表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/41

5.いま、一つの誤解が生まれた

 そうかといって大きく何かが変わるわけではなく、その週は小康状態が続いた。


 同じ教室でわたしは、しばしば矢島くんの後ろ姿や横顔を盗み見た。

 彼の声は特徴的で、渋い癖によく通る。

 どんな話をしているのか、わたしは耳をそばだてて聞いた。


 あの子が気になるとか、どの子がかわいいとか、そんな大した会話はしていなかった。

 好きな漫画がどうとか、見ていたテレビの感想がこうとか。

 せいぜいそのぐらいだった。


 金曜日の昼休みに、そんなわたしの様子を、絵美里は机に頬杖をしながら見ていた。


「ゆりか。親友から、一言いいかしら」


 何かお嬢様のような声で絵美里が言う。

 そんな冗談に付き合う余裕もあまりなく、わたしはうなずいた。


「ここしばらくのあなたの様子がおかしいの、たぶんみんなに、バレバレですわよ。男子はいざ知らず、女子ならみんな、何かヘンなことに気づいてる」


 わたしは何度か瞬きをして、絵美里を見る。

 恋愛経験のないわたしは、こんなときどうしていいか、さっぱりわからない。


「そういうとき、どうしたらいいの?」


「ゆりかみたいなわかりやすい人、わたしもはじめて見ましたわ。だから、私にもどうしたらいいか、よくわかりませんことよ」


「……みんなにバラした方、いいかな。そんで味方になってもらう」


「みんなに? やめときなよ。そんなことする人、いないよ」


 それが変かどうかなんて、わたしにはわからない。

 すでにわたしは混乱していた。


「大体、ゆりかの他に、矢島貴裕のこと好きな子いたらどうするの」


 そう言われて、わたしははじめてその可能性に気づく。

 わたしは今まで、矢島くんに魅力を感じたことはなかった。

 だから、そんな人はハナからいないものだと決めつけていた。

 なんという、恋する乙女。


「矢島くんって、モテるの?」


「マジな話するよ。童顔ボーイの矢島はたぶん、好きな人は好きだ」


 わたしの目は、そのときたぶん、『カッ』と見開かれた。


「怖っ」


「もしかして、すでに彼女がいる?」


「聞いたことはない。……でも、あるいは」


 知りたい、と思った。

 でもわたしには無理だ。

 なぜって、すでに挙動不審なのだから。

 矢島くんの『や』の字だけで、すぐにみんなから、何が起きているのか悟られてしまう。

 だからわたしは絵美里に言った。


「すぐに調べて」 


 絵美里なら、大丈夫だ。

 彼女が新町大樹と半ばデキてるのは、すでにみんなが知っている。


「オーケイ、ブラザー。放課後までには」


 放課後になって、絵美里から報告が来た。


「矢島貴裕には彼女、いないみたい。あいつのこと、気になっている人の噂も聞かなかった」


 誰もいない教室で、わたしはその言葉を聞いた。 

 わたしはほっとして、ヘナヘナと自分の机に座り込む。

 やっと見つけた『好きな人』が、すでに誰かのものだったとすれば、そんなのは悲劇以外の何物でもなかった。


「だけどさ、やっぱり矢島貴裕、いいやつみたいよ。悪く言っている人はいなかった。それ自体はいいことだけど」


 何かを言い淀む絵美里。


「けど?」


「それはつまり、ゆりかみたいに、そのうち矢島貴裕に惚れる人が現れることを意味している」


 わたしはじっとその可能性を考える。

 絵美里が突然わたしの肩をちょんちょん、とつつき、にっこりと笑っていった。


「告白、しちゃえば」


「もう? いや、ムリでしょ」


「そうかなあ。案外、いけると思うけど。ゆりかって、ちゃんとしてればかわいいんだよ。ちゃんとしてれば、だけど」


 そんなことはない。

 わたしは首を横に振る。

 女らしさとは程遠い人生を送ってきた、とわたしは思っている。

 それはきっと、恋をしなかったことと深い関係がある。


