観光資源
カズキが我が家に滞在すること一週間。
彼は、今日も地べたに寝っ転がって『オンセン』に浸かっていた…屋外なので、もちろん服を着たままで。
ちなみに、寝ながらお湯に入ることを『ネユ(寝湯)』というらしい。
◇
彼が『ネユ』をしているのは、屋敷の近所。
地中に埋まっている岩のくぼみの割れた隙間からお湯が沸き出しているのだが、人が浸かるには残念ながら深さが足りなかった。
「これでは、体全体が浸からないね」と言った私に対し、カズキは「『寝湯』にするから大丈夫!」といきなり上着を脱ぎだした。
「ちょっと、カズキ!」
「全部脱ぐわけじゃないから、安心して。さすがに、上着は濡れると重いからさ…『さあ、豪華な上着を脱ごうかな』なんちゃって、ププッ!」
楽しそうにシャツ一枚にズボン姿となった彼は、裸足になるとおもむろに寝転がる。そして、目を閉じた。
私が湯の中に手を入れてみると、意外と温度が高い。
「ねえ、結構熱いと思うけど…カズキは平気なの?」
「ああ、じいちゃんは昔から熱いのが好きだったからな、一緒に入っていた俺もいつの間にか好きになっていた…」
「カズキは召喚されたって言っていたけど、その…元いた世界に、おじいさんはいるんだよね?」
「じいちゃんは…死んだよ。だから、俺はこの世界に来たんだ」
カズキの両親は幼い頃に亡くなっていて、彼は祖父母に育てられたのだという。
その後、祖母も亡くなり、唯一の肉親であった祖父を看取った彼は、突然一人旅に出ることを思い立つ。
「『大学』っていう、この世界でいうところの学校に通っていたんだけど、そこを休学して、思い出の地を巡ろうと思ったんだ。家族旅行で行った『温泉地』とかに…」
荷物は、『必要最低限の物』と『祖父母の形見』を入れた鞄一つだけの、気ままな男一人旅。
しかし、その旅の途中でそれは起きた。
ある日、カズキの頭の中へ直接問いかけてくるような声が聞こえたのだ。
「異世界から俺を召喚しようとしている奴がいるけど、行くか?行かないか?って問われたんだ」
「それで、カズキは『行く』と答えたのね」
「もし、じいちゃんが生きていたら『行かない』と答えた。でも、家族はもう誰もいないし、行ってもいいかな…ってその時思ったんだ」
召喚された彼は、その後勇者としての務めを果たし、今は自由な時間を過ごしているのだとか。
「せっかく休暇をもらったから、この世界でも一人旅に出ようと準備していたところに、隣国に『温泉』があるらしいって話を仲間から聞いて、居ても立っても居られなくなったんだ」
俺、昔から行動力だけはあったから…そう言って、カズキは笑っていた。
◇
「カズキ、毎日入っていて本当に傷は癒されているの?」
「最近、肌がスベスベしてきたから、ここの温泉は美肌の効能があるかもしれない…」
「美肌って、肌が綺麗になるってこと?」
「うん。女性なら、誰しも気になるよな? ルビーも一度入ってみればいいのに」
カズキは、私が自分と同い年だと知ってから『ちゃん』付けを止めた。
しかし、今度は『ルビーさん』と呼ばれて、私が『さん』はいらないと彼へ告げる。
結果、お互い呼び捨てになった。
「いくら服を着ているからといっても、人前ではね…」
「じゃあ、温泉が湧き出ている別の場所に囲いでも作って、女性でも人目を気にせず入れるようにしたらどうかな?」
カズキの言う『オンセン』が湧き出ている場所は、一箇所だけではなく領内のあちらこちらにある。
私も領民たちも昔からこれの存在には気づいていたが、せいぜい手や農具を洗うくらいしか活用していなかった。
カズキが毎日浸かっている姿を見て、最近は真似して入る領民も出てきているのだとか。
来た当初はあんなに怪しまれていたのに、今では一緒に農作業をしたり、開墾を手伝ったりと、彼はすっかり周囲に受け入れられていた。
さすが勇者様と言うべきか、彼は土魔法と火魔法の優秀な使い手で、どこの現場でも大変重宝されているのだ。
そして仕事が終わると、今日一日の汗を『オンセン』で流す…これがカズキの日課だった。
「それは、いい考えね。男性だけ入れてズルい!って声も上がっているから…」
「よし、皆で作るか。簡易じゃなく、ちゃんとしたものを」
カズキの中には、いろいろと着想があるようだ。
俺に任せてくれ!と自信満々に言い切った彼に頼もしさを感じつつ、私は大きく頷いたのだった。
◇
数日後、皆の協力で出来上がった『スパセン』は、大好評を博していた。
ここは男女できっちりと分けられており、女性一人でも安心して入ることができる。
これまであった『ネユ』だけでなく新たに『大浴槽』や『ツボユ(壺湯)』も登場し、座って入れるようになった。
カズキが土魔法と火魔法で製作した大きな壺は大人一人が余裕で入れるくらいの大きさになっており、小さい子供なら親子二人で入ることも可能。
『ネユ』も、ただ地べたに寝転がっていたのがきちんと整備され、枕まで用意されている。
そして、それぞれに屋根が付いているので雨の日も問題なく入ることができる、まさに至れり尽くせりなのだ。
着替えができる部屋もあり、服を脱いで入る人や湯浴み着を準備する者まで現れた。
そういう私も、湯浴み着を着用している者の一人。
カズキの言う通り、屋外作業で荒れていた肌が最近しっとりしてきたと実感する毎日だ。
そんなある日、たまたま所用でドレファス領に立ち寄った旅人が私たちに声をかけてきた。
金を払うから、自分たちも『オンセン』に入らせてほしい…と。
「いえ、お金はいりま…」
「ここは領民だけに開放しているものですが、それでもよろしければ、どうぞお入りください。ただ、本日お代をいただかない代わりに、あなた方の感想を伺いたいのです。改善点・要望など、ぜひ忌憚のない意見を聞かせてください」
私の言葉を途中で遮り、カズキが彼らと交渉を始めた。
『スパセン』に向かった旅人を見送ったあと彼に理由を尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「『温泉』で領地を立て直さないか? ルビーはこれまでも、少しでも領地をよくしようと頑張ってきただろう?」
「カズキは簡単に言うけど、何か新しいことを始めるにはまず先立つものが…」
貧乏子爵家に、そんなお金はない…そう言った私に、カズキは首を横に振った。
「お金を掛けずに、自分たちの出来る範囲でやれることをやっていく。ルビーたちが今までしてきたことだ。『スパセン』だって皆の協力で出来上がったものだから、金はほとんど掛かっていないだろう?」
カズキの言う通り、開墾作業で切り倒した木材を使用して屋根や壁を、地中から出てきた石や岩で床や浴槽などを作った。
それでも、皆が喜ぶものが作れたのだ。
「ドレファス領は、王都から馬車で一時間くらいなんだろう? その立地を活かして、『日帰り温泉』を観光の目玉にすればいいと思うんだ」
「『ヒガエリオンセン』?」
「宿泊施設はいらないから、変わりに休憩所みたいなところを作ろう。食事処を併設すれば、栽培した農作物を活用できるし、そこで直売することも可能だ」
カズキは「ミチノエキ(道の駅)」とか「チサンチショウ(地産地消)」という単語を使っているけど、おそらくこれも『オンセン』と同じで、カズキが元いた世界の言葉なのだろう。
私が単語の意味を尋ねれば、彼は丁寧に説明をしてくれる。
もっともっと彼のことが知りたい。
私の気持ちは、日に日に大きくなっていた。