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39.校則を、変える機会を生んだのです

 理事長が五十嵐へ言葉をかける。


「構いません。というより、ここにはその様子を見に来たのです。昨年、そこに座る藤村早紀さんが同じように生徒指導を受けましたが、私はそのとき不在でした。でも私はもっと詳しい話を聞きたかった。例えば、彼女は何を思って、あの校則を破ったのか」


 部屋の中に入ってきた理事長は、そのまま、五十嵐の席の隣へと腰をかける。


「私が出張から戻ってきたとき、すでに藤村さんの処分は決していました。理事長が不在時の常として、校長が代理で決定を行ったのです。そこに不満があったわけでは、もちろんありません。状況は聞いていましたし、きっと私も、同じ判断を下したでしょう。ただ私は、藤村さんから話を聞いてみたかった。そして今はそれができる」


 五十嵐は戸惑うような声をあげた。


「その必要がありますか?」


「必要はありませんが、そうしたいのです。そして、五十嵐先生。席を外してくれませんか」


 五十嵐は、やや不満げではあったけれど、反対はしなかった。


「わかりました」


 生徒指導室には、理事長とわたしたち三人だけが残った。

 机の上に肘を置き、手を組むと、理事長は藤村早紀に目を向けた。

 それから、わたしたちにも。


「藤村さん。そして、矢島くんに、浦下さん。なぜあなた方は、こんなことを?」


 わたしは理事長を見返し、それから藤村早紀に目を向けた。

 これをはじめたのは彼女だ、という認識があった。

 しかし藤村早紀は、ゆっくりと首を横に振った。


「ゆりか、きみが答えるんだ。何せ今回の校則違反者は、きみなんだから」


 わたしは矢島くんにも目を向ける。

 矢島くんは、わたしにうなずいてみせた。


「俺の言いたいことは、たぶん、浦下と同じじゃないかな。俺が話したこと、だいたい、浦下だって覚えているだろうし」


 二人の意見を確かめた後、わたしは理事長に目を戻した。


「それが、青春だからです」


 わたしが言うと、理事長の顔が険しくなる。

 ふざけていると思われただろうか。

 でもわたしは心底真面目にそう言っている。


「バレンタインデーって、一大イベントじゃないですか。街だって華やかに彩られる。テレビだって、嬉々としてニュースで流す。義理でも、本命でも、なんでもいい。チョコでもなんでも、誰かが誰かにプレゼントを渡して、想いを伝える。他の高校生みたいに、何でわたしたちはそれが出来ないのか、って、そう思ったんです」


 わたしの口から出てきた言葉は、それがすべてではない。

 もっと言葉にしがたい思いが、わたしの行動には込められていた。

 だけど間違ったことは言っていない。

 煎じ詰めて言葉にすれば、そうなるという感じだ。


「つまり、理由を知りたい、と」


「ええ。そして、それだけじゃない。バレンタインデーが禁止って、いったい何を指すんです? 場所ですか? 行動ですか? それとも時間ですか? わたしたちは何を禁止されているの? 昨日がそうであったように、バレンタインデー以外でのチョコのやり取りは禁止されていない。ならどうして、わたしたちは二月十四日には、コソコソとチョコのやり取りをしなくちゃいけないの? いったい、一日で何が違うんです?」


「かえって、私が知りたいのは、そこです。あなた方にとっても、一日で何が違うんです? わが校は、推奨はしていませんが、普段なら菓子類の持ち込みを禁止していない。それをやり取りすることも。二月十四日が禁止されているのなら、二月十三日に、あるいは二月十五日にチョコを渡して、何か問題が?」


