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思い出の町

作者: マサ

 初めまして。マサです。これはあらすじにも書きましたが、福岡県の山間にある田舎へ幼少期の自分を振り返るべく旅した大学院生の夏休みに実際に行った時のことを回想した小説です。これを書いたのは大学院生のときに学内のコンテストに出した時ですが、自己満の塊ゆえに大した結果にはなりませんでした。

 父と作品の供養もかねてここに掲載させていただきます。

 残暑の厳しい九月。小倉から日田彦山線に乗って香春へ向かった。この路線は小倉から南下して、かつて石灰石の産地であった香春を通り、炭鉱の町であった後藤寺・伊田を経由して夜明の駅から久大本線に合流して温泉の町、日田へ向かって山の合間を縫うように走っていく。

 ひとつ前の採銅所を出てからトンネルを抜けると右手に一ノ岳、二ノ岳、三ノ岳と呼ばれて親しまれる香春岳とそれに連なる山々が見えてくる。

 私の乗っている白地に青い帯を巻いたディーゼルカーはエンジンの音が車こだまになって返ってきそうなほど響かせて香春の駅に入る前の築堤を駈けていく。

 二面二線のこじんまりとした駅に列車が止まり、私は懐かしいこの町に帰ってきた初めての一歩を踏み出す。降り立ってすぐに子供の頃と変わらないバカでかい山々が威圧するようにそびえ立っているのが目に飛び込んでくる。

 かつて山を削っていたころのような白い山ではなく、緑の山ではあるけど。記憶の底にしかなかった町の入口である改札へ向かうためにホームから降りて線路をまたぐ。夢で子供の頃のことを見るたびに浮かんでいた跨線橋のない典型的な田舎駅らしさに「帰って来たなあ」と懐かしさに胸が締め付けられる。

 だが、駅の中を観察してみると子供の頃には使われてこそいなかったが、二つのホームの間にあった中線と呼ばれる線路が消えて花壇になっていたり、かつて小倉の眼科へ通うときにお世話になった二名の中年駅員が常駐していた切符売り場と改札は無人化されていたりとすっかり寂しくなっていた。

 列車が出て、静かなホームにはひぐらしの鳴く声が響く中を改札をくぐって駅を出る。駅舎を撮ってからわ一度、役所へ向かった。悲しいことに父親の転勤について行く形で香春を出てからの十七年の歳月が幼少の頃、何度も通いなれたはずなのに駅からかつて住んでいたセメント会社の社宅までの道の記憶をすっかり抜け落ちさせていたためにそのままでは迷子になる危険性があったからだ。

「こんにちは。どういったご用件でしょうか」

「すいません。自分が小さかった頃に住んでいたセメント社宅を見に行きたいので道順を教えてくれませんか」

「ほぉ。昔、ここに住んじょったと。どれくらいおったん」

「幼稚園から小学校二年生に上がるまでぐらいです。もう十六、七年経ちますけど」

「けっこう昔やね。わかった。地図を持ってくるから、ちょっと待っとりなさい」

 ついてすぐに受付案内で職員に事情を説明して案内をお願いする。職員さんに昔この町に住んでいたと話したらニコニコしながら方言で話してきて、すこしびっくりしたが、人あたりの良さそうな方だった。

 おじさんから地図をもらって、役所を出る。香春には私が小学校一年目を終わる頃に離れるまでの三年以上を過ごした地である。その後、この地に再び住むことはなかったけど、だいぶ経った小学六年生の時に工場が閉まるらしく、後処理のために父が再び香春の地に戻ることになったので遊びに行くことはあった。

 本当はふたたび住む予定だったが、小学生の間ずっと転校続きで友達がなかなかできずに孤立しがちだった私のために単身赴任という形を取ってくれたからだ。


 そんなこの地に私が再び足を踏み入れたのは高校一年の冬。父が倒れたとの知らせのためだった。いつもモーニングコールをかけて毎朝、声を聞かせてくれた父が電話をしてこなかったことに疑問を浮かべながら、一時間目の授業を受けようとした時に母が発狂した状態で電話してきた。

「父さんが、倒れた」

 すぐに早退してきちんと旅支度するわけでもなく、本当に着の身着のまま飛行機に飛び乗って父のもとに駆け付けた時には父はドラマで見るような呼吸器を付けて寝ていた。一週間頑張った後、雪の降る夜に父はこの世を去った。

 葬式が終わってもいつまでも私は最後まで感情の整理が追いつかなかった。なにせ、一週間前には伊豆へ家族旅行をしたばかりだ。それがいきなり、永遠に帰ってくることのない単身赴任になってしまうなど、誰が信じられようか。

