19
第19話まで来ました。尾根伝いの林道から谷に下ったところで豪雨に打たれた健太。その後のお話になります。
―夢は終わったよ。早く現実に返ってね。
「健太! おいっ、健太!!」
「健太君!!」
暗闇の中、遠くから誰かの呼ぶ声が聞こえる。どこだ? 誰だ? 声のする場所を探し、闇の中を彷徨う。
「健太!!」
光だ。光の射す方へ…
「ここは?」
健太はそっと目を開いた。
「健太…」
「健太君…良かった。」
「ここは病院や。お前、森ん中で…」
菊池がそう言いかけた所で、島田は制止した。今は、何があったかなど思い出さなくてもいい。まずは元気を取り戻す事が大事だ。
「俺…」
「僕らにもわかりませんよ、何があったなんて。」
どれぐらいの間、ここで眠っていたのだろう? 体を動かしてみるが、所々打撲の痛みが残る程度で特に大きな怪我はない様だ。ただ、豪雨に打たれ、搬送されて来た時は低体温となり、意識も失っていたと言う。
「あ…飛鳥…飛鳥は?」
「飛鳥て? ん? 誰や?」
「菊池さん、俺、言ってたでしょ? 山ガール…」
「は?」
菊池と島田は、顔を見合わせてキョトンとした。
―アンタの口車に乗せられてバレたんじゃねえか。忘れてんのか? 歳は取りたくねえな。
「夢でも見とったんか?」
―え?
3人それぞれが、互い互いの顔を見て不思議そうな表情を浮かべる。何だ? 全部夢だったのか? それとも、夢と現実が交差していたと言うのか?
「なんかね、『夢は終わった』とか聞こえた気がするんです。それから菊池さんが呼ぶ声が…え? 一体どういう事です?」
「ワシが聞きたいわ。」
「僕らが知る訳ないやないですか。兎に角、無事で良かったです。」
数日後。
鳥研京都支所の有り余る程の空間の一画に、真新しいデスクが2台置かれた。その内の1台に大きなパソコンが置かれ、引き出しには沢山の資料と思われる冊子が入れられた。
「よろしくお願いします。菊池さん、またお願いしますね。」
島田が、鳥研京都支所に帰って来た。菊池が呼んだのだ。
「健太の一件で、過去は全て帳消しになった。」
そう言って菊池は島田の復帰を熱望したのだ。
室内の照明は、写真編集に最適な明るさと色に統一された。健太のデスクにも、大型のモニターが置かれた。
壁際の一画には、健太の写真機材を収納する防湿庫が置かれた。
皆それぞれが仕事もこの事務所で行える様、室内は整備されていった。
「このデスクは?」
「あぁ。必要かどうかはわからんけど、4台並べた方がバランス良いでしょ?」
何とも適当な、島田の答。きっと、平野という女性メンバーのために置いたのだろう。
―まぁ、追求しても仕方ないか。
「聞かんでも、想像ついとるやろ? はっはっは!」
―あ、このリズムだ。
面倒くさいと思っていた菊池の“心理深読み技”も、今はどこかホッとする。
健太は、島田は、そして菊池もそれぞれデスクに向かい、椅子に座った。
「ねぇ、聞きたいんですけど。」
「うん。」
「俺、何で病院に?」
「そやな…あの2日程前、誰かからの電話の後、泣きそうな声で『アカショウビンが待ってる』言うて、ここ飛び出して行ったわなぁ。森で何があったんかはわからん。けど、島田のアプリが健太を助けるのに一役買った感じか。」
「ええ。アップデートしたのが早速役に立って良かったです。」
―アプリアップデート? 画面消失してたんだけどなぁ???
