すれ違う心Ⅰ
「わーい。ローラおねえちゃんだ」
やっと風邪が治って体が回復した私は、お休みしていたリッキー様の語学学習のために登城して部屋に入るなり抱きついてきたのはリッキー様でした。
腰の辺りにぎゅっと抱きついて喜びを表すリッキー様の姿は微笑ましく心がポカポカと温かくなります。
「リッキー様、お久しぶりでございます」
「うん。ずっと、ローラおねえちゃんに会いたかったんだ。病気はよくなった?」
「はい。すっかり、治りました。ご心配かけて申し訳ありません」
小さい殿下にも気遣いをさせるなんて、教師失格だわ。
「ニャー、ニャー」
リッキー様の声に呼応するようにマロンの鳴き声がしました。足元を見るとスリスリと私のドレスに纏わりついています。その姿を見て思わず二度見してしまいました。
「マロンよね?」
「ニャーン」
「大きくなってるわ」
私の記憶の中のマロンはフワフワとした毛並みとくりくりとした大きな瞳。顔つきもあどけなくて、赤ちゃん赤ちゃんしてたわ。なのに、今のマロンは毛並みが落ち着いてベルベットのようだし、顔もキリッとした感じで凛々しくなってる。いえ、少しずつ大きくなっていると感じてはいたけれど。
しばらく見ないうちに、お兄さん猫に成長していました。
「マロン、おいで」
リッキー様が呼ぶとマロンは抱っこされましたが、腕からはみ出しています。この前まで手のひらサイズの庇護される小さな子猫だったのに。動物の成長って早いわ。
「フローラちゃん、お久しぶりね。元気になってよかったわ」
マロンの成長にびっくりしている私の目の前でアンジェラ様から声がかかりました。
「挨拶が遅れてしまい申し訳ございません。今日はどうぞよろしくお願いいたします」
カーテシーをして礼を取った私にアンジェラ様は優しく微笑んでくださいました。
「こちらこそ、フローラちゃんの顔が見れて嬉しいわ。リチャードも楽しみにしていたのよ。今日もよろしくね」
「はい。先日はお見舞いの品を頂戴いたしまして誠にありがとうございます。お心遣い感謝いたします。おかげさまで、すっかり回復いたしました」
「よいのよ。本当はお見舞いに伺いたかったのだけれど、いけなくてごめんなさいね。お見舞いの品だけでもとディアナに頼んだの」
「いえ。そのような……お見舞いの品を頂くだけでももったいなくも有難くて感謝の気持ちでいっぱいです」
王太子妃が一介の侯爵令嬢にお見舞いなんて恐れ多いわ。
「フローラちゃんらしいわね。そんなに畏まらなくてもいいのよ。友達からの贈り物だと思って気軽に構えていてね」
「そんな……」
王太子妃をお友達だなんて思えるわけはないのですが、アンジェラ様の心遣いなのでしょう。
「フローラちゃん、そろそろ始めましょうか? リチャードもフローラちゃんから離れて。マロンもよ」
また私に抱き着いているリッキー様。マロンはリッキー様の肩に乗り私の胸元辺りをスリスリしてました。
「えー」
「ニャー」
不満そうに唇を尖らせるリッキー様とマロン。同じような仕草にクスクスと笑ってしまいました。アンジェラ様は苦笑を浮かべて、お付きの侍女達はニコニコと笑っていました。
暖かな日差しのような風景に心が和みます。
「リッキー様、マロン。お勉強を始めましょう」
今日は遊びに来たわけではありません。しっかりと役割を全うしなくては、心を引き締めて教師を勤めました。
学習時間も過ぎ、リッキー様はおやつの時間です。今日はミルクとカップケーキ。マロンにはミルクとカリカリのフード。いただきますの声が聞こえてリッキー様はカップケーキを頬ばっています。
小さい口でパクパクと食べる様子はとても可愛らしくて、目を細めて見入ってしまいます。子供や動物を見てるだけで癒し効果抜群です。
「フローラちゃんもどうぞ」
テーブルには紅茶とフルーツ。カットされたブラックオレンジ。滅多に口にすることのない果物にちょっとテンションが上がります。
「アンジェラ様、よろしいのですか?」
「ええ。どうぞ、遠慮なく召し上がってね」
顔を輝かせていたのがわかったのでしょう。アンジェラ様はクスクスと笑っていました。
「お見舞いで頂いたフルーツの盛り合わせにもブラックオレンジが入っていました。重ね重ねありがとうございます」
「あのフルーツは実家の農園で採れたものなのよ。母の選りすぐりの逸品だったの。フローラちゃんの元気回復のお役に立ててたら嬉しいわ」
フェリシア様にまで伝わっていたなんて、私はどれだけの人に心配をかけてしまったのかしら。私は深々と頭を下げました。
「ありがとうございます。フルーツ美味しかったです。食欲がなかったので、とても助かりました。けれど、一人では無理だったので家族達と一緒に頂きました」
籠いっぱいに盛られたフルーツはさすがに一人では食べきれません。旬を逃してはせっかくの美味しさも半減するということで、みんなで分け合いました。
「そうよね。あの量では一人では無理ですものね。皆さんに楽しんでもらってよかったわ」
