24.バレンタインデー当日だけ、ガマンすればいいんだよ
「あの、どうして?」
わたしがそうたずねると、藤村早紀はよどみなく答えた。
「今日の放課後に、楓が私のところに来たんだ。そして彼女が言うには、今回のバレンタインデーで行われる風紀委員の取り締まりは、厳しくなるそうだ。だから、私はやめた方がいいと判断した。ごく簡単にいえば、そういうことになる」
藤村早紀のその言葉に、わたしはどう答えていいかわからなかった。
返事を迷っていると、藤村早紀が言葉を続けた。
「詳しいことは、明日、話そう。本当はそのつもりだったんだ。きみから電話が来たから、つい、余計なことを言ってしまった。……それじゃ、また明日」
「わかりました」
わたしがそう返事をすると、すぐに通話が切れた。
あまりにも唐突な展開で、わたしの頭は追いつかなかった。
その日の夜は、藤村早紀の言葉のことだけを考えて眠りについた。
この一か月あまり、力を注いできたことを、急にやめろと言われた。
しかもそれを言い出したのは、ずっとわたしを振り回し続けてきた張本人だ。
それをわたしはどう、考えればいいのだろう。
翌日の朝、わたしが教室にたどり着いたとき、すでに矢島くんは自分の席に座っていた。
いつもの朝の習慣で、わたしは矢島くんのそばへ行った。
「おはよう、矢島くん。昨日は、ありがとう」
「浦下、おはよう。来週末、どうだった?」
わたしはすっかり、予定の確認を忘れていた。
家に帰ってすぐのころはずっと浮かれていたし、藤村早紀に電話してからは、彼女の言葉ばかりを考えていた。
「あ、ごめん。ど忘れしてた」
そう言ってから、この口は、相変わらずデリカシーのないことばかりを言うな、と自分で思う。
人の誘いをど忘れで済ませるなんて、失礼にもほどがある。
しかも好きな相手からの誘いなのに。
フォローのために、慌てて付け加えた。
「ほんと、ごめん。ちょっと色々、考え事があって……そこまでの余裕、なかったんだ」
「浦下は、悩み多き年ごろなのな」
矢島くんは、軽く微笑みながらそう言ってくれた。
あなたもわたしの悩みの一つだ、と考えながら、わたしは答える。
「絶対忘れず連絡するし、可能な限りスケジュールは空けるから、そのつもりでいて」
「わかったよ」
矢島くんはひらひらと手を振ってそう言った。
机に行ってから、すぐに手帳を開いた。
来週の土日に、スケジュールの書き込みはない。
予定通りなら再開しているはずの部活も、たぶん絵美里と相談して、休みにすることはできる。
絵美里へちらりと目を向ける。
彼女と一瞬、目が合う。
互いに特にリアクションもせず、絵美里の目がどこか別の方向へと向かう。
すこしの融和も許さない、がんこ者め。
でもそういう絵美里がわたしは好きだ。
再び手帳へ目を落とす。
予定は今のところ、空いていそうだ。
あとは念のため、家に帰ってから両親に確認して、何もなければ大丈夫だ。
授業がはじまるまでの時間を、矢島くんとの週末をどこに行きたいか、考えて過ごした。
でもその考えはやがて、藤村早紀の例の言葉へと向かっていく。
バレンタインデー、やめよう。
どうせ放課後になり、藤村早紀の家へと行かなければ、確かなことは何もわかりっこない。
そう割り切って考えようとしたものの、やはり、すっきりしなかった。
やがて昼休みになり、お弁当を食べ終えたその後で、わたしは久しぶりに図書室にでも行こうと考えた。
どうせ話す相手もいないし、しばらく本も読んでいない。
立ち上がりかけたちょうどそのとき、わたしの背後から声がかかった。
「浦下ゆりかさんって、あなたよね」
座ったまま、わたしが振り返ると、すぐそばに立ってわたしを見下ろす女子生徒がいた。
それは眼鏡をかけた、ツインテールの女子生徒。
滝上楓だった。
滝上楓の顔を、わたしはじっと見つめる。
彼女とは、つい先日、藤村早紀と一緒のときに一度会ったきりだ。
そして他に思い当たるつながりはない。
だから彼女が口にすることが、あまりいい内容でないのはわかっていた。
「……そうですけど」
「だよね。この間、会ったし」
滝上楓はそう言いながら、わたしの席の前の方へとゆっくり回ってくる。
彼女はどうやら一人のようだった。
他の友達とか、風紀委員の姿はない。
「早紀とは、ずっとつるんでるんだって?」
つるんでる、という言い方が正しいかはわからないけれど、そんなに長い付き合いでもない。
わたしは首を横に振る。
「せいぜい、この一か月ぐらいです」
「十分よ、十分に長い。早紀はね、一匹オオカミなんだから」
「それで、わたしに何の用です?」
滝上楓は、わたしを見下ろして、にやりと笑った。
「昨日、早紀にも言ったんだけど。一応、あの女と一緒にいる、あなたにも警告しておくわ。バレンタインデーに、余計なことを考えないこと。それだけで、何が言いたいか、わかるよね」
わかりました、と適当に返事をして、受け流す方法もあった。
だけど、それ以上にわたしは、藤村早紀のあの言葉のわけを、早く聞いておきたかった。
「どういうことですか?」
「わからない? なら、教えてあげるわ」
滝上楓が目を見開き、何か言いかけたとき、わたしはふと気づいた。
ここじゃマズい。
ここには矢島くんがいる。
他のクラスメイトがいる。
