エピローグ ~勇者のオヤジギャグは、永久に不滅です
カズキと結婚をしてから数か月。
私たちは、それぞれの執務机で事務処理に追われていた。
「じゃあ…カズキ、これは、えっと…『大学の先生』でお願い」
「わかった、『今日中(教授)』でいいんだな。それにしても…」
カズキは窓の外を見つめる。
「…ルビーは、『オヤジギャグ』の使い方が上手くなったな」
遠い目をしながらしみじみと語っているカズキを、私はジト目で見る。
「わ、私は、別に『オヤジギャグ』を究めようとは思っていないからね!」
「そんな謙遜しなくても、いいんだぞ。弟子は、いつか師匠を越えるものなんだよ。すぐに『免許皆伝』になると思う」
机の引き出しから『十年日記』を取り出したカズキは、「今度は、どの『オヤジギャグ』をルビーに教えようかな…」と呟いている。
彼は自分の世界に入り込み、私の話を全く聞いていない様子。これでは困る。
ため息を吐いた私は、以前から考えていることを伝えることにした。
「あのね…カズキ、私たちにもいずれ子供ができるでしょう?」
「うん」
「その子が大きくなったときに、その…カズキのようになったら困るから、今のうちから『オヤジギャグ』を徐々に封印…」
「ルビー…」
カズキが、真剣な表情で私を見据えていた。
私を見つめる穏やかな黒い瞳に、さすがに言い過ぎたと反省した私は頭を下げる。
「ごめん! ちょっと言い過ぎ…」
「…『一升瓶は、一生瓶』という言葉があるように、俺は、一生変わらず俺なんだよ。だから…」
カズキが拳を握りしめ何やら力説しているが、懲りずにまた『オヤジギャグ』を言ったことだけはわかった。
「…それに、俺たちの子供には『つぶらな瞳を、つぶらないで』って言うくらいなら、いいだろ…」
「カ・ズ・キ…」
「は、はい!」
カズキへ、私の怒気を含んだ声色は伝わったようだ。
彼は背筋をシャキッと伸ばすと、慌てて『十年日記』を片付け、書類と向き合う。
しばらくの間、執務室に書類を捲る音とペンを動かす音だけが響いていた。
◇
ジェイコブがお茶を淹れてくれたので、一旦休憩をすることにした。
ソファーにカズキと並んで座り、お茶を一口飲む。
今日のお茶菓子は、新作の『オンセン蒸しケーキ』だ。
『オンセン』の蒸気でお菓子を作ろうと、皆で意見を出し合って開発した自信作だが、生地がしっとりとしていてとても美味しい。
カズキも味には満足しているのだが、「このオンセン街で売るんだから、『オンセンマンジュウ(温泉饅頭)』にしよう!」と最後まで名にこだわっていた。
「あのさ…」
「なに?」
隣へ視線を向けると、カズキが口を尖らせ拗ねたような顔をしている。
同い年のはずなのにやっぱり年下にしか見えない彼に、思わず笑ってしまった。
「…結婚してから、ルビーの俺に対する扱いがどんどん適当になっている気がするんだけど、俺の気のせいかな? 気のせいじゃないよな?」
「それを言うなら、カズキの『オヤジギャグ』を言う頻度が高くなっているような気がするんだけど、私の気のせいかな? 気のせいじゃないよね?」
「それは…ルビーの…気のせいだと…思う」
だんだんと声が小さくなった彼に、私は必死で笑いをかみ殺す。
「私も…カズキの気のせいだと思うよ…」
「ホント?」
「うん。ホント、ホント」
「そっか…俺の気のせいなら、仕方ないか…ハハハ」
「ふふふ…」
結婚をしても、以前と変わらずカズキとこんなやり取りを毎日している。
彼と夫婦にはなったが、友人のような関係でいられることに心地良さを感じていた。
美味しそうにケーキを頬張る彼の横顔を、私はじっと見つめる。
私の傍には、いつもあなたが居てくれる。
それだけで、私がどれだけ心穏やかに過ごすことができているか、どれだけ心強く思っているか、あなたは気づいているだろうか。
お揃いの指輪が光るカズキの左手を、そっと握りしめる。
大きくてごつごつしていて温かい…私の大好きな手だ。
彼から手を握り返され顔を上げたら、優しいまなざしで私を見つめる黒い瞳があった。
「ルビー…愛してる」
「私も愛してる、カズキ」
口付けをかわすと、いつものように抱きしめられる。
カズキの腕の中は、私だけの指定席だ……今のところは。
「そろそろ、仕事に戻る?」
「もう少しだけ、このままでいたい…」
「…わかった」
カズキは、私が満足するまで抱きしめていてくれる。
規則正しい彼の鼓動を感じていると、温かさと心地よさに、ついウトウトしてしまう。
「ルビー、また眠っちゃダメだよ!」
カズキの声が、遠くで聞こえる。
来年の今ごろは、私と彼の間にもう一人いてくれたら、いいな…
そんなことを思いながら、私は目を閉じたのだった。
◆
「奥様は、また眠ってしまったのですね…」
茶器を片付けに部屋へと入ってきたジェイコブが、カズキの腕の中で眠るルビーを見つめている。
「ずっと忙しいから、疲れがたまっているんだろうな…」
ルビーをソファーに横たえたカズキは、彼女の頭を優しくなでるとフフッと笑った。
「ジェイコブ、俺が初めてこの屋敷に来た日のことを覚えているか?」
「はい、もちろんでございます。突然、旦那様を連れて帰ってきたときは、呆れましたから…」
「ははは! たしかに、俺は怪しい奴だったからな…」
「でも、奥様は人を見る目がございました。私は、旦那様との出会いは運命だったと思っております」
父親が亡くなったあと、ルビーは一方的に婚約を破棄され、一人で領地を守ってきた。
その様子をずっと従者の立場で見守ってきたジェイコブにとって、今の幸せそうなルビーの姿は何ものにも代え難いものだ。
「運命…か。そうかもしれないな」
カズキが召喚に応じなければ、勇者仲間から『温泉』の話を聞かなければ、二人は出会うことはなかっただろう。
「私は……旦那様が、宴会の席で眠ったフリをしておられたことを知っておりましたよ」
「ゴホッ、ゴホッ…」
「あの頃から、お二人は相思相愛だったのですよ。それなのに、随分と回り道をされたものです」
◇
ジェイコブが退室したあと、自分の上着をルビーへ掛けたカズキは、ふう…と息を吐く。
まさか、彼に気づかれていたとは思ってもいなかった。
『カズキ殿がお嬢様のことをどう思っておられるのか、今日ははっきりとお聞きしたいです!』
ルビー本人が目の前にいるのに、ジェイコブは何を聞いてくるんだとカズキは焦った。
酔った勢いで告白する…との考えも一瞬頭を過ったが、彼女の立場を慮り、結局寝たフリをしたのだ。
皆に自分を部屋まで運ばせてしまい、申し訳なく思ったこと。
眠れずに外を眺めていたらルビーが庭園に出てきて、その姿をずっと見つめていたこと。
襲われていることに気づき、窓から飛び出して助けに行ったこと。
自分に抱きついているルビーから、もう少しこのままでいたいと言われ、思わず強く抱きしめてしまったこと。
あの時のことを思い出すだけで、カズキは今でも面映ゆい気持ちになる。
「さて、大事な大事な『箱入り娘を、運びますか』…なんちゃって」
カズキはルビーを優しく抱き上げると、執務室を後にした。
これで完結です。
ここまでご覧いただき、ありがとうございました。