 それどころか、心臓の弱かった祖母も父が倒れたショックで亡くなり、何がどうなっているのか。どうしていいのか、分からなかった。私の混乱は葬儀の時も続いた。福岡と神奈川。二度もやったからだ。

 葬式の進め方など私は全くと言っていいほど知らなかったので、終始わけのわからないまま母と叔父の言うがままだった。福岡でも神奈川でもいつもただ、ニコニコしているだけの山男の父の葬儀に町長さんやら会社のお偉いさんやら地元の偉い人をはじめ、たくさんの人が来たのがそれに拍車をかけた。

自分の父が世間的にはどういう人物だったのか。それを見てしまったことで悲しさや悔しさ以上に「頑張らないと恥をかくぞ。これは」と妙な脅迫を場の空気から感じ取って自分に言い聞かせていた。

 そんな福岡での葬儀の夜、葬儀場で冷たくなった父と一緒に家族で寝た。その時、懐かしい香春の社宅の前にある公園で遊ぶ夢を見た。ボロい木の塀の並ぶ社宅の群れ。それらの真ん前にあるそこそこ広い公園で私は弟と父とブランコをして遊んでいた。

その時、何を話していたのかは覚えていないけれども私の話を聞く父はいつも通りたれ目を閉じた優しい笑顔で聞いていたのだけは忘れられなかった。


 役所を出て地図通りに行くと橋を渡る。半袖を着ていても暑い日差しの中、渡っていくと橋の左手には幼稚園と人生で最初にお世話になった教会のような独特のとんがり帽子の屋根の小学校が見えてくる。

 遠景写真を撮ってからふと気になって正門の前を通りかかると夏休みの間の学校開放で子供たちがサッカーをして遊んでいる。自分が彼らの頃は平衡感覚が弱くてまともに身体を使って遊ぶことができなくて木陰で女子と遊んでいた。あの頃、仲良かった友達の顔も名前もあまりはっきり覚えていないけれども会いたいなあという気持ちが湧きあがってくる。無理だとわかっているが。

「おにいちゃん、さようなら」

「……はい。さようなら。気を付けて帰れよ」

 外から子供たちが遊んでいる様子を見て、感慨に浸っていたらこれから帰ろうとする子にあいさつをされた。通りを歩いていて誰かにあいさつされるとは思わなかったので少し間が開いてしまったが、かっこつけた返事を返してしまった。あいさつをされたことで気分が良くなってやってしまった。

だが、その子を見て自分が今住んでいる地域の子供の無愛想さを思い出してしまって「いい子がいるもんだなあ。やっぱり田舎はいい」と柄にもなくそんなことを思ってしまうくらい感心した。自宅から最寄り駅への道の途中で近所の小学生や中学生とすれ違うことは多いけど、あいさつをすることはない。みんなお互いに警戒し合って毎日を生きているような気がしていつも息苦しい。それが見ず知らずの旅人である私にしっかりあいさつをしてくれる。とても気持ちいい。

 学校の正門のすぐ前には今しがた渡ってきた川が見える。対岸にはかつて父が働いていたセメント工場のなれの果てが赤さびた姿を晒している。下流にはその工場から学校の後ろにそびえ立つ一ノ岳のほうへ向かって山を削って出た原料を工場へ運ぶコンベアの通った橋がかけられている。そこまで少し歩いた私は子供の頃、よく遊んだあるものを見つける。それはコンベア橋の真下に掛けられた人道橋だった。

 小さいころから鉄道が好きだった私はこの赤いトラス橋でよく幼稚園や学校の帰りに電車ごっこをして遊んでいた。我ながらちょっとシチュエーションがマニアックすぎないかと思うが子供の頃の事を思い浮かべるとほぼ毎回わたるときに必ずこの橋でやった電車ごっこのことが脳裏に浮かぶ。

 そんな橋が懐かしくなって一往復する。子供の頃はちょうどよい広さだったが、二三になった今の私にはかなり狭かった。見える景色にあまり変わりがないように感じたせいか、目を閉じて耳を澄ませばかつて響いていた工場や真上のコンベアの音が今にも聞こえてきそうなのがひどく悲しかった。

 人道橋ともう動いていない工場を撮ってから少し下流へ向かって再び歩く。水の流れる音が耳に心地よい。橋の下はあまり手入れをされなくなったのか葦が生い茂り過ぎているように感じられる。