わたしがバレンタインデーに何かをしようとしているのはわかっている、チョコを渡すつもりなんだろうからやめろ、なんて大騒ぎされたら、とてもこの先、教室にはいられない。
「いや、あ、やっぱストップです」
慌ててそう口を挟むと、何やら滝上楓は、毒気の抜かれたような顔になる。
「なに? そんな……妙な声出して」
見たところ、滝上楓は空気の読めるタイプではない。
わたしが何も言わずに、この周囲の状況を察知できるとは思えない。
わたしは強引に、勢いで押していくことにした。
「ほら、先輩、あっち行きましょう。あっちに」
そう言ってわたしは立ち上がり、滝上楓の手首をつかむ。
そのまま、教室の出入り口まで、滝上楓をひっぱる。
わたしの方が、体格がいい。
力も強い。
滝上楓にはなす術がなかった。
「え、何なの? どこに行くのよ」
どこに行くかは、わたしも、教室を出てから考えた。
話は聞きたい。
だけど誰にも知られたくない。
どこか適当な特別教室に行く手もあったけれど、普段は誰も使う人がいないところに二人きりでいれば、すごく不自然だ。
結局のところわたしは、図書室を選んだ。
藤村早紀をはじめて見つけたときに座った、あのソファーへ滝上楓を連れて行く。
ソファーに腰を下ろすと、滝上楓は呆れたように言った。
「結局、ここで話すことになるのか」
わたしにはその言葉の意味がわからない。
「どういうことです?」
「昨日の放課後、早紀はここにいた。だからやっぱり、このソファーで話をした」
滝上楓は、ソファーの肘置きをなでる。
わたしと会う予定のなかった昨日、藤村早紀は、この図書室にいたらしい。
滝上楓はつぶやくように言った。
「あなたは、早紀とはタイプが違うのね。早紀なら、周りの目なんか気にしない。だけどあなたはそうじゃない。だから、ここに連れてきたんでしょう? 同じ一匹オオカミ同士で、何か企んでいるのかと思ってた」
「もし、滝上先輩のしようとしている話が、わたしの想像しているとおりのものだったら、とんでもない話ですよ。とても、教室でして、周りに聞かせるような話じゃない」
「ごめん」
滝上楓は、真顔でそう言った。
わたしはその言葉を聞きながら、案外、悪い人ではないのかも、と思いはじめていた。
「だけど言いたいのは、つまりそういうこと。言ってしまえば、早紀には前科がある。その早紀と最近親しく付き合っているあなたがいる。しかもあなたと早紀がバレンタインデー用のラッピングを選んでいるのを、風紀委員のうちの一人が目撃してる」
ヤなやつだ、という藤村早紀の言葉が耳の奥で響く。
その目撃情報は、単独では大したものではないけれど、様々な状況を組み合わせると、途端に意味合いが重くなる。
「バレンタインデーは、昨年以上に厳しく取り締まることになったの。去年は早紀が……」
そう言って、滝上楓は突然言葉をつまらせる。
わたしはじっとその顔を見つめてしまう。
「あの子は、マークされていた。私にずっと、バレンタインデーにチョコを渡すって言ってたから。私は止めたのに。でも言うことを聞かなかったから、教師にも情報を伝えてたの。まさか、……停学になるとは思ってなかったけど」
滝上楓は、ゆっくりと首を横に振り、それから言葉を続ける。
「今年は、全体的に厳しくなった。同じようなことをする生徒が増えると困るからね。そろそろ全校生徒にも周知をするわ。その必要があると認める場合は、持ち物検査もすることにもなった。もし見つけたら、チョコは没収。だから登下校のときに渡すのも難しくなった。……つまり私は、例え何かをしようとしてたとしても、諦めなさい、と言いたいの。それだけ」
滝上楓のその言葉の意味を、わたしは考える。
そうして、彼女にたずねた。
「何で、です?」
滝上楓は、肩をすくめて、わたしに答えた。
「私はね、ただ、あなたたちを止めたいのよ。去年は早紀にも悪いことをしたと思ってる。だけどそもそも、早紀がバレンタインデーにチョコを渡そうとしなかったら、何も起こらなかった。いいじゃないの。今回だって、厳しく取り締まるのはバレンタインデー当日だけ。前の日でも、次の日でも、好きにチョコを渡したらいい。当日だけ、ガマンしてちょうだい」
「……それって、『何で教えてくれるのか』っていう質問に対しての答えですよね」
滝上楓は、ゆっくりとうなずいた。
わたしは首を横に振る。
「そうじゃないです。わたしが聞きたかった『何で』は、『何でバレンタインデーを禁止するのか』です。どうしてそんなにみんな、目の敵にするんです?」
滝上楓は、少し驚いたようだった。
彼女はためらい、それから言葉を返してくる。
「だって……それが校則だから」
「でもそんなジョークみたいな校則、守ることに意味があるんですか?」
滝上楓は、一瞬言葉を失っていたけれど、気を取り直して言った。
「でも、校則は校則よ。別にいいじゃないの。さっきも言ったけど、バレンタインデー当日だけ、ガマンすればいいんだよ。くだらない校則かもしれないけど、それにこだわって、停学になるのだって、くだらないと思わない?」
わたしは藤村早紀の顔を思い浮かべていた。
「……わかりません」
わたしのその言葉に、滝上楓はしばらく、難しい顔をしていた。
やがてソファーから立ち上がり、わたしに言った。
「ともかく、私の話はそういうこと。今回は、早紀だけじゃなくあなたも、マークされているから。気をつけてね」