 女子とすれば比較的身長が高く、手足も長い。

 かといってスタイルがいいかといえば、そうでもない。

 だから頭を小さく見せたくて、首をあらわにしたショートカットを選んでいる。


 兄弟のいない一人っ子なのに、言動はガサツで、男みたい、とよく言われる。

 そのくせ男友達はほぼいない。

 別に男に興味がなかったから、近づく必要性すら感じなかった。


 そのわたしが、かわいい。

 そんなのありえない。

 その『ちゃんとすれば』は、決して達しえない条件の元に導かれる『ちゃんとすれば』だ。


「いや、絶対ムリ」


「そ。じゃ、矢島貴裕の方を何とか、振り向かせてみることだね」


 絵美里がそうもっともなことをいう。

 だけどそのハードルは、ものすごく高いように思える。

 わたしが目を落としていると、絵美里が小さくため息をつく。

 それから、ぽん、とわたしの肩を叩く。


「……ところでその、ゆりかには絶対ムリなことを、親友の絵美里ちゃんはこの週末に実行するわけだけど。そのことについて、何かコメントは?」


 実のところ、わたしはすっかり忘れていた。

 そうして、心からわたしは絵美里に言う。


「絵美里はすごいね」


「そうでしょ。……うまくいくかな」


 不安げな声を出す絵美里の肩を、わたしは強めにグーで叩く。


「痛いな、もう」


「絵美里は可愛いんだから、大丈夫だってば」


 わたしから叩かれた肩をさすりながら、絵美里はにんまり笑う。


「そう? じゃあ、もっと言って」


「絵美里、すごく可愛い」


「もっと大きな声で」


「すっげー可愛いよ、絵美里」


 その途端、ガタン、と教室の入り口で物音がする。

 見るとなぜか、サッカー部のユニフォームを着た新町大樹がそこに立っている。

 つい今交わしていたわたしたちの会話を、彼が聞いていたことは明らかだった。


「……、あ、あの、ぼく……」


 イケメンの彼はおどおどと視線をさまよわせ、それからそっと一歩、後ろに退く。


「ごめん」


 そのまま新町大樹は廊下へと出て、どこかに走り去っていった。


「いま、一つの誤解が生まれた」


 わたしがそう言ったそのとき、すでに絵美里は膝を抱えてしゃがみ込んでいる。


「最悪。……私たちの仲って、なんかそういう、恋愛要素アリに見えるかな?」


 高校で知り合った割には、いつも一緒にいるし、結構じゃれ合ってもいる。

 だけどまあ、度を越したものではないはずだ。


「ま、まあ、大丈夫でしょ。日曜日に会うんだから、そのときに笑い話としてちゃんと説明しなよ。なんなら、わたしがふざけてすぎてた、ってことでいいからさ」


 はあ、と深いため息をつきながら、絵美里が立ち上がる。


「しんどい。……まあ、ゆりかの言うとおりにするしかないよね」


 絵美里が金曜日の放課後に学校を後にしたのは、そんな微妙なテンションで、だった。

 日曜日の夜に、わたしのスマホに彼女からLINEで着信が届いた。

 通話がつながると、彼女は歌うような喜びの声をあげた。


「うまくいっちゃった」


 わたしも嬉しかったけれど、あえて冷めた声を出した。


「予想通りじゃん」 


「そうだけど、なんかもう、すごくホッとした。……新町くんも、私のこと、好きだって」


 なんだかしみじみとそんなことを言う絵美里のことが、すごく羨ましく思えた。

 でもそれは、彼女が差し出した、勇気の対価なのだ。


「おめでとう、絵美里」


「ありがと。じゃ、また月曜日に」


 わたしたちには長電話の習慣はない。

 話は大体、顔を合わせて行う。

 その短い電話が終わった後、わたしは自室の天井を見上げた。


 絵美里はうまくいった。

 わたしはそれを羨ましいと思う。

 わたしはどうしたい?

 自分のその問いかけに、うずくような胸の痛みを覚えた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