29.わたしは、いまそうしたい
突然言い出したわたしに、絵美里はさすがに理解できない、という顔をしてみせる。
「は? 何で急に……そんなこと言い出すのさ。だいたいその話はもう、終わったことでしょ。藤村早紀だって諦めたし、矢島貴裕とだってうまくいきそうだし、やらなくてもいいことじゃん、そんなの」
「違うよ。矢島くんが、とか藤村早紀が、とかそういう問題じゃない。わたしは、バレンタインデーを取り戻したい。わたしたちが普通の高校生みたいに、バレンタインデーを楽しめるように」
「ちょっと、何でゆりかがそんなことしなくちゃいけないの。藤村早紀みたいなこと言い出して……変だよ、ゆりか。また何か吹き込まれたわけ?」
「ううん、ただ、わたしがそうしたいだけ」
わたしはじっと絵美里を見返して、言葉を続ける。
「それに、バレンタインデー禁止を当たり前に受け入れてる方が、変だよ。納得できる理由があるならまだしも、そうじゃないんだから。それを変だと気づかない方が、変だ」
絵美里は口を尖らせて、じっとわたしを見つめる。
やがてわたしに言った。
「またここでケンカしないといけないわけ?」
「ごめん、絵美里。でもわたしは、そうしたいの。誰かに言われてとかじゃなく、わたしがそうしたいの」
「停学になるよ」
「なってもいい。むしろ、なるぐらいじゃないと、誰も何も感じないかも」
それはただ、藤村早紀と同じ道をたどるだけのことかもしれない。
それでも、いい。
「……なら聞くけどさ、矢島貴裕はどうするの。矢島貴裕も停学になるよ。それにチョコはどうするの。持ち込んでいるのが見つかれば、ただゆりかだけが怒られて、停学になって、あいつバカなことをしたなって、そんな話が語り継がれるだけだよ」
「矢島くんには迷惑をかけない方法を探す。チョコも、なんとか持ち込んでみる」
「つまり、何も考えてないってわけね。ゆりからしいっちゃ、らしいけど」
絵美里の言ったことは、正しい。
解決しなければならない、多くの問題がある。
だけどわたしの決意は変わらなかった。
なるべく、多くの生徒たちに注目を浴びる形で、わたしはチョコを渡す。
絵美里が首を傾げ、再びわたしにたずねてくる。
「どうしてそんなにチョコを渡したいわけ?」
「前にも言ったけど、それがわたしの青春であり、バレンタインデーだから。何もふざけてないの。わたしは、わたしにとって大事なことを守りたい。そしてみんなにも、バレンタインデーを楽しんでもらいたい。もちろん、絵美里にも」
絵美里は眉間にしわをよせる。
やがてため息をつき、わたしに言う。
「どうしても、そうしたいわけね」
わたしはうなずく。
「それは別に藤村早紀に言われたから、とか、矢島貴裕の気をひきたい、とかじゃなくて、純粋にゆりかがそうしたい、ってわけなのね」
「そうだよ」
絵美里は、目を見開くと、吐き捨てるように言った。
「私は、めちゃくちゃ反対。絶対反対。ゆりかがそんなバカなことをして、みんなに妙な目で見られて、その隣にいる私も同じように扱われて、新町くんから敬遠されて、あげくの果てに別れることになって、その結果、暗黒の高校生活を送るなんて、無理。絶対、嫌」
わたしは目を伏せる。
また、絵美里は弓道場を出ていってしまうのだろう。
そうなっても仕方がない、と思っていた。
しかし、絵美里はわたしの両肩をつかみ、ほとんど叱るようにして、わたしに言った。
「だけどさ、親友が絶対にやりたいっていうことがあるんだから、協力するしかないじゃん。だって、親友なんだから。嫌だけどさ、絶対やりたくないけど、そんなにやりたいのなら、なんでも協力するよ、なんて自分が言ってるのも、あー、もうやだ。何でこうなるの。ゆりかのバカ」
混乱したその言葉の意味は、すぐにはわからなかった。
じっとその目を見ていると、やがて絵美里が言った。
「どうせ考えを変えないんでしょ。親友の絵美里ちゃんと、二回もケンカしようとして、そんなこと言ってるんだから」
「うん、まあ」
「じゃ、協力する」
どう反応していいのか、わたしはわからなかった。
絵美里のその言葉は、考えてもいなかった。
しばらく、どうしていいか迷っていると、絵美里が言った。
「前にも言ったけど、停学明けには抱きしめてあげるからね。存分に、停学になりなさい。むしろもう楽しみだわ。ゆりかが、停学になるの」
「復帰したら、抱きしめてくれるの?」
うなずいてから、絵美里が言う。
「もちろん」
「わたしは、いまそうしたい」
そう言ってわたしは絵美里のことを強く抱きしめた。
それしか、今のわたしの気持ちを伝える方法がなかった。