特別なアップルパイ
王宮の護衛騎士のカイルは、どうしてもマリーが作ったアップルパイが食べたかった。
マリーは、少し前に、王女付きの侍女となった伯爵令嬢だった。
そして、おそらくは、カイルと過去世で縁が深かった女性と思われた。
その彼女が、王太子と王女を交えたお茶会で出したのが、手作りのアップルパイだった。
そのアップルパイを食べたとき、カイルはとても懐かしい思いがした。
それは、過去世の記憶の中で、幼い頃に彼女と一緒に食べたアップルパイと、形がよく似ていたからだった。
しかし、そのお茶会では、カイルは王太子の毒見役としてアップルパイを食べたため、少ししか口にすることができなかった。
カイルは、とても物足りなく感じ、またマリーの手作りのアップルパイを、どうにかして食べる機会はないかと…強く思っていたのだった。
しかし、現時点ではそれ程親しくなっていないマリーに、何の理由もなくリクエストをすることなど、生真面目な気質のカイルにはできなかった。
しかし、そんなカイルにチャンスが巡ってきた。
王妃主催で、アップルパイの品評会が行われることになったのだ。
そして、その品評会には、各部署別にチームでの任意の参加形式であったが、未婚の侍女たちは必ず参加すること、とされていた。
実は、アルベール王太子が、ある令嬢が作ったアップルパイを気に入った、と最近王宮内では噂になっていた。現在王宮では、結婚前の行儀見習いとして、12人の貴族令嬢が侍女として伺候していた。
令嬢としては、もしかすると、手作りアップルパイで、王太子へアピールできるかもしれないと、王太子の執務室へのアップルパイの差し入れが相次いでいた。
このため、王太子の執務に支障が生じてきていた。
王太子は母である王妃に相談をした。
王妃は、いっそのこと、侍女である令嬢たちのために、一斉に王太子へアピールする場を持たせようとしたのだった。
また、未だ婚約者のいない結婚適齢期である王太子に、少しでも関心を持つ令嬢ができることを、当然王妃としては望んでいた。
未婚の侍女は全員参加という決まりとなったので、カイルが気になっているマリーも参加するに違いなかった。そして、この前のお茶会で、王太子と王女がマリーの作ったアップルパイを気に入ったことを考えれば、当然マリーが王女付き侍女チームの中心となって、今回もパイを作ることが予想できた。
品評会の審査役には、王妃、王太子、王女と共に、王宮料理人から2名、王宮騎士団から1名、政務部から1名、の7名があたることとなった。
マリーのアップルパイを少しでも食べることができるかもしれない、と考えたカイルは是が非でも審査役になりたかった。
そして、審査役に誰がなるか、王宮騎士団の中は騒然となった。
それは、職務として美味しいものを食べることができ、数多くの美しいご令嬢たちを間近で見る機会など、滅多にあるものではなかったからだった。
騎士団の中で、立候補者があまりにも多く出て、互いに譲らなかったため、最後は剣による模擬戦のトーナメントで決めることとなった。
カイルの気迫は凄まじく、圧倒的な勝利を重ね、審査役を勝ち取ったのだった。
品評会の当日、会場となった王妃の謁見室には、甘く香ばしい匂いが立ち込めた。
部屋の中央には、大テーブルにいくつものアップルパイが並べられ、参加者一同が揃ったところで、王妃と王太子が入室してきた。
王太子と身近に接することのできる、この貴重な機会のために、侍女である若い令嬢たちは、ここぞとばかりに装いを凝らしていた。
令嬢たちが立ち並んだ華やいだ雰囲気に、王妃は満足そうに微笑んだ。
しかし、当の王太子は、いつもの公務の謁見の場と変わらず、王子らしい落ち着いた微笑みを浮かべているだけだった。
そして、王女は、昨日からの体調不良のため、欠席となる旨が伝えられた。
審査に公平を期すために、どのチームがどのアップルパイを作ったのかは伏せられ、番号が書いてあるカードのみが、それぞれのパイのそばに置かれていた。
エントリーしているチームは、王妃付き侍女の班、王女付き侍女の班、王太后付き侍女の班、侍女長直属の班など、全部で7チームだったので、7番までの番号が付いたパイが並んだ。
まずは、見た目の審査から始まった。
王妃と王太子の元へ、次々と切り分けられる前のパイが運ばれていった。
そして、王妃と王太子のチェックを受けた後、また大テーブルの上に並べられた。
王妃と王太子以外の審査役たちが、テーブルの上のアップルパイをよく観察しチェックをしていった。
カイルは、前にマリーが作ったアップルパイの外見とそっくりなものを見つけて、そっと安堵の息を吐いた。
なぜならば、この品評会の会場の中に、マリーの姿が見えなかったからだった。マリーはおそらくアップルパイを焼いた後に、体調を崩した王女の看病へ向かったのだろうと、カイルは考えた。
〝結果発表のあたりまでには、会場に来てくれるといいな…。〟
マリーの顔を少しでも見たいカイルはそう思った。
そして、次に味の審査では、王妃と王太子が口にするので、まずは二重三重に毒見が行われた。
「よろしゅうございます。問題ございません。」
この場を取り仕切るために急遽駆り出された、侍従長が王妃に恭しく述べる。
そして、見た目の審査と同様に、小さく切り分けられたパイが、まずは王妃と王太子の元へ運ばれた。
令嬢たちは、頬を紅潮させながら、王太子が試食する様子を見つめていた。
そして、他の審査役たちは、それぞれのペースと順番で、パイを試食していった。
カイルは真っ先に、マリーが作ったと思われる、5番のパイを口にした。
その形は、前にカイルが見たものと同じ、パイの生地を上にかぶせ、端をフォークの背で押して飾りにしているだけのシンプルな見た目のものだった。
そして焼き加減は今回の方がうまくいっているようだった。
しかし…
〝あれ?この前のパイの味と違う??〟と、カイルは思った。
マリーが作ったアップルパイは、砂糖を加えた、りんご本来の味にシナモンの風味がほのかに加わっているだけの、素朴な味だった。
しかし、このパイからはラム酒の風味も感じられて、大人向けの雰囲気を漂わせている。
〝品評会のために、味付けを変えてきたのだろうか…?〟
しかし、大人向けの味に寄せてくるのは、マリーらしくない気がした。
カイルとしては、マリーらしい素朴な味のパイが食べられることを期待していたのだった…。
審査は、審査役が一番よいと思うアップルパイに一票を入れ、その合計点で決まることになっていた。
そして、厳しく順位をつけることが目的ではないため、一位となったチームのみが発表されることになっている。
審査結果発表の場になっても、マリーは会場に現れなかった。
会場の皆が固唾を飲む中、侍従長が結果を発表した。
「審査結果を申し上げます。
今回の一位は…、3番のパイ、女官長の班のものです!」
きりっとした風貌の女官長の周りを取り囲む、若い女性たちが小さく歓声を上げた。
喜びの歓声を上げるのは、淑女としてはふさわしくない振る舞いだが、抑えきれなかったらしい。
彼女たち女官は、王族の公務の補佐をする役職で、侍女よりもエリート職と言われている。
それを見ていた侍女長は、悔しさのあまり、わずかに唇を噛んだ。
侍従長が続ける…
「一位のパイは、まず見た目の華やかさがありました。そして、林檎のフィリングの味付けは、スタンダードながらも、柔らかく煮たりんごと、硬めの触感を残したりんごを混ぜるなど、食べる者を飽きさせない工夫があり、そこが高く評価されました。」
女官長は、それを聞き、誇らしげな微笑みを浮かべた。