かれたプレートだ。
「その、背負ってるのは…?」
「あ、これですか? 事務所で見はったんですよね? エヘヘ、私のリュックなんです。ずっと事務所に置きっ放しやったんです。」
「飛鳥が…森に行く時に背負ってた…」
「またぁ。夢は終わりましたよ!」
杏美はもう一度ニッコリ笑った。いけないと思いながらも健太は、その笑顔に飛鳥の面影を重ねた。性格はまるで違う様だが、その容姿は、夢で見た? 兎に角、飛鳥と似ているのだ。
「ここに来て、怖くはないですか?」
「正直言うと、やっぱり怖いよ。でも、確かめたいんだ。あの日の出来事。俺がさっき君の事を間違えて呼んじゃった、飛鳥っていう女の子。その子が谷に落ちて…救助隊のヘリが来て…」
「空へ? 鳥になったなんて言わんといてくださいね、あははは! 私が見たのは、健太さんが谷に落ちて倒れてて。それ以外は何も…」
「え!? 何も!? バイクは?」
「バイク? いいえ。健太さんの車は道端にあったけど、バイクは…」
益々分からなくなってきた。キョトンとする健太に、杏美は言った。
「この辺一帯の山って、信仰の山なんです。自然を重んじて、崇拝する…」
―修験道? 聞いた事あるかもな。
「自然を荒らすような事したら、山伏さんが呪術使って罰を与えるんですよ。」
「怖ぇな。てか、俺も罰を受けたのかな?」
「どうなんでしょうね、うふふ…」
思わせぶりとも取れる様な口振りでそう言って、杏美は笑った。
「この辺の川は安曇川水系で、カッパの伝説があるんですよ。谷に落ちたっていうのは、カッパに引き込まれたみたいなものですね。思古淵さんっていう人が居たら、カッパを封じ込めてくれはるんですよ。エヘッ、おとぎ話みたいですね。」
「そ、そういう事なんだね。杏美さん、さすが絵本作家だね。」
―思古淵さんって、救助隊呼んだ人だ!
少し話すと、杏美はヘルメットを被った。
「ほな、また。」
「あ、ま、待って!」
ダダダダダダダダダ――
杏美の乗ったバイクは走り去った。お礼を言いたかったが上手く言えなかった。
また1人になった健太はその場に座り込み、もう一度じっくりと考えた。
―俺は、やっぱり夢を見てたんだ。飛鳥なんて、本当はどこにも居なかったんだ。
杏美の赤いリュックに付けられた、『A』のプレートキーホルダー。それを引きちぎってしまい、ポケットに隠した時から、それはあの絵本の世界と現実世界を往来するチケットとなり、絵本の中に迷い込んだ。
その世界の中で健太は、作者である杏美を飛鳥に置き換え、恋をし、傷付け、失った。そして、自分の浅はかさ、愚かさと、悲しみを知って、雷に打たれて現実の世界に戻って来た。
何かの魔法か? それとも、何者かに自分は試されていたのか? 結果論だが、健太は一連の出来事から己を深く知る事になった。
健太はひとり呟いた。
「アカショウビンは雨乞い鳥だ。だから俺は、大雨に降られ、雷に打たれた…という事か。そして俺は飛鳥を苦しめたという“罪”を、これから生涯背負って生きなきゃダメなんだ。それもまた、山の神に反いた罰だな。」
例え夢の中の出来事だったとしても―。
「おお! 平野ちゃん。」
「来てくれたんやな!」
「菊池さん、島田さん、ごめんなさい。私、あんな絵本書いときながら…これからは、健太さんも含めて皆さんと仲良くやっていけたらな〜って。」
杏美は中学生の頃から人との交流を絶った。「鳥達は裏切らないから」と言って、いつも1人で鳴き真似をしていたという。
鳥研に入会してからも事務所にはほとんど顔を出さなかったが、きっといつも森から野鳥観察データを送り続けていたのだろう。
菊池はそのデータを見て、重い腰を…上げる事は出来ないが、漸く動き出した。パソコンを睨み付けるかのように、報告文書を書き始めたのだ。
本当に睨み付けている訳ではない。顔が怖いからそう見えるだけで、実はとても楽しそうだ。
その日から、杏美は再び事務所に通う様になった。声を張らず、ペコリと会釈だけすると、健太の隣のデスクに向かった。絵本から小説へとジャンルを変え、執筆に勤しんだ。そして時折健太の顔を見て微笑んだ。
人との会話を殆ど持たないはずの彼女だったが、それはもう過去の事なのかもしれない。
「で? 何で君は、あの林道走ってたの?」
「よく通る道。森の中走るの、好きなんです。」
森で出会った時もそうだった。健太となら、杏美も話す事を躊躇わない。
お互いが、お互いを受け入れている様だった。
時は流れ、秋。
健太はまた、とある森にやって来た。
今、その横には杏美の姿。
「なぁ、杏美ちゃん。島田さんから聞いたよ。君って子供の頃はとても活発で…」
「言わんといて。」
「あぁ、ごめん。でも…前に言ったよね? 飛鳥って女の子。君にそっくりな顔してて、とっても活発で。」
「異世界に私の分身が降りた? あははは、可笑しい!」
「君の事、飛鳥って呼んでもいい?」
「ダメっ!」
―ガクッ。そりゃそうだな。
「私は杏美。『あず』って呼ばれてたの。」
「そうか。じゃあ、あず、行こう! 絵本の主人公・アカショウビンを探しに。」
「うん!」
2人は顔を見合わせると、森へ、奥の奥、さらに奥深くへと吸い込まれて行った。
互いに手を取り合って――。
完
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
「赤い鳥、泣いた。」は、これで終わりです。
異世界…
そう言うには、異世界物を好まれる方には物足りないのかもしれませんね。
この物語の主人公に、現実と夢の間を行き来する中で、心の変化をもたらす何かが起こっていく。そういう展開と捉えてくだされば、ありがたいです。
尚、今後スピンオフ作品も予定しています。
引き続き、日多喜瑠璃の小説をよろしくお願いします。




