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プロローグ ~出会い


『ふう、どっこいしょ…』


 その人は聞き馴染みのない言葉を呟きながら私の目の前に、これまた見たこともないような風変わりな鞄を置いた。


「えっと、この辺りに『温泉』が湧いているって聞いて来たんだけど…」


「『オンセン』…ですか?」


 首をかしげた私を見て、彼が額に手を当てる。


「あちゃ~、やっぱり『温泉』は通じないか。う~ん、これは困ったな。困った、困った…『困った困った、コマド…』なんちゃって、ププッ!」


 彼は、一人でブツブツと呟いている。

 口では「困った、困った、」と言っているけど、その表情は満面の笑みで全く困っているようには見えない。

 私より年下なのだろうか、日焼けした顔をくしゃっとさせて笑う姿が可愛らしいなあと思ってしまった。


 少し考えごとをしていた彼は、私を一瞥するとニコッとまた笑った。

 口元から白い歯が見える。

 この国ではまず見かけない黒い瞳がキラリと光った。


「俺は、和樹(カズキ)。しばらくの間ここに滞在するから、どうぞよろしく!」


 これが、彼…カズキとの出会いだった。





 私は、貧乏子爵のルビー・ドレファス、二十歳。

 こじんまりとした領地で、従者や領民たちと細々とした生活を送っている。

 母は私が幼い頃に、病気がちだった父が亡くなってから、もうすぐ一年。

 悲しみに暮れる間もなく、一人で領地を必死に守ってきた。


 大した広さもなく、領内から鉱物なども産出されないドレファス領が唯一自慢できるのは、その立地だけ。王都から馬車で、約一時間の距離にあるのだ。

 しかし、これといった産業も地元の特産品があるわけでもなく、観光資源になるようなものもない我が領地は、領内を通る街道を素通りされていくだけのただの通過点となっている。


 給金が払えないため屋敷には最低限の使用人しかおらず、私はできることは何でも自分でやる『名ばかり貴族』だ。

 婚約者はいたが、父が亡くなったあと「こんな貧乏領地に婿入りしたくない!」と相手側から一方的に婚約を解消された。


 今日は、少しでも耕作地を広げようと領民に交じって開墾(かいこん)作業をしているときに、彼から声を掛けられたのだった。


「滞在されると言っても、ここには宿屋もありませんが…」


 手に持っていた(くわ)を置き、額に浮かんだ汗を首にかけた布で拭いながら彼へ告げる。


「…えっ、そうなの? 『温泉』っていったら、『温泉宿』があるのが当たり前じゃないのか…」


 彼の口から何度も出てくる『オンセン』というのが、一体どういうものなのかはわからない。

 でも、せっかく滞在を希望してくれる旅人がいるのに、それを受け入れる宿もないなんて本当に情けない話だ。


「宿はありませんが、よろしければ当家にお泊りください。部屋だけは、たくさんありますので」


「いいの…かな? 俺はすごく助かるけど…」


「ええ、何もないところですけど、どうぞお好きなだけ滞在してください」


 見ず知らずの、しかも他国の人間らしき男性を屋敷に泊めるなんて、本来は危険な行為だ。

 それでも、今日初めて会った彼は悪い人ではないと私の直感が告げていた……何の根拠もないけれど。





 私を心配する領民たちに「大丈夫だよ」と言い残し、彼を連れて屋敷へ戻ると、予想通り執事のジェイコブが懸念を示した。


「お嬢様、こんな見も知らぬ男性をお屋敷に泊めるなど…」


 父亡き後、私の親代わりとなっているジェイコブが心配する気持ちは理解できる。

 けれど、彼本人の前で言わなくてもいいと思う。


「ハハハ、やっぱり俺は怪しい奴だよな? これで安心してもらえるとは思わないけど、一応()()()()()()身分を名乗っておく。俺の名はカズキ・サカイといって、隣国で召喚された勇者なんだ。仲間たちと魔物討伐を終えて、その傷を『温泉』で癒すためにここに来た」


「カズキさんは、勇者様なんですか?」


「俺に『さん』付けはいらないし、『様』もいらないよ。あと、言葉遣いも砕けた感じのほうが嬉しいかな…」


「わかり…わかった。それで、さっきからカズキが言っている『オンセン』って、どういうものなの?」


「『温泉』はね…地中から湧き出ている、いろんな成分が含まれた温水のことを言うんだ。逆に温度の低いものは『冷泉』と俺たちの国では言っていたけど…とにかく、それに浸かって傷を癒したいんだ。俺、体中傷だらけだからさ…」


 そう言って袖をまくって見せてくれたカズキの腕には、痛々しい傷跡がたくさんあった。


「それって…全部、魔物にやられたの?」


「うん。もう、全然痛くはないけど」


 事も無げに軽い口調でカズキは話しているけど、腕だけでもかなりの傷だ。

 これが体中にあるのか…と想像しただけで、体が震えた。

 私の顔が引きつったのがわかったのだろう。カズキはすぐに腕を隠した。


「ごめん! 女の子に見せるものじゃなかったな…。ルビーちゃん、そんな顔をしないで。俺は大丈夫だからさ」


 カズキの手が私へ伸びてきたと思ったら、ポンポンと頭を優しく叩かれてしまった…まるで、幼い子供をあやすように。


「あの…私、こう見えても二十歳だから、成人しているの。だから、子供扱いはやめて」


 この世界では十八歳で成人と認められるが、見た目が幼い私は実年齢より下に見られることが多い。

 ちょっとムッとしながら抗議をすると、彼は驚いたように目を見開いた。


「ごめんなさい! てっきり年下だと……あちゃ~、俺は『地雷』を踏んだな…」


「俺のバカ!バカ!」と言いながら自分の頭をポカポカ叩いているカズキは、本当に子供っぽい。

 この人は何歳なのだろうか。

 純粋な興味が、自然にムクムクと湧いてきた。


「まさか、ルビーちゃんが俺と同い年とは…」


「…えっ!? カズキって、二十歳だったの? 嘘、見えない…絶対、年下だと思…」


 年下だと確信していた私の口から、つい本音がポロッとこぼれた。

 しまった!と口を押さえた私を、カズキがニヤニヤしながら眺めている。


「うん、うん。そうやって、はっきり言ってくれる子のほうが俺は好きだなあ…」


「な、なにを言い出すのかと思えば!」


 カズキは、ただ話の流れで口にしただけなのに、彼から『好き』と言われ自分の顔が赤くなっているのがわかる。

 動揺した心を落ち着かせるために、そっと深呼吸をした。


「…ゴホン!」


 ジェイコブのわざとらしい咳で、私はハッと我に返った。

 そういえば、彼も傍にいたのだった…すっかり忘れていたけど。


「では…カズキ殿を部屋までご案内します」


「俺のこと、信用してくれるの?」


「…いいえ。まだ『怪しい人物』だとは思っております。…が、『悪い人間』だとは思いませんので…」


「そうか…ジェイコブさん、ありがとう! じいちゃんに似ているあなたは、やっぱり良い人だ!!」


 カズキが勢いよく抱き着くと、ジェイコブは苦しそうに目を白黒させた。


「わ、私は、男と抱き合う趣味はございません!!」


「あはは! ジェイコブさんとは気が合うなあ。実は…俺もなんだ!!」


 子供のように瞳をキラキラさせながら、カズキは楽しそうにいつまでも笑っていた。



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