ニコニコと微笑むアンジェラ様。たぶんそんなことも見越して贈って下さったのかしら。アンジェラ様とフェリシア様の気配りに感心してしまいます。
ディアナも。野菜ジュースも同様で一人では飲みきれない量だったわ。みんなに配ったり料理に使用したり。ローズ様の薔薇も、邸に飾りきれなかった分は使用人に分けて、みんな喜んでくれたわ。
幸せのおすそ分け。喜ぶみんなの顔を見て、私も元気をもらったような気がします。
「あら、あら。おねむかしらね」
アンジェラ様が席を立ってリッキー様の下へ向かいました。おやつを食べてお腹一杯になったら、眠気も襲ってきたのでしょう。コックリ、コックリと船を漕いでいました。
エイブがリッキー様を抱き上げました。
「お願いね」
頭をそっと撫でたアンジェラ様。リッキー様は隣室へと運ばれました。
「ちょっと、はしゃぎ過ぎたのかもしれないわね。フローラちゃんに会えると知ったら大喜びしてたのよ。夕べ興奮してあまり寝ていなかったから、今頃、眠気が出てきたのね」
楽しみにしてくださったのは嬉しい。けれど……
シンとなった部屋の静けさの中で張り詰めた気持ちをほぐすように息を吐きました。
再び、椅子に座ったアンジェラ様に姿勢を正すと
「ご相談があるのですけれど」
ドキドキしながら口を開きました。
「相談ってなにかしら?」
「はい。実はリッキー様の教師を辞めようかと思うのです」
「なぜ?」
不躾ともいえる相談に顔色一つ変えずに、聞き返すアンジェラ様。どんな感情を心に抱いていらっしゃるのか、表情だけではわかりません。語り口も穏やかそのもの。
「私事でお休みを頂いた上に病気欠席も致しました。その分、カリキュラムが遅れてしまい申し訳ありませんでした。このようにアンジェラ様やリッキー様にご迷惑をかけるようでは、教師失格です。ですので、他に適任の方に変えて頂ければと思います」
私は椅子から立ち上がるとこれ以上はないくらいに頭を下げました。
「フローラちゃんの気持ちはわかったわ。椅子に座ってちょうだい。話をしましょう」
私の気持ちを受けて下さると思い、椅子に腰かけました。
穏やかな笑みを湛えたアンジェラ様と目が合いました。
お互いに沈黙をしている間、新しい紅茶が運ばれてきます。侍女達が音もたてず素早く茶器を引き、湯気のたった紅茶を目の前に置きました。デザートも違うものが用意されています。テキパキと準備を終えた侍女達は素早く立ち去って行きました。
「どうしてそんなことを思ったの?」
淹れたての紅茶の香りが漂います。アンジェラ様は紅茶を一口飲むとソーサーへと戻してこちらに視線を投げました。
「お休みを長く頂くような者は教師には相応しくないと思ったのです」
「病気は不可抗力よね。予測はできないもの。私事だけれど、これも承知の上ではなかったかしら? フローラちゃんは最初に言っていたものね。忙しいって。それを込みで引き受けてもらっているのだから、全然、問題はないわよ」
「それでは、申し訳なくて」
「フローラちゃん、気楽に考えてもらっていいのよ。正規雇用ではないし、あくまでも臨時。だから、そんなに思いつめることなんてないの。あと、正規だったとしても、事情があればそれも考慮してカリキュラムだって組んでもらうわ。わたくしだって、鬼ではないのよ。安心してちょうだい」
そこまで言われてしまっては何も言えない。
「それに、リチャードがとても楽しみにしているのよ。フローラちゃんに会うのを。だから、もう少しつきあってくないかしら?」
部屋に入ってきたときのリッキー様の喜ぶ姿が思い出されました。
教師失格だと思っていたけれど、こんな私だけれど、リッキー様に必要とされているのなら、まだ頑張ってもいいのかもしれません。
自信を無くしかけた私に一筋の光明が見えたような気がしました。
「はい。ありがとうございます。こんな私でよろしければ今後ともお願いいたします」
「よかったわ」
私の前向きな返事に安堵の息をついたアンジェラ様。
適任者は他にもいるかもしれないけれど、せっかくご縁を頂いたお役は全うしたかったから、切られなくてよかった。あの日のビビアン様の言葉に囚われている自分がいて、なんでも悲観的な気持ちになってしまう。
「もう? まだ、時間には早いのではないかしら? せっかちね」
アンジェラ様の声がしました。顔を上げると、侍女長が耳のそばで何事か囁いているようでした。
アンジェラ様の目線の先には時計があります。いつもはリッキー様の学習時間のはずですが、久しぶりだったせいもあり今日は早めに切り上げたのです。
「西の宮からの使いのようなの。時間まで待たせるわ。だから、フローラちゃんはゆっくりしていていいわよ」
西の宮……
緊張を伴ってドキッと心臓が跳ねました。
レイ様。
約束の時刻までに気持ちを整えなくては、そう考えるものの久しぶりに会えると思うだけで、ドキドキと鼓動が早くなるばかりで、ちっとも落ち着きません。
会話もそぞろに時計の針とにらめっこしながら、お茶の時間を過ごしました。




