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日多喜瑠璃3作目、連載開始です。
突然東京から京都へ移住となった主人公。
不安を抱えての、野鳥研究会(鳥研)京都支所長就任となり、初めて事務所にやって来たところからスタートです!
「山村君さあ、本職はカメラマンだよね?」
「はぁ。」
東京都世田谷区。多摩川を望むビルの3階。そこには、日本野鳥研究会総本部と、関東地域本部、そして東京支所が同居している。
日本野鳥研究会(通称・鳥研)とは、野鳥を愛する人達の集まり。皆それぞれに仕事を持つが、休日ともなると山や湖沼、海岸や、近所の公園へと出かけ、野鳥観察を楽しんだメンバー達が観察データを持ち寄り、地域ごとに鳥達の生態をまとめ、愛護の為に役立てている団体だ。
寄付金を集めての運営から始まったが、その活動は愛護協会から称賛され、ついには全国展開を果たした。そして、一企業並の資本を保有するまでに至っている。
「あのね、京都に行ってもらってもいい?」
「え、ええ? 何ですって?」
「だからぁ、京都へ。」
突然言い渡された、京都行き。戸惑うのも当然だ。こんな団体の中でも人事異動? というか、引っ越せと?
「京都支所さぁ、欠員出ちゃって久しいんだけどね。会社勤めの人に頼めないじゃん。野鳥写真家なら自由度高そうだし良いのかなって思ったんだけど… 」
「ええ、まぁ。」
「勿論お願いするからには、タダで行けなんて言わないよ。ええ? 何だよ、真っ白になってる場合じゃないよ。京都の山で、“赤いの”見つけてきてよ。」
「は、はぁ。」
「違う土地で違う鳥を狙ってみるのも、写真家としては良い経験になるんじゃないの?」
支所長はそう言った。しかしよくよく考えれば、何故京都で人員を募集しないのか?
兎にも角にもゴリ押しされ、健太は断り切れず承諾してしまった。
野鳥写真家・山村健太。
日本野鳥研究会関西地域本部京都支所長に就任。
森の京都。
京都と言えど、何も古都の趣や神社・仏閣ばかりが見所ではない。市街地を外れ、山間部に分け入れば、そこは大自然。緑豊かな森、清らかな水の流れ、澄み切った空気。それらは、かけがえのない命の源。動物達が暮らす場所、人が暮らす場所。これらが絶妙にバランスを取りながら、今日も多くの命を育んでいる。
健太はその日、京都の事務所に初めて訪れた。京都なのだから町屋か何か和風の建物だと、勝手に思い込んでいた。しかしそこは―。
「まさかのド田舎じゃねぇか。」
京都市右京区京北地区。山に囲まれ、長閑な田園が広がる。地下鉄はおろか、市バスさえも来ない。驚きを隠せないまま、事務所と称される建物のドアを、そっと開けた。
「退会された島田さんの後継として京都支所長に任命されました、山村健太です。よろしくお願いします!」
「はい? あ、よろしく。」
―あ、あれ? 土曜日なのに、みんな仕事で忙しいのかな?