 それに水の音がするだけで昔ほど水が流れているのが見える部分は少なくなってしまったように思うが、どうだったかはよく思い出せない。それでも気分はよかった。

学校や人道橋のあるところからそれほど離れないうちにこの川に直接降りることができる階段が見えてくる。今日みたいに暑い日には弟や父、母とこの階段を下りて川遊びをしたものだ。水深は浅く、子供が泳いで遊ぶには恰好の場所だ。

泳ぐだけでなく、石の足場を飛ぶように渡って川を渡ったり、ザリガニを釣ったりして遊んだこともある。さすがに着替えも用意していなかったので今回は降りなかったが、とくによく遊んだ場所は写真を撮ってしばらく眺めていた。

「兄ちゃん、何をしよると?」

「なんもしてないよ。川を見とるだけよ」

「変なの」

 堤防から川を眺めているとさっきの子に話しかけられた。よく見ればメガネをかけていて子供の頃の私にそっくりだ。彼に話しかけられて私はちょっと恥ずかしくなった。

 その子は私に興味が無くなったのか元気よく階段を下りて川で遊び始めた。それを見届けて、地図に載っているさらに下流へ二、三分歩いたところにあるちょっと足がつらくなったので川沿いの小さな公園のベンチで一息ついた。屋根もなく、日差しが突き刺さるような場所ではあったが、前夜からのバスと鈍行列車を乗り継ぐ長距離移動で疲れていた身体には腰が下ろせるだけマシだった。

 しばらく川を眺めながら休んだ後、公園から少しだけ学校の方へ戻ったところで路地に入って一ノ岳の方向へ向かって歩くと木の塀で囲まれた古い社宅の群れが見えてきた。

「ここか……」

 社宅の群れを正面から見た時、一番右端の家がかつて住んでいた家だった。トタン屋根の駐車場、木の塀と門。家の向かいにあった公園は遊具は撤去され、何本も杭が打たれ、それらを鉄線が繋いでいてもう入ることができなくなっているただの空き地となっているが、ほぼ記憶にある通りだった。それらを見て少しだけ目を瞑る。私にとって忘れがたい光景がよみがえる。

「まーくん、遊ぼう」

 いつも昼間になると隣に住んでいた女の子が玄関で呼ぶ声がして小さな私が外へ出るとワンピースの似合う優しい子が待っていてくれた。「大きくなったらまーくんのお嫁さんになる」というくらい仲の良い彼女と、もう顔がはっきり思い出せない同じ社宅に住んでいる太った男の子と一緒にその子と三人でいるのが公園で遊ぶ時のいつものパターンだった。

 でも、その日は彼女と二人きり。砂遊びや縄跳びをして遊んだ後、公園に生えていた木の陰にあったベンチで座ったとき、いきなりほっぺにキスをされた。その時、どう反応したのかはもう覚えてはいないけどもキスをされたことだけははっきり覚えている。

 それがたぶん私の初恋だろうが、幼すぎるし、今となってはどっちなのかわからない。

 そんな彼女と過ごす日々は楽しかったが、父の転勤を機に離れ離れになった。私は東京の浮間に引っ越し、香春を出てしばらく経った後に彼女も北海道へ行ってしまった。

 それでも年賀状のやり取りでお互いどうなっているのかを知ることができたが、父が亡くなった頃くらいを境にそれもぷっつり切れてしまった。

 あの淡い思い出のある木陰のベンチももう存在しない。町に来て何度目になるのか分からない残酷な時の流れのむなしさを感じながら、それらを撮って私はそっとかつて住んでいた家の前から去ることにした。


 その後、一ノ岳のふもとにある香春神社に参拝したところで帰りの列車の時間が近づいてきたので駅へ戻る。戻る途中で土建屋の募集看板ばかりが目立つのに気づいて「そうか。工場がなくなった今はこれしか仕事がないのか」と寂しすぎる町の現実を想う。

 どうにもならないけど、心配せずにはいられなかった。

 駅に行く前に役場に立ち寄る。本来寄らなくてもよかった気はするがそうしておかないといけないような気がしたので寄ってもう一度、地図をくれた職員にあいさつをして出た。

 役場の前にある石碑(確か、風土記だか古事記だかで書かれている香春の由来が彫ってある)を撮ってから、ホームにたくさんの高校生や中学生がどっさり降りていくのと列車を絡めて撮らせてもらって列車に乗る。

 汽笛が鳴って、駅を離れようとした時、「また来なさい」と父の声が聞こえた気がした。


 いかがでしょうか。スプーンなど配信アプリで朗読する場合には必ず連絡してください。聞きに行きたいので。

 よろしければ感想などいただけると励みになります。

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