健太は森でゲリラ雷雨に遭い、身動きが取れず倒れていた。
その周りには、落雷で倒れたと思われる木々が何本も横たわっていたと言う。
健太は『TK探鳥ナビEX』の追加プログラムについては知らない。知らされる前に事務所を飛び出し、引き止めようとする菊池らからの通話を遮断すべく電源を落としたのだ。
アプリアップデートは自動プログラムにより、スマートフォンへのダウンロード、インストールがされるはずではあったが、電源を落とせばそれは不可能だ。結局アップデートされないままの状態で通信圏外で開いたため、『TK探鳥ナビEX』は正常に起動しなかった。
健太の位置情報は、そのため他のアプリ使用者に通知されなかったのだ。
「げっ! そういう事でしたか。そんな…」
「すみません。健太君のは正常にアップデート出来ひんだんですね。」
「じゃあ、俺はどうやって?」
「アプリ使てるユーザーがな、お前発見して、新しいプログラムのな、『緊急事態通知』を発信してくれたんや。」
「緊急事態通知?」
「そや。山では何があるかわからんやろ? 島田も健太も、単独行ばっかりや。何かあったら通知して見つけてもらわな、命の保証はないやんな。」
そこに重要性を感じた島田は、以前からこの通知機能をアプリに組み込むための開発を進めていたのだった。
「じゃあ俺が間抜けだったんだ。そのプログラムは俺を助けてくれたんですね。島田さんは、恩人ですね。」
「いえいえ、僕は土台を作っただけです。健太君を助けたのは…」
「平野ちゃんや。」
―平野さん。
鳥研京都支所のメンバーでありながら、健太は未だ会った事がない。どんな人なのだろう? 会ってお礼を言いたい。
「その、平野さんは…」
「うん。あの尾根伝いの道は、あの子がバイクでよう走ってるんや。雨上がりで様子見に行ったら、お前が倒れとったらしい。」
「ここには来られたんですか?」
「ん〜、健太が異動してくる前に来て以来やな。ほら、あれ、ここに置いといて言うて持って来て、それ以来やわ。」
―あれ?
「絵本…? 『赤い鳥、泣いた。』ですか。」
菊池が指差したのは、本棚だった。健太はゆっくり立ち上がり、そこから1冊の絵本を手に取った。
「ひらのあずみさん。ええっ? これの作者って…」
「うん。平野ちゃんや。」
「健太君、読んだ言うてたけど、作者の名前、見てへんだんかいな。」
「そ、そうですね。」
―あはははははは。
―う〜む。
新しいデスクに向かい、パソコンを見つめる島田は、頬杖をついていた。
「健太君、週明けからずっと雨ですね。」
「梅雨入り…かな? しばらく探鳥もしにくくなりますね。どうします?」
「ちょっと休めや、ははは。健太も写真の編集しやなあかんやろな。」
「そうですね。」
―あれ? あんまり撮れてねえや。でも?
本当に沢山の野鳥達と出会った。そんな記憶だけは残っている。あの…森の中で。
落ち着きを取り戻した事務所に、緩やかな時間が流れる。しかし、初夏の青空を拝めるのも、あと3日ぐらいか。そんな事を思うと、少し淋しさも感じられる。
「梅雨入りしたら、活動の方はどうなります?」
「東京では?」
「動いてはいましたけど。そもそも調査対象が違ったんで、大した苦労もないし、危険も…」
「何調査しとったん?」
「カワセミですよ。」
「そうかぁ。数も安定しとるし、町ん中でも繁殖しよるし…大事ではあるけど、活動自体はユルイ事しとるんやな。」
―あれ? これも聞き覚えあるんだけど?
「それは言っちゃダメですよ、あははは。」
ピンポン―ピンポン―
「はいっ!」
「宅配でーす!」
―ん? 何だろ?
「山村…健太様ですね? ニノ谷森林センター様からお荷物です。」
―ニノ谷? 森林センター? まさか…
あの、最後の山行。登山道に置き去りにしたキャンプギヤ達。『鳥研京都・山村』の貼り紙を見て、森林センターの誰かが送ってくれたのだろう。
恐る恐る箱を開けてみる。丁寧にビニール袋に入れて包装されたそれは―。
赤いリュックだ。
健太は青ざめた。忘れかけた夢の記憶…だったはずのものが、またしても脳裏をよぎる。
一方で、菊池や島田はその時起こった事など知る由もない。
「お? どした? その荷物。」
―見ないでくれ。
「健太君、可愛らしいリュック使うんですね。」
「あ、あはは。俺のじゃ…」
そう言いながら、健太は誰にも気付かれない様に『A』の文字が入ったプレートをポケットからそっと取り出し、リュックに付けた。
鼓動が激しくなった。そこには様々な意味が複雑に絡み合い、胸が苦しくなった。
読んでいただき、ありがとうございます。
筆者はオフロードバイクに乗ってはいません。しかし、この尾根伝いの林道のモデルになった道は、実際にバイクで走行した動画がいくつも公開されていて、現地に行かずとも取材にはなりました。
残すところあと1話。最後までよろしくお願いします!