事務所の扉を開けたはいいが、そこに居たのは、気難しそうな仏頂面の男が1人。60歳ぐらいだろうか。デスクに向かって座ったまま、動こうとしない。
健太は驚いたと同時に呆気に取られた。
「ああ、新しい支所長ね、島田の代わりやね。まぁ堅くならんと、気楽にしてや。」
「いや、あの、ここって、え? こ、これだけ…ですか?」
「これだけ? 何が?」
「人数ですよ。」
「人数か? うん、これだけ。いや、あと1人居るけど。え? おかしい?」
「あは…と、東京支所には30人程居ましたので。」
「何や。世田谷やろ? 総本部の者も居ったんやろ? そらぁ仰山居るやろ。支所なんかこんなもんちゃうか?」
「はぁ。それで、もう1人って?」
「うん、ここには殆ど来よらへんわ。まあ、いつかは顔合わす事もあるやろけどなぁ。」
そう言うと、男はパソコンに向かい、何やらデータらしき物を入力し始めた。
「遠慮せんと、何でも訊いてや。」
「あ、はぁ。」
―この状況で、何が訊けるんだよ。
「あ、あの、とりあえずお名前を。」
「名前か。ん〜、何やったかなぁ。平野何や言うたな。」
「えっ、ええっ!? ご自分の…」
「えっ、ええっ!? ワシかいな。すんまへん。菊池や。菊池俊輔。あっはっは!」
「あ、はっ、は、ははは。」
「わあっはっはっは!!!」
「その、平? 平野さん? でしたっけ?」
「おう、若い可愛らしい女の子やわ。」
「お、お、おにゃのこ!?」
「何興奮しとんねん! わははは!」
「あ、あは、ははは。」
「わあっはっはっは!!!」
「そこ使こてぇな。」
おそらく島田前支所長が使用していたと思われる、空きのデスク。健太は、持参したノートパソコンを置いて、セットアップする。引出しには東京から持ってきた資料を並べる。そうして、座ったまま微動だにしない菊池の向かいに、自分のデスクを完成させた。
既に昼になっていた。近くのスーパーで買って来た弁当を頬張った。
少し落ち着くと、事務所内を見渡してみる。喫茶店か何かの居抜きなのだろう。閑散とした部屋の奥に、大きな厨房が在る。
―え、え〜っと。あ、あるじゃん!
健太はそこに、綺麗な状態で保管されているコーヒーポットを見つけた。
「あの、菊池さん。」
「ん?」
「コーヒー飲まれます?」
「おお、すまんな。豆あったかいな?」
「僕、ドリップコーヒー持ってきたんですよ。」
「ほうか。ほなご馳走になろか。」
健太が厨房に立つ。静かに時間は流れて行く。
「なあ?」
「はい。」
「東京の支所長、何か言うとったか?」
「え、ええ。会社とも違う活動団体で人事異動も変な話だけどって。引越し代とか経費の大部分はサポートしてもらえたし、その上で支所長に格上げみたいな。」
「ふうん。聞いてへんのやったら構へん。」
―あれ? 違う話???
「あ、そう言えば!」
「ん?」
「所長、“赤いの”見つけてきてよって言ってました。」
「“赤いの”か。やっぱりそうか。」
「え? どうかしたんですか?」
―“赤いの”って何の事だろう?
「いやまぁ、赤い鳥言うたら何種類か居るけどな。健太君言うたっけ? 野鳥写真家やったらいろいろ知ってるやろ?」
「ええ、まぁ。ベニマシコ、アカショウビン。コマドリなんかも赤い鳥に数えられますよね? オレンジだけど。」
「うんうん。ただな、“赤いの”て言いよったんやろ? 鳥とは限らんなぁ。」
「いやいや、鳥研ですし、鳥の事でしょ?」
―何だよ、絡みづらいオヤジだな。
「ははは。すまんな。絡みづらいオヤジやろ?」
―ひゃっ!! 声、出ちゃったかな?
「ほら、府内の野鳥分布地図や。アプリ使てるやろ? 『TK探鳥ナビEX』言うやつ。森ん中でも一応GPSで対応しとるけど、電波届かへん所行くやろし、念のため紙のマップ持って行きや。」
―「行きや」ってオッサン! アンタは行かねえのかよ?
「オッサンはいつもここに居るさかい。」
―いやいや俺、何も言ってねえよ。言ってねえよぉ!
「あ、あ、あはは。あ、あの、この人数だし、支所長っていう立場でも観察は行かなきゃってのはわかりますし、僕も野鳥撮影が本職ですし、何より鳥と関わりたくてこの団体に入ったんですけど…菊池さんはいつもここで?」
健太はそう言いながら、菊池のデスクにコーヒーを運ぶ。
「菊池さんは行かれないんですか?」
「行きとても行けんのや。」
―あっ!!!
これは失言だ。謝罪せねば―。そう思った。しかし、菊池は笑った。
「気にすんな。ワシも現実は現実として受け止めとるさかい。」
「す、すみません。謝らせて下さい。」
「ええよ、ええよ。」
その時健太が見たもの。それは、膝から下のない菊池の右足だった。
読んでいただき、ありがとうございます。
主人公・健太と既存メンバーとの“妙な?”やり取り、楽しんでいただけましたでしょうか?
次回からも、よろしくお願いします。