「問題は、あります」


 そう言ったけれど、わたしの言葉はすぐには出てこない。

 冷静に考えればそうだ。

 問題はない。

 バレンタインデー禁止がそうであるように、バレンタインデーだって、誰かが勝手に決めたことでしかない。

 同じことができて、同じような意味を持つのなら、その日にこだわる必要はない。


「もし、ただ、禁止されていることに反発をしたかったのなら、それはただの浪費です。もっと価値のある別なことにエネルギーを使いなさい。例えば、日本を変えるとか」


 最後こそやや冗談めいていたけれど、理事長の声はあくまで真面目だった。

 そしてそれは、藤村早紀の元々の動機を言い当てていた。

 彼女は何かを壊したがっていた。

 だけどもう、それだけじゃない。


「恋をして、わたしは気づいたんです」


 わたしのその言葉に、理事長は首をかしげた。


「わたしも二月十四日なんて、大した意味のないものだと思っていた。例の『禁止』だって、ノベ高の妙な校則で、名物だと思っていた。バレンタインデーなんか、誰かが勝手に決めて、何ならお菓子会社が宣伝に利用しているだけのものだと、そう思っていた」


 わたしは首を横に振る。

 そうしてまた、言葉を続ける。


「でも今は違うんです。二月十四日は、想いを伝えられる日。わたしに告白を決意させてくれた日。恋なんてしたこともなかったわたしが、人を好きになって、どうしていいかもわからなかった。だけど、チョコを渡そうと思った。バレンタインデーだから、そう思えた」


 テーブルの下で手を強く握りしめ、わたしは理事長に向けて言葉を重ねる。


「そんな特別な日なのに、わたしたちは、後ろめたい思いをしてすごさなければいけない。わたしたちは、よくわからない『禁止』に縛られ、青春を握りつぶされている。なのに、そこに、大した理由もないなんて、そんなの、あんまりじゃないですか……」


 言わんとしていることが、伝わっているかはわからない。

 正直いって、うまく説明できたとは思っていない。

 だけどわたしが素晴らしいと思った、このバレンタインデーという日の持つ意味を、理事長にもわかって欲しかった。

 理事長は、じっとわたしを見返すと、やがて口を開いた。


「バレンタインデーを禁止していることに、理由は、あります」


 そうはっきり言いきり、理事長は立ち上がる。 


「一つは衛生面です。手作りチョコを広く配布することで、食中毒などを引き起こす可能性があります。さらには必要性の問題。生徒の本分は、わが校のモットーにもあるように、学業とスポーツの向上、文武両道にあります。男女交際も、健全なものであれば禁止をしてはいませんが、主たる目的ではない。あえてバレンタインデーを認めることが、必要でしょうか」


 必要じゃなくても、なんてわたしが口を開きかけるが、理事長は片手を広げてそれを制し、言葉を続ける。


「生徒の経済的な負担もあります。各々の生徒はそれぞれ、家庭環境が違う。バレンタインデーでチョコを配ることが、経済的に大きな負担となる場合だってあるわけです。それが不公平になる場合もあるでしょう」


 理事長は一度大きくうなずくと、わたしたち三人に目を向けた。


「そして何より、あなた方の先輩たちもみんな、バレンタインデー禁止を守ってきた。……いま、私が何を言いたいのか、わかりますか」


 わたしは首を横に振る。

 こういう場合に、見当がついたためしがない。


「バレンタインデー禁止には、多くの理由があるのだということ。あなた方は、先に話し合うべきだったのです。同級生や先輩たち、それに教師たちや、私とも。そうすれば、こんな問題にはならなかった。あなた方は、間違っています」


 わたしは、視線を落とした。

 今度は、まったく言葉が出てこなかった。

 理事長がゆっくりと椅子に腰を下ろした。

 そして彼女の声がした。


「……だけど、いま言った理由は、本当はすべて、後付けのものです。本当にそれらが理由なら、二月十三日や、二月十五日にチョコを配るのが許されているはずがない」


 その言葉の意味が、すぐにはわからず、少し遅れてわたしは顔をあげた。


「後付け? それって、どういうことです?」


「バレンタインデー禁止の、もっとも大きな理由を教えてあげましょう。私の母、つまり初代理事長の野辺良子は、バレンタインデーが嫌いだったのです。……私の母だから、よく知っています。彼女は、彼女の青春にはなかった、バレンタインデーのことが理解できなかった」


 理事長は、そのときわずかに、寂しそうな笑顔を浮かべた。


「バレンタインデー禁止の校則が設けられたのもそのためです。もちろん、話題性を狙った、半ば冗談のつもりでもあったのでしょうけれど。ただその校則は、いつの間にか一人歩きをしてしまった。藤村早紀さんのように、実際に懲戒処分に用いられることまでは、想定はされていなかったはずです。だけど校則を読み解くと、文面の上ではそうなっている」


 その停学処分を受けた張本人である藤村早紀が口を開く。


「なのに、……いや、だからこそ、校則に残り続けた?」


「そう。昨年まではそれで問題はなかったのです。あなた方の先輩たちはバレンタインデー禁止を守ってきた。でも昨年、藤村さんが実際に処分を受けてしまった。そして今年は浦下さんと矢島くんが、あんなにも大胆に、バレンタインデー禁止を破ってしまった。来年は、同じようなことをする生徒が、もっと現れるかもしれない。そのたびに私は、停学という厳しい懲戒処分を下さなければならないのですか?」


「そうかもしれませんね。俺たち、目立ったから」


 矢島くんがそこで口を開く。

 理事長は、うなずいてみせた。


「先ほど私は、あなた方は間違っているといいましたね。ある意味では、本当にそう思います。でも実際にバレンタインデー禁止について、私のところに相談に来ていたら、私は先ほど言った理由を述べて、その相談を退けたでしょう。大人は自分の過ちを、そう簡単に、自ら正せないものです。だから、ある意味では、あなた方は間違ってはいなかった」


 首をかしげるわたしに向け、理事長はこの部屋に来てはじめて、微笑んでみせた。


「こう言い換えましょう。あなた方のしたことは、大人としては、間違っている。でもあなた方は高校生です。そして今回ばかりは、あなた方はその間違っている方法で、より大きな大人の過ちを正そうとした。それは今しかできない、正しいことだったと言えるのではないでしょうか。……そうしてあなた方は、その結果として、廃止するタイミングを失っていた校則を、変える機会を生んだのです」


 そう言うと理事長は立ち上がり、生徒指導室の出入り口へと向かった。

 扉を開け、五十嵐の名前を呼ぶと、すぐに彼がやってきた。

 生徒指導室の入り口で、五十嵐に向けて、理事長は言った。


「本日付で校則を改定しましょう。『バレンタインデーの禁止』は、これを廃止します。五十嵐先生はその作業をお願いします」


「え? ……は?」


 急な仕事を申し渡された五十嵐は、生徒指導室の中のわたしたちに目を向けた。


「あの三人は?」


「一人は校則違反ではないですし、無断で校内放送をしたことに対するお説教は済んでいたのでしょう? あとの二人も、校則違反はしていません。校則は、本日付で改定の予定ですから」


 五十嵐は肩をすくめ、呆れたように言った。


「なんとも急ですね」


「仕事の速い五十嵐先生だから、お願いするのです。校長へは私から伝えます。明日のうちに、教職員を通じて、生徒全員に周知してもらうつもりですから、早急な作業を頼みます」


 はたから見てもそうとわかる渋い顔をしながら、五十嵐はそれでも、素直に従った。


「わかりました。本当に、すぐ取りかかりますよ。いいんですね」


 五十嵐が背を向けて去ると、理事長がわたしたちへ目を向ける。

 生徒指導室の扉に手をかけたまま、彼女は立っていた。


「無罪放免、なのかな」 


 矢島くんが言うと、藤村早紀が立ち上がる。


「理事長の話からすると、そういうことなんだ」


 藤村早紀を先頭に、わたしたちは並んで生徒指導室の扉へと向かった。

 理事長の前を通り過ぎるとき、軽く頭を下げる。

 わたしがそばを通るとき、理事長は、ささやくように言った。


「私もかつて、この高校に通っていました。バレンタインデー禁止を疑問に思いながら、何もできなかった多くの生徒のうちの、一人だったのです」


 わたしはじっと彼女の顔を見た。

 理事長は、小さくうなずいて言った。


「もうこんなところに、二度と来るんじゃありませんよ